11月19日(金)発信 bR91 石黒大圓

 Eメール ishiguro@a1.heysay.net

今回のテーマ 森信三先生/修身教授録/日本国民/身を捧げる/クライン孝子さん/It's war

 

いつもありがとうございます。 大阪駅前炊き出しのおにぎりは今まで箕面のカトリック学園のPTAの方々が200個ほど毎週月曜日に作ってくれていました。 後継者不足で今月でそれが中止となり、我々で米そのものの工面やおにぎり作りもしなくてはならなくなりました。 

幸いにも支援依頼したおかげで、長野県福祉協議会から米1トンの支援があります。 棄てる神あれば救う神あり。 ほっとしています。 

昼間におにぎりを作ってくれるメンバーもいるからこの活動もできます。 その恵みに感謝

 

森信三先生

最近森信三先生という方を深く知りました。 戦前戦後を通して教育哲学者、国民教育者として多くの日本国民に慕われた方です。 先生の教育信条は「全一学」と呼ばれ、それは宇宙の真理と人間の生き方を探求しつづけることです。 

そして思想と実践を融合させる学問です。 伝統的、日本的な学問・哲学となるためには「頭だけの知識は本物ではない」と先生は言われていると思いました。

また「人生二度なし」という先生の著書の人生哲学は「私たちの人生は天からこの地上に派遣されたものであり、人生には必ず限りあり、この肉体をお返しする日が必ずある。 

念々死を覚悟してはじめて真の生となる。 この与えられた人生をいかに生きるべきかと自己に絶えず問い、真剣に生きる抜くことである」。 「われわれ人間は、それぞれ自分の宗教的な人生観をもつ必要がある」。 

「いのちと出会う会」でもこの同じ問題意識を深めたいです。 

 

日頃の人としての実践とは、先生は言われる。 

「毎朝あいさつをする」。 

「呼ばれたら元気よく「はい」と返事をする」。 

「履物はそろえ、席を立ったら必ずイスを入れる」。 

「この平凡な『しつけ3原則』の徹底により家庭・職場はよみがえる」。

「常に腰骨を立てている人間になることによって性根の入った人間になる」。 

「日頃の『はがき道』の実践によって人との縁を深く結びつけ、それにより自他ともに浄化される」。 

「整理整頓と家内・社内・近隣の清掃とトイレ掃除。この『下座の行』により自己が浄化される」。 

「人間が謙虚になるためにはまずゴミをひろうこと」。 

「心を整えんとすれば先ず物を整えるべし」。

「物を磨けば心磨かれる」。

「1人では何も出来ない。 しかし1人から始めなければ何も出来ない」。 

「偉人伝を読むことで偉大な魂にふれ、自分の魂を磨き、こころざしを立て、人生いかに生きるべきかを学ぶのです」。

「わが身にふりかかる事はすべてこれ天意」。

「日本民族再建の基盤は家庭教育にあり。 母性の喪失を憂慮する」。

 

これらの私がすこし選んだ先生の言葉の中には、物心一如そして心身一如という古来からの日本的精神があります。 私が日頃、耳にする人間としての心得、そして実践したかったことの多くは森信三先生の教えから来ていたのです。 

「日本を美しくする会」や「掃除に学ぶ会」の会長、イエローハットの鍵山秀三郎先生は森先生から学ばれた「掃除道」を徹底され、全国に普及されています。 また「はがき道」の坂田道信先生は森先生の意志を継がれて、全国に何十万もの複写はがきを行ずる人々を指導しておられます。 

 

森先生が天王寺師範学校の生徒に述べられた講話が「修身教授録」という有名な著書として残されています。 「修身」という戦前の遺物とさげすまれているものこそが「思想と実践の融合」の極致です。 

