あとがき

 

新約聖書は、キリスト教を『イエス再臨後の人々の心のあり方』とし、さらにユダヤ教を『それ以前の宗教のあり方』として捉えているので、どうしてもユダヤ教に批判的に見えてしまったかもしれないが、ユダヤ教を批判しているのではない。新約聖書は、現代の宗教のあり方を批判しているのだ。

ユダヤ教から見れば、キリスト教は、自分達の信仰を否定し、イエスという偶像を崇拝する邪教にすぎない。また、キリスト教から見れば、ユダヤ教は、選民思想に満ちた卑小な神を崇め、イエスを十字架に架けた悪魔にすぎない。その二つの宗教を啓典の民と尊重してきたイスラム教ではあったが、彼らからは悪魔とののしられ、十字軍に苦しめられ、近現代では、イスラエル建国で土地を奪われ、同胞を殺されたのだ。彼らから見れば、まさにユダヤ教、キリスト教こそ悪魔である。ユダヤ教、キリスト教からすれば、聖戦を語りテロで人々を殺すイスラム教徒こそ悪魔なのである。同じ宇宙の創造主を崇めながら、ただその信仰の枠組み、型が違うというだけで、憎み合い殺しあう。愛に満ちた世界を創造するための宗教が、この世界を地獄に変えていませんか。

また、新約聖書が、批判しているのはそんな世界規模のことだけではない。

幸せになるためには、自分達の宗教団体に入るしかないんだと考える人々の布教活動が、それである。それを、聖書では、生贄と表現していた。

 

 

スミルナにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。

『初めであり、終わりである者、

死んだことはあるが生き返った者が、次のように言われる。

わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている

(しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)。

また、ユダヤ人と自称してはいるが、

その実はユダヤ人ではなくてサタンの会堂に属する者たちにそしられていることも、

わたしは知っている。

あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。

見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、

獄に入れようとしている。

あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。

そうすれば、いのちの冠を与えよう。

耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は、

第二の死によって滅ぼされることはない』。

ヨハネの黙示録  2章

 

自称選民(ユダヤ人)のサタンの会堂(宗教団体)に、私もこの身を預けられた。

この身は、その会堂に預けられたが、いやでも自分ひとりが我慢すればよいことと思っていた。すべては、他の責任ではなく、私自身の責任なのだから。

しかし、そうも言ってはいられないことが起った。そして1998年の大晦日から1999年の元旦に、全てを解決する方法は、これしかないことを悟らされ、「真立正安国論・未来からの最終警告」を書き始めた。そして、その中で学ばされた。この人たちは、サタンの会堂ではなく、尊い神仏の会堂であることを。

今は、組織拡大のための布教活動や選挙などに埋もれているが、その信仰の本質は、自己の生命とそれを包み込む宇宙の大生命にあることを。そして全ての宗教宗派が、その名は違えども、偉大なる一なる者を崇めていることを。私は、歴史しか知らなかったのである、半分しか知らなかったのである。そしてさらに尊い半分を、全ての宗教、宗派が持っていたのである。そして転んでも転んでも、時が来るのを待ちに待った。

 

また、大いなるしるしが天に現れた。

一人の女が太陽を着て、足の下に月を踏み、

その頭に十二の星の冠をかぶっていた。

この女は子を宿しており、

産みの苦しみと悩みとのために、

泣き叫んでいた。

また、もう一つのしるしが天に現れた。

ヨハネの黙示録 12

 

そしてとうとう、もう一つのしるしであるグランドクロスの完全化が、天に現れた。冥王星の惑星降格で、あの大いなるしるし、グランドクロスが、その効力を増したのである。これが、大艱難の時代の合図であった。この事件をノストラダムスは、こう預言していた。

 

必ずや一五八五年、一六〇六年などにおいて、

述べられている町や都市や土地において事件が起こるということができます。

  諸世紀序文 アンリ二世への手紙

「ノストラダムス予言原典  諸世紀」 大乗和子 訳

 

すべての始まりは、1985年であった。その年、預言の封印が解かれるという大いなる事件が起こっていたのである。そしてノストラダムスは、あえてこの年を400年ずらして、1585年としたのだ。とすれば、この1606年も400年ずらされていることになる、、、、すなわち2006年。

