五月十七日(月) 発信 nO四四 石黒大圓

Eメール ishiguro@a1.heysay.net

いつもありがとうございます。 やっとFAXもメールもすべて一斉自動送信にまでこぎつけました。 多くの方々の助けを借りました。 心よりお礼申し上げます。 しかし何らかのミスでメールが番号順に来なくて、抜けていたらお知らせ下さい。 時々どうしてもエラーが出ます。 新中古品はあきまへんわ。 初心者が暴れ馬に乗るようなもの。 

 

十三日にメール送信テストとして「応典院での藤川師の講演」と、私の「釜が崎について」の話のレジメをお送りしました。 「釜が崎」はFAXの方には追ってお送りします。 

最近の文章は攻撃的なものばかりで、うんざりされている方もおられると思います。 私の本意とも私の性格でもないのですが、義憤にとらわれているので仕方ありません。 しかしいつまでもこんな傾向では顔に穏やかさがなくなるとも、思ってもいるのですが。

 いくら書いても信念のある方には通じないこともわかっているのですが。 やはり書くべきことは書かなくては、とも思う昨今です。

 

最近ラジオで「福祉美容」をしておられる方の話がありました。 障害者や老人ホームのお年寄りへ散髪や美容の「出前」をしておられるのです。 それも販売部長としての激務をこなしながら夜や土日をすべて使って、若者に混じって数年間かけて美容の技術を習得し、定年の六十歳で店を構えられました。 

定年後の人生を考えている時、老人ホームで男も女もバリカンで散髪されている姿を見て、これはむなしい。 女性は髪をきれいにしてもらって生き生きした表情になる。 自分の後半の人生を単なる天下りになるのではなくここに賭けようと決心されたという話です。 

 

釜が崎の三角公園で正月休みに女の子が野宿の人々に散髪のサービスをしている姿を見たことがあります。 しかし彼女たちの技術が未熟なため「トラ刈り」になってしまう。 

先日スウェーデン人のサイモンさんと久しぶりに「高齢日雇い労働者憩いの家・ふるさとの家」へ行った時、二階で本田神父が年寄りの野宿のオヤジさんたちの散髪を次々こなしておられた。 

釜が崎に居つくことがなければ、今頃は日本のカトリックの枢機卿になっていたかもわからない超エリート。 その方が、汚れた身なりの仕事がなく、散髪する金もない年寄りの野宿の労働者の世話をしておられる。 奈良時代の「光明皇后」の姿と重なりました。

 

私も通信で好きなことを書かせてもらっていますが、もう書くこともなくなり、日本が立派な国をめざして立ち上がる見通しがついたら、さっさと筆を折ってしまうつもりです。 

単なる欲求不満のはけ口としてこの通信を見られたくない。 私の役割はここにだけとどまっているものでもないと思うです。 人に知られなくとも社会の一隅で何かのお役に立ちたいと考えています。

 

(また始まります) 前から思っていることですが、終戦後米占領軍によって日本の国が精神的にも制度的にも解体されました。 草稿も最終原稿も英文で書かれ、日本語らしからぬ翻訳文体の日本国憲法。 教育基本法にも「日本の伝統と文化を尊重する」精神が抜けている。 

ソ連に占領されるよりは良かったけれど、アメリカ占領軍は日本の精神を骨抜きにして、二度と白人社会に歯向かわないようにするために制度を改変した。 国際法ではこのようなことを占領国がすることを禁止しているにもかかわらず。

しかしサンフランシスコ講和条約で日本が占領下から独立を認められた後、これらの日本をおとしめる目的の制度は、日本国民の意志で改正すべきだった。 アメリカも占領下の日本での制度として作ったもので、独立後は日本が自身の意思で改正するだろうと見ていた。 しかし六十年近く経っても未だにアメリカ製の法律が生きている。 

 

そしておかしいのは、右派・中立の人々が「日本をダメにした責任はアメリカ占領軍だの一点張り。 六十の還暦を迎えようとしている老人が、自分の性格が歪んでしまったのは幼児体験が原因だと親アメリカを非難しているようなもの。 