修身斉家治国平天下」といわれるように教育とは「自らが身を修め、家を斉め、国を治め、天下を平らけくすることを実践する」ものです。 

知識だけの教育は家庭や社会、共同体の運命を考えず、個人の幸福追求のみを生みます。 自分が世の中のために何がなし得るかを考えること、そのために自分がどのように身を修めるべきかを考えるようにさせるのが教育です。 

それが「修身」です。 戦後教育は自分に目を向け、自分を高めようとする実践をおろそかにしてきました。 そのツケが今まわってきて、学校や家庭崩壊、社会の混乱を引き起こしています。 

 

ではその修身教授録からの一部文章を引きます。

『教育が民族の運命に対していかなる意味を持つか。 教育とは次の時代にわれわれに代わって、この国をその双肩に担って、民族の使命を実現してくれるような、力強い国民を創り出すことの外ないのです。 

つまり現在はまだ、いたいけな子供たちではあるが、しかしこれを教え育てることによって、やがては民族の重大使命を果たすに堪え得るような、大国民たらしめようとする国家的な大事業であります』。

『われわれは、一体何のために学問修養をすることが必要かというに、結局は「人となる道」、すなわち人間になる道を明らかにするためであり、さらに具体的に言えば、「日本国民としての道」を明らかに把握するためだといえましょう。 

またこれを自分という側から申せば、自分が天からうけた本性を、十分に実現する途を見出すためだとも言えましょう。 ところでこの自己の天分を発揮するということですが、実は単に自分のことだけを考えていたんでは、真実にはできないことであります。 

すなわち人間の天分というものは、単に自分本位の立場でこれを発揮しようとする程度では、十分なことはできないものであります。 ではどうしたらよいかというに、それには、自分というものを超えたある何物かに、自分をささげるという気持がなければ、できないことだと思うのです』。

 

先生の「自分を超えたものにこの身を捧げる」という言葉は人間至上主義者・人権第一主義者にとっては保守反動と見なされるでしょう。 「滅私奉公の復活だ」。 「人間の命が世界で1番大切なもの」で犠牲などまっぴら。 

しかしこの考え方は自分の「いのち」が1番大事という考えに走りやすい。 そして自己中心主義・人間中心主義に支配され、自己を超えた神仏さえ殺しかねません。 

あなたの命も私の命も大切。 しかし「私たちの命を超えたもののために命を棄てる覚悟も時には大切」とは考えられない人々が日本には多くなりました。 悲しいことです。

  また森先生の日本国民や日本民族という言葉に違和感をもたれる方がおられると思います。 いつから国民や民族の名がさげすまれるようになったのでしょうか。 

「国は悪、国民は善。 善と悪は対立するもの」という洗脳が占領軍や共産主義者によって行なわれたからです。 しかし国なしで人は生きていけるのでしょうか。 

拉致された人を救えるのは国しかありません。 個人でも政党でもNPOでも救うことは出来ません。 イラクでの人質を国は数億円を払って救助しました。(人質はテロリストに戦争資金の支援をしたのです) 

国のないユダヤ人にとって国に代わるものは金しかなかった。 だから世界の金融はユダヤに支配されたのでした。 ユダヤ人のように失って初めて国のありがたさがわかるようでは遅いのです。

 

前回の通信も含め私の中にある問題意識は私のアメリカでの体験から生まれています。 外国へ行って日本の戦前のことが話題になった時「日本は悪いことをしました。 反省しています。」だけでその場をつくろう人間は信用されません。 

祖国についての知識もない、個性的意見も持たない人間は外国では信頼されません。 かえって自分の意見を言って論争するぐらいの人間のほうが信頼を勝ち取ります。 

黄色い顔の目の細い日本人は、外国では否が応でも日本を背負わされるのです。 たとえ自分は反日的と思っていても、日本人代表と見なされ攻撃されるのを覚悟すべきです。 

日本歴史についての知識を持ち、理論武装をして外国人と対する心得をもたないといけません。 外国へ行って日本に目覚めさせられるのはこんな体験をするからです。 

そして私は日本という国家と社会の行く末に思いをはせる者となりました。 

  

