10月8日(金) 発信 bR83 石黒大圓

今回のテーマ 「日本の「いのち」を求めて

 

いつもありがとうございます。 明日「大阪生と死を考える会」(遺族が多い)で「日本(民族)の「いのち」を求めて」の題で私が話をさせていただきます。 「いのちと出会う会」から、なぜ「日本のいのち」を求める通信が始まったのか、今までの通信の内容を整理してみました。

 

ホスピス

大阪生と死を考える会のリーダー、谷壮吉先生はクリスチャンですが愛国者です。 日本を憂うる発言をされてきて私に影響を与えていただきました。 

先生はホスピス病棟を作るために病院理事長に請われ関東からやってこられた。 しかしその病院は左派の労働組合が支配し、結局ホスピス設置に反対され退職されました。 

死んだら終わりだ。 医療者は患者がどんなに苦しもうと生かさなくてはならない。 痛みだけ取って死ぬのを待つだけのホスピスを病院内に作ったら、あそこは治療しない、死なせるだけの病院だとの評判が立つ。 そのような施設設置には反対だ」と。 

人間の最期を美しくして終わらせてあげたい。 たとえ亡くなるとしても来世に希望を与えて、本人も残される遺族にも心の平安を持ってもらいたい」 そのような考え方は「あの世などない」「死んだらゴミになる」と考える唯物主義者には理解できないのです。 

 

唯物主義への反感の1つはここから始まりました。 

 

もうひとつの戦争展

また昨夏初めて行った「もうひとつの戦争展」で目を見開かされました。 

日本占領軍最高司令官マッカーサー将軍は戦争を起こした日本がいかに残虐な民族であったかを世界に知らしめようとした。 そのため東京裁判を行い日本は侵略者であり世界は大被害をこうむったとして見せしめに戦犯を処刑した。 

しかし後年マッカーサーは「あの戦争は侵略戦争ではなく、日本が民族存亡をかけて自存自衛のために戦った戦争であった。 東京裁判は誤りだった」と米議会で証言していると知りました。

しかしこのことは日本では報道されず、未だに日本はひどい国だとマスコミは宣伝している。教科書でもそのように教えられ日本の子供たちは祖国に対する誇りを失ってしまっている。 

また中国・韓国からの謝罪要求で土下座外交が行なわれている。 戦後六十年も経っているのに、いつまで日本の罪業をあばき立てれば気がすむのだろう。 戦犯処刑も国家賠償も国民懺悔もやり尽くした。 

通常の裁判でも60年もまえの事件を今も恨みに思っていたら異常性格と思われるのに、未だに非難されっぱなしで、また謝りつづけているのが日本だ。 このような片寄った歴史の見方は改めなくてはいけないと思う。  

 

いのちと出会う会

私の「いのちと出会う会」では生老病死の苦しみを乗り越えてこられた方々のお話を聞かせていただいて、胸熱くし、また明日もがんばるぞ、と皆さんに感動していただけたらと思い、続けています。 

この会において、日本が近代世界の荒海の中を幾多の苦しみを乗り越えながらいかにすばらしい国を築いてきたことか。 日本国家がひとりの話題提供者として語ってもらったら、どれほど多くの方々に感動してもらえるかと思いました。 

従来の自虐史観の考え方とは異なる「教科書に載らなかった日本の歴史像」を知ってもらいたかったのです。 その思いで私の通信で「日本のいのち」を書いてきました。

 

日本への目覚め

私は幸いにも20代にアメリカへ行き日本に目覚めました。 祖国日本という意識が生まれました。 ハワイでは日系人老人に会う機会があり「日本人はアメリカにだまされている。 日本の本当の歴史を学んでほしい」と遺言のように言われました。 

真の国際友好はお互いの歴史を尊重し認め合うことであり、恨みと憎悪と謝罪の繰り返しで解決するものではない。

 

拉致

また今回の拉致問題では、私は拉致家族の心情を私たち遺族のものと同じと考え共感をおぼえました。 突然いなくなったあの人は、あの子は今どこにいるのか。 幽霊になってでも出てきてほしい。 また会いたい。 

私たち遺族と同じ苦しみを二十年以上も味わい続けられた。 そして戦後、占領軍やマスコミ、政府にだまされ続けてきた日本人の意識を変えていただいた。

 

以下はある古い本からの引用です 

『私の講演会が終わった時、腰のまがった90歳近い老婆が肩をふるわせながら、のどをひきさくような悲泣の叫び声で訴えました。 

「私は長男を、フィリピンで戦死させました。人の命は地球より重いという人がありますが、我が子を失った以上の悲しみがありましょうか。

 

