縁の花村まぐまぐ情報  

(全国のご縁のある人達と、心も身体も、

お金も豊かになって大成功する情報誌)

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  縁の花村まぐまぐ情報 第93号 2007年 810

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1、ゾウの花子  戦争の悲劇

物語は、今から、60年以上も前の戦前の話になります。大東亜戦争で、日本が、米国を中心とした世界と戦っていた時の話です。上野恩賜動物園では、戦争が始まっても、見てくれるお客さんがいるかぎり、動物園はしめないという園長の方針の元で、ずっと開園されていました。虎とか、熊、ライオン、チーター、蛇、ゾウなどもずっと飼われていたのです。

しかし、それは飼育係の人達にとっては、大変なことでした。時代は、急速に悪化して、国民の生活も配給制になりました。動物のえさも、魚や、生肉なども入らないようになっていて、飼育係の吉岡亮平(反町隆史)などは、生ごみを、密かに漁っては、動物に与えていたのです。それで、憲兵隊に追われたこともあったので、命がけでした。

でも戦争は、そんな飼育係の人達や、日本の国民にも、もっと予想もしない現実を呼びました。おそらく日本国民で、海軍や陸軍の軍人の中でも、今度の戦争は、日清戦争や日露戦争などの局地戦争、限定戦争ではなく、総力戦の全面戦争になるとは思っていなかったと思います。第一次世界大戦までとは、根本的に違いました。戦争は、日本国内だけでなく、本土もまきこまれることになったのです。

また、その中で、日本の戦線が悪化していくと、日本の役所から、動物園に、猛獣といわれる動物、ライオンや虎、熊、蛇などを殺すような命令がきます。飼育係の人達が、恐れていたことでした。もし、本土が、急襲されて、動物園に、爆弾が落ちて、檻が破壊されて、猛獣が逃げて、人間を襲ったら、どうするかということです。その前に、猛獣は、殺してしまえということです。

しかも、その猛獣のリストに、ゾウも入っていました。どんなに、人間になれているゾウでも、一度、興奮したゾウは、ライオンよりも手に負えないということで、殺しなさいという命令がきました。それで、動物園では、二足で立ち上がる芸をする小ゾウの花子や、ジョン、トンキー、なども殺さないといけなくなりました。人間の都合で、自然界から切り離して、檻の中にいれて、今は、自分達の都合で、勝手に猛獣扱いにして、殺そうとしているのです。

でも、飼育係の人たちや、園長はどうすることもできませんでした。それに抵抗して、命令をきかなかったら、逮捕されて、どちらにしても、動物は殺されてしまうのです。その中で、飼育係の人達は、猛獣といわれている動物達を、仙台市などに、子供と同じように、疎開することも計画しましたが、役人の了解は、得られずに残念しました。

上野恩賜動物園の猛獣は、それでいいとしても、他の動物園の猛獣達も、その動物園で引き受けられるのか、仙台で空襲があって、猛獣が、仙台市民を襲っても、いいのかといわれたら、何ともいえなかったのです。

 

2、ゾウの花子  千の風の御霊になりました

それで恩賜動物園で、人間の都合で、勝手に猛獣にされた、動物達は、昭和16年、8月に、次々と殺されることになりました。94日には、国民に、この事を知らせる為にも、殺した動物の慰霊祭までする命令が来て、それまでに殺せということだったのです。しかもそれは、銃殺などして、音が、周辺に聞こえたら、まずいので、毒殺という指令が出ていました。毒殺で、殺されることになったのです。


しかし、この当時の毒といっても、動物達に分からずに、すぐに死ぬことができるという毒薬はありませんでした。最初に殺された熊とか、ライオンにしても、毒の入っているえさを食べて、ものすごく苦しむことになりました。動物園では、その記憶を残していて、くまは、22分間分ちかく苦しみましたし、ライオンの何故か、名前がカンスケは、毒薬ではなかなか死なず、飼育係が、心臓を竹やりでついて殺したそうです。

