五月十日(月) 発信 nO四二 石黒大圓

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いつもありがとうございます。やっとメールが開通しました。 ウィルスではなく助かりました。 しかし一斉グループ送信はまだ難しく、やるとまたトラブリそうなので一人づつ送っています。 メールをお持ちの方お知らせください

 

(前回の続)人質事件のとき外務省が東京の東郷神社に情報収集に向かった。 なぜか。 アラブの外交官が日本に初めて赴任した時、全員が東郷神社に参詣するという 日露戦争で有色人種が初めて白人に勝った。 日本海海戦で大勝利した英雄、東郷平八郎提督の御霊に表敬訪問に来るのです。  

アラブもロシアや白人西洋列強に苦しめられていた。 日本がそれに勝ったのが我が事のようにうれしい。 だから東郷神社に感謝の気持ちを表すために来るのです。 

そして神社ではアラブ外交官のパーティーも時々開かれ、アラブ諸国高官との情報ネットワークが出来ている。 人質問題打開の方策を求めて、かっての外交官で今は政府高官になっている要人に、打診のための交渉に行ったのです。 アラブ諸国が親日的なのは日露戦争で日本が勝ったためであって、経済大国への尊敬は後のこと。 

 

そのような歴史的知識もなく、一方では反戦の立場から日露戦争を否定し、他方ではイラクの親日的態度を錦の御旗のように反戦に利用している人々の矛盾。 オスマン帝国の時代からジハード・聖戦と称して中近東を侵略し殺戮を続けたイスラム教徒。 彼らに「戦争責任」を問うことを反戦平和主義者がしたことがあるか? 尚武の国アラブ「非武装中立」の言葉などお笑い草だ。

 武装平和の人々と非武装平和主義者との連帯など夢ものがたりだ。 ただ反米で結びついているだけで、戦争論となると対立すると思う。 非武装していれば敵は攻撃して来ないという甘い考え方など彼らにとって暴論でしかない。

 

ところでイスラム教を開いたマホメットは景教の影響で新しい宗教を創ったという。 ユダヤ教の教えでは人間は神には絶対なりえない。 しかしカトリックは三位一体の神学でイエスを神とした。マホメットはそのような、人間を神と崇め、イエス神像を作って祭る行為を偶像崇拝として非難して、新宗教を創設した。

 景教ネストリウス派もユダヤ人使徒・教父の伝統的神学から、イエスを神とはしなかった。 生まれながらの神ではなく、主の天使がマリアに、聖霊によって身ごもったと告げたときから、圧倒的な聖霊の力によって聖なる人になった、と考えた。 

有名な神学者ポール・ティリッヒは「自分はネストリウス派だ」と言っている。(これらの話は「聖書と日本」という日本の伝統と文化を大切に考える教派が主催したシンポジウムでの、専門家の話のテープから仕入れたものです) 景教はイエスの真の教えを受け継ぐもの。

 

その偶像否定の考えがユダヤ系物部氏により日本神道に受け継がれ古神道では神像崇拝はない。 その神道を奉じる物部氏が偶像・仏像崇拝の蘇我氏に敗れた。 しかし仏教が日本に広まってもその神道精神は日本精神として残っていった。

 

nO三九の続 奈良時代に大仏を建てた聖武天皇の后光明皇后も、聖徳太子のように悲田院や施薬院を作り、千人の病人の体を看護婦のようにかしずいて、自らの手で浄められたと伝えられている。    

后は子供を亡くした悲しみから仏教に深く帰依されたといわれるが、本当は人々の救済を願う景教を信仰されていた。 皇后の名「光明」は景教の別名といわれる。 

 当時の仏教は鎮護国家が目的で世の救済という使命感はなかった。 カトリックも同じく鎮護国家宗教としてローマ帝国や中世を支配した。 イエス・神の代理人の名を使った方が支配には便利だった。 誰でも聖霊によって聖なる人になるという考えは教会の権威を失う恐れがあったからだ。    

