平成15年 六月十日(月) 発信 s二九 石黒大圓
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いつもありがとうございます。今週から本格的に雨マークが続き梅雨入りのようです。 雨の時には炊き出しが中止の時があり、ひもじい思いの人々があふれると思います。
「土方殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の3日も降ればよい」 慢性的に日雇い仕事がなく、ずっーと殺されつづけている人々。暑くなれば熱中症で冬以上に死ぬ人が出るという。 早く心の春が来てほしい。
「いのちと出会う会」に本田神父が来られる日には、会場に神父が私訳された「聖書」他、著作も多く販売します。 聖書の原意に忠実なこの「聖書」でイエスの真意がつたわるかも。 本田神父と私とでは(比較にはならないですが)政治的立場は異なります。異なる意見を尊重しあい出し会うのが民主主義の考え。
「あなたが私とは異なる意見を言うことを私は命を張ってでも守る」というのが民主主義の原則 共産国、独裁国では反対論者はすぐ収容所送りで虐殺。 また日本ではそんな意見を言うあなたの人格を疑うとして絶交されかねない。 私も安泰を望むなら政治を口に出さない方がよいかも知れないですが。「いのちと出会う会」のバックボーンは今の唯物論的風潮にあい入れないから表明せざるを得ないのです。
(前々回の続き)鍵山さんは中国へも清掃活動へ行かれました。 中国の公共トイレは恐ろしく汚いとのこと。 知人も同様のことを言っていました。 次の人のためにトイレをきれいにしておこうという気が全くない。 便が流されず、そのまま。 中国は共産主義の前に個人主義の国であると。
中国人学生たちを前に清掃の話をすると「我々はそんな小さなことよりもっと大きな事をするために大学へきた」と学生。 「それでは人前でゴミを拾えるか?」と鍵山氏。 「恥ずかしくてできない」との答え。
「恥ずかしいというような、ちっぽけな心で大きなことが成せるのか?」 「ゴミを拾うという小さなことは心を広く強くし、その上勇気を与えてくれる」 「私は日本中ゴミ一つ落ちていない、そんな国にしようとして動いている。 私のやっていることは小さなことですか」「大きいです」と学生。 涙がこみ上げて来ました。 本当に涙もろくなった。
「人のために働くということで大きな心が育てられる。 自分だけが良ければよいという人は卑しい心の人になる。 実に小さい人物になる。そして孤独になる。 感謝のない人も同じ。
日ごろの心がけと実行次第で人は厚味のある人生をすごせるようになれるのです」。 実に感動的なお話でした。 大阪駅前の清掃に勇気を与えていただけました。
政治の硬い話を中断して家庭新聞に戻している間に反論の矢が二つ飛んで来ました。 十四ページもの長文の手紙もいただきました。ありがとうございました。 一つは日教組について、一つは主にアメリカの世界戦略に異議をとなえない愚についてでした。
以前こんな話を聞きました。 北陸で「給食をいただく時手を合わせ合掌することは宗教儀礼だから、学校へ宗教を持ち込んでいる。 止めさせろ!」とPTAの親や日教組が訴えて止めさせられたとのこと。
また「『いただきます』というには、給食代を払っているのだから、人からもらったのを食べるのではないから、言うのはおかしい」と、これも止めさせられた。
戦国〜明治期に外人を驚嘆させた日本人のすばらしい心の気質が失われつつある。 世界中を敵として戦ったアジアの小国日本。 そのイエロー・ジャップの戦いぶりに恐怖したアメリカは戦後、日本を二度と立ち直らせないよう心を骨抜きにする施策をとって来た。それに呼応するように日教組は日本共産化をめざし日本の心の伝統を破壊しようとして、こんな親を生み出した