四月十六日(金) 発信 nO三五 石黒大圓

Eメール ishiguro@a1.heysay.net

  いつもありがとうございます。 御堂筋のイチョウの枯れ木に若葉が芽をふき、タンポポの黄色い花が咲き乱れ、緑のグリーン帯が復活しています。 すがすがしい気持ちになりました。 

  逆に今回で多くの方々とお別れしなくてはならないのは残念です。 FAX継続のお返事をいただいていない方への送信はこれが最後になります。 長い間ありがとうございました。 手違いで止まってしまった方は、申し訳ありませんがお知らせください。再開させていただきます。 

 

四年ほど前に始まったこのFAX通信はいのちと出会う会」や、三年間関わった、よさこいソーラン系の踊り祭「大阪メチャハピー祭」の宣伝とこれらへの参加を呼びかけるものでした。 また多くの先生方のおかげで人生への見方の転換を学び、こころ救われました。 そのため、これはと思われる講演会情報も添付してきました。

 

「石黒さんはFAXを何のために送っているのですか」と、ある方に聞かれました。 前述の目的もありますが、私が見聞きし感じたことを書くことにより、思わぬ結果も生まれたのです。 

「いのちと出会う会」で出会った方を通じて炊き出しや釜が崎と縁ができました。 そしてFAXでこれらに関わっている私の姿を描くことで、皆様にこの問題への関心を示していただけました。 そのため寝袋カンパも二年続けて多くの方からいたただくことができました。 

 

他方このFAXは私の自己宣伝だと不快感を持たれた方もおられたかも知れません。 また私小説のごとく家庭の事情を書くため、自己顕示欲のかたまりと見なされた方もおられるかも知れません。 

どう思われようとよいですが、私自身「いのち」のエピソードだらけの中で日々生活しているので、私のまわりに起こることが「いのち」について考える献立になっているのではないかと思い、内輪の話も書くのです。

 

以前に、講演会へ行けないので要旨を書いてほしいと言われてFAXに時々掲載しています。 しかしあまり抽象的に語るのは余り私の流儀ではありませんので、私が感動し皆さんに伝えたいと思う内容をかいつまんで具体的に書いてきました。 どう要約して伝えようかといつも考えているため内容をより深く理解することができます。 ありがたいことです。

 

「大阪メチャハピー祭」は踊りを通じての青少年育成、そして「よい世さ来いをめざしています。 「いのちと出会う会」も生きがいを失った、この日本の社会の世直しの一助になればと願っています。 

そして生きがいを失わせている原因の一つが、戦後教育によって広まった唯物思想と思い、叛旗をひるがえして来たのです。 

 

与えられた情報だけが真実と考え、自分で考えないで洗脳されていると知らない日本人。 「死んだらゴミになる」と希望のない人生の最期を迎えてしまって、悲劇の結末をむかえる唯物的人生観。 日本の今の不幸はここにある。

枚方の「在宅ホスピスあおぞら」でおこなわれている終末期医療の学習会。 「いのちと出会う会」はここが母体で始まったのです。 ここで「死んだら終わり」と考える唯物思想が、いかに日本の医療を貧しいものにしてきたか、を学んだのです。 

あたたかい医療の底には、人は神仏、言い換えれば「サムシング・グレート」に生かされているという、感謝の人生観がなければならないと思う。 一方、唯物的闘争の、怒りの世界観はこの日本社会を破壊してしまうと思うのです。

 

先日「あおぞら」で「最高に美しい大往生を迎えるには」のテーマの最後の例会がありました。 「大阪生と死を考える会」の会長、谷壮吉先生はお話の中で逆縁について言及されました。「逆縁」は普通「子どもが先に死ぬ。不幸の極み」とされるが、本当は「仏道をそしるが、のちに逆に仏道に縁ができる」ということらしい。 

 

結婚後すぐ妻に「石黒家は先祖供養ができていないから」と言われ、行ったことのない田舎の親戚の墓参りにも行きました。 しかし次男を亡くした後、「何が先祖供養だ、子供も守れないくせに」と妻にも妻の母が信仰していた宗教にも背をむけました。 

しかし今、子どもの死という「逆縁」によって自分なりの「信仰」を心の支えとすることができるようになりました。 まさに「逆縁」です。 この不幸と思われることが逆に幸福の元になるんだ、ということをこれからもFAXを通じて伝えて行きたいのです。 

