縁の花村まぐまぐ情報  

(全国のご縁のある人達と、心も身体も、

お金も豊かになって大成功する情報誌)

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  縁の花村まぐまぐ情報 第84号 2007年 810

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    縁の花村 http://www.geocities.jp/ennohana/1ennohanamura.htm

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1、「神と科学と奇跡の水」の情報消しました

 711日で、「神と科学と奇跡の水」の情報、縁の花HP上のものは、消しました。
 ミクシイの「「神と科学と奇跡の水」コミュニティも、記事は消しました。再び、皆さんの前で、「神と科学と奇跡の水」の情報が、堂々と掲載できるのは、いつなのか分かりませんが、そんなに期日はかからないと思います。それを心から楽しみにしたいと思います。

 また、「神と科学と奇跡の水」は、わずかの間でも、何人かの智閥の仲間によって、インターネット上で、紹介されたことで、その目的は達成できたと考えています。菊には、想像できませんが、何か、すごい反響になっているみたいです。たぶん、今度、皆さんに、報告できる時は、ある程度の形を示すことができると思います。

 しかし、そんな「神と科学と奇跡の水」の情報も、縁の花村の村人さんや、「神と科学と奇跡の水」の研究会に参加して頂いている皆さんには、メールで知らせていきます。インターネットで、流さないので、問題はないです。もし、よかったら、皆さんも、これをご縁に、縁の花村にご参加下さい。菊に、匿名でもいいので名前、県名、簡単な自己紹介をお願いします。

 そして菊が、参加しているプラットホームのメンバーには、「神と科学と奇跡の水」の情報は、どんどん知らせていきます。20名ほどが、「神と科学と奇跡の水」のコミュニティに参加してくれていますが、インターネットで、不特定多数の人に知らせるのは中止して欲しいというルールに、バーチャル・オフィス、プラットホームのソーシャル・ネットワーキングは、該当しないからです。

 いえ、今回の事で、プラットホームの持っている、ソーシャル・ネットワーキング、僕達のミクシイの価値は非常に高まったと思います。この世の中には、本当にすばらしいけど、すばらしいだけに、インターへネットで、不特定多数の人には知らせられないという情報が、たくさんあります。そういった情報でも、顔が見える人達で、心と心のネットワークで、結ばれているプラットホームの仲間にならお知らせできます。

 菊は、プラットホームは、やっぱりすばらしいと思います。これから、プラットホームには、インターネット上では知らせることはできないけどという情報が、どんどん自然に集まるようになると思うのです。

 さて、そんなプラットホームの説明会が、722日、プラットホーム空(くう)03主催と言うことで、水口先生や、風の気概駅長を迎えて、開催されます。時間は1時からです。「なんでんかんでん村」の原村長も参加してくれます。ぜひ、ご参加して下さい。
心と心のネットワーク、いよいよ実現しようとしています。後、何年もしたら、すばらしい社会になると思います。

プラットホーム説明会(空03主催)

日時:7月22日(日) 13001700

場所:大阪市立中央青年センター
http://www.chu-sei.com/index.htm

 A棟 3階 6号室

〒540−0006

大阪市中央区法円坂1--35

TEL
06−6943−5021

参加費:1000円(会場費代)

会員の方はどなたでも参加できます。(会員の友人知人も可)

 

2、風林火山 第27 「最強の敵」 78日放送

 武田信玄は、戦国時代、甲斐の虎として、恐れられた名将でした。織田信長が、心から恐れた武将でした。しかし、そんな信玄も、若いときから、名将ではありませんでした。若くして、父である信虎を追放し、信虎が実現できなかった諏訪を、わずか二年で、謀略を持って、攻略したことで、名将としての片鱗をみせていましたが、まだ、名将とはいえなかったといわれているのです。

 では、そんな信玄が名将と呼べるようになったのは、いつの頃かといいますと、やはり、村上義清との上田原の戦いで、負けた時からだと思います。正式には、その後、信玄は、再び、村上義清との戦い、戸石城の戦い、「戸石崩れ」で負けていますが、やはり、上田原の戦いで、武田家の両雄といわれていた、板垣信方、甘利虎泰を亡くしたことが大きかったです。

 何故なら、この2名は、父、信虎の頃から、武田家を支え、追放した時には、自分を支持してくれた、年齢的にも、遥かに超えている重臣です。兵が、千名、二千名死ぬ敗戦よりも、二人が死ぬことのほうが、精神的にも、遥かに、若い信玄に大きな影響を与えたと思います。信玄は、この二人を、自分の心が招いた負け戦で死なせたということで、大きな教訓を得て、ますます強くなるのです。

 また、それでは、信玄は、どんな名将になったかといえば、「人は城、人は石垣、人は掘り、情けは味方、あざは敵」という有名な言葉に代表されると思います。この言葉は、武田節でも歌われて、有名ですし、信玄は、この言葉通り、本拠地、甲斐国内に、死ぬまで、城を持とうとはしませんでした。この事は、北条氏の小田原城、上杉氏の春日山城、織田信長の岐阜城、安土城を見ても、本当に不思議なことです。信玄は、家臣の団結力があれば、山国甲斐自体が、一つの巨大な大きな城になると考えていたのです。

 でも、信玄が、若い時から、そう思っていたか、どうかは分かりません。だから、今回の風林火山のドラマの中で、解釈されているように、まだ、名将になりきれていない信玄は、負け戦の恐怖から、甲斐に大きな城を造ることも考えたのかもしれないのです。