このしるしが現れた以上は、イエスの再臨、第一次空中携挙は今度こそ近いと思ったのである。

私もこの苦難に加え「貧しさ」の中で、なんとか私の周りの人々にかけた迷惑、かける迷惑を少しでも緩和したいと思い、ヨハネの黙示録の解読を2006年11月末に思いついた。

とにかく、私が周囲の人々にかけた、またかける迷惑は、命を賭けても購わなければならないのである。当然、、私自身が購いきれない部分は、天使が購ってくれるはずである。彼らにはそれを可能にする充分なテクノロジーがあるのだから。しかし諸世紀を調べてみると。

 

夜明け 二番鶏が啼く

チュニス フェズ ブージーの人びと

アラブ人がモロッコの王の虜囚となる

典礼による千六百と七の年に

 諸世紀 6-54

「ノストラダムス予言原典 諸世紀」 大乗和子 訳

 

人類の夜明けを告げる二番鶏が啼く

チュニス フェズ ブージーの人びと

アラブ人がモロッコの王の虜囚となる

典礼による2007年(1606+400)

 

多くの天文学者が成長し

追われ 消され 書物を批難され

グロムにより1607年に

聖なる場所に安全なものはない

諸世紀 871

「ノストラダムス全予言」Eチ−タム著  流智明 監修

 

多くの天の学問に通じたる者が成長し

追われ 消され 書物を批難され

グロムにより2007年(1606+400)

聖なる場所に安全なものはない

 

偉大な預言者の書簡が横取りされ

暴君の手に渡るだろう

彼は王国を欺こうとしていたのだが

まもなくその盗みのために

       彼は窮地に追い込まれるだろう

諸世紀236

「ノストラダムス全予言」Eチ−タム著  流智明 監修

 

天上の学芸に通じたもっとも学識ある人びとの一部が

無学な君主たちに懲戒されるだろう

勅令で罰され 極悪人として追放され

見つかればその場で処刑される

 諸世紀418

「ノストラダムス全予言」Eチ−タム著  流智明 監修

 

教会人の血が流される

大量の水のように

それは永らく抑えられぬ

悲しいかな 破滅と悲嘆が聖職に

 諸世紀898

「ノストラダムス全予言」Eチ−タム著  流智明 監修

 

なんと未曾有の大迫害が、2007年には始まることが分かった。この迫害は、諸世紀の序文でもこう表現されている。

 

司祭たちへの迫害は東方の人々と結合された北方の王の力ではじめられ、

その期間は十一年間か、それより少なく続くのであります。

そして北方の王の首長はつまづき、

年月が変わって、

南方の人々が結合され座につき、

よりいっそう激しい教会の司祭への迫害が、

三年にも神の教会を越えて、

戦闘的、絶対的な権力をもつ人の使徒的魅惑によっておこなわれるのであります。

神の聖なる人々、法の維持者、宗教の全秩序は悲しいほど迫害され苦しまされ、

そして大いなるまことの教会の人々の血が、いたるところで流されるのであります。

  諸世紀序文 アンリ二世への手紙

 

(預言の真実を理解した)司祭たちへの迫害は東方(に象徴される未来)の人々と

結合された北方(に象徴される未来)の王(である悪魔的未来人)の力ではじめられ、

その(迫害の)期間は(1999年初頭から2009年いっぱいの)十一年間か、

(地球人が悔い改めれば)それより少なく続くのであります。

そして北方の王の首長(である悪魔的未来人)(真実の暴露で)つまづき、

年月が変わって(大艱難の時代に入り)

南方(に象徴された過去)の人々が(天使的未来人と)結合され座につき、

よりいっそう激しい教会の(預言の真実を理解した)司祭への迫害が、

(イエス再臨から2009年いっぱいまで)三年にも神の教会を越えて、

戦闘的、絶対的な権力をもつ人(すなわち宗教的権威を持つ人々)

