七月五日(月) 発信 nO五七 石黒大圓

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いつもありがとうございます。 ほんとに真夏になったみたいに暑いですね。 今年は空梅雨ですか。 先週にはセミの声が街なかで聞こえましたよ。 いつ梅雨が戻るのでしょうかね。 また夏の水不足ですか。 またまた、いやなことは考えても来るものは来るのだから、よけいなことは考えずに元気に夏を迎えましょう。

先週の大阪駅前炊き出しの時に「野宿者たちに風呂券を渡そうと思う」と提案したところリーダーの一人に反対されました。 「皆がほしがって取り合いになるで」と。 それもそうだと思い炊き出しが終わり、掃除の時に集まった十人にだけ「今日は特別に風呂券を渡します」と言ったら歓声がわいた。 「ありがたい」とみな口々にいう。 

「タバコ代を節約したら風呂なんか入れるのに」と言う人もいる。 たしかにそうだ。 それに物を渡しつづけるのは自立の妨げにもなるかもしれない。 私の自己満足かもしれない。 しかし掃除によっては心を開いてくれた人もいる。 なんらかのこちらからの働きかけで、生きる意欲が高まる人がもっと出るのではと思い風呂券がひらめいたのです。

定期カンパが増えていることもあり、この善意を有意義に使いたい。 夏休みにはおにぎりを作ってくれているカトリックの学園が休みになり、我々の自腹でおにぎりを作らねばならない。 この義援金は貯めておかなくては。 そのためにも常に風呂券を渡すつもりはない。 しかし心と心の絆がこれで深まるかもしれない。 そんな気がするのです。 

そんなに喜ばれるなら時々街で出会う野宿者に風呂券を手渡そうか。 先日も郊外の駅の階段で寂しげに年老いた野宿者が一人座っていた。 声を掛けようかと思ったが初対面では話しかける勇気がなかった。 風呂券が突破口を開いてくれるかもしれない。 鉄道切符の大きさの半分で、銭湯代三六〇円より安い三三〇円。 ポケットの財布にいれておいてすぐ出せる。

それで今夏の灼熱地獄から一晩でもゆっくりしてもらえたらと思う。 托鉢のお坊さんへの喜捨のつもりだ。 先日のタイの藤川僧侶のお話で触発されました。 修行されている野宿者へ町衆からのお布施の気持ちである。 

個人個人が給料のせめて一%でも「貧しく小さくされた人々」のために分かち合えば、この社会は心豊かになるのではと思うのです。 そうは思いませんか。 そう思われた方は早速今日から実践してください。 

同胞への愛の実践は「人を仏とみる」仏道修行であり、法華経でいう「すべての人に手を合わせる常不軽菩薩」の実践です。 それがひてはその人々と共に生きる郷土、国をいとおしむ気持ちとなり愛国心につながる。 国と同胞を慈しむ国民性は国の品格を高め、わが国の国家安全保障ともなりうると思うのですが。

最近、山谷えり子さんの話を聞き、また感動をしましたので、彼女の書いたものや私の考えも混ぜてまとめてみました。

『去年の夏、私は女性国会議員ではただ一人、衆議院の調査団員としてイラク、アフガン、インド洋に行ってきました。 インド洋ではテロリストからの攻撃を防ぐため十か国ものの艦船がパトロールしている。 その艦船へ日本の自衛艦がオイルを補給する任務についている。 五〜六〇度の灼熱のなかで働く自衛官の強い意思と誠実さ、責任感に感動し感謝しました。

(アラブからは日本への輸入石油の九〇%が運ばれてくる。 そのシーレーンが遮断されたら日本のライフラインは神戸の震災の時のように途絶え、日本での生活や生産活動は息絶えてしまう。 電気も水も止まり、運搬も止まれば全国で飢餓・倒産がはじまる。 

その海上ルートを守ってくれている他国の艦隊を補佐する義務が日本にはある。 安全はタダでは手にいらない。 いままで他国が日本人の生活の安全を保障してくれていたことに知らんぷりでいた。 皆がその「生かされている恩恵」を「当たり前」のように考え感謝もなくすごしてきた。 今こそ日本が自らの手で自らの安全を守るときがやってきた。

国連などからPKOの要請があっても「我が子を戦争にやるな」「戦争への道だ」と自分たちの都合ばかり主張してきた。 他の国は苦難の中にいる人々を救うために、危険を承知で我が子を送り出しているにもかかわらずだ。 世界の中の自己チュー国、日本。 それがどれだけ国家としての威信を損ねていることか。

昔ワシントン、ポトマック川に旅客機が墜落した。 極寒の川に落ちた生存者の男性が、他の乗客に救助ロープを譲っているうちに力尽きて亡くなった。 また東京の新大久保駅でホームから落ちた人を助けようと日韓の若者二人が飛び込み犠牲になった。 

日本の多くの家庭では三人の英雄をたたえる前に「人のいのちも大切やけど、あんたの命のほうが大切なんやから、あんなことしたらあかんよ」という会話が夫婦や親子の間で行なわれたのではないか。 自分の命があることはそれだけで尊いのではない。 たとえその命が犠牲になっても人のために世界のために生かせてこそ尊いのだ。 ただ金持ちで自己犠牲の精神のない利己主義国、いまの日本社会の貧しい精神が国際社会のなかでも反映している) 

山谷えり子さんに戻ります。『バグダッドでは「日本のお力によりこの学校を修理しています」と書いたTシャツを着てイラクの人々が働いておられました。 また亡くなられた奥大使が「これは日本が援助して作っているサッカー場なんです。 イラクはサッカーが強いんですよ。 もしアテネ五輪に出場するならこのサッカー場できっと練習します」とうれしそうに誇らしげに言われた笑顔を私は忘れることができません。

イラクから帰国したその日、夫が交通事故で瀕死の状態だと聞き病院へ飛んでいきました。涙を一粒浮かべて悔しそうに顔をゆがめていて、五日目に亡くなりました。 この世は悲しみと残酷に満ちています。 けれどもまた、同時にすばらしい恵みにもあふれています。 夫が亡くなるその日、長女が言い出したんです。   

「体が死んだくらいで何よ! 魂はこれだけつながっているんだもの、離れるわけないよ! お父さんの喜ぶ生き方をしよう。 いい子を産んで育てることだよ」、弟と妹にそう言いました。 息子は「ほめてくれる人がいない人生なんて無意味だと思えた。 でも、そうじゃないんだね。 これだけ愛してくれたことが記憶にあるのだから、お父さんの真似をしてりっぱな社会人、家庭人になって生きていけばいいんだ。 だから、愛は深まるばかりだよ」と言いました。そういう子供たちを見て「残酷のなかの恵み」ということを理解しました。 

夫は「お宅は塾をやっているんですか」といわれるぐらい近所の一杯の子供たちと遊び、食事の面倒もみていました。 お葬式にはその子供たちが何十人も来て号泣するんです。 亡くなるということは悲しいことです。 肉体が失われるのは淋しいことです。 だけど魂はいつも一緒になって「幸せになれよ、幸せになれよ」って言ってくれているんですよね。

横田早紀江さんとアメリカへ拉致問題を訴えに行った。 アメリカはすぐ世論が動いた。日本と違う反応に早紀江さんは「国なおしよね!」と言われた』 今こそ国を変えねば!

山谷えり子さんは週末の参議院選挙に自民党比例代表で出られます。 彼女は拉致被害者を救う議員連盟・副会長でもあり、日本の家庭と教育を救えと訴える女闘士、また遺族でもある。 私を感動させた彼女を私は応援しています。


            

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