九月三日(金) 発信 nO七四 石黒大圓

今回から新しいあるメール仲間の方からのアドバイスでメールの方にだけこのよう

に読みやすく保存整理しやすいように変更しました。 FAXの方には縦書きでび

っしり書いているので変更できません。 どんどんアドバイスをお知らせください。

 

今号のテーマ 雨の炊き出し/精神病/強い魂/祈り/霊的遺伝子のON/苦と進化の意味

 

雨の中の炊き出し

 いつもありがとうございます。 今週の大阪駅前の炊き出しはまた雨。 先週も雨でおにぎり配りはできたが、掃除がまたできなかった。

今週は台風の直撃を予想して中止かとおもったら、もう米を洗ったというので決行。 二十人ほどしか来ていなくて一つ多めに一人二個づつ配る。 残った分を周辺の野宿者に配ろうと三人で大阪駅、阪急・阪神梅田駅、第二ビル周辺や地下をうろうろ歩き回る。 毎冬恒例の寝袋配りのコースである。 懐かしい。 今年はどのくらいのカンパが集まるか。 三年続きではむずかしいかもしれないな、などと考えながら歩く。 

「ここにいた半身不随の野宿者は連れて行った病院から出てしまってどうしているのか」とか 「あそこに親子連れがダンボールで寝ていたな」とか。 「あっ!ダンボールの寝床がたくさんあったのに柵が張られて撤去されている」とかしゃべりながらの男三人道中。 ホームレスでない人に「おにぎりいりませんか」と聞いて恥をかいたり、普通のオバサンかと思ったら野宿をしていると教えられて、家庭内暴力か借金から逃げてきているのか、と考えてみたりとか、いつも通りの珍道中。 

仕事がなくてじっとしていたら気楽を通りこして気が変になるな、と皆の姿を見てそう思う。 エアコンのある病院で、何もしなくてじっとしていても一週間も体がもたない。 失業したり定年退職してじっと家にいて、やることがなかったらストレスがたまってどうしようもないと聞く。 人は社会的動物。 仕事を通して人と群れていなくては精神の安定が保てない。   

まして家族もなく自然もない都会で、猛暑や寒風吹きすさぶ屋外での生活。 気が変になってしまって当然だ。 大阪駅北口にはいつも中年の女性が地面に寝ている。 シスターと親しいらしいが精神を病んでいるようだ。 多くの女性野宿者は精神を病んでいる。 こんな人は特別に雨露がしのげる所に収容してもらえないのだろうか。 行くとしても精神病院だろう。 

精神病院

先日、岸和田の精神病院へ釜が崎から入院している人をFAX仲間と一緒に訪問した。 きれいな病院の形はしているが、ここは社会から遮断された牢獄のようなところ。 同じオリなら動物のサファリパークのように外周にオリをつくって自然のなかで暮らさせてやればいいのに。 自然に触れている間に正気にもどる人も出るだろうに。 人間はもともと森の動物であり、自然から離れて生きたら精神を病む。 

ここでは妄想者や粗暴者を抗神経薬で精神活動を抑制させて、死ぬまで生き永らえさせる。 ここは地獄、しかし本人の心は向こうの世界へ行っているので天国かもしれない。 何人もの中年女性を見た。 雲の上を歩いている夢遊病者のようだった。 しかし自意識がある人にとっては、考えようとしても薬で頭がボッーとして考えられないのが苦痛のようだ。 同じように末期のころが実家で在宅闘病していた時、妻の兄がモルヒネを勧めたが、人格崩壊してしまうと恐れ、口論してまで拒否し最後まで使わなかった。 今のホスピスでは人格が変わるほど強いモルヒネは使わなくて、ただガンの鎮痛を抑えるためにうまくコントロールしている。 

私が面会した元・野宿者患者の一人は四十歳代で、幼いころ崖から落ちて以来、てんかん症状がときどき出て仕事を転々と変えて生きてきた。 母ひとり子ひとりの生活でつらい人生を過ごしてきた。 酒におぼれて肝臓をやられ、買春で移されたのかC型肝炎になっているという。 また重労働が腰にきてヘルニアになっている。 苛酷な人生を生きてきて釜が崎にまで落ち、いま精神病院で一生を終えようとしているのか。 以前の面会記録によると入院前はドラエモンのジャイアンのようにおおらかで明るかったのに、今はシャイアンと呼べるほどシャイな面持ちになっている。 散歩もできないここから早く出て仲間に会って一緒にパチンコをしたいと訴えていたのが印象にのこる。