そんな悲しい出来事が、戦中に起こりました。それ以降、日本中で、同じように多くの動物が毒薬で殺されているのです。しかも、虎は、毒が入っているのが分かって、食べようとしなかったので、5人の飼育係の人が、誘い出して、ワイヤロープで、首を絞めて、5人係りで殺しているのです。

それは本当にかわいそうです。人にしろ、動物にしろ、最後に、どんな死に方で亡くなるかが大切だといわれています。その時に、痛かったり、苦しかったら、その時の思いは、ずっと残って消えることはありません。動物園の動物達は、昨日まで、ずっと愛情を注いでくれた愛する飼育係の人達に、突然、訳も分からず、苦しみながら殺されたのです。

でもその中で、一番、悲惨だったのは、最後に残ったゾウでした。賢いゾウは、毒の入っているえさは、決して食べようとはしなかったのです。その上に、ゾウの皮膚は強く、馬に注射するものでも、針が通りません。殺すことが、出来なかったのです。

結局、その中で、役人の命令で、ゾウは餓死させることになりました。水も、えさも与えずに、殺すことになったのです。これは、本当に残酷なことでした。もし、人間なら、水を飲みたい、食べ物を食べたいという思いを持ったまま、死ぬことになるので、我鬼霊になってしまいます。いえ、日本は、ガダルカナル島や硫黄島なので、実際に、多くの兵士を、餓死しさせています。なのにゾウ達は、銃殺は駄目というので、そんな死ぬ方しか許して貰えなかったのです。

しかし、それは、飼育係の人達にとっては、本当に辛いことでした。ゾウには、何故、自分達に水やえさが貰えなくなったのか分かりません。泣き叫んだら、水やえさを貰えると思っています。必死で、芸をしたりしたのです。

だけど、えさを貰えることはありませんでした。結局、ゾウのジョンが、829日に、先に死に、その後、花子は、何故か、アメリカ同時多発テロ事件と同じ911日、トンキーは、923日に、餓死で死にました。弱っているゾウは、一度倒れたら、自分で起き上がることができません。ずっと立ったままだったのですが、耐えられなくなって、倒れてしまったのです。

でも、そのゾウ達は、人間を、最後まで恨みませんでした。何故、突然、えさをくれにくにった事は理解できなくても、その事で、飼育係の人達が悲しみ、仲間のゾウ達が死んだときは、悲しんでいたことは理解していました。そんな中で賢いゾウは、自分達は、死ぬ運命だということは分かりながら、最後まで、必死で生きようとしたのです。

だから、人間とは違って、何の憎しみも、恨みも持たない3匹のゾウは、間違いなく、千の風の御霊になれました。血の繋がりはなくても、3匹のゾウは、動物園では、とても仲良しで、御霊になっても、一つの群れとして暮らしていたのです。いえ、他の動物園で、同じように殺されたゾウ達とも親しくなって、楽しく、空を飛んで、霊界に帰ったり、この世に遊びに来ていたのです。


しかし、そんなゾウや、他の動物の御霊の姿を、飼育係の人たちには見えません。いくら、自分達は、恨んでいないよと伝えても、飼育係の人には、聞こえませんし、分かりません。それで、動物園の人達にとっては、愛する動物を、殺したことはずっと一生消えない苦しみになりました。

 自分達が、ずっと愛着を持って育てていた動物を殺す為に、飼育係や、動物医になったわけではありません。一体、何のために、飼育係や、医者になったのだろうと思いながら、ずっと心の中で、苦しむことになりました。今まで、酒を飲めなかった、吉岡亮平さんも、酒が飲めるようになったのです。

そしてその中で、吉岡さん達の飼育係の人達は、自分達の殺した動物達のことを思いながらも、その後も飼育係として、残った動物達の、世話にしながら、長い、戦争が終るのを待っていたのです

 

 

