11月12日 (金) 発信 bR89−1  石黒大圓

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清掃する野宿者 

大阪駅前の炊き出しのあと一緒に清掃してくれる野宿者の常連が減ってきました。 仕事が見つかっていっているようです。 私が車に衣類やおにぎりを満載にして到着したら、常連の人々が荷物運びをするのに待っていてくれる。 自主的に動いてくれる。 

掃除は10人限定でやっていて、おにぎり2個を余分に渡しています。 常連が減って、人数も減り、初めて掃除する人が多くなり要領のわからない人が多い。 また自主的に荷物運びにきてくれる人もすくない。 前もって連絡して頼まないと来てくれない。 

 

先日常連の2人が自立支援センターへ入所でき、「お世話になりました」と挨拶に来た。 住んでいる住所を明示しないと求職活動ができないので、センターに入居して仕事探しが始まる。 

しかしセンター入居も長い順番待ちで、仕事の斡旋もしてくれない。 半年間に見つけられないとまた野宿に戻らざるを得ない。 だが確率として清掃に加わる人は仕事にありつける人が多い。  

それだけ掃除に意義を見出せる人ほど社会復帰の志が強い人なのだ。 これからも清掃に力をいれて話し合い理解しあい、志の高い人々となってもらえるようにがんばりたいと思います。

 

大阪駅前のゴミ 

大阪駅前のゴミ、食べかすやタバコの吸殻のひどいこと。 拾うしりから捨てられていく。 まるでイタチごっこだ。 誰も掃除をしなかったら大阪の玄関口はゴミの山になって、恥ずかしくて私は大阪人ですと言えなくなる。 

公衆道徳などあったものではない。 特に若い人々がひどい。 自分の住む都市に対する愛情がないからこの町をゴミ捨て場にしている。 

愛国心は軍国主義の始まり」と考える人々が、郷土に対する愛着や国を大切に思う気持ちを若者の心から取り除いてしまった。 街を自らがゴミの山にしておいて「誰かが掃除してくれるだろう。 それは政府や行政の仕事だ。 税金を払っているのだから彼らがやればよい」と考える人々がいるからだ。 

 

愛国心はまずは街のゴミ拾いから。 私の愛国心は観念的なものでなく、実践の中からも感じるから声を大にするのです。 観念的に愛国心を叫ぶ人間がゴミを道端に平気で捨てている。 環境問題に理解ある者がタバコをふかし、タバコを道端に捨てている。 

悲しいことだ。 国を愛することが街を愛することにつながり、同胞としての隣人のことを気にかける心遣いを育てる。 

私にとり日本にいる限りが外国籍の人も日本人同胞です。 ただし日本に住んでいることに誇りと愛着を持っていることが条件ですが。 

 

そうして自分の国を愛するということは、自分の国がいかに他国のおかげで存立しているかという「他国への感謝」につながる。 「私の願いは、大人になるまで生きること、ただそれだけ」と語る世界の最貧国の子供たちの声に涙するのも、いかに日本は恵まれているかを感じるからだ。 

繁栄の裏には常に恵まれない国や人々がいる。 自分を愛し他者をいとおしむ慈悲の心が愛国心を育てる。 また本来の意味での個人主義。 あなたの人格も私の人格もともに尊重するという考え方も、本来の愛国心に似る。 

現在の中・韓や戦前の日本の狂った愛国主義イデオロギーは自己チュウと同じで、本来の愛国心とは全く別のものだ。

 

野宿者から自殺者

大阪城公園で首吊り自殺者がここ1年で40人もいたという。 早朝ランニングしていて見つける人がいる。 ショックで立ちつくす。 

大阪城や中の島、桜の宮そして市内各所の公園にはブルーテントで住む人々が多くいる。 これらの人々は自由人のように見えて一見、気楽な人生を楽しんでいるように見える。 

木々の下で将棋をしたり、昼間から寝ている姿をテレビで見てそう感じる人もいる。 また以前働いていて年金が入ってきて何とか生活できている人もいる。 

 

しかし人間にとって仕事と言うものがない生活がいかに虚しいものか。 仕事というものが人間の精神衛生上いかに重要なものか。 なんでも失って初めてわかる。 

やはり先行き希望の無い生活、日々働く充実感のない生活は気分をウツにする。 特に病気を持ったときの精神的な衝撃は大変なものだ。 相談相手もなく、生きていても仕方がないと思う。 首を吊る気持ちもわかる。 本当は踏みとどまってほしいが。

 

外国には専門のカウンセラーがつく国があるが、日本では夜回りの人々が体調を聞いてあげて相談にのってあげるだけだ。 来週の私の「いのちと出会う会」の話題提供者、片岡さんは毎週土曜日夜に釜が崎の夜回りに参加されています。 ぜひご参加を。 

