四月十二日(月) 発信 nO三四 石黒大圓

 (пZ六―六二五一―一四九六 一四九七)

 

  いつもありがとうございます。 ぱっと暖かくなってきましたね。 もう春です。 しかし私の家の前の五十m余の道路には最近、野宿者が十人も寝るようになりました。 ここはまだ冬。 どこからか追い立てをくらって来たのでしょうか。 目の前の商店街でおにぎり配りを時々し始めています。

 野宿者のかなりが借金で家なき子になっている、と報道されていました。 本人が悪いのか、社会が悪いのか。 そんなことはどうでも良い。 目の前の路上で寝ている人を同胞として、同じ人間として無視できるか、ということです。  

 

あるFAX仲間に「パソコンになってから、よう読めるようになったわ。 今まで線引いた所だけ読んでいた」と言われショックだった。 いくら字が下手とは言え、お送りしていても、もしも読まれていないのなら、無駄になります。 最近送信させていただくようになった方には、事前に「不要なら中止と声かけを」とお断りを入れておりました。 しかし返事なくもずるずるとFAXを送り続けていても仕方ない。 

次回で、継続のご返事のない方への送信は止めさせていただきます。 古くからの多くの方は残られましたが、新しい方からはあまり継続の返事はありませんでした。

最近は「保守・良識派右派といういい方は止めます。「日本の常識、世界の非常識」という意味での会合に行くことが多くなりました。講演会情報を見ていただいてもお分かりとおもいますが、「日本」と「生と死」「医療」が中心です。 これが私のFAXの個性です。

 

日露戦争百年で近代日本の転換点としてみなおす時がきています。 そもそも「明治の日本国そのものが侵略国家だった」という日本歴史学会の学説が、教科書に反映して日本中が洗脳されつづけてきた。 ウソで固めたような、カビのはえたようなマルクス主義歴史学者ばかりの学会が、日本だけに存在すること自体が、世界の七不思議です。 世界の常識、日本の非常識です。

 

日露戦争に反対したことで有名な内村鑑三は左派や「正義と平和の反戦キリスト者」のいい宣伝材料にされているが、実像はちがうと知りました。 彼はキリスト教の立場から非戦を唱えたが、愛国者でもあった。 日清戦争には賛成し、日露開戦までは戦争反対であった。 しかし戦争の火蓋が切られてからは、もう非戦論を叫ぶことは「愚かなこと」として、出征する知人に「よく戦え」と激励している。

またある鑑三の弟子が死刑を覚悟で「徴兵・納税拒否」をしようとしたが、鑑三に思いとどまるよう諭されている。 動員された兵士やその家族など、戦争の被害者をなぐさめるのがキリスト者の務めであると説く。 

「逝けよ両国の平和主義者よ。 忌み嫌う戦争の犠牲者となりて斃れよ。 汝の職分を尽くし汝の死の贖罪の死たらんことを願えへよ。 天において敵人と手を握れ。 死に至るまで平和の祈願を汝の口より絶つなかれ」 

「彼らは基督的紳士として戦場に斃れて戦争の全廃のための道を開いた。 天に栄光を担ふ者は、家にありて非戦論を唱ふる者ではなくして、戦場にて生血をそそいで戦争の犠牲と成りし、これらの非戦主義者である」(少々略)

 

彼は旅順陥落の折には、近所の人々がびっくりするほど大声で「帝国万歳」を三唱している。 明治の人々は国の隆盛はわが誇りと、国と自分とを一体化して見ていた。 

自分が行かなくては、他の多く家族の人々が殺されるとして、自分を犠牲にして他に尽くそうとした。  鑑三はそれをキリスト的紳士、日本的紳士と理解したのであろう。 今の視点で過去を見るとすべてを見誤る。  

 

また与謝野晶子は「君死にたもうことなかれ」の歌で有名だが、それは彼女の一面のみ。 彼女の実像もたいへんな愛国者だった。 この歌が掲載された「明星」は、全国で2千部ほどしか流通していない雑誌で、当時世間にはほとんど影響は与えていなかった。

  逆に他の女性歌人から「日本国民として許すべからざる悪口也、危険也・・国家の刑罰を加ふべき罪人なり」と非難されている。 彼女も後世、家族の情として書いたが若気の至りであり恥ずかしいと述懐している。 

彼女は世間では知られていないが、「満州開拓団」賛美の歌を詠み、大東亜戦争開戦時の東条英機の言葉に、涙を流して感動したという。 そして自分の息子が出征する時には「み戦さに行く猛く(勇ましく)戦え」 「みちとせ(3千年)の神の教えに育てられ、強し東の大八州人(おおやしまびと)」という歌を残している。 決して反戦歌人と言われるような人ではなかった。

  

鑑三や晶子の生涯の一部を示して、明治の人々が反戦厭戦気分でいた、と吹聴され続けてきた。 ディベイト(反対賛成の立場に立って闘う討論会)や裁判では、自分に不利な事実を隠して闘うと、時には無罪が有罪にもなる。 左派が日本人を洗脳してきたやり方とおなじだ。

  

本屋で「あ!」と声を上げました。 遠藤周作の奥さん、順子さん著「ビルマ独立に命をかけた男たち」の書名。 戦争中ビルマ謀略工作をしていた南機関で一民間人としてビルマ解放に協力していた実業家、岡田幸三郎の長女が順子さんだった。 アウン・サン・スー・チー女史の父アウン・サンもビルマ独立志士の一人として岡田家に出入りしていたという。 あの戦争を公平な目

で見てもらいたいという彼女の意欲作です。(続)

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