縁の花村まぐまぐ情報  

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  縁の花村まぐまぐ情報 第80号 2007年 5月29日

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1、風林火山 第24話「越後の龍」 617日放送

いよいよ、第24話で、上杉謙信公が出てきました。甲斐の虎と、越後の龍、宿命のライバルの登場です。また、この上杉謙信役をした、(Gackt:ガクト)さん、確かにカッコよくすぎですね。菊のプラットホームの仲間に、ワラさんがいます。このワラさんも、武田家が好きで、何故か、プラットホーム空(くう)01の例会でお会いしたら、武田家の話で盛り上がるのですが、そのワラさんも、ガクトさんが演じる上杉謙信公を楽しみにしていました。

菊自身、そんなガクトさんが何をしている人なのか、少しも知りませんでしたが、確かに、風林火山見て、カッコいいと思いました。きっと、上杉家の背景の御霊さんも、このガクトさんが演じる上杉謙信公には大喜びだと思います。だって、上杉謙信公は、関東で、北条氏と何度も戦い、領土を得られるのに、決して領土を取ろうとはしませんでした。関東管領として、まさに愚直に、何十年も要請された大名の領地を取り返しても、自分のものにはしなかったのです。

しかし、上杉謙信は、そういった信念で戦ったのですから、まだいいですが、領地も得られないことが分かっているのに、命をかけて戦った、上杉家の武将達はたまったものではないと思います。戦に勝っても、領地が貰えないのです。それでも、上杉謙信公を信じてついていったのですから、大したものです。ガクトさんの演じる上杉謙信公、やたら正義を強調していますが、あの当時、上杉謙信公を信じた上杉家の家臣は、それを信じていたのかもしれませんね。

菊としても、大河ドラマで、ガクトさんが、今までとは違った、異色な上杉謙信公を演じてくれたことに心から感謝したいです。本当にガクトさん、大河ドラマによくぞ出てくれてありがとうございます。

大河ドラマ 風林火山 武田家一年日記
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2、風林火山 第24話「越後の龍」 

凄惨、血塗られた佐久侵攻戦
ただ、菊が、第24話「越後の龍」の放送は、ガクトさんの上杉謙信公のデビューよりも、もっと皆さんに注目して欲しいこと、知って欲しいことは、信玄公の凄惨、血塗られた佐久侵攻戦です。

というのも、信玄公は、内山城を攻め、その城兵を皆殺しにしています。でも、それは、少し歴史の事実とは違っていて、本当の歴史では、皆殺しにしたのは、内山城ではなく、志賀城です。内山城に立て籠もる大井貞清・貞重父子を攻め降伏させた後も、佐久地方の反乱は治まらず、手を焼いた信玄は、志賀城では、降伏を認めず、城兵三百余が戦死しています。

しかも、志賀城の城主であった笠原清繁の妻は甲斐郡内の小山田出羽守信有が貰い受け、同時に籠城していた多くの男女を生け捕りにし、親類縁者がある者は二貫文から十貫文で身請けされたが、その多くは黒川金山の坑夫や娼婦、奴婢として人身売買されたといいます。信玄は、そんな残酷なことをしているのです。

またその時に、志賀城の要請で、救援に来ていた関東管領・上杉憲政の軍を、信濃の小田井原で待ち受けて、戦をして勝っています。三千もの首を取っているのです。その上で、その三千もの生首を志賀城の回りに並べ立てて、城兵の戦意をなくしています。上杉憲政の援軍は来ないことを教えたのです。

しかしそれにしても残酷です。信玄は、この佐久地方では、多くの人々を苦しめているのです。その志賀城の事が、今後、放送されるのか、どうかは分かりませんが、菊は、皆さんに知って欲しいと思います。

そして信玄が、どうして佐久地方で、そんな残酷なことをしたのかは、今でも謎になっていますが、それを新田次郎さんの小説では、信玄自身の体調が悪く熱があったことや、この佐久地方を実験にして、そむくものに対しては、情けをかけるのか、あざとして許さないのか、その事を決めるつもりだったとか書いていますし、この大河ドラマでは、由布姫に、御屋形様は、情けの人、山本勘助がいなかったら、戦に負けていたといわれたことに反発して、残酷なことをしています。そんな信玄の心を描いているのです。

でも菊自身は、その当時の信玄の気持ちは分かりませんが、信玄公に、何かあったのだと思います。その事を、武田家の英霊が、ドラマが教えてくれている気がします。許されることではないですが、信玄の内面に何かあったのだと思いたいのす。

