六月二十九日(火) 発信 nO五五 石黒大圓

Eメール ishiguro@a1.heysay.net

いつもありがとうございます。 今年も半分過ぎようとしていますね。 今年前半で何か感動し、心の成長をされたことはありましたか。 あれば教えてください。 この通信に載せさせてもらい皆さんと一緒に分かち合いたいと思います。

最近多忙で通信送信を月・金と送信ができず、不定期になりご心配をかけていますが、ご了承ください。 「いのちと出会う会」の秋の予定を話題提供者と連絡とって作成し、通信に異論を唱えてきた方に長文の返事を書いたりして時間がかかりました。 この文章はまた掲載します。

ラジオでお坊さんが「ありがとうの人生」の題で話され、大阪の女性の詩を読まれました。

 

太陽はみんなに一杯一杯、光をくれはる

値段をつけたら、いくらぐらいするやろ

お月さまは、空気は、みんなタダや

そやから感謝せんとあかん

返さんとあかん 奉仕しかないよ

 

  良い詩です。 当たり前、当然と思いがちな恵みに感謝し、与えてくれている自然、そして周りの人々に奉仕して返す。 私の通信の気持ちと同じです。 これが「国からの恵み」となると話がややこしくなり私の考えが拒絶されるのです。

  「公」に奉仕する。 「公」とは国家ですか、今の政府ですか。 左派は「そんなものに奉仕など出来ない。 今の「政府」は国民の民意に沿っていない(事実は自分の意見と異なるということ) 単なる国民を統治している機関だ」とのたまう。 「愛国心はその政府に対して忠誠を尽くすものであって、戦前に徹底的に利用されたもの。 今更なにをか言わんやだ」と。

  しかし「公」と政府、国家、社会、国民を明確に区別はできない。 右から左まで人によってみんな違う。 民主主義に基づく選挙によって選ばれた政府をいつも目の仇にしていても仕方がない。 それを選んだ国民の責任を感じなくては。   

多数決で選ばれた政府を拒否していてはその多数の人々の意見の存在を無視することになる。 その政府の政策が気に入らなくても政府を」として忠誠を尽くすのが国民としての義務と思う。 私も政府をいつも支持するわけではない。 拉致問題では自民党批判もやってきた。 だから常にという意味ではないが。 

国家」は政府の前に存在している。 昔「日本沈没」という映画があった。 大地震で日本列島が海の底に沈んでしまう映画だった。 熱く感動した。 日本民族が以後離れ離れになって流浪の民として世界中をさまよう最終シーン。 国を失うということがどれだけ民族を不幸のどん底に突き落とすか。 ユダヤ民族をみればわかる。

 国のありがたみを、失って初めてわかるでは遅すぎる。 私は妻子を失って初めて「かけがいのないもの」「常に横にいるのが当然、当たり前の存在ではなかったのだ」と心の底から思い知らされた。 

国家もかけがいのないもの、あるのが当然、当たり前の存在ではない。 失って初めてわかるでは遅すぎるのです。 この気持ちがあるから私は「国の恵み」にますます感謝するようになり愛国心を感じるのです。 単なる観念的な右派ではないのです。

 各国がおのおの愛国心をもてばよい。 愛国心はいつも排他的とは限らない。 自国に対する誇りは自分に対する誇りとなる。 イエスも「自分を愛するように、人を愛しなさい」といわれた。まず自分。 自分を愛せない人に他人は愛せない。自分に誇りを持てない人は、他人に関われない。自分と言う主体性がなく、他人に関わってしまっては自分も他人もつぶしてしまう。 

自分の国を愛し他の国をも尊重尊敬する。 他人からの批判、暴力には反撃するように、他国からの侮辱、侵略には毅然とした態度を示す。 なんら恥じるところはない。 これが世界の国々の考え方だ。 

日本の外務省のように他国の顔色をうかがい、不始末をして機嫌をそこなわないようにするのが外交と見なす姿は世界のお笑い草だ。 その姿勢は日本の国民の誇りのなさを象徴している。 この誇りを取り戻すためにも教育改革をして「国なおし」をしないと、日本は二十一世紀に完全に沈没すると覚悟すべきです。

前回の山谷えり子さんの続き

(カッコ内は私の意見です)

  「昨年都議会議員が学校へ行って調査したところ「ここは小学校ですか、アダルトショップですか」というぐらいひどく、都知事も「あきれ果てた」と都庁にその裸の人形を展示された。 行き過ぎた性教育について下品な写真や人形を国会へ持っていき、総理に質問したところ「小学生にこんなことを教える必要があるのか疑問だ。 行きすぎの教育だ」との答弁があった。

  ストップがかかるかと思ったら、今、先生方が「教育への介入を許すな」という集会を開いている。 配られているチラシには「親からいろんなことを言われても、絶対に反省するようなことを言ってはいけない。 お母さんや子供たちから『すばらしい授業だった』という感想文を集めておきなさい」とある。 

  今、日本では十九歳の女の子の十三人に一人が性病にかかっている。その八十%は無症状。 数年後には、産みたくても産めない不妊症が増える。 (また男性は高脂肪高たんぱくの欧米的な食事によって被害をうけ無精子症が激増している。 子供をひとりも持てない家庭が今後増えつづける。 このままでは数十年後には日本の人口は半分になってしまい、国家としての活力は失われてしまう予想が出ている) また売春は自由と答えた中高生が五十一%もいる。 「愛がなくてもセックスしてよい」と考える風潮が氾濫するのは今の学校教育が生み出しているのだとはっきりわかった。

  アメリカでもヨーロッパでも、このような性教育をした結果、みんな興味本位になってしまい、妊娠、性病が増えました。 ですから今は、「責任と抑制」を促す方向へ大きく転換しています。そして生命尊重と宗教的情操心を育む、心の教育に重点を移したら、どんどん中絶率が下がっていきました。(反戦平和によって命の大切さを教える教師が、中絶によって失われる年間数十万の命については無視し中絶を奨励している矛盾)   

国を混乱におとしめるには武器より道徳、倫理を混乱させたほうがてっとり早いと中国の孫子は言う。 そのためには性のモラルを混乱させるのが最もよい。 「今、日本では自分の国を滅ぼすために、子供の教育をしているのでしょうか。これは国家の安全保障の問題ではないか」と国会で質問したことがある。

  警察庁の調べでは「見知らぬ人と性交渉するのは本人の自由」と思っている中高生が六十八%もいます。 (「出会い系サイト」や「援助交際」、そしてそれによる被害がいつの間にか増えてきたのは日教組によるこの過激な性教育の影響が考えられる) 

(相手を尊重し自分の家庭も相手の家庭も守るという考えが教えられていない。 「人間は家庭や家社会から自立し、一個の人間として自由に生きよ」という考えがいかにも近代的進歩的な思想として誤って教えられている) 

いろんな国の憲法には「家族は保護、尊重されるべきである」という条項があるのに、日本国憲法にはありません。 「家庭教育を大事にする」ということが、憲法にも教育基本法にもきちんと入っていないのです。(強い日本兵は封建的な日本の家庭制度が生んだとアメリカ占領軍は考えた。 そのため家庭の重要性を明記せず家庭倫理の崩壊の元を作り、日教組はそれを引き継いで性のモラルを混乱させ家庭解体をもくろんでいる)         

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