四月二十日(火) 発信 nO三六 石黒大圓

 (пZ六―六二五一―一四九六 一四九七)

 

  いつもありがとうございます。 私のEメール・アドレスが決まりましたのでお知らせいたします。 下の空欄に書きました。 個人的なメールのやり取りは出来そうですが、全員への自動送信はまだ出来ません。 コピーしたものを添付して送信する時に、スキャナーを使いますが、まだ使い方がよくわかりませんので。 

  「皆さんのメール・アドレスを打ち込むより、皆さんからEメールを送っていただいてパソコンに記録させた方が楽ですよ」と楽チンなやり方を助言してくれた方がおられました。 申し訳ありませんが、そのように甘えさえていただいてもいいでしょうか。 皆さんのEメールをお送りください できるだけ早くEメール送信希望の方にEメールでお送りするように努力いたします。

 

イラクで拘束された三人が解放されて本当によかった。 しかし彼らの行動は冬山に重装備なしで登山して遭難したようなもの。 何百人もの救援隊の出動に対して費用を払わなくてはならないのと同じ。 自分たちの取った行動に責任を持ち、費用負担をしなくてはならないと思う。 

彼らの家族も同罪。 自分たちの家族を救うため自衛隊撤退を求めている。 昔の人間なら「自分たちの家族のとった不始末で皆さんにご迷惑をおかけして申し訳ない」と謝るはず。 報道によると、二人は今回助かってもまたイラクに残ると言ってたらしい。 

「人間の楯」になって反戦運動でもするつもりなのだろう。 再び拉致されても助けてくれなくて良いとの誓約書を書いて残るべき。自己チューもここに極まれり。

 

水と安全はタダ」と思う「平和ボケ」の人々。 「イラクに良いことをしに来た私たちにイラク人は危害を加えないだろう」と考えて危険地帯に入ったのなら、ノー天気な人間でしかない。「こちらに武器がなく善意さえあれば、攻撃されない」という非武装中立の夢想を信仰する人々だ。 盗人だらけの国際社会でそんな甘い考え方は笑い者になるだけ。 

ある欧州の国の国民が北朝鮮に拉致された時、政府は厳重に抗議して武力をもちらつかせたのだろう、すぐに奪還できたという。 武器を持つ狂人と話し合いで解決しようという甘い考えは通用しない。 

狂人のアメリカには強く言い、同じ狂人の共産国やアラブには甘い、統一した基準のない国益主張など信用されない。 

 インターネットの意見コーナーには九割の人が三人を批判している。 またインターネットの投票では七十%、あるFM局の投票では八十八%の人が「人質事件によっても自衛隊は撤退すべきではない」と回答している。 

 

日本人の意識が変わってきた 偏向マスコミに洗脳されにくい体質の日本人が育ってきた証拠だ。 自分で考え、自分で調べ、自分で判断する健全な思考人が生まれてきている、と見る。 

戦前は軍部の大本営発表、戦後は朝日新聞や岩波書店などの大本営発表を鵜呑みにして思考停止していた日本人が、自分の頭で考えるようになって来た。 喜ばしいことだ。

今回の解放はテロリストが「彼らはイラクに良いことをしに来た人」ということで解放されたらしいが、何億円もの金が動いたかもしれない。 

今度の件でテロリストにとっては何でもありなのだと思った。 人質をとって自分たちの要求を飲まそうとするのなら、人の「いのち」など石ころと同じだ。 テロリストが次々人質を取って、たとえば「竹島や尖閣列島、北方領土を日本の領土でないと宣言せよ」と脅迫してきたら、日本固有の領土を放棄しない限り、何万人も殺され続けることになる。 

 

彼らは自国民でさえ自らの目的実現のためなら無差別に殺害してしまう。 女、子供が乗っていようが、ビルに突っ込んでいく。 国家間の戦争も同じではないかと言う人もいるかも知れないが、戦争にはルールというものがある。    

  テロは軍人でない人間が武器を持って戦い、危ないとなれば逃げて一般市民になりすます。 軍人や軍隊同士の戦いなら国の名誉も関わり、国際法に基づくルールの上で戦い、開戦も終戦もはっきり決まる。 

テロ戦争は始めも終わりもない。また軍隊は最初から市民を殺害対象にはしない。 しかしテロは一般人をも作戦上殺すことも厭わない。

今回のように敵国民を人質に取って戦争に勝とうという戦術など、普通の戦争では考えられない。 テロでは何でも有りである。 弱者や被抑圧民はどのような暴力に訴えてもよいという考えを認めるなら、社会はすぐに破壊される。

ともあれイラクの次は北朝鮮に拉致・人質にされている人々の解放を求めたい。

 

nO三二にかきました「書かされている気がする」という文章に対してFAX仲間から提案がありました。 「このような文章は宗教的と見られやすく誤解を招かれやすいです」。 ご本人と話させてもらい納得しました。 

私は前から書いてますように、妻子からのメッセージが来ているといううれしい気持ちもあり、また今も二人と結びついているという思いもありました。 だから勝手にそう解釈して伝えて来たつもりですが、私自身を霊的メッセンジャーのごとく自己正当化して皆さんに押し付けていたのかも知れません。

 そしてそれが天からの声なら、書かれた文章は私のものでなく、私自身がその文章に「責任」を取らなくても良いようになってしまいます。 「我は不動明王なり」とのたまう霊能者と同じ不遜な態度になっていたのかも知れません。 そう思われているとしたら申し分けなかったと反省

しております。

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