9月27日(月) 発信 bR80 石黒大圓

 Eメール ishiguro@a1.heysay.net

 

今回のテーマ 病気の猫と私の体験/ペットの死から考える人間の生と死/モンロー研究所

 

いつもありがとうございます。 中国事情の2回目を書く予定でしたが、先に病気の猫のことを書きます。 中国旅行見聞記などこの通信の好みではありませんので。 今の共産中国からは精神的なものは全く学べませんし。 

「いのちと出会う会」の広報としてのこの通信は本来、死の準備教育、今回のように「死から生を考える」ために発信しています。

 

政治や歴史についての発言は、戦死された父祖を「犬死」「人殺し」と冒とくする人々。 その人々に対して遺族の立場から反論している、本来は例外的なものなのです。 日本のため、家族を守るために「いのち」を捧げられた英霊を慈しんでほしいと願っているだけなのです。

 

猫の病気

死にそうにへたり込んでいるオス猫の邦之を堺の夜間動物救急病院へ連れて行って判明したのが、急性腎不全。 採尿袋には真っ赤な血尿が出ている。 

以前ある社長が、経営がうまく行かずストレスで赤い尿が出たという話をされたことがあった。 腎臓が傷ついて出血しているのだ。 かわいそうに。  

何か化学物質的な毒物を飲み込んだのか。 感染症か。 週末は別の病院へ入院して点滴。 週末が山だと言われた。 次男が末期のころ医師から「覚悟してくれ」「覚悟してくれ」と言われた言葉がまたよみがえる。 

「なんであの子が死ぬなんてことに」「なんでこんなことが起こるんや」「誰か助けてやって!」「止めてくれ!」 止まらないジェット・コースターに乗ったような、あの時の心の叫び声がふたたび聞こえる。

 

土曜日は経過良好で安心したが、日曜日は悪化。 一進一退が続く。 腎臓が尿素やカリウムを排出できないと心臓が止まる。 生きて生還するか、死体で退院するか。 

良い結果がでたとしても腎臓のダメージがきついと腎臓透析になる。 猫にはそれはできないので、家で家族に見守られながら死を待つ在宅ホスピス状態になる。 二人も邦之が死ぬなんて、気が重い。 

 

邦之という名前

猫に人間の名前をつけた理由は以前から通信を取っていただいている方はご存知ですが、最近の方に説明します。 

2年前に両親が半年の間に次々と亡くなり、両親が住んでいた今の家に私は引っ越してきました。 両親の初盆の日に月参りでしかも初めてお寺さんがこの家に来られたときに子猫が顔を見せたのです。 

天井裏で野良猫が産んだ赤ちゃん猫が壁をつたって落ちてきたのです。 壁の中から出られない所を消防の救急隊に助け出されてご対面となりました。 

 

1週間後に他の店でも赤ちゃん猫が落ちてきたといって持ってこられ、それも私が引き受けて育てたのです。 長男が神戸の大学へ進学し、下宿住まいとなり、私が1人住まいを覚悟していた時に。   

しかも両親の初盆の頃にオス・メス2匹が来た? 出来すぎの偶然です。 

先に亡くなった妻と次男を両親が連れてきてくれたとしか考えられなかった。 それで2匹に妻子の名前、佐知子(さっちゃん)・邦之と名付けたのです。 

 

死の淵にいる邦之(くーくん)に対しては、あとは祈るのみ。 元気な邦之の姿をイメージし、かって妻に施した病気の治療をする「レイキ」の遠隔療法を試みています。 短いマントラを唱えシンボルを空中に描き、手を自分の腎臓の位置に置き、入院中の猫にエネルギーを送ります。   

 

墓参り

土曜日に、猫のために時間をとられて行けなかった彼岸の墓参りに行ってきました。 昔、次男が末期のころ、石黒家の旧墓があった大和郡山へお百度参りに行きました。 7月の暑い時に20日ほどでしたが長男も時々連れて行った思い出があります。 

先祖さんに次男を救ってほしいと願いに行ったのです。 本当は墓参りとは願い事のためにいくのではなく、報恩・感謝のために行くのが本来の目的です。 

しかし死にゆく子供を助けたいとわらをもつかむ思いでした。 今度も願い事はしなかったですが、やはり助かってほしい。

 

ペットの死

木曜日に初めて行った夜間動物救急病院に入ると、すすり泣きが聞こえてきた。 手当てが間に合わずに死んだ犬に取りすがって飼い主が泣いていた。 妹の家でも老犬に元気がなく皆が気が気ではない。 