人々への心の救済として福音を述べ伝えた本来のイエスや弟子たちの思想がねじ曲げられた。 イエスの真の教えを求めてプロテスタントが後世生まれたが、ネストリウス派は復権しなかった。 異端とみなされるのを恐れたのだろう。

 

大乗仏教も同じ。 小乗仏教では人間であった釈迦が、大乗仏教では世界を支配する神に変貌した。 これはキリスト教の影響といわれている。

(もっともイエスは仏教の影響を受けてユダヤ教仏教派を興して、異端として旧勢力の反発を招いたと言われているが) 釈迦は世界を支配する神となり、その代理人としての僧侶が大寺院・大伽藍で仏教の外面を飾り、人々を支配する宗教となった。 

鎌倉時代になって初めて心の救済を求める新仏教(日蓮・法然・親鸞・道元など)が生まれたと言われる。 これもキリスト教に似る。

 

以前書きましたが終戦の頃、東京の下町、廃品回収業者のバタヤ部落「アリの町」に咲いた一輪の花。 「アリの町のマリア」北原怜子さん。 小学校でこの映画をみて泣いた思い出があります。    

アリの町で彼女は献身的な奉仕活動をして短い生涯を終えた。 その彼女の一生を描いたのがこの部落の村長、松居桃婁さん。 奇遇にも私の大学の先輩だった。 彼の著書「アリの町のマリア」の中にも光明皇后のことが書かれています。

松居さんとは「死に勝つまでの三十日」という本でめぐり会いました。 次男を亡くして死の問題の周りをめぐっていた時でした。 その松居さんの著書「消えたイスラエル十部族―法華経、古事記の源をさがすの巻」(ともに柏樹社) ここにも秦氏、広隆寺、景教が書かれている。

このことは以前FAXに書きましたが、またここに戻ってきました。 松居氏、炊き出し、日本、「幕屋」、景教、古代史とよくこれほど縁がつながるな、と思うほどシンクロニシティーの連続です。 

  

「キリストの幕屋」は不思議な教派です。普通のキリスト教は反日的ですが、ここは日本の伝統と文化を尊ぶ。 日曜集会の会場は畳敷きで壁には日の丸が掲げられ、教育勅語が張られている。

ユダヤ教の七枝の燭台(メノラーという。物部氏の宝物遺品の中にも「七枝の太刀(剣)」なるものがある。 これはメノラーの象徴か?)が備えられ、ユダヤ教の本来の聖書「旧約聖書」を読まれることが多い。 またイスラエルと親交が深く、イスラエルへの巡礼団もたびたび組織される。 

  一方、「天孫民族日本人のこころのふるさとへ行こう」と、伊勢神宮、出雲大社、吉野神宮、靖国神社、そして神武天皇ゆかりの宮崎県日向の地へも大挙して参詣する。 また神社で集会が持たれる支部もある。 

昨夏、初めて大阪護国神社(戦没者の英霊を祭る)に行ったとき、社務所に幕屋月刊誌「生命の光」が置いてあり驚いた。 

(保守派の宗教だった「生長の家」(集会では日の丸が掲げられ、初めて行った時にびっくりした)が谷口雅春氏の孫の代になって左傾化していると聞いている。 日本の伝統と文化について書かれたここの出版物がどんどん絶版にされていっているらしい) 保守良識派の大動員部隊として「幕屋」はこれからも大活躍するだろう。

  

「幕屋」創始者の故、手島郁郎氏が「生命の光」で述べられている言葉からも、西洋キリスト教に日本の光を照らし、日本人のキリスト教を作りたいという思いがひしひしと伝わって来る。

 そして集会では「天のお父様! 聖霊よ、降りて来てください!」と身を震わせて祈る姿が、ネストリウス派の聖霊信仰に思い至らさせる。 私も皆の祈りの波動を受けて合掌の手が震え出してしまう。 

このような現象は太古の昔からシャーマンや「いたこ」などの霊能者が行い、いまも日蓮系の新興宗教ではよく見られる人類の遺産だ。


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