六月十一日(金) 発信 nO五一 石黒大圓

Eメール ishiguro@a1.heysay.net

 メール仲間の皆様へ  葬式のことばかり書いているためか、また明日葬式があり、送信が遅れますので、今晩送信します。 また「在宅ホスピスあおぞら」の今春のスケジュール・チラシをFAX仲間の方には既にお送りしました。 ところがメールの方にはスキャナー操作に手間取り、今回お送りいたします。 添付でないやり方にしたかったのですが、添付以外では送れないと説明され、添付で送ります。 添付が開けられない方には申し訳ありません。 何かいい方法はないものですかね。

 

いつもありがとうございます。 最近FAXからメールへ変更される方が多くなりました。 以前にFAX料金としていただいた二千円の金額は、千円のメール料金の二年分として扱わせていただきます。 メールをお持ちの方でまだ登録なされていない方はどうぞお申し込みください。 私にとってもメールは初めての方と通信のやりとりをするのに重宝です。 しかしインターネットで世界は広がりますが、これは時間泥棒です。 ますます時間が足りなく忙しい思いにさせられています。 

最近の通信は生や死についてのうっとうしい話題ばかりでへきへきとされているかも知れません。 本当は教育問題について書きたいのですが、まとめる時間もなく、送る手間もとれず送信も遅れ、手近な話題にもなってしまいました。 今回も手抜きで申し訳ありませんが、以前手書きにしていた家族の霊的体験をプリントいたします。 中途で中断できず3頁になりました。

 

そもそも私がこの分野に関心をもったのは二十歳代に、私が死んだらこの宇宙のなかに消えてしまって無になるという恐怖にノイローゼになりかけたためです。 ある日偶然に書店で、めったに読まない「リーダーズ・ダイジェスト」という雑誌を見ていました。 そのなかに「垣間見た死後の世界」という有名な臨死体験研究家レイモンド・ムーディー氏の記事があったのです。 日本では始めての紹介であったと思います。 

「人は死後、自分の死体から離れて透明になった別の体(魂)が宙に浮き上がり、トンネルを通って花畑に出る。(国により見る世界は少々異なるが)そして川に出る。(三途の川)向こう岸には先に亡くなっている家族が迎えに来ている。 

そして慈愛に満ちたあたたかさが感じられる光の存在につつまれ、自分の過去の人生を一瞬のうちに回顧させられる。 それは過ちの多い人生を送った者にとっては、地獄の苦しみのように感じられたと証言する。 また自殺者は永遠のごとく感じられる冷たい暗闇に置かれ、もう二度と自殺などしたくないと反省したと言う。

そして「お前はまだ来る時ではない」と言われ元の世界へ戻される。 帰ってきた人々は「死の世界とは、想像していたのとは全く異なり、明るく輝き愛に満ち、まさに天国のようなところ。 もう決して死は恐ろしいとは思わない」とほとんどの臨死体験者は語っている。 そして返されるとき光の存在から「世のために働きなさい」と言われ、帰還者の多くがこの世の苦しみにあえぐ人々のために活動する人間に生まれ変わっていった、と言われる。 これぞイエスが示した真の意味での復活です。

この話を聞いて心救われました。 死んでも私という存在が宇宙から消えてなくならない。 別の生命体となって永遠に生き続けるのだ。 私にとっては人生に張り合いが生まれました。 この問題で苦しんでいた私が偶然、世間に知られるより早くこのことを知り得たのは不思議でした。 今の活動の伏線のような出来事でした。 そして臨死体験者のように死んではいませんが、復活のエネルギーが心の底から湧きあがって来てきて、今の活動の源泉となっているのです。

 

 妻も臨死体験を経験しました

  平成八年一月の胃ガンの手術のあと、馬鹿げたことに取り残しがあったとして、十日後に再手術され胃を全摘出されました。 二回の手術で体力を激しく消耗し、そのうえに逆流性食道炎で半年間さらに苦しみ体力を失いました。 そして体力が回復しないまま、九月に食道の修繕手術をした時に腸に転移発見。 余命一年と宣告されました。 その九月の三回目の手術のとき体力消耗はげしく死にかけたのか。 術後の集中治療室で臨死体験したと言っていました。