またその後も、信玄は、安曇の小岩嶽城などでも残酷なことをしていますが、やがて、恨みをかえば、いつまでも反抗は治まらないことを悟って、過酷なことはやらないようになっています。

それもすべて、頑固までも背いた佐久地方の人達のおかげです。それを、新田次郎は、武田信玄の小説で、「そむく佐久を殺せば、佐久は限りなくそむくでしょう。佐久の人ことごとく叛いて死に絶えても、草木が武田に叛くでしょう。」と戸石城での闘いを前に死を覚悟した、横田備中守高松の最期の言葉として、信玄に言わせています。信玄の佐久への過酷なまでの弾圧に対する、死を決した、武田家の家臣だった横田備中守高松の諫言です。

ですから前世、武田家のご縁を持つものとして、菊は、内山城や志賀城の城兵や、生首にされた上杉憲政の兵には、一言「ごめんなさい」と謝りたいですし、皆さんのおかげで、信玄公は、民に情けをかける名君になれたと感謝したいと思います。本当にありがとうございます。

大河ドラマ 風林火山 武田家一年日記
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3、第23 「河越夜戦」 610日放送
 北条氏康は、河越夜戦で、関東管領、上杉憲政を破りました。8千対8万の戦いでした。戦国時代に起きた有名な三大奇襲戦の一つです。織田信長が、今川義元を破った桶狭間の戦い、毛利元就が、4千の兵で、2万以上の陶晴賢と戦い、勝った厳島の戦いと並び称されているのです。すなわち、北条氏康公は、織田信長や、毛利元就程は知られていませんが、戦国時代、高く評価されている武将の一人です。

 だから北条氏康公と、武田信玄公と、上杉謙信公の関東を巡る争いを、関東三国志といいます。中国の、魏、蜀、呉の有名な三国志の日本版というわけなのです。

 ですが、その「河越夜戦」に、山本勘助が、参加したかどうかは分かりません。そんな事実は残っていないので、誰も分からないのです。

 ただ、この時期に、山本勘助が、真田幸隆と密かに会い、世話になっていた上野の長野業正から離れて、信玄の家臣になることを薦めたのは間違いありません。真田家の資料にも、山本勘助が、信玄に頼ることを薦めたという文章が残っているからです。

 そしてその事が真田家を大きく変えました。真田家といえば、皆さんの多くは、大阪城で戦った真田幸村を思い浮かべるでしょうが、その真田家も、この時に、山本勘助の説得に応じなかったら、歴史に名前は残らなかったと思います。真田家は、信玄の父親である信虎によって、信濃から追い出され、信玄によって、再び、信濃に戻されたのです。

 また、後の真田幸隆は、山本勘助に、軍略を教わり、信濃の戦いで大活躍しますし、勘助が川中島の戦いで亡くなった後も、信玄の軍師として、高坂弾正と共に、信玄を支えます。上野の侵攻でも、謀略ぶりを発揮します。信玄が亡くなった翌年まで生きていたのです。

 しかも三男の昌幸は長篠の戦で、真田家の家督を継いだ長男の信綱と次兄・昌輝を亡くすと、真田家を正式に継いで、武田勝頼を支えます。新府城も真田昌幸が造っているのです。

 でもそれだけでなく、真田昌幸は、信玄公が、「我が眼」と称して寵愛したと伝えられているほどの武将で、早くから信玄にその才能を評価され、信玄から直接、軍略を教わっています。真田昌幸は、山本勘助に教わった、父幸隆や、信玄に、軍略を直接教わった、唯一の、信玄の軍略の後継者なのです。

 そしてそんな真田昌幸は、武田家が滅亡した後も、北条氏、徳川氏との駆け引きに勝利して、大名として独立し、第一次上田合戦で、徳川を破り、関が原の戦いの前哨戦の一つ、第二次上田合戦でも、徳川を破って、家康を苦しめています。

 その後、大阪城での、豊臣と徳川の戦いの前になくなっていますが、家康は、大坂冬の陣において真田が大坂城に入城した知らせを受けると「親の方か?子の方か?」と訊ねながらガタガタと手を震わせたと言われていますし、昌幸から、山本勘助、信玄に教わった、軍略を教わった息子の幸村は、見事に、大阪城の戦いでも、徳川家康を追い詰めて、後一歩というところまでいきました。家康は、死を覚悟したといいます。山本勘助、信玄の軍略の勝利だったのです。是非、その事も、皆さんに知って頂いて、これからの真田家の活躍に期待したいと思います。



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