五月二十一日(金) 発信 nO四五 石黒大圓

Eメール ishiguro@a1.heysay.net

いつもありがとうございます。 あるメール仲間から忠告がありました。 「いつまでもサヨク発言をしていると仲間が減るよ」と。 私は仲良しクラブ通信をしているのではないので、減っても気にはしません。 合わない方は自然に送信中止と言ってきます。 

私は通信仲間の方々を洗脳しようと思っている訳ではなく、情報提供しているだけ、別の見方を提示しているだけです。 判断は皆さんがすれば良いこと。 

事実を弁護士の側から書いているだけで、左派検事側の「日本有罪説」に反対尋問しているだけです。 こんなこと書かれたら日本人を洗脳しようとしている左派にとってはまずい、と判断される方は抜けて行っています。 

 

私は昔から自分自身の力で廻っている駒回しの駒でなく、「ひも」にからめられて廻されている駒なのです。 「ひも」がなければ止まってしまう受動的な駒なのです。 人からの忠告、反論で内なるアイデアが湧き上がってきて、文章や発言がまとまって出てくれるのです。 

その場ですぐ出るタイプではなく、すこし発酵期間がいるスローなタイプです。 だからその場ですぐ発言するのは不得手で、まとまってから書く方が得手なのです。 感動した話を聞いて、駒が廻り始め言葉がほとばしり出てくるのです。 

外からの、特に体験した事実や生の声から学ぶ方が私にとりずしーんと心に来る。 忠告、反論、感動話が、内からのマグマを噴出させてくれるので有難いことです。 感謝いたします。

 

先日南御堂で「ビハーラ僧研修講座」があり、私がまさに言いたかったことを講師が言われました。 「病院、特に末期患者を扱う施設の医療者にはこころの痛みが感じられない者が多い。 

彼らには『こころの教育・宗教教育』が過去に学校でなされていなかったために、あのような冷たい態度になるのだ。 『死後からの観点』がないために日本人は刹那的な生き方をしてしまう。 

宗教教育によって『人は死後も生き続ける存在である』ということを若いうちから日本人は学ばなくてはならない。 そうすることで過去からの伝統や宗祖の教えが現代を救うことになる。 

今の教育はケモノの日本人を生み出している。 仏教ホスピスとしてのビハーラ施設をいくら作ってても、「こころ」のない医療者ばかりが看護ケアにあたっていては存在する意味がない」と。

 

ある医師ホスピスを作るために病院理事長に請われ関東からやってきた。 しかしその病院は左派の労働組合が支配し、結局ホスピス設置に反対され、その先生は退職した。 「死んだら終わりだ。 医療者は患者がどんなに苦しもうと生かさなくてはならない。

 痛みだけ取って死ぬのを待つだけのホスピスを病院内に作ったら、あそこは治療しない、死なせるだけの病院だとの評判が立つ。 そのような施設設置には反対だ」

「死んだらゴミになる」の唯物思想が、痛みに苦しむ患者を長生きさせようとますます苦しめさせる。 来世がある」と言う日本古来の思想が医療者にあれば、患者に希望を与え、家族に別れの苦しみを軽くさせる。 

死後の観点から見る教育をすれば「いまの生き方のままでいいのか」「死んでから悔やむことになるのでは」という反省が生まれる。 そして人の苦しみに対して痛みが感じられる見方、慈悲の精神が育まれる。 

 

戦後の日本国憲法宗教教育をさせない、そして日本の伝統文化を尊重しない精神を日本人に植えつけた。 アメリカ軍にとって恐ろしく手強かった日本国民、日本軍人は、神道教育によって生まれたとして、アメリカ製の憲法により、日本人を強くさせる道徳、宗教教育を排除した。 

それをうまく利用して左派が勢力を伸ばしたため、こころの教育が学校から消し去られた。 人権平和で権利主張ばかりする子どもを輩出させ、人生の目的もなく自由ばかりの虚無の世界へ子どもたちを放り出した。 

人間には自分の理想像となる目標がいる。 道徳や宗教はその人間としてめざす方向を示してくれる。 いまの子どもは羅針盤のない船のようなもの。 何をしてよいのかわからない。 自由のなかで行き場がない。 人間としての「こころざし」も持てない。 

 

左派は「『上からの価値観』を押し付けてはいけない。 人間の考えは自由であるべきだ」と主張する。 そして日本人として誇るべき先祖の存在、日本人としての目標さえ、価値観の押し付けとして知らしめない。 