  「花畑で花を摘んでいると青空にトンネルの穴が開いていて吸い込まれそうになり空中に浮き上がった。 まわりには金粉が舞っており、これは死のイメージだと思い、踏みとどまったら、ズドーンと落ちたところがベッドの上だった」と語ってくれました。

  (平成九年五月一日亡くなったとき妻は再び花畑、トンネルと抜けて、先に亡くなった次男や妻の父にむかえられたことでしょう)

 

 長男の霊的体験

  私たちが初めて霊的体験をしたのは子どもたちがまだ幼稚園へ行く前の幼い頃でした。 我が家はあまり熱心に先祖供養をしていなかったので、妻の勧めで石黒家の先祖供養をしようということになりました。 宗派が日蓮宗ですので、身延山に電話して昔からの由緒ある大寺を紹介していただきました。 それが堺の妙国寺で、駅名にもなっている名刹でした。 そこで供養してもらおうということで家族四人で出かけました。 

私の家にとっては近年にない先祖全体の供養ででした。 そのとき私の姉で産室で死んで生まれて来た子の戒名も付けていただきました。

  それから家に帰ってきて居間に入るなり幼い長男がお客さんが一杯いはると言うのです。私は先に別れて会社へ行き、妻は洗濯をはじめた時でした。 妻が飛んでいって見ても誰も居らず詳しく長男に聞くと、白い服を着た大勢の人が部屋にいたというのです。 ひさしぶりの先祖供養で先祖さんが喜んで付いて来てくれたのだと語り合いました。 霊界から今世に戻ってほどない幼い子には霊の姿が見えるのだと思いました。

  

 次男邦之の霊的体験・T

平成元年八月十九日の深夜、次男邦之が臨終のとき呼吸がゆっくりになり出したため、皆でちいさな手や足をさすり「行くな、戻っておいで」と叫び続けていました。 

そうすると呼吸が正常になって来て戻ってきたなと思うやいなや痙攣をおこし、あっという間に逝ってしまいました。 かわいそうに戻ろうにも自分の体が機能不全で受け入れてもらえなかったのでしょう。 しかし魂は自分の体から抜けて長男の体に入り込んだようでした。

  葬儀は子どもたちの通っていたパドマ幼稚園の園長先生のお寺、大蓮寺で行なわせていただだきました。 「幼稚園へ早く帰りたい、お友達に会いたい」と言っていたので、通夜の日遺影を抱いて「帰ってきたね」と園庭を廻りました。 

(今お世話になっている応典院は大蓮寺の隣りの末寺で、園長先生の長男、秋田光彦さんが住職をされていました(いまは大蓮寺の住職です) 妻の遺作品展も一周忌に応典院でさせていただいた縁があるのです)

通夜の晩から長男の体調がおかしくなり頭痛、吐き気、発熱が続き、救急センターへ行っても収まらず、自宅へ帰りました。 そして寝かせていたのですが、寝室の豆電球でさえ、まぶしいというのです。 

次男が末期の頃病いのため、目の瞳孔がおおきく開いたままになり、ちいさな光さえいつもまぶしがっていました。そして長男が苦しみだしてから「くーくんはこんなに苦しい思いをしていたのか」と言っていたのを考え合わせ、次男が長男の体に入って自分の苦しかったことを訴えたかったのだと思いました。 

 頭痛などの症状は次男とそっくりでした。 そしてゆっくりとお休みと体を動かそうとするとあっちへ行きたくないと突然言い出しました。 これで確信しました。 邦之の魂が長男敏之の体の中にいると。

 それで長男の体をなぜながら「くーくん、君は死んだんだ。 お父さんもお母さんも悲しいけれどお別れしなくてはいけないんだ。 ずっと向こうに光っているところがあるから、そちらへ歩いていきなさい。 おじいちゃんやおばあちゃんが待っていてくれてはるから。 寂しいことはないから、ずっと一人で歩いていきなさい。 お父さんもお母さんもいつかそっちの方へ行くから、待っていて」とそんなことを泣きながら言い続けていました。

