八月三十日(月) 発信 nO七三 石黒大圓

いつもありがとうございます。 最近インターネットやホームページから学ぶことが多くなりました。 以前の石黒ほらふき古代史ワールドの「古代日本に古代イスラエル人(ユダヤ人)がやって来ていた」。 興味ある方は「聖書と日本」や「レムナント」、「日ユ同祖論」(ユ=ユダヤ)と打ちこんでホームページで検索してみてください。 また古代日本と古代朝鮮の関係については同じく「日本の中の朝鮮文化」や「日韓同祖論」を見てください。 ここには面白いネタ話が多いので、秋の夜長に日本のルーツ探索の旅ロマン列車に乗ってみてください。 

ところで、な、なんとあの「ブーイングの国」中国共産党支配下の中国へ私が行くことになってしまったのです。 九月十九日から三泊四日の上海、杭州、義烏への旅。 これらの三都市の卸売市場研修ツアーへ、我が商店街の二世経営者メンバー十三名とともに出発します。 団長兼準備・世話係の役を仰せつかりました。 中国のかの有名な悪臭漂う汚いトイレで下座の掃除奉仕行をさせてもらいましょう。  

昨夏以来、四六時中着ている紺の作務衣に踊りの鳴子入れの前掛け姿。 商店街の制服にしようとしてがんばって着ていますが、賛同して着てくれているのは下駄履物店の若店主一人のみ。 何軒もある卸呉服店の店員・店主は洋服姿。 きものを売る人は自ら着物姿になって呉服を宣伝すればいいのにと思うが、不便なのか。 呉服を売る人がきものを着ることを嫌がって何が呉服屋か。 きものを売る人が着物に愛着がないのに誰がきものを着るのでしょうか。 

文句いいながらの、番頭はんと「丁稚どん」というか、ソバ職人というか、坊さんというか、怪しい着物の格好の中年男。 ある時はオートバイに乗って、ある時は汗をかきかき、作務衣が民族服の一つとして市民権を得られ、普及してほしいと念じながら京阪神を歩き回っています。

私は作務衣を日本民族衣装のつもりで着ているのですが、そのままの格好で中国に乗り込みます。 「鬼子日本人」と呼ばれて石を投げられるかも。 飛んで来たら投げ返してやるつもり。 それか反日の連中のかわりに土下座でもしてやろうか。 公安警察・官憲ににらまれるかも。 そしたら「よさこいソーラン」の踊りでも踊って面食らわそか。 面白そう。 無事に帰れたらお慰み。

  前々回の続きの世界の国歌について

中華民国・台湾の国歌は建国の父、孫文の三民主義(民族、民権、民生主義)についての訓辞が元になっている。

 「三民主義は我らの尊ぶところ

  以って民国を建て 大同に進む

  同志の友よ 大衆の先鋒たれ

  朝な夕な怠ることなく ただ主義に従え

  心力を尽くし 勇気を奮い起こせ

  必ず信を守り 忠を尽くす 

  心を一つにし 目標をたがえず

  始めのごとく最後まで」

野蛮な中共の国歌を比べ、蒋介石に「怨みに報いるに徳を以ってなす」と言わしめた国である。 国歌に徳ある品性が感じられる。 しかしその国民党の中華民国も中国共産党との内戦に敗れ、日本が敗戦後台湾から離れた後、台湾に逃れた。 中国本土から侵入してきた外国人である国民党の中国人に対して反抗した台湾人は数万人も虐殺された。 中国人の本性は共産党でも国民党でも同じ。 漢民族以外は劣等民族なのです。 

  台湾原住民は人種的に漢民族とは異なり、日本の縄文人に近い。 台湾は日清戦争で中国から日本に割譲されたが、それ以前は風土病で移民が次々死んでしまう死の島だった。 道路も三〇センチのあぜ道しかないような未開の蛮族の島国であった。 それを日本は国家予算の何割も割いて台湾の国土開発に努め道路・港湾・農地開拓・医療衛生整備そして帝国大学まで作り教育普及につとめ、近代社会の基礎を築いた。 

  中国の南に台湾と同じくらいの島、海南島がある。 百年前は中国文化が及んでいて台湾より民度が高かった。しかし今、台湾は中国本土より二〜三十倍の収入があり、海南島は逆に本土の半分に過ぎない。 この差は何か。 人口の一割ほどに当たる国民党勢力が台湾に移住し、未開の地・台湾を支配したためか。 反抗的な原住民を教育して一気に近代国家にしたのか。  

いや、国民党が来る前にすでに日本が学童就学率九十五%までにして、精神教育によって台湾に近代的意識をもつ人間を生み出し、近代国家として経済的離陸ができるように準備していた。 また新渡戸稲造など当時一流の人材を台湾に派遣し教育や行政の近代化につとめた。 八田与一という東大土木科出身の技術者は当時世界一の技術で巨大ダムをつくり台湾の不毛の大地を大穀倉地帯に変え、穀物輸出ができるほどに農業近代化に尽力した。 彼は台湾農業の父として神のごとく慕われ、そして台湾のために殉死した妻とともに銅像が作られ、毎年農民によってその前で感謝祭が行われています。 

これらのことは前・台湾総統・李登輝氏が「武士道解題」のなかで述べている。 近代的な日本精神が台湾に移植されて台湾に近代的資本主義精神が育ったのだ。 「日本人に人間としての生きる道を教わった」と五十年にわたる日本統治時代を経験した老人たちは感謝している。 司馬遼太郎さんも「街道を行く」の「台湾紀行」でそのことを書いています。 そう言われるのが気に食わない国民党は日本統治時代を否定的に書き、台湾の歴史を無視し、中国本土の歴史ばかりを教える歴史教科書をつくり、若い台湾人を洗脳してきた。 李登輝氏はそれを改革し台湾人の誇りを取り戻したのです。 

欧州の植民地ではたしかに搾取が行なわれた。 インドネシアでは苛酷な労働で平均寿命が三十五歳まで下がり、インドネシアから入る収入はオランダの国家財政の三割にもなっていた。 イギリスでもインド支配が国家財政をうるおわせていた。 インドに機械織物を無理やり買わせ、そのためインドの手織物の業者や労働者が職を失い数千万人の餓死者を出し、インドの大地は白骨で埋め尽くされたといわれました。

日本は逆に国家財政の何割も台湾・朝鮮に投下し、これらの地域をいわば北海道開拓のように殖産興業によって発展させてきた。 これらの地域は日本国内とみなしていたから当然であった。 欧州でもかってスウェーデンとノルウェーや、チェコとスロバキアが合邦国家として連邦を形成していたことと同じである。 搾取されていたのは逆に血税を国内ではなく海外へもって行かれていた日本の納税者だった。 そのうえ台湾・韓国の方が税金が国内より低かった。 これに対して経済的に日本の損失になるとして、「台湾・韓国を放棄せよ」と主張していた政治家や学者、農民もいたくらいです。 

左派は世界最大の植民地国家・ロシア、ソ連、中国のことは書かず、日本を非難するが、真実は近代化に成功した日本の殖産工業化の波が東アジアに波及していったということだ。 同じことは次回の韓国についても言える。 これら日本の植民地政策の本当の姿を教えてくれる五百頁の大部の本、黄文雄氏「台湾・朝鮮・満州 日本の植民地の真実」がある。 彼は私の母校に留学生として来ていて当時私と同じ学部で学んでいたようだ。 日本人でなく台湾人に日本の本当の歴史を教わるなんて日本人として恥ずかしい。

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