これもFAX通信の大きな目的の一つ。 そして小さな動きですが、世の中に貢献していきたいと思うのです。

 

先日の講演で日露戦争について当時の有名人が語った語録集の資料をいただきました。 世界中が日本の負け戦だと信じていたのが、日本の勝利となり沸きかえっていた。 元老伊藤博文はロシアとの戦争は日本を破滅に追いやるとして大反対だった。 しかし彼が海外に行っている間に留守政府が日露戦を決定してしまった。 

日本の勝利は有色人種が白色人種に始めて勝ったとして、白人の植民地下にあったアジア、アフリカ、そして欧米自身、ユダヤ人、アメリカ黒人さえ狂喜させた。 日本海海戦で大勝利し、戦後アメリカへ国賓として迎えられた東郷提督は「海の大英雄」として紙吹雪と歓呼の声で迎えられた。 

(しかしこの称賛はのちには警戒へと変わり、日本を潜在的敵国と見なし、日本打倒の計画が作られ始め、反日運動が起こり始めた。 太平洋戦争の遠因はここに発する) 

帝政ロシアの重圧下にあった周辺諸国はその敗北を喜び、トルコでは「トーゴー」「ノギ」など日本の将軍の名前を子供につけることがはやり、フィンランドでは「トーゴー・ビール」が売り出された。

 

当時ロシアには全ユダヤ人の半分の5百万人が住んでいた。 日本人を「黄色い猿」と呼び憎んでいた皇帝は、ユダヤ人をも憎み反ユダヤ運動を奨励し、世界中のユダヤ人がロシア帝国を敵視していた。 日本は戦費調達のため日本国債を欧州で売ろうとしたが、日本必敗を信ずる白人は相手にしなかった。 

それを救ったのがアメリカのユダヤ銀行家だった。 ロシアに勝ち同胞を救ってくれるようにと日本国債をあえて引き受けてくれた。 そのおかげで日本はロシアと戦うことができたのです。 

  

ロシアの敗戦により暗愚な皇帝や帝国の威信は地に落ち、革命運動にますます火をそそいだ。ロシア革命の祖レーニンは日本の勝利に歓喜した。 (一方、終戦間近に一方的に日ソ不可侵条約を破って侵攻するよう命じたスターリンは「これは日露戦争の復讐だ」と言った) ロシアが勝っていれば、民衆のロシアに対する忠誠心は残り、共産主義革命は失敗していたかも知れない。 

それと同時に日本はロシアの植民地になり、また北アジアに駐留していたロシアは朝鮮をも支配下にしていただろう。 そして中国も含め全アジアは欧米諸帝国の植民地になり、いまのような「アジアの奇跡」と言われる経済発展など二十一世紀の話になっていただろう。 日本による薄氷の勝利が世界史を変えたのだ。

 

初代中華民国総理、孫文は大正時代の神戸での講演で語った。 

「当時私は欧州におり人々が日本の勝利に眉をひそめていた。(白人が負けたことが屈辱なのだ)  まもなく帰国の途上スエズ運河を通る時、現地の土人が黄色人種の私を見て喜び『お前は日本人か』と問いかけてきた。 

『否』と言うと『これまで我々東洋の民族はいつも西洋民族の圧迫を受けて苦しめられ浮かび上がれなかったが、今度日本がロシアを負かしたのだから、東洋の民族が西洋の民族を打ち破ったことになる。日本人が勝ったのは自分が勝ったようなものだと思う。 

だから自分たちはこんなに愉快になり喜んでいるのだ』と言った。 日本の勝利の後アジアの全民族はヨーロッパを打ち破ることを考えるようになり独立運動が起こり始めたのです」(少々略)

 

日清・日露戦はともに立憲君主国家と専制国家との戦いであった。 両方に勝利した日本は民主国家の優位性を内外に示し、専制国家打倒の気運を中国、ロシアに広めた。 異民族「清」によって支配されていた漢民族。 

そこからの独立をめざす中国人留学生や独立志士たち、そしてアジア各国からも白人帝国からの独立を志す人々が「アジアの希望の星」日本に続々と集まってきていた。その数一万余。 

彼らは日本で軍事技術や近代国家の組織作り、そして国民の団結がいかに重要か、を学び帰国し祖国革命のリーダーとなっていった。 

それらの人々を支援していた日本人の一人が、遠藤順子さんの父上だったと知ったのです。 

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