 最初寝苦しそうにしていた長男は、それから楽そうになりぐっすり寝入り、数時間後には、けろりとして元気に起きてきました。 昔「幽霊飛行」という映画があり、飛行機に取り付いた飛行士の霊を光の世界へ帰すシーンが記憶にあり、その通りやってみたのでした。 また同じく映画で「ゴースト・ニューヨークの幻」というのがありましたが、あのラストシーンのように、あの晩次男は光の世界へ光り輝くその世界の住人に迎えられて、その方へ一人歩いて行ったのでしょう。

  葬式の日は朝から蒸し暑くわざわざお参りに来ていただく方に申し訳ないなと思っておりました。 すると天気予報になかったが急にやってきて吹き荒れ、式が始まる一時間前にはピタリと止み、すがすがしい冷風が会場に吹いていました。 次男が来場される方に涼しい贈り物を届けたくれたと思いました。 

  また嵐のあとにがかかりました。 式当日二十一日は「お大師さんの日」で、お大師さんに導かれて虹の橋をわたりお浄土へつれて行ってもらったのだろうと皆で話しておりました。 魂が抜けて出て他者に取り付くこのような体験は時々あるそうです。 

 

 次男邦之の霊的体験・U

  次男については余談があります。 次男が末期の頃、長男が夏に白浜へ知人に誘われて母子十人ほどのグループで連れて行ってもらいました。 夜に知人がトイレに立ったとき皆が寝ている畳の通路のところに、縦じまのパジャマの子が寝ていたが、帰ってきた時にはもういなかった。 もう一人の母親の方も見たと言っていたそうです。 翌日縦じまのパジャマを着た子はグループの中にいなかった。 

不思議がっていましたが、そのとき次男は病院でよく縦じまのパジャマを着ていた。 末期で次男の魂が体から抜け始めていたのでしょう。 そして「おにいちゃん」とよく叫んでいたそうです。 恋しいお兄ちゃんのもとへ飛んでいったのだろうと妻と語り合いました。 

死ぬ間際には人は魂が抜け出てあの世とこの世を行き来すると言われます。 先に亡くなった人が迎えに来ていると語った人もいます。 戦時中に戦死した夫が夜に帰ってきてすぐにいなくなり、翌朝に戦死の通知が来たと言う体験はよくありました。 臨死体験者で、透明な魂の体であっちこっちへ行ったという人もいます。 

 

 次男邦之の霊的体験・V

  次男の一周忌の初盆の夜。 太鼓のトントン

という音が聞こえました。 隣の部屋に立てかけてあった小さな太鼓が鳴ったのです。 横からたたかないと鳴らないはずなのに、物が落ちても鳴るはずがない位置なのに「トントン、トントン」と鳴ったのです。 次男が来ていると妻と目を合わせました。   

次の夜も夜中にガシャーンという大きな音で飛び起きました。 机の上に長男が積んでいた数個の小石の山が崩れたのです。 振動で崩れたのかもしれませんが、前の晩のこともあり、次男がきっとお盆で帰ってきたのだと確信しました。 兄ちゃんの石にさわりたかったのでしょう。

 

このような霊的報告は大昔から日本の伝説・昔話・伝承の中にあふれんばかりにあるにもかかわらず、非科学的として無視されて来ました。

日本は神々の国霊のさきはふ国です。 日本の霊的魂が今再び復活しなくてはならない時です。 しかし霊など存在しないという唯物思想が日本中に蔓延し「見えない世界」への畏敬が失われています。 「見える世界」だけが真実という刹那的な人生観が日本および日本人のこころを病ませていると思うのです。 この通信は、その唯物的・マルクス主義的世界観に、ドンキホーテのように、まわりから見れば笑止千万なれど、槍と盾だけで突っ込んで行っている姿なのです。       

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