(神を冒涜する者を迫害し殺すことで神に祝福されると信じる)使徒的魅惑に

よっておこなわれるのであります。

(預言の真実を理解した)神の聖なる人々、(聖なる)法の維持者、宗教の全秩序は

悲しいほど迫害され苦しまされ、

そして大いなるまことの教会の人々の血が、いたるところで流されるのであります。




こんな迫害が起ってしまえば、すべては無駄になってしまうかもしれないが、、、、、。しかしそうならないように、この日本という国には仕組みが施されている。いや、世界に仕組みが施されているのだ。

イエスも、そんな大迫害を避けるために、以下のような言葉を残してくれている。私に残された道は、全人類が真実を理解し救われることを信じて、歩き続けるしかないようである。

 

わたしがこれらのことを語ったのは、
あなたがたがつまずくことのないためである。
人々はあなたがたを会堂から追い出すであろう。
更にあなたがたを殺す者がみな、
それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。
彼らがそのようなことをするのは、
父をもわたしをも知らないからである。
わたしがあなたがたにこれらのことを言ったのは、
彼らの時がきた場合、
わたしが彼らについて言ったことを、
思い起こさせるためである。
これらのことを初めから言わなかったのは、
わたしがあなたがたと一緒にいたからである。
聖書 ヨハネによる福音書 16

 

わたしがこれらのことを語ったのは、
あなたがたがつまずくことのないためである。
人々は(預言の真実を理解した)あなたがたを会堂から追い出すであろう。
更にあなたがたを殺す者がみな、
それによって自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。
彼らがそのようなことをするのは、
(
万物を貫き我々内在する)(なる神)をも

(その思いを実現しようとする)わたし(未来人・イエス)をも知らないからである。
わたしがあなたがたにこれらのことを言ったのは、
(
イエスの証しをする)彼らの時がきた場合、
わたしが彼らについて言ったことを、
思い起こさせるためである。
これらのことを初めから言わなかったのは、
わたしがあなたがたと一緒にいたからである。

 

 

 

その後、主は別に七十二人を選び、

行こうとしておられたすべての町や村へ、

ふたりずつ先におつかわしになった。 

そのとき、彼らに言われた、

「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、

その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい。  

さあ、行きなさい。わたしがあなたがたをつかわすのは、

小羊をおおかみの中に送るようなものである。 

財布も袋もくつも持って行くな。だれにも道であいさつするな。

どこかの家にはいったら、

まず『平安がこの家にあるように』と言いなさい。 

もし平安の子がそこにおれば、

あなたがたの祈る平安はその人の上にとどまるであろう。

もしそうでなかったら、それはあなたがたの上に帰って来るであろう。 

それで、その同じ家に留まっていて、

家の人が出してくれるものを飲み食いしなさい。

働き人がその報いを得るのは当然である。家から家へと渡り歩くな。 

どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えてくれるなら、

前に出されるものを食べなさい。 

そして、その町にいる病人をいやしてやり、

『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。 

しかし、どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えない場合には、

大通りに出て行って言いなさい、 

『わたしたちの足についているこの町のちりも、ぬぐい捨てて行く。

しかし、神の国が近づいたことは、承知しているがよい』。 

あなたがたに言っておく。

その日には、この町よりもソドムの方が耐えやすいであろう。 

わざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベツサイダよ。

おまえたちの中でなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、

彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰の中にすわって、悔い改めたであろう。 

しかし、さばきの日には、ツロとシドンの方がおまえたちよりも、耐えやすいであろう。 

ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。

黄泉にまで落されるであろう。 

あなたがたに聞き従う者は、わたしに聞き従うのであり、

あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。

そしてわたしを拒む者は、わたしをおつかわしになったかたを拒むのである」。 

七十二人が喜んで帰ってきて言った、

「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従します」。 

彼らに言われた、「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。 

わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、

敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。

だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。 

しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな。

むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。 

そのとき、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、

「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。

これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。

父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。 

すべての事は父からわたしに任せられています。

そして、子がだれであるかは、父のほか知っている者はありません。

また父がだれであるかは、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほか、

だれも知っている者はいません」。 

それから弟子たちの方に振りむいて、ひそかに言われた、

「あなたがたが見ていることを見る目は、さいわいである。 

あなたがたに言っておく。多くの預言者や王たちも、

あなたがたの見ていることを見ようとしたが、

見ることができず、あなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、

聞けなかったのである」。 

  ルカによる福音書  10章

 