以下はドイツ滞在歴30余年のジャーナリスト・クライン孝子さん(フランクフルト在住 ジャーナリスト)からのメール情報です。 

 

2004/11/14(日)  面の皮をいい意味で厚くしよう!  やられっぱなしの日本人!
  日本の学校教育ではデイベートが軽視されている。 そこで、外国へ出かけても、つい口達者な中国や韓国学生にしてやられてしまう。 でもそうでない日本人も近ごろ、登場しはじめました。 以下のメールの送り主はイスラエルでも留学されていました。 
  

『私のアメリカでの経験についてお話したいと思います。 私はこれまで、韓国人のルームメイトと暮らしたこともありますし、ビルマでおばあちゃんの家を日本軍に空爆されたアメリカ人の男と暮らしたこともあります。 

また、国際政治のクラスでは、約20人のアメリカ人学生に囲まれて、真珠湾攻撃について「吊るし上げ」にあったこともあります。 

韓国人と同室になったときですが、私は部屋に日の丸を掲げていました。 もちろん相手は驚きますが、そこで私は言いました。 

「私は日本を心から愛する愛国者ですが、韓国には恨みも何もありません。 したがって、この隣に韓国の国旗を掲げてはいかがでしょう?」  

そう言うと、相手は納得してその後問題は1つも起こりませんでした。 手前味噌ですが、相手の機先を制するというのは交渉ごとの基本だと思います。 

20人のアメリカ人に囲まれたときは、確かに怖かったです。 相手も少しいきり立って、「お前はパールハーバーのビデオを見たことがあるのか? 何の罪もないボール遊びをしている3歳の子供がお前らのだまし討ちで殺されたんだ・・・」と突っかかってきます。
  

このメルマガの読者には留学希望者、あるいは留学中の方も少なからず含まれていると思いますが、英語の表現で二つ覚えていただきたいものがあります。 It's war そして I'm NOT sorryです。 戦争で人が死ぬのは当然です。 これは平時の殺人とは全く違います。 

私は最初に”It's warと応じて、ロシアの南進政策から日本の畏友.アウン.サン将軍、東亜の独立から日本のユダヤ人政策まで話し、そして最後にハル.ノートによっていかに日本が追い詰められたかを説き、最後に「殺された子供はかわいそうだが、あれは軍事基地に対する正当な軍事行動だ。 よって、I'm NOT Sorry」と言い切りました。
  私もそういう意味での日本人の悲哀を経験していますが、あえて言います。 もし反論できないのなら、それは反論できない日本人が悪いのですよ、と。 

どこの国の人間でも国益のために主張するのが当然のこと。 日本を一歩出れば沈黙は「罪」であることを知るべきです。 そのためには理論武装が重要です。 

最低限、マッカーサーの「あれは日本にとって自衛戦争だった」という議会での証言は知っておくべきです。 そして、個人的にどんなに殺された子供が気の毒であっても、I'm not sorry と言わねばならないのです。
  

もし韓国人に植民地支配について問い詰められたら、「ではその前の李王朝はどうだったのか」(とんでもなく腐敗しており、日本が行かねばそれよりはるかにひどいロシアの圧制に苦しんだことでしょう) 

中国人に侵略で責められたら、毛沢東の文化大革命、ケ小平の天安門事件を引き合いに出し、歴代の中国の政権(王朝)がいかに人命を軽視しているかを説けばいいのです。 道のりは長いですが、あえて日本人に強くなること、そしていい意味で「面の皮が厚くなること」を期待したいと思います』

 

(21世紀を迎えた今世界は混沌としています。日本もその渦中にあって政治経済ともに、国際的視点に立脚し欧州からの情報収集が不可欠になってきています。 欧州の国際情勢を日記風にまとめ刻々と現地よりレポートします) 

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