五月三十一日(月) 発信 nO四八 石黒大圓

Eメール ishiguro@a1.heysay.net 

いつもありがとうございます。 パソコンのインターネットを見たり文章を打ち込んでいると、あっという間に時間が経ちます。 いまヤフーのインターネットのページに「『いきること』に寄せられたメッセージの欄があり、「電池が切れるまで」の本の紹介が載っています。六月十七日まで掲載されています。 これに気持ちゆさぶられて前回も今回も涙にぬれる通信となりました。 お赦しください。

その「いきること」を紹介します。 長野県立子ども病院で、病いと闘う幼い子どもたちの輝く言葉。 「いのち」と向き合わざるをえない彼らから、世の人々へのメッセージの文集です。 冒頭は両親からの感謝のことばです。

 

「映像

お父さんとお母さんを選んで

生まれてくれてありがとう

電池が切れるまで

 

(十一歳の少女が残したメッセージ 

あなたの人生が輝き始める 

そんなきっかけを与えてくれる詩です 

『生きること』みつめてなおして見ませんか?)

 

「映像と音楽

お父さんとお母さんを選んで

生まれてくれてありがとう

 昭和六十二年二月二十六日 由貴奈誕生 

 

 人は皆それぞれ使命や目的を持って

生まれてくるんだって

 一歳 由貴奈ちゃんの写真

 二歳 由貴奈ちゃんの写真

 五歳 由貴奈ちゃんの写真

 あなたは・・・

 

 5歳の夏・・発病

 両親の成長を早めるために、

短い人生を承知で生まれてくる子がいる

ということを聞きました・・・

  治療中の由貴奈さん 写真

 

我が子の大変な病気と闘う姿を見せられて

これほど悲しく苦しいことはなかった

そして・・・

平成十年6月二十八日 永眠

もっと一緒にいたかった・・・

 

でもね、あなたは多くの人たちにいろいろなすばらしいことを残してくれました

あの「命」という立派な詩も作っちゃうし

ほんとうによくやったね

よく頑張ったね。

由貴奈いろいろありがとう」

 

財前直見さんの朗読   

「命」    宮越由貴奈

 

「命はとても大切だ

人間が生きるための電池みたいだ

 でも電池はいつか切れる

 命もいつかはなくなる 

 電池はすぐにとりかえられるけど

 命はそう簡単にはとりかえられない

何年も何年も

 月日がたってやっと 

 神様から与えられるものだ

 命がないと人間は生きられない

 でも

 「命なんかいらない。」

と言って

 命をむだにする人もいる

 まだたくさん命がつかえるのに

 そんな人を見ると悲しくなる

 命は休むことなく働いているのに

 だから 私は命が疲れたと言うまで

せいいっぱい生きよう」

 

このテーマに似た通信を二年前に書きました。

 

h齊l三 お盆の時期、帰省や墓参りでお忙しいことと思いますが、ゆっくりされる時でもあります。 お体お休めください。 私は父母の初盆で家を飾っています。 今年も亡き人は帰ってくるのでしょうか。 次男は初盆で帰ってきて、今年も再び久しぶりに帰ってきた気配です。

  

先週珍しくTVをくい入るように見ていました。 「天使の歌声―小児病棟の奇跡」 幼なくして二歳で卵巣がんの手術で小児病棟に入院したより子。 奇跡的に病いは治って退院。   

しかし長い間ともに闘ってきた病室の子どもたちとは別れなくてはならない。 家へ、そして学校へ戻っても四年間もの闘病の空白の年月は、幼い少女をとまどわせた。

  学友との、そして母、姉との心の葛藤。 若くしてガンという病いをかかえ、いつも死の影を見ていなければならない。 

こころの友は幼い頃病室で別れたっきりの「一馬」君。 その彼に会える日が来た。 しかし待っていたのは仏壇の中で笑っている彼の幼い写真。 

あの時病室で別れをおしんだ子どもたち全員が、もうこの世にはいないことを、母はより子に教えていなかった。 戦友、皆が死んで私だけが生きている。 

魂が抜けたように心を閉ざすより子。 学校にも行かずピアノもひかなくなった。

  

ある日母が過労で倒れる。 そしてより子には遅いと心配していた初潮がついに来た。 急展開。 命が私の中で動いている! 私は不具ではなかったんだ。 私だけが生き残った。皆には申し訳ない。   

しかし私には出来ることがある。 病室で幼いより子がひくピアノのすばらしい音色を、皆が笑顔で聞いていてくれた。 闘病生活は苦しいことばかりではなかった。 子どもたちの歓声がこだましていた時もあった。

  私には今闘っている子どもたちにしてあげることがある。 より子はその多くの子どもたちにかこまれて、病室のプレイルームでミニコンサートを開いた。 

ピアノのまわりには、「一馬」君を始めかっての幼い戦友たちの笑顔が、幻のように輝いて浮いていた。 

  

本にもなった実話をタレントの松浦亜弥が好演していました。 涙が汗のようにほとばしれ続けました。 その少女、小笠原より子さんは今、ピアニストとして活躍されています。

  私は今まで小児病棟で闘っている子どもたちに何かをしてあげることは出来ないまま来ました。 しかしこの通信が、踊りが、「いのちと出会う会」が、そして炊き出しが私のピアノになっています。 まだへたな音しか出ないですが、せめて天上の子どもたちには届いていると思っています。

  「病室はつらい事ばかりではなかったよ。 皆輝いて生命の光を燃やしていたんだよ。 かわいそうだったとは思わないで。 よくがんばったね、とだけ言って」 次男はこう伝えたくて、このTVを見せてくれたのだと思います。

子どもたちは短い試練の人生を自ら選んで生まれてきた進化した魂。 その小さな戦士としての人生をたたえてあげるべきなのです。 お盆に次男は再び帰ってきて、このメッセージをくれたのでした。 

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