3、ゾウの花子が戻ってきました

そんな上野動物園(上野恩賜動物園)に再び、ゾウが来たのは、戦後すぐでした。そのきっかけを作ったのは、ずっと動物園に来ていた、飼育係の人たちからは、ねずみといわれていた小さな子供、和夫少年でした。その和夫は、吉岡のことを、ゾウにいちゃんと呼んで慕っていましたが、実は、病弱ですが、名前が、「はな子」という妹を大切にしていました。

それで、妹と同じ名前の、ゾウの花子がお気に入りで、何度も、動物園に来ていました。一度、妹に、ゾウの花子を見せると約束していたのです。しかし、残念ながら、その妹に、同じ名前の「ゾウの花子」を見せたいと思いながらも、戦争と、妹の病気のために、それができないうちに、ゾウの花子は殺されてしまったのです。

それで、戦後、新聞社に、「ぼくのいもうとはぞうをしりません。この10円でぞうをかってください」という投書を、和夫少年は、新聞社に書き、それが新聞に掲載されたことで大きな話題になりました。それで、いろんな人々が動いて、ついに、タイの国から、子ゾウを1匹貰えることになって、日本中の子どもたちの夢がふくらみました。いえ、子供達が、動物園から、ゾウを取り返してくれたのです。

それで、その子ゾウの世話を、上野動物園の園長は、吉岡さんに任せ、吉岡さん自身も、ゾウを餓死させたことで、悩みましたが、他の飼育係からも励まされて、再び、担当する事になりました。

しかも、名前も、お客さんから募集したところ、小象の花子のことを、覚えていて、「花子」の名前がダントツでした。日本人は、戦争でなくなった花子の事を、ずっと忘れていないことが良く分かったのです。それで吉岡さんは、餓死せざるを得なかった花子の分も、いつまでも続く平和な時代に長生きして欲しい、という願いが込めて、再び、その花子という名前で、ゾウの飼育をする事にしたのです。

でも、残念ながら和夫少年は、妹に、新しいゾウ、花子をみせられませんでした。病弱な妹は、ゾウの花子が、動物園で披露される前になくなってしまいました。和夫少年と、妹の花子さんは、常に「ゾウの花子」を見たかったという思いを持って、和夫少年は行き、妹、花子さんは、千の風の御霊になったのです。

また、そんな吉岡さんに、しばらくしてから、部下の新しい飼育員・高野敬介(北村一輝)が出来ました。吉岡は、この高野に、最初は、ゾウに甘すぎるといわれながらも、本来、群れで暮らすゾウにとって、愛情を注ぐ事の大切さを伝えて、花子と話しかけながら育てることを教えました。戦後、飼育係も、8時間勤務になっても、飼育係の仕事は、それでは勤まらない。常に、24時間、ゾウと接していて、遠くから、足跡が聞くだけで、分かって貰えるようにならないといけない。

吉岡は、後輩の高野さんに、そんな思いを伝え、人間の都合ではなく、ゾウの視点で考えて育てることを教えました。高野敬介さんも、そんな吉岡さんを尊敬するようになって、二人は、一緒に最大限の愛情ではな子を飼育し、芸を覚えさせて、はな子は一躍上野動物園のスターになったのです。

しかも、吉岡さんにとっては、初代のゾウの花子は、今も心の中で生きていました。ずっと、千の風になって、吉岡さんや、今のゾウの花子を、目には見えなくても、見守っている存在になっていました。

このドラマの一番のポイントですが、幼い時、高野さんの母親が亡くなって、いつも泣いていた時、父親に、ずっと母親は、見守っているよと教えて貰った言葉です。それを吉岡さんに伝えて、吉岡さんは、ずっとその事を覚えていました。

だから吉岡さんは、餓死させた花子の償いの気持ちもあって、新しい花子に、初代の花子の分まで、心血を注いで育てました。常に、亡くなった初代花子や、ジョン、トンキーが、今のゾウの花子を、あたたかく見守っていると思いながら育て、その思いは、高野敬介さんにも、引き継がれていたのです。

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