六月十四日(月) 発信 nO五二 石黒大圓

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いつもありがとうございます。 今週の通信送付はゆっくりしようと思いましたが、感動的な話を聞いてじっとしてられませんでした。 前回の内容は聞きたくもないハードな体験談を無理やり聞かされて迷惑をおかけしたかも知れません。言葉の豪直球ボールを私はしょっちゅう投げて嫌われ者になるのです。 しかし私の真意は次のような歌の心を日本人が取り戻してほしい。その参考事例として私の家族を巻き添えにしているのです。

「なにごとがおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙あふるる」

西行法師が伊勢神宮へ参拝した時詠める歌)

何もない空間に神仏の存在を感じ、その存在に畏敬の念を感じ、いま生かされていることに感謝する心がほとばしり出ている。 

日本人のこの感性が戦後むちゃくちゃにされ、それを我が民族の責任と感じず、すべてアメリカ占領軍や政府の責任として、国民は責任逃れをしている。 野宿者支援も行政がやればよいと市民は逃げている。 外国の眼が日本人の慈愛のこころ、国家の品格のありさまのバロメーターとしてこの問題を見ていることに気づかないでいる。 

かってあの世界に誇るべき有色民族の旗手、被抑圧民族の希望の星であった日本がこのざまだ。 国民は恥を知れと思う。 多くの国が誇るべき国の第一に挙げる日本自身が、その誇りを取り戻し世界に冠たる精神的指導者として復活するのを皆待ち望んでいるのです。 その精神の源泉は過去の日本の歴史の中にあふれんばかりにある。 わが国の歴史の中の偉大な先人に学び、その英知を世界に示していく使命が日本人にはある。 そのように行動する義務が偉大な祖先に対して日本人にはあるはずです。 

「日の丸」の旗の赤は、日本が侵略し殺害したアジアや世界の人々の血に染まった赤だ、という屈辱的な思想をひろめる人々がいる。 それらのアジテーターを野放しにして、この国を滅亡の淵に追い詰めつつあるのも日本国民の責任だ。 今目覚めなくていつ目覚めるのか。

国民すべてが目覚めていた明治建国の折の感動的な話を、皆が涙しながら聞きました。 当時ロシアはすでに満州を支配し、東アジアすべてを植民地にすることを国家目標にしていた。 日本はその前面にあり国家存亡の危機にあった。 日露戦争はその巨大な白人帝国に対し、有色人種として初めて刃向かい勝利した戦さだ。 いかにその戦いが日本国民の挙国一致団結のもとに戦われたか。 乃木将軍東郷提督の逸話は涙なくしては聞けなかった。

しかし日本の教科書にはその主役、乃木、東郷、桂太郎首相、小村寿太郎外相らの姿は描かれていない。 書かれているのは幸徳秋水、内村鑑三、与謝野晶子ら戦争反対者の名前だ。 このようなことは世界のどのような国の教科書にもありえないことだ。 反戦平和を歴史的に利用し、日本をおとしめようというイデオロギーのもとに書かれている恥ずべき内容だ。 自国を悪者にしたてる教科書を作る日本人は世界から笑いものにされている。

日本はかって巨大な元帝国の世界征服に世界で唯一勝ち戦さをし、そして世界中の誰もが負け戦と信じた強国ロシアに対して勝利をおさめた。 太平洋戦争では世界の白人帝国すべてに対して一人戦いを挑んだ。 その勇猛果敢さは各国から讃えられた。 そして白人から人間扱いされてこなかった有色民族が、そこまで同じ有色人種でもやれるんだとの自信を、世界の被抑圧民族に与えた。  

この事実を初めて授業で聞いた日本の生徒は感動のあまり皆涙するという。 日本人であることの誇りが彼らに生きる力を与える。 日本人は人殺しばかりしてきた恥ずべき民族。おじいさんは人殺しと教えられた生徒は卑屈になり自信を喪失し、国家、家族に不信感を感じてきた。   