幼い頃のトラウマが、潜在意識に強烈な自己否定の想念を刷り込んだにしても、それをはねのけるだけの精進にはげまなくては。 たとえつらい体験があったとしても、一人前の大人はそんなことをいつまでも言わない。 

六十年の長い人生の中で、自分の性格のゆがみを矯正できなかったのは、自分の「自己責任」として認め、他人に転嫁はしてはならないのではないか。 そんな人生の先輩をだれも尊敬はしない。 見苦しい。

サヨクの勢力が巨大で、アメリカ製の法律・制度が反戦平和に利用できるとして、改正させなかった。 たとえそうであっても、それは日本国・日本人の「自己責任」であって、サヨクに負けた方が悪いので、アメリカに責任を転嫁するのはおかしい。

 いつまでも親の責任を追及している限りは、日本人は大人にならない。 マッカーサーが言ったように「日本人は十二歳の子ども」だと思う。 他人への「甘え」がある。 人質事件の三人はその日本人の甘えの体質を見事にあらわしている。 

 

昭和44年アポロが月に降りた時、わたしはニューヨークで日本の商社に昼弁当を売るバイトをしていました。 アメリカへ着く前にハワイに寄って日系二世の老人に会いました。

 その方は私に「君たち若い日本人は日本の歴史を知らない。 日本の真珠湾攻撃がだまし討ちだったというウソを信じ込まされているだろう。 あれはルーズベルト大統領の陰謀だ。 奇襲攻撃があることを彼は前もって日本の暗号無線解読で知っていた。 

やられるままにしてアメリカ国民を怒りで立ち上がらせ開戦へと導いたのだ。 あれがなければアメリカは第二次大戦に加わっていなかった。 アメリカ人の怒りが日系人に向かい、我々はつらい強制収容所暮らしを長い間強いられたのだ」

 

この言葉が最初に日本に目をむける契機になりました。 いかに日本のことを知らなかったか! そして帰国後、日本のルーツ探しが始まったのです。 日本と朝鮮の古代史、古代イスラエルびと、アイヌ、沖縄、民族音楽、そして「大東亜戦争肯定論」と言う本に行き着いた。 しかし、いつかこの本にも「甘え」があるように思うようになりました。 

 世界の常識では「やられた方がわるいのだ」。危険な国際社会のなかで生き残り、国益を追求するためには、重大なミスは致命傷になる。 アメリカへの開戦に当たって、前もって奇襲の暗号を米国に解読され、在米日本大使館が宣戦布告状を米政府に渡すのが、数時間も遅れた。 このような致命的なミスに日本はつけ込まれたのだ。 

 

 

不渡り手形をつかまされたら、いくら苦情を言ってももう後の祭り。 やられた方があきらめるしかない。 そうならないようにいつも相手の経営状況を監視している日々の努力が大事。 安易に身内や相手のことをいつも全面的に信頼していたら、えらい目に会わされる。 

  日本人は海外旅行で一番狙われやすく盗難などの被害を受けやすいと言われる。 「水と平和」はタダと思っている「平和ボケ民族」だからです。 日本は外国からの侵略を受けたことがなく、国内に住む異民族とのトラブルも有史以来ほとんどなかった稀有な唯一民族の国家だった。 まわりの人は皆いい人と思って警戒心がない。 

非武装中立的思考がこの太平楽な国で蔓延してしまっている。 危機管理意識がない。 「世界の人々と仲良くしましょ」でこの弱肉強食の国際社会を泳げるものと思っている。 個人レベルではそれは非常に良い。 しかし国と国とのレベルではそうはいかない。 

  

また日本人は「お人よし」と言われる。 なんでも相手の意向に合うように自分の姿勢を変えることをいとわないという美風がある。 自動車事故で日本人はすぐ「すみません」と言ってしまう。 先に謙譲の美徳を発揮した方が徳が高く、赦してもらえると考える。 

外国ではそれは自分の罪・責任を認めたこと。 裁判では負ける。 歴代の首相や政府が公の見解として「日本が侵略した国々に謝罪する」と言ったため、中国や韓国が反日扇動を開始したのだ。 

反日キャンペーンの原因は自民党内の左派政治屋によるもの。 自民党が国をおとしめる元凶になってしまっていた。


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