靖国の宮にみ魂はしずまるも おりおりかへれ母の夢路に

  

あの子は今も出征した時の凛々しい姿で、何度も夢枕に立ちます。 私はここ40年間、毎日陰膳を供えてきました。

  ところが、これから使われる教科書は、「侵略」と書くそうですね。 私の子は侵略戦争をやったんですか。 あの頃の日本人はみんな侵略戦争に取り組んだんですか。 

どうして日本が悪かったと教えなければ、いけないんですか。 私はこのことを聞いたら、何日も眠れませなんだ・・。

  敗戦直後は犬死とさげすまれ、今度はもっと不名誉な侵略者にされてしまいました。 戦死者をどれだけバカにすれば、気がすむんですか。・・グチはこぼしたくありません。 

せめて私だけでもあの世へ行って、「お前は良くやった」とほめてやります。・・・よろしくお願いします」』。

 

祖国のために尊い「いのち」を捧げられた英霊の心を教えずして、なにが教育ぞ。 なにが歴史ぞ。 戦没遺族も病死遺族も同じ思いだ。 簡単にあの戦争を非難し、後悔し、責任追及することで亡くなった方々が喜ぶのか。 

亡くなられた方々の名誉を守らなくては、彼らは死んでも死に切れぬ。 私も妻子には「病いとよく戦った。 良くやった」とほめてやりたいです。 

 

すばらしい日本

アインシュタイン博士は大正時代に来日し「神よ、このようなすばらしい日本という国をこの地球上に残していただいて感謝いたします」と言われた。 

また戦国〜明治期に日本を訪れた外国人は日本人の姿を見て驚嘆の声を上げている。 これほど善良で名誉心が強く親切で礼儀正しい国民がこの地球上に存在していたとは! 

このことは神戸震災の時にも、外国のマスコミは、暴動も起こらず規律正しく黙々と炊き出しの列に並ぶ人々。 たがいに助け合い、わずかな救援にも感謝する人々。 その姿を驚きをもって報道した。 100年前の古きよき日本人の姿が今も生きていたのです。

 

和の精神

大阪では野宿者が約1万人もいて、1年間に200人も路上で亡くなる。 その姿が妻子と重なるので私は野宿者支援にかかわっています。 こんな悲惨な状況で外国のように暴動を起こそうと思えば起こせるが、じっと耐えている。 

彼らの心に社会に対する憎しみはない。 彼らの心のなかにも昔の聖徳太子の「和の精神」がある。 美しい日本の伝統がこんな所にも生きつづけているのです。 

 

心病む日本人

しかし今、年間自殺者3万人。 将来への希望なく自信もない。 そして日本の人口は減り続けている。 国際比較でも日本の若者は自分自身、両親そして日本という祖国にも誇りを持たなくなってきている。 

日本人は心病んでいる。 日本の良さを語る人なく、大自然や神仏からの恵みに感謝することもなくなって来ている。 

 

日本精神

感動の映画「ラスト・サムライ」で表現された武士道はけっして戦うために生まれたのではない。 人間として美しく立派に生きる道として日本人の心をとらえてきた。 

それが日本精神として世界の人々に自分を律して生きる道として学ばれてきて国際貢献にも役立っている。 そしてこの伝統的につちかわれた倫理・美徳が日本の焼け跡からの驚異の発展の力となった。

 

他者への慈しみ

日本の良さはまわりの人々や環境と美しい関係を作ろうとするもの。 聖徳太子は「貧しく小さくされた人々」へ慈悲のまなざしも持っておられた。 この仏道を身につけ、社会の底辺にいる人々に手を差し伸べる日本の美しい伝統も忘れられつつある。

 私たちは遺族として苦しみの中から人を慈しむ気持ちを学びました。 このすばらしい「日本のいのち」の伝統を次世代に伝える義務が私たち遺族にはあると思う。

 

日本の「いのち」の流れ

ユダヤ教のラビが伊勢神宮を参拝して「このような古代の神殿が今だに存在し崇敬され守られている」と感動し号泣された。 数千年の悠久の歴史を持つ日本の「いのち」の流れを自覚し誇りを持って生きたい。 そして美しいこの祖国や家族を守るため亡くなられた方々の遺志をついで、子孫として我々が、特に我々遺族がこの国を立派な国にしていく責務があると思うのです。 



        いのちの風 縁の花支縁サイト

        縁の花 トップページに戻る

        縁の花村 トップページに戻る