教育問題の根本はこの生徒にいかに生きていく自信と誇りを与えられるかに尽きる。 知識教育ではなく生き方の教育が今まで欠けていた。 一人の人間として、日本人としてどう生きていくべきか。 どのような高いこころざしを心に持つべきか。 国際人として生きる上の日本的素養さえ教えられて来なかった。 道徳や宗教的こころの教育は占領軍が作った日本国憲法や教育基本法で禁じられてきたからだ。 

サッチャー首相のイギリス大改革はまず教育改革から始まり、「イギリス病」を克服した。イギリスでも日教組のようにイギリスの過去の大英帝国の歴史を恥ずべきものと教える教職員組合に教育現場が牛耳られていた。 彼女は国民の教育は国家の権利であると宣言し、自虐史観で若者を洗脳しようとしていた教員組合による左翼イデオロギー教育を排除した。 

すべて国の隆盛は教育から」が再びサッチャーによって証明された。 中国の孫子の兵法にいわく「相手の国を滅ぼすには武力より、道徳、モラルを混乱せしめるのが一番の得策」 日教組はいまも自国を滅ぼさんと、これを実践中である。 

江戸時代の武士町人農民は身分の区別なく、中国の論語などや日本の古典の素読によって人間としてのあるべき姿を学んだ。 世界一に近いかれらの教養の高さ、識字率の高さ、そしてモラルの高さが次代の明治の大発展を支えた。

 そのモラルを崩そうとしたのがアメリカ占領軍であり、今も崩し続けているのが日教組だ。 いまこそ日本の再生を求めるならば、人間として、そして日本人としての精神を教育し直さないと国家として没落すると思うのです。

世界のかって植民地下で苦しんだ国々にとって日本は我が誇りだ。 たとえばロシアに苦しめられてきたイラクポーランドもそれを誇りに思っている。 イラクにとって日本はこの歴史があるが故に一番親近感ある国である。

ある台湾人は「日本が日の丸、君が代がいらないと言うなら、台湾がそれをいただいて台湾の国旗国歌にしよう」と言った。 それだけ戦前の日本による台湾統治時代を知る老人たちは熱狂的な親日家だ。 日本は国家財政のかなりを台湾に投資し、また最高の人材を次々投入し未開だったこの国を開拓し発展させてきた。 そして日本人から学んだ「人間としての高貴な生き方」「自分を超えたもののために生きる、人としてのあり方」を身につけさせてもらったことを誇りにしている。 台湾の戦後の高度成長も日本統治時代の日本精神が先導した。

戦後台湾には共産党に敗れた国民党が本土から逃れてきた。 そして台湾人に対して圧政を加え数万人を殺害し日本色、台湾色を消し去ってきた。 国民党が作った教科書では中国本土の歴史地理ばかりで台湾の歴史地理は無視されてしまった。 台湾人としての誇りが失われ奴隷のようにされ、若者は台湾への愛着を失ってしまった。 初めて台湾出身者として総統になったクリスチャンでもある李登輝氏はまず教育改革から始めた。 台湾人としての自尊心を取り戻すため、そして台湾人がこころ一つとなって国づくりをするために、教科書を台湾人のためのものに書き変えさせた。 

中国共産党も国民党も人間のこころに重きを置かない教育を行なってきた。 中国の文化人たちは昔から「中国文化は独裁や皇帝政治を生む。面子や個人の利権を大切にしウソを平気で言う国民性をつちかってきた」と批判してきた。 利己的生活を追い求め、「公」を大事にするという精神に欠いてきた。 

それに比べかっての日本人には自己を犠牲にしてでも「世のために働く」という精神を有していた。 戦前には台湾のために身を挺して働き「我が骨を台湾に埋めよ」と言う日本人がいた。 このような精神を取り戻し日本再生するためには教育と教科書の改革をまず断行すべきと思う。 (続)

                     
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