孤立した人は独居老人と同じで精神を病みやすい。 病院で闘病する人、愛しい人を亡くした人もむなしい毎日を過ごしている。 横にいて手を握ってあげるだけでどれだけ癒されることか。 

1人ぽっちではないんだよと。 皆こころ寂しく貧しく小さくされた人々なのだ。 その人々に接することでこちらも癒される。 

 

寝袋配りを始めます

夜が寒くなってきました。 今年も寝袋を配り始める時期になってきました。 私が配布活動に参加して通信でそれを伝え、カンパを皆さんからいただくようになって、2年間で約2000個配ることができました。 

今年も寒波が入ってきて寝袋が手に入り次第動きます。 今年はすでにカンパをいただき5万円ほど資金ができ、1個800円の中国製がまずは60個あまり買えます。 60人の命が救えるかもしれない。 今年も大阪で野宿の凍死者が出ないことを祈ります。 

 

大阪で一年間に路上で凍死や餓死などの行き倒れで亡くなる者200人。 おもに野宿者であり、病院に搬送されてから亡くなる者700人。 私は妻子を病いで亡くしていますので、この人たちを放っておけない。 妻子の代わりにせめてこの人たちを救いたいとすぐに動きました。

この豊かな国・日本でこのようなことが行なわれていることは日本人の恥、大阪人の恥です。 せめて寝袋の中で暖かい夢を見てもらいたいと思います。

配布は11月末ごろの土曜日夜から毎週始め2月までやる予定です。 ブルーテントで生活している人々には寝袋は配っていません。 

寝袋の数も少ないし、路上でしか寝る所のない人が優先ですので。 私の車に寝袋70個ほどを満杯に詰め替えて行きます。 いつも西成の山王商店街へまず行きます。  

 

ここへは毎週行っても30個は配れるくらい、多くの野宿者が移動してきて路上でダンボールの中で寝ています。 昨年行った時には中年女性が家庭内暴力から逃げてきたのか、着の身着のままで路上で寝ようとしていた。 会えてよかったと心底思えた。 

また酔っ払いの老人が小便をもらしたまま寝ていた。 祖父や父のように思えた。 「凍えて死ぬで」と無理やり冷凍マグロのかたまりを入れるように寝袋に押し込む。 汗臭さと酒臭さ、体臭が鼻をつく。

 

寝袋配布のお手伝いをしていただけませんか 

残念ながら車は寝袋で満載なので同乗はしていただけません。 釜が崎近くの新今宮駅あたりで夜の9時ごろ待ち合わせということになります。 配布時間は彼らが商店街に寝に来る9時以降に始めて、終わるのが10時半頃になります。 

大阪駅周辺の野宿者へは駅前炊き出しのメンバーの1人が寝ている人を確認しながら深夜に配ってくれています。 炊き出し現場では配りません。 実際の様子を見ながら手間ですがやってくれています。 

寒い時期には駅周辺では普段は暖房がある地下にいて、それから深夜に追い出されて地上で寝るので、11時頃でないと寝ている姿を確認できません。 私たち車組2人も時々、車満載の寝袋を持って行き、阪神・阪急駅周辺や第2ビル周辺でも配布しています。   

 

時間的に無理な方は、GU企画の北出さんがやっておられる「ろくな者じゃの会」へご参加ください。 不定期ですが夜7時ごろ集合して、歩いて市内を回りながら配っていて解散は9時ごろです。 (電話は6768―0454) 私は2年前にここに参加してから寝袋配りを始めました。   

 

新潟地震や台風での被害と重なりカンパが今年は昨年並みに集まるかどうかわかりませんが、先に自腹を切ってでもやっていきます。 寝袋を一緒に配っている相棒は先月、台風被害のあった豊岡へ支援に行きました。 泥だらけになって帰ってきたそうです。 

そんな心意気の人々に支えられ大阪でも命を救う活動が続けられることに感謝します。 皆さんには年末で入用なことが多いと思いますが、

 

防寒衣類も含めて少しでもご協力いただけましたらありがたいです

寝袋支援カンパ振込先 (口座名はともに石黒大圓) 

三井住友銀行・船場支店 普通預金 1858882

郵便振替 009908110746 

 

日本熊森協会

熊による被害が最近報道されています。 以前に「日本熊森協会」からの情報で知ったのですが、熊が山から下りてきて山里の食料を盗む原因。 それは冬ごもりのため餌を十分に食べておかなくてはならないのに、山に餌がないためです。 

これは環境問題の象徴です。 建築材料になる杉やヒノキばかりを植林して、木の実がなる広葉樹がなくなってしまい山の動物の食体系が悪化したのです。 イノシシも猿も降りてきています。 

 

林業が廃れて間伐がされず森が暗闇になっていき死んで行っています。 森の土壌が荒れて大雨が降ると表土がいっきに流れ出し、土石流になって人が死んでいます。 

昔のように森やその土壌が生きていれば、ゆっくりと雨水の排水をして大雨でも被害はなかったのです。 微生物が多く生きている山の土の中を通った水は、きれいな川となって海にそそいでいました。 

