縁の花村まぐまぐ情報  

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  縁の花村まぐまぐ情報 第67号 2007年 5月30日

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1、縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
「武田勝頼と仁科盛信の会話」情報戦

 「わしの決断しだい」勝頼は、仁科盛信の言葉にそう反応しました。
 仁科盛信は、頷くと、「そうです。もし、戦場で、信長が急死すれば、我々に有利に働くことが一つあります。それは、織田家中にしろ、徳川家にしろ、まったくそのことに対して準備しないのに対して、お屋形様は、予測して、準備していることです。準備を事前にしていたら、それだけ早く兵を動かせます。後は、いかにして、信長の情報を、徳川家康や、織田家中の家臣よりも、どれだけ早く掴むことができるかです。とりわけ、家康に負けるわけにはいきません」

「家康」勝頼は、その言葉にそう反応しました。家康は、勝頼のライバルになっていたのです。仁科盛信は、そんな勝つよりに対して、「徳川家康も、一角の武将です。必ずや、信長が戦場に散ったとしったら、すぐにでも尾張、美濃に攻め込むでしょう。甲斐と三河では、距離的に言っても、遥かに、三河の方が近いです。何も用意していなかったら、折角の好機を見逃してしまうことになります」
「徳川家康に、尾張、岐阜を取られたら、折角のチャンスも活かすことはできません。武田家は、この苦境から逃れることはできません。信玄公の夢、京都に旗を上げることもできません。

 仁科盛信は、そういいました。勝頼は、弟の仁科盛信が、まだ、父、信玄公の夢、天下統一を諦めていないことに正直呆れてしまいました。長篠の戦いの敗戦後、勝頼は、そんな事を考えたこともありませんでした。唯一、上杉謙信が、上洛した時は、自分も、岐阜城を落とし、美濃、尾張を支配したいという望みを持っていましたが、すぐに消滅しました。

 今、武田家の家臣で、そんなことを考えている人物は、仁科盛信です。知将ある真田昌幸さえ、そんな事は口に出したこともないのです。だから、勝頼は、そんな仁科盛信の思いを尊重してやりたいと思いました。仁科盛信の言うことは、根拠がなくても、リスクもそんなにありません。信長が、万が一、負けたことも考えて、できるだけ最大限の用意をしておけというだけです。今の、自分に、武田家の当主として、できることは、確かに、それだけで、他にはないとも思ったのです。

 また、勝頼は、そんな盛信が、自分より先に生まれて、武田家を継いだら、どうなっていただろうかとふっと考えました。側室の油川は、甲斐の夫人です。諏訪家の出だと、家臣に影口を叩かれる心配もありません。しかも、頭もよく、家臣達からも信頼されています。もし、仁科盛信だったら、正式に武田家の跡目も告げましたし、長篠の戦で、あんな敗戦をすることもなかった可能性が高いです。

 織田信長、徳川家康を破ることはできなくても、もっとうまく互角に戦った可能性もあります。勝頼は、そんな仁科盛信の言葉を信じてみようと思いました。後、一日か、二日、高遠城に滞在して、仁科盛信の策を全部聞いて、甲斐にいる知将の真田昌幸を呼んで、三人で、情報戦で負けないように、最大限の努力をしたいと思いました。後は、そんな勝頼や、仁科盛信を、諏訪大明神や、武田家の氏神、八幡大菩薩が、どうされるか。自分達が死んだら、悲惨な運命がまっている、仁科盛信の娘、今、無邪気に寝ている小督や、勝頼の娘、貞姫の為にも、最大限のことをしたいと思ったのです。


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縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
   第2章「本能寺の変」
   天正十年六月二日

 織田家の家臣、明智光秀は、主君である織田信長に謀反を起す決心していました。しかし、その理由は、まだはっきりとは、光秀以外、何人かの側近でしか分かっていませんでした。ただ、その謀反は、突発的なことでした。何年も前から考えていたことではなく、2ヶ月間ぐらい前に、考えたことだったのです。

 またそれは、自分の事よりも、天皇家に対しての不満でした。織田信長は、足利将軍を追い出すだけでなく、天皇家自身を、古い体制として破壊しようとしているのではないか、明智光秀は、そう思っていました。天皇家からも、その事を本気で心配する情報も入っていました。ここで信長を殺さないと、古代からの日本の秩序、守らないといけないものが、信長に破壊されると思ったのです。

 だから明智光秀は、使命感に燃えていました。その後、自分が天下を取ることは、そんなに考えていませんでした。天皇の意思で、信長を討てたら、それでよかったのです。
 また、そんな光秀に、大きなチャンスが転がりこんでいました。今、織田軍の各武将は、各地で戦っていて、信長の周りは、大きな兵を持った人物はいませんでした。

 嫡男の信忠は、わずかな手勢で、信長と一緒に京都にいますし、織田家の筆頭、柴田勝家は、上杉家、羽柴秀吉は、毛利氏、滝川一益と徳川家康は、武田家、丹羽長秀と織田信孝は、攝津にいて、毛利家に向けて、軍を動かそうとしていました。毛利家との戦いで勝利した後、丹羽長秀と織田信孝の軍勢で、四国の討つ計画だったのです。ですから、今、信長の周りには、有力な武将はいませんでした。簡単に信長を討つことは可能だったのです。