しかし彼らの教育こそ権力に歯向かった人間だけを「誇るべき人間」として、唯物思想の価値観で出来ている教科書で教え、反体制の思想を植えつけて来た。 ヘルメットをかぶってゲバ棒をふりまわしていた学生を生み出したのは戦後の教科書教育のたまものだ。

 

自由に生き、強制されたくないと考えるようになった若者は定職にもつかず、親のすねをかじりながら、自由で気ままなフリーターの身分を謳歌し、日本の将来に暗雲を投げかけている。 左派はボランティアでさえ強制してはいけないと否定的だ。 

しかし教育は強制だ。 私もやりたくもない数学の勉強をさせられた。 しかし教師が教え方さえうまくすれば、人間はどんな苦手なものにも興味をもつようになる。 そして才能を開花させる。 はじめから生徒の自由意志を尊重していたら学びを苦痛と見るだけだ。   

 

秘書給与問題で辞職した辻元・元議員がまた次の選挙に立とうとしている。 彼女は「日本の国を白蟻のように根元から食い荒らしてやる」と言っていたそうだ。 日本を転覆させて、天皇制を廃止して日本人民共和国を作ろうという野心で生きている。 反戦平和もその手段でしかない。 権力を握った途端に、仮想敵国となるアメリカと戦う準備に入るだろう。 

 

数十年前にイギリスの作家が動物農園という本を書いた。 「農場主に搾取されていた動物たちが反乱を起こして農場主を追い出した。 平和が訪れると皆が思った。 しかし権力を握った一部の動物たちが他の動物たちを支配し始めて、よりひどい圧制政治になってしまった」 ソ連の体制を皮肉ったものだ。 

 

ソ連では人口の一割2千万人が処刑されたり、全国に存在した強制収容所で虐殺された。 むかしソ連の作家ソルジェニーツィンが「収容所群島」と言う著書でこのことを告発し、ノーベル文学賞を授与された。 

今スターリンだけが悪者にされているが、レーニンの時からすでに恐怖政治は始まっていた。 共産党の体制そのものが弾圧によってしか維持できないものなのだ。

 

中国では共産革命を徹底するなかで4千万人が殺され、文化大革命では2千万人が命を奪われた。 毛沢東は大犯罪者だ。 「万人坑」という日本軍の大量虐殺の証拠といわれるものも中国共産党の虐殺現場だ。 それを日本の戦争犯罪として告発した朝日新聞の本多勝一は裁判で訴えられた時、中国人がそう言ったから信じたと真理とはほど遠いことを言って逃げた。 

多くの日本軍の残虐行為が中国共産党の偽造である可能性が高い。 しかしサヨク天国の日本人は事実も調査せず「すみません」と頭を下げ続けている。

 

アジア、アフリカ、中南米での共産革命による犠牲者を含めたら一億の人間が殺されている。 欧米ではこの事実は知られているが、日本人は未だに共産主義に淡いあこがれをいだいている。 

善人がいつ悪魔になるかも知れない、という人間の本質が「平和ボケ」の日本人にはわからない。 いつまでだまされ続けるつもりなのか。

 

そして宗教教育を本来、社会の中で実践すべき宗教者自身が「死後の世界」に自信が持てない。

大乗経典では輪廻転生を語っていないし、公式には否定されている。

 親しい禅宗の僧侶に「私の次男は死後世界でどう生きているか」と聞くと「人に魂などないし死後の世界などない。 宇宙のなかに消えるだけ」 ショックだった。 子を失って間のない悲嘆のなかにある親に向かって言い方というものがあるだろう、と思った。 

  

大乗仏教経典には輪廻転生の思想がない。 釈迦も「死後より今を考えよ」と経典で教える。 しかし東南アジアに伝わった小乗仏教やチベット仏教の経典には輪廻、死後生ついて書かれている。 そしてそのことは日本仏教では軽視されている。 

大乗仏教は「釈迦の真の言葉を伝えていない」と江戸時代の学者が言うぐらいだ。 私も大乗仏教は西北インドでキリスト教や異教の影響を受けた霊能者が「釈迦からの霊示」を受けて書いたものと思っている。 

近代科学に迎合して死後生を教えられない従来の日本仏教は新興宗教に負け、左派と一緒に現世中心の「死んだら終わり」の乾いた思想で日本を危めつつあると思う。

 

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