 だけど信玄は、自らが招いた上田原の合戦で、板垣信方と甘利虎泰を亡くしたことで、戦の恐怖を克服しました。それぐらい、特に、父親に疎まれていた信虎の代わりに、守役として、自分の父親代わりになっていた板垣信方の死は大きかったのです。

 しかも、信玄は、その敗戦で、「人は石垣・・・・」という名言を作りだしました。この後、信玄は、家臣の団結を重んじて、戸石崩れの後、負けることはない、真の名将になりました。

 信長のような革新性はなくても、上杉謙信のような義はなくても、信長のように、家臣に裏切られることもなく、上杉謙信のように、家臣に不義をされることもなく、最後まで武田家臣団に、御屋形様と信頼されて、戦国時代を生き抜きました。それが、あの信長に、恐怖を与えた、信玄の強さだと思います。

 けれど、それも、上田原の戦いで、板垣信方、甘利虎泰だけでなく、初鹿野伝右衛門など、七百余人もの武田家の兵達のおかげですし、負けたら、志賀城のように女、子供まで売り飛ばされるということで、必死で戦った、村上義清の兵のおかげです。本当に感謝したいと思います。そんな上田原の戦いで戦った御霊達のおかげで、名将、信玄は誕生したのです。ありがとうございます。ありがとうございます。

 

 

3、第28 「両雄死す」 715日放送

 上田原の合戦が始まりました。これまで順調に勝ってきていた晴信、後の信玄にとっては、初めての敗戦です。しかも板垣信方、甘利虎泰という重臣、武田家の両輪をなくしました。晴信にとっては、そのショックは、いかばかりかと思います。

 また、その上田原の戦い、風林火山のドラマでは、見事に描かれていましたね。最新のコンピューターの技術を使ったのだと思いますが、戦の模様が、一兵の戦いまでも、描かれていました。菊自身、心から、NHKさんに感謝したいと思います。きっと、上田原の戦いでなくなった、多くの御霊も感謝していると思います。

 さて、そんな板垣信方、甘利虎泰ですが、ドラマでは、主君、晴信の楯、槍となって、この世を去りました。覚悟の上の死です。これから武田家を大きくしていくまだまだ若い晴信の為に、あえて亡くなりました。板垣信方の御霊は、その後、晴信の背景について見守ることにむなりますし、甘利虎泰は、甲斐に戻って、武田家を見守ることになると思います。二人は、上田原の戦いになくなった後も、一心同体で、武田家を支えるのです。

 そしてそんな描き方をしてくれたことに、菊は深く、深く感謝します。というのも、この上田原の戦いは、まだまだ真実が良く分かっていません。その中で、信玄びいきの人達によって、後、板垣信方は、よい言われ方をしませんでした。

 信玄に、諏訪家の郡代として任されてから、少しずつ傲慢になり始め、上田原の戦いの頃には、ボケも入っていた。その中で、上田原の戦いでも、先陣として、村上軍の第一陣を突破したのに気を良くして、信玄の止めるのも聞かずに、深追いした上で、かってに首実験をしようとして、留まっていたときに、村上勢に包囲されて、討たれたというものです。

 しかし、菊は、これはおかしいと思います。つねに戦場で、死のやり取りをしている現役の武将が、ボケになるでしょうか。そんな事はありえないと思います。聞いたことがないのです。だから板垣信方が、敵陣を突破した後も、陣に留まったのは、別な大きな意味があったのだと思います。

 まさしく、板垣信方や甘利虎泰は、信玄を信じているから、領地は、子供に受け継がれることを確信しているから、あえて、ここで、若い主君が、真の武将になるために、死んだと思うのです。自分達が、敗れることで、討たれることで、主君、晴信が、勝算もないいくさをしている愚を気づくことを願っていたのです。そんな二人の死に様、見事に表現されていました。熱く、お礼を言いたいと思います。特に、さすがは千葉真一さん、多くの村上勢に囲まれながらも、見事に戦ったシーン見事でした。

 と同時に、菊の前世の武田勝頼も、長篠の戦で、同じように、いえ、比較ができないぐらい、遥かに多くの重臣を、長篠の戦でなくしています。きっと、あの時に、武田家の為になくなった、山県昌景、馬場信春、内藤昌秀をはじめとした多くの重臣の気持ちも、この当時の気持ちと似ていると思います。

 でも、若い勝頼は、その気持ちが分かりませんでした。それで先陣だけでなく、本隊も大きな被害を受けて、武田家は、再び復活することはできませんでした。この当時とは時代背景が違ったのです。前世、武田勝頼として、長篠の戦でなくなった人達には、深くお詫びしたいと思います。

人が、生まれながら持っている性格や運勢が
簡単に分かります。
はっきり言って、これはすごいです。
          

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是非、読者の皆さん、縁の花村のまぐまぐサイトに入って、

縁の花村まぐまぐ情報の読者になって下さい。

今後、皆さんに、参加して貰えるように、いろんな情報を送っていきます。

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       縁の花村 村人募集

 縁の花村では、縁の花村の村人を募集しています。

これは、コンピューターの世界で、バーチャルの世界で誕生している村ですが、

現在、村人は、全国に200人います。

でも、一人でも村人を多くしたいです。

その為には、直接、菊にメールして、村人に参加してください。

料金はいりません。今後、縁の花村まぐまぐ情報を送らせて頂きます。

  菊のメール番号  ennohana@ybb.ne.jp

縁の花村の申しむ込み (名前 匿名 府県 年齢 メール番号 

簡単な自己紹介をお願いします。

 

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 縁の花村 菊村長

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