微生物もいない荒れた森から流れ出る栄養のない川の水は海の生態系も壊し始めています。 このまま放置すれば日本の海も死んでいきます。 

 

熊はそのことを人間に教えにきてくれているのです。 アイヌは熊を神の使いとして尊重していました。 その熊を殺してはいけないのです。 

日本熊森協会は「熊を殺さないで」と訴える尼崎の中学生の運動から始まりました。 熊は天からのメッセージをたずさえて殺されるのを覚悟で、山から降りて来て日本の環境危機の重大さを知らせてくれているのです。 

  

日本熊森協会はドングリを山の動物の食糧として山へ運んだり、木の実がなる樹木の植林を続けている実践型の環境保護運動団体です。 そこでの貝原・元・兵庫県知事の講演内容を私の通信bQ07に入れました。 

「自然への畏敬とそこからの恵みに感謝する日本人のすばらしい感性。 かって来日した外国人が賞賛したその古来からの日本人の資質を取り戻してほしい」を訴えられていました。 

彼らは山の動物に炊き出しをし、私たちは都会のなかの野宿者に炊き出しをする。 同じ憂国の「こころざし」です。 左記は同じような志の人々の活動団体です。

 

ドングリを集めて森をつくろう木になる夢銀行」へドングリを持っていこうードングリの苗木を育てて森をつくろう、里山を守ろう、森を守るボランティア募集中(大阪みどりのトラスト協会6949-5705)

 

個人ボランティアによる千二百食カレーの炊き出し

先日の日曜日に釜が崎あいりんセンター横で月に1度日曜日にやるカレーの炊き出しに、私も久しぶりに参加しました。 長引く建設不況やゼネコンの倒産で仕事が激減し、とくに高齢者の建設労働者には仕事がない。 釜が崎の職安へ行っても若者でさえ仕事にあぶれる。 

生まれた時からつらい人生を背負って肉体労働しか選択できなかった人々。 蓄えもなく日銭だけで生活していた彼らを働き者の「アリ」が「キリギリス」とあざけり笑うのは勝手だが、そのアリでさえ突然首切りされて、ダンボールのなかで寝るはめになる、ご時世だ。一寸先は闇と心得えておくべき。   

 

炊き出しでもスーツ姿の人を見かけます。 最近リストラされたか、借金で逃げてきたのでしょうか。 ある方はカレーが来る前に、列に並んでいる人々に箸を渡していて泣きそうになったと言われました。 

私も四年前に生まれて初めてこの炊き出しに参加して同じ涙の体験をしました。 釜が崎に初めて来て地面に寝ているぼう大な数の人々の姿を見て泣きながら帰っていったと言う人もいます。 

数百メートルも一直線に炊き出しの列に黙々と並ぶ千人もの人々。 まずその壮大な数に圧倒される。 そして多くは年老いている。 「こんなたくさんの人々の身の上に何があって、こんな目に!」と思ったらとたんに目頭が熱くなる。 

 

今は感性が麻痺したのか、感動はなく、親しい酔っ払いのオッチャンとふざけたりはしているが。 初めての、特に純粋な人にとってこのカルチャーショックはきついと思う。 

釜が崎の活動家は「かわいそうと思ったらあかんよ」と言う。 私も独自な見方をして、彼らは神様に特別愛されている人々、「がんばれよ」と一面クールに見るようにはなって来ている。しかし世の中の不条理には怒りがこみ上げて来る。 

 

寝袋を配っている時、花街の飛田のそばの商店街で文房具や雑貨を売っているオバサンと話をしました。 「あんたらな、皆にいいことしてやってるけど、この人らトイレの後始末をせえへんから店の人らに嫌われるんや。 今度来るときにはゴミの袋を持ってきて、「ココにしー」と書いて渡してやってくれへんか」といわれた。 

このオバサンは飛田からの流れ客で商売が出来ているのか、夜10時すぎから開店して朝まで営業しているようだ。 「私な、田舎育ちやから、乞食さんのような人を、ほっとかれへんねん。 

昔は、村に来た乞食さんに「これ食べ」と少しのもんやけど、皆なにかあげてたで」「夜になったらこんな風に商店街で寝られたら皆怒りよる。 あちこちでトイレされたら臭うてたまらへん。 わたし皆に怒られんようにきれいにしっとたるねん。 

何の因果かこんなことになってしもうたけど、この人らにも親もあったやろうし、ちいさい時には皆にかわいがられたやろ。 ふびんでたまらんのや。 

田舎からたまに送られてくる野菜や肉でスープ作って皆に持って行ってやるねん。 真冬の朝の四時頃やったら皆ぶるぶる震えてる。 おいしそうに食べてくれるで」。 涙があふれた。

      

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