四月七日(水) 発信 nO三三 石黒大圓

Eメール ishiguro@a1.heysay.net

  いつもありがとうございます。 今年の花見はひどい花冷えもなく、また土曜だけは雨にたたられず、幸いでした。 日曜は残念でしたが。 私もやっと心の余裕ができ、土曜夜に花見に参加しました。 

ぱっと咲いてぱっと散る桜は、ほんのり羞恥心の笑いを見せる日本人の頬の色に似ていて、奥ゆかしい。 東洋人に共通の恥じらいの心情は、西洋人には理解できない心情でしょう。 このなんとも言えない他に謙虚な心は、ぎすぎすしてきた現代社会のなかで、残していきたいものの一つです。

  

やっと時間的にゆっくり出来てきたと思っていたのに、パソコン中毒であっという間に時間が経ってしまいます。 もっとも楽しむというより打ち込むだけに時間を取られているだけですが。 書きたいテーマや聞いてきた講演の要約の言葉など、伝えたいものはどんどんわいてくるのに、とろい手の動きにイライラするばかりです。

猫がひざの上でパソコンの字の動きを見ながら「何にウロウロしてまんねん」と言いたげです。

まるで幼児が水辺で水に戯れられ、ときどき大波をかぶって泣きじゃくる心境の連続です。 いつあの水平線の先まで泳いでいけるのやら。 スキャナーの使い方がまだマスターできないので、Eメール送信ができません。 パソコンの文章だけなら簡単なのですが。 少々お待ちを。    

 

「野宿者かて、大阪が好きやん、きれいにしたいねん」と黒字でプリントした黄色のジャンパー(虎を意識)が、予定より一週間早く出来上がり、先週の月曜日から着て、清掃を始めました。 皆に好評です。 この活動への誇りを持ってもらえたらと思います。 

しかし暑い。 大雨の前日ということもあり、湿気がすごく汗で内側がぬれる。 「暑い、暑い、と言いながら、ジャンパー着て掃除している」と先日来イメージしてきたことが、夏の前に出現した。そして作ったばっかりなのに「もう半袖のTシャツを作らなあかんな」という話になった。 

ジャンパーは寝袋以降に届いたカンパで作らせてもらいましたが、今回は通信料金の振込みのなかに時々、入れていただいているカンパでまかなえそうです。ありがたい。感謝いたします

  

左派系でない、あるキリスト教新聞にあの坂本龍馬の姉・乙女(龍馬をきびしく鍛えたと伝えられている、肝っ玉姉さん)のことが載っていました。 彼女は後世クリスチャンになっていて、その息子さんが北海道の旭川教会の牧師になっていた。 

彼はある信仰集会で「聖霊が我々の上にくだった!」と大感動の聖霊体験をした。(これは「キリストの幕屋」でもよく起こっているようだ)その後、彼の行くところ各地で不思議体験を伴う霊的刷新が起こっていった。 

  その龍馬の甥にあたる坂本直寛牧師とともに霊的刷新運動を進めたのが長野政雄氏。 クリスチャン作家三浦綾子さんの小説「塩狩峠」の主人公・永野信夫のモデルになった人です。 ともに味わった霊的体験以降、彼にはまわりの人を皆すばらしい人物に変えてしまう、凄い感化力が生まれたようだ。 

そしてその霊的目覚めがあったからこそ、勤めていた鉄道会社のの列車が「塩狩峠」で事故を起こした時、身を車輪の下に投げ出し、多くの人々を救い、殉職された

  坂本龍馬も新生日本のために殉職したようなもの。 もし龍馬が生きていたら、姉の感化でクリスチャンになって内村鑑三以上の大影響力を明治の精神におよぼしたかもしれない。 彼の家系はそのような、日本に大きな影響を残す霊統を引き継いでいたのかもしれない。

  

「ブルーリボンの祈り」という本をご存知ですか。 北朝鮮に拉致された横田めぐみさんのお母さん、早紀江さんと親友の方々が書かれた本です。 娘がいなくなって家出や自殺の可能性もあるといわれ 「私は何か間違っていたのではないか、何が悪かったのだろうかと自分を責めつづけました」  

「どうか、どこかで生きていて!」と絶叫したくなる・・「あの寒空のもと、あの子はいったいどうなっているのか」 「この苦しみから解放されるなら、もう死んでしまいたい」 

目の前で死に行く子に何も出来ず、こころ張り裂ける思いで見つめ、亡くなってからも「どこ へいったんや」と泣いていた、あの頃の私たちを思い出して胸が熱くなりました。 生きているか死んでいるかもわからず二十年。 私たち以上の地獄を経験されていたのです。 

ある時、めぐみさんの親友のお母さんが「ヨブ記を読むのよ」との言葉を残して置いて行かれた聖書。 長く手にせずほって置いて、ある日ヨブ記を開く。

 ヨブは信仰篤く正しい人であったのに次々と不幸、苦難がめぐってくる。 自分が生まれたことを呪ったり、神を恨んだりすることもあったが、どんなに悲惨な目に会わされても神がなされることは正しい、との信仰を捨てず苦難に打ち勝っていく話です。 

 

「ほんとうは人の生も死も神さまの御手の中にあって、・・どんなに苦痛があっても生きて、この世でのご用をさせていただくのかもしれないのです」 「結局、自分は正しいのだ、これでいいのだと思おうとするから、つらくなったり、わが身を哀れんだりしていたのではないかと思いました」 

「一見良さそうな人間に見えても、そんなものは神さまの目から見たら微々たるものにしかすぎません」 ちいさな人間の見る目とはまったく違う、「神さまの視点というものがあると教えられたのです」 

「私の悲しい人生もめぐみの人生も、この小さな者には介入できない問題であることを知りました」  晩年病気にさいなまれ続け「僕は僕のヨブ記を書く」といわれた遠藤周作さんも、このような考えだったようです。

 

イエスは道で盲目の人に会われ弟子から質問された。 盲目になったのは誰がを犯したためですか。 「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。 神のわざがこの人に現れるためです」と答えられた。 

神はすばらしい業を、横田さんに成さしめられた。  拉致者救援活動での横田夫妻を中心にした働きを、「サムシング・グレート」を説かれる「村上和雄」筑波大学教授は「遺伝子がONになった」のですと、ラジオで言われました。 

神仏は苦難のなかでこそ、人間の遺伝子を「ON」にして輝かしい業を成さしめられるように、創造されたのだと思います。 

クリスチャンは強制連行に関心はあっても、拉致問題は無視と思っていたら、あるキリスト教の集会で早紀江さんの話が出てわかったのです。 

 

苦難の末クリスチャンになられた早紀江さん、そして長野政雄氏。 足尾鉱毒事件のキリスト者田中正造氏。 そして次回にお話する内村鑑三氏。 きら星のごとく輝く日本のキリスト者たち。 この人々の心の中にも日本武士道の魂が生きていたと思うのです。 宗教のない日本人といわれるが、我々の心の底には太古以来、純粋に育んできた真善美を求める「遺伝子」が残されている。 いつこれが「ON」になるのだろうか?


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