 

 

 

 

その後、主は別に(7千年期を象徴する)七十二人を選び、

行こうとしておられたすべての町や村(に譬えられる過去の地球)へ、

(その証人を)ふたりずつ先におつかわしになった。 

そのとき、彼らに言われた、

「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、

その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい。  

さあ、行きなさい。わたしがあなたがたをつかわすのは、

小羊をおおかみの中に送るようなものである。 

財布も袋もくつも持って行くな。

だれにも道であいさつするな。

どこかの家にはいったら、

まず『平安がこの家にあるように』と言いなさい。 

もし(イエスを代表とする天使を受け入れる)平安の子がそこにおれば、

あなたがたの祈る平安はその人の上にとどまるであろう。

もしそうでなかったら、それはあなたがたの上に帰って来るであろう。 

それで、その同じ家(に譬えられる地球)に留まっていて、

(すなわち地球)の人が出してくれるものを飲み食いしなさい。

働き人がその報いを得るのは当然である。

(すなわちひとつの時間の世界の地球)から家(他の時間の世界の地球)へと渡り歩くな。 

どの町(すなわち地球)へはいっても、

人々があなたがたを迎えてくれるなら、

前に出されるものを食べなさい。 

そして、その町(すなわち地球)にいる病人(のような地球人)をいやしてやり、

『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。 

しかし、どの町(すなわち地球)へはいっても、

人々があなたがたを迎えない場合には、

大通りに出て行って言いなさい、 

『わたしたちの足についているこの町(に譬えられる地球)

ちり(すなわち元素から造られた人間)も、

ぬぐい捨てて行く。

しかし、神の国が近づいたことは、承知しているがよい』。 

あなたがたに言っておく。

その日には、この町(すなわち地球)よりもソドムの方が耐えやすいであろう。 

わざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベツサイダよ。

おまえたちの中でなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、

彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰の中にすわって、悔い改めたであろう。 

しかし、さばきの日には、ツロとシドンの方がおまえたちよりも、耐えやすいであろう。 

ああ、カペナウム(に譬えられる宇宙テーション)よ、

おまえは天(すなわち宇宙)にまで上げられようとでもいうのか。

黄泉(すなわち闇黒の宇宙空間)にまで落されるであろう。 

あなたがたに聞き従う者は、わたし(ナザレのイエス)に聞き従うのであり、

あなたがたを拒む者は、わたし(ナザレのイエス)を拒むのである。

そしてわたしを拒む者は、

わたし(ナザレのイエス)をおつかわしになったかた(である父なる神の意志をこの世に実現しょうとする天使軍団総司令・イエス)を拒むのである」。 

七十二人が喜んで帰ってきて言った、

「主よ、あなたの名によっていたしますと、

悪霊(である選民思想に満ちた宗教、宗派の神々)までがわたしたちに服従します」。 

彼らに言われた、

「わたしはサタンが(地球侵略に失敗し)電光のように天から落ちるのを見た。 

わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、

敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。

だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。 

しかし、霊(である選民思想に満ちた宗教宗派の神々)があなたがたに服従することを喜ぶな。

むしろ、あなたがたの名が(永遠の生命を得る者として)天にしるされていることを喜びなさい」。 

そのとき、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、

「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。

これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、

幼な子(のように福音を受け入れる人々)にあらわしてくださいました。

父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。 

すべての事は父からわたしに任せられています。

そして、子がだれであるかは、父のほか知っている者はありません。

また父がだれであるかは、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほか、

だれも知っている者はいません」。 

それから弟子たちの方に振りむいて、ひそかに言われた、

「あなたがたが見ていること(すなわち未来人福音説)を見る目は、さいわいである。 

あなたがたに言っておく。多くの預言者や王たちも、

あなたがたの見ていること(すなわち未来人福音説)を見ようとしたが、

見ることができず、

あなたがたの聞いていること(すなわち未来人福音説)を聞こうとしたが、

聞けなかったのである」。 

 



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