ペットが死んでウツになる人がいます。 家族同然で10数年生活してきて家族の死と同じように受けとめるのは当然だ。 

キリスト教では天国へ行けるのは人間だけといわれるが、私は動物にも天国があると今は思っています。 「1寸の虫にも5分の魂」というではないか。 万物の霊長、人間にだけ霊界があると考える方が傲慢である。

 

森羅万象すべてに魂がある

犬にも、猫、猿、イルカにも人間にも劣らないほどの感情や愛情がある。 動物が進化、高度化させてきた感情や愛情を人間が受け継いだのだ。 

「機能があるものには全てに魂がある」とは、「ありがとう」と日頃何千回も唱えることで人生の善循環できると、推奨されている小林正観さんの言だ。

宇宙開闢以来すべての物質は進化し、より多くの機能を獲得しつづけ、魂のレベルを上げ、植物になり、動物、猿、人間になってきた。 

石ころにも、草木、机、蛍光灯などなどすべて機能あるものには「いのち」としての魂がある。 人間だけに特別の存在として魂があると考えるのは傲慢以外のなにものでもない。

  

神秘体験

死にゆく多くの人々の最期を看取り、名著「死の瞬間」を書かれ、全世界の医療関係者や学者にショックを与え、人々が死について真正面から見つめる契機をつくられたキューブラ・ロス女史。 彼女は石も道も樹木もまわりのあらゆるものがドクドクと脈打っているのを感じたという神秘体験をされた。 

また井村和清医師は「飛鳥よ、そしてまだ見ぬ子へ」の著書のなかで、自らのガンの宣告を受けて病院のそとへ出た時、まわりのあらゆるものが光り輝いて息づいているのを感じたという神秘体験をされた。 

すべて宇宙に存在するものには「いのち」があり、魂がある。 特に人間はこの世とあの世とに同じ魂のある人格として生き続けるのだ。 妻子を亡くしてから学んだこれが私の結論です。

 

モンロー研究所

いま書店の店頭に並んでいる本で「死後体験」というものがあります。 読んではいませんがアメリカのモンロー研究所という所での実験結果から霊界の存在を証明しようというものです。 最新の電子機器により脳波をコントロールして、人間の意識を霊界へ導き、亡き人々に会うという体験をさせてくれるものです。

モンロー研究所へ行き、実際に亡き息子と霊界で再会したというアメリカ人と結婚されている日本女性の話を1年前に聞きました。 亡きおじいさんやおばあさんと霊界のレストランで食事している息子に会っておられる。 

また亡くなったペットや馬もそばに一緒にいた。 天国ではこの世と全く変わらない生活をしているのです。 荒唐無稽な馬鹿話と思われる方はそれも人生観だからいいですが。 私は事実と信じます。

私にはこの死生観があるからこそ妻子の死を乗り越えられた。 たとえ猫の邦之が亡くなることがあったとしても落ち込まないと思います。 

  

前世で人生を設計してきた

良寛さんは地震でも愛しい人の死でも、来るものは来る。 何が来てもあるがままで受け入れよ。 そのように覚悟することが災難からのがれられる1番の方法だといわれた。 

 

災難は誰のせいでもない。 前世で自分が決めてきた人生の道筋の1つだ。 誰が悪い。 彼が悪い。私が悪かった。 あの時ああすれば良かった。 ああしてあげれば良かった、と悔いが残る。 苦しみの堂々めぐり。

 あれしか道がなかったのだ、とその自責と後悔の連鎖を止めなければ、さらなる悲劇が生まれる。 

けっしてあきらめの逃げの姿勢ではない。 自分がこの苦難の結果を選んで生まれてきたんだ、と思い切ることだ。 すべての責任を自分が背負うのだ。 そうすることで苦しみの連鎖を止めて、試練を乗り越え立ち直り、強くなっていく。

そして苦しみにじっと耐えながら歩んでいる私に手助けようといつも神仏が見守ってくれている、と信頼することだ。 

涙を流しながら我が子の成長を見てくださっていると感じ取るのだ。 つらくとも神仏への感謝とその恩に報いる道を求めようとすることだ。   

  

戦前の戦争への批判は、この後悔と責任追及の堂々めぐりに明け暮れて、憎しみの連鎖に陥っている。 そこからは魂の深化は生まれない。

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