強い魂

  この人々は劣等人種・因果応報・自業自得だろうか。 宗教や精神世界を知識だけで知っている人にさえそう思われている。 一部は自己責任もあるが。 いや違う。 私はこの人々の心の底にも光り輝く魂があり、未来永劫生きつづける生命体があると思う。 その神の似姿として作られたその「いのち」は自分の前世、今世、来世をすべて知っている。 この世での人生の目的を、自分の永遠の輪廻転生の中の計画の一部として十分理解して生まれてきていると思う。 

そしてわざわざ苦しい試練の人生を選んで今ここに生きて、魂のより高い向上を図っているのだ。 他人より苦しい人生を喜んで選ぶだけの強い進化した魂なのだ。 失業・野宿・精神病院、こんなつらい人生を弱い魂がわざわざ選ぶだろうか 彼らは過酷な人生を選んでこの世に飛び込んできた特攻隊員のような強者なのだ。 私の次男の短い苦しい人生を考えるとき、彼も強い子だったんだと誇らしく思う。 そして残された者が、苦しみを乗り越え、真理を知り、魂を高めるように生きること、それを教えるためにあの子はこの世に来てくれたのだと感謝するのです。

0祈り

先日育児ノイローゼからウツになって精神病院にいれられた若妻のことを聞きました。 目に生気なく力なく開きっぱなしで、夜は寝られず育児はできない。 結局本人の希望で病院に入ったが、ベッドに手をしばられて悲惨なありさま。 話された義母の方も家族も知人もみなで必死に祈った。 その成果か、しばらくして少し正気になられ、赤ん坊を抱いて面会の別れに立って出られるまでになったとのこと。 

魂からの祈りが正気を失った人の心の底というか霊の次元にまで届いたのです。 人間は決して唯物的なものでなく、目にはみえない姿と二重になった霊的な存在なのです。 先日「祈りのちから」という笑顔教室の野坂礼子さんの通信からの文章を添付で送りました。 そのなかにあるように、祈りが空間を超えて効果があるということは、人は家のなかにいて他人のために祈るだけで世のため人のために貢献できるということなのです。

0霊的遺伝子のON 

  サムシング・グレートを唱えられている村上和雄筑波大学名誉教授は人間の遺伝子は生まれたときに決まったままで変化しないのではない。 人間の意識によって遺伝子の働きは変えられるといわれる。 研究によってたとえば、笑いや感動の涙は糖尿病やガンの遺伝子の働きを抑制するといわれる。 人間の意識によって遺伝子にON・OFFのスイッチが入る。 心の働きによって人は自分の健康も人生もコントロールできる可能性があるのです。 

遺伝子はひょっとしたら霊的魂の一部かもしれない。 だから霊的祈りは直接、霊的遺伝子に受けとられるのだろう。 霊的遺伝子がOFFになることによって自分や他人のウツや病いの症状が消え去る。 祈りによって人は自他とも幸せにすることができるのです。 特に感動が遺伝子をONにさせて人を活発にさせる、と村上氏はいわれる。 感動が人間の意識を変え行動を変えさせる。 私の通信も感動を伝え、行動につながってほしいとつづけているのです。 けっしてウヨク宣伝通信ではないのです。

  また科学的と称する唯物論は見える世界だけが唯一と唱える。 それが主張するのは人体が原子と分子だけで出来ているということだ。 しかし見える世界と見えない世界の間にいるのが人体だ。 また人体の細胞は自分だけでなく、自分以外の細胞をも生かすようにコントロールしながら日々働いている。 唯物的遺伝子論では利己的なガン細胞の説明はできても、このような利他の働きを分子レベルで説明できない。 

  また村上教授はストレスが遺伝子に影響を与えて病気やウツにしてしまうこともあるが、逆の場合もあるという。 その例として拉致被害者・横田めぐみさんの両親をあげている。 普通の親が娘を奪われた上に、日本政府の無視に直面して、心崩れることなく立ち向かったその気迫は、遺伝子がONとなった証拠を雄弁に証明しているとする。 過酷な運命と闘っている強い魂・強い遺伝子の持ち主がここにある。

0苦と進化の意味

  人間の遺伝子はけっして楽な人生では開花しない。 生老病死の苦しみを乗り越えることによって遺伝子は強化される。 神・仏の意図は強い遺伝子をもつ生物によって宇宙は進化・発展していってほしいということなのだと思う。 

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