 しかし信長を討った後、どうなるかは明智光秀にも、はっきりとは読めていませんでした。ただ、各地に散らばっている有力な織田家の武将や、同盟国の徳川家康が、自分の首を取りにくることは明白でした。それに対して、自分にどれだけの武将が、ついてくれるか、光秀には自信はありませんでした。自分の与力になっている若狭の細川藤孝や、大和の筒井順慶さえ、主君を討った自分の味方になってくれるという自信はなかったのです。

 だから、明智光秀が期待していた味方は、織田家と戦っている武将達でした。中国の毛利家、越後の上杉家、甲斐・信濃の武田などに期待していたのです。

 また、その中でも光秀が大きな期待をしたのが、中国の毛利家と、甲斐、信濃の武田家でした。今、毛利家には、自分のライバルである羽柴秀吉が戦っていますし、織田信孝、丹羽長秀の軍も攝津にいます。この両軍で、5万にはなります。それが、自分に向けられたら、1万3千の明智軍は、一溜まりもありません。毛利家には、早く織田信長を討ったことを知らせて、羽柴秀吉の軍が、自分に向けられることを食い止めて頂き、早急に、挟み撃ちにして、織田信孝、丹羽長秀もろとも討つつもりでいたのです。

 でも、明智光秀が、もっとも期待したのは武田家でした。武田家は、信玄公の時の、往年の勢いはないですが、2万の軍隊を動かすことは可能です。背後の北条家や、三河の徳川家との戦いもあるので、どれだけの援軍を送れるかはわかりませんが、連絡して、加勢を頼めば、5千から1万の兵を送ってくれることは可能です。そんな武田家を機内に入れることは、領地も渡さないといけないので、将来的には、不安もありますが、今の光秀には、援軍が必要でした。

 上杉家、毛利家には、直接の援軍は期待できませんが、武田家なら、岐阜城を守っている滝川一益だけなので、すぐにも自分の軍と合力することは可能です。明智光秀は、そのことに期待しました。昔の武田家の名声は、まだまだ残っています。自分に、戦国最大と恐れられた武田軍がついたという事実だけでも、その効果は大きいと判断したのです。

 ですから今、明智光秀の頭にあったのは、織田信長を討った後、どうやって、細川藤孝や筒井順慶などの与力を説得し、毛利家、武田家、上杉家に、信長を討ったことを早く伝えるかでした。毛利家にしろ、武田家にしろ、距離は遠いです。少しでも早く伝えることが、自分の勝利に繋がると確信していたのです。
 


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3、縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
   「本能寺の変の後」
 
 明智光秀の本能寺の変は、大成功でした。1万3千人の兵で、本能寺にいる織田信長を奇襲して、見事に討ったのです。しかも、その後、六百人で、京都の二条城にいた織田信忠も討つことができました。正直、信長憎しで、信忠の事は眼中になかったので、今、明智光秀は、少しほっとしていました。もし、織田信忠が、二条城に篭らず、逃げていたら、岐阜に逃げることは可能だったと思います。そうすれば、美濃、尾張の兵を率いて、自分をすぐに討つに来る可能性が高かったです。

 だから織田信忠も、京都で殺しておくべきでした。そのことに、気がつかなかった自分に、明智光秀は、やはり、信長を本能寺で討った自分は、少し冷静さを失っていたと改めて思いました。精神の病、今まで、心の中で、葛藤したものが、爆発した自分に気がついたのです。それで、信忠も、その後に討てた幸運に、天のご加護を感じたのです。

 しかし、そんな明智光秀に、ものすごく気になることがありました。それは、信長の首、死骸を、本能寺でいくら探してもないことです。ですから、これは、ありえないことですが、もし、信長が、本能寺から抜け出したのではないか、明智光秀は、その事を考えると、思考が止まること感じました。信長の恐怖を感じたのです。

 でも、それでも、明智光秀は、すぐに自分で考えられる手をうちました。与力の細川藤孝、筒井順慶には、何度も使者を送りましたし、毛利家、武田家、上杉家にも、何人も使者を送りました。信長を討ったことは、織田家中のものはすぐに分かります。自分も、すぐに味方になってくれる人達に伝える必要があったのです。

 また、その中で、明智光秀は、機密保持の為に、本能寺の変を起すまでは黙っていましたが、攻撃を始めた時に、すぐに何人もの使者を向けています。特にその中でも、堺にも使者を何人も送って、堺の商人の船で、毛利家や、武田家にも、連絡することも考え、使者を派遣しています。陸で行くよりも、船で、夜中も走らせたほうが、早いのではないかと考えたのです。

 特に、その中でも、中国方面は、羽柴秀吉と、毛利家が戦っていて、下手をしたら、使者が、羽柴秀吉の軍に捕まる恐れがあります。そうなったら、何にもなりません。船で、行けば、羽柴軍に捕まる恐れがありません。光秀は、それに期待していました。もし、堺や大阪に、織田信孝、丹羽長秀の軍がいたら、使者を派遣することは危険なので、出来ませんが、四国攻めは中止になったので、可能だったのです。

人が、生まれながら持っている性格や運勢が
簡単に分かります。
はっきり言って、これはすごいです。
          

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