11月26日(金)発信 bR92 石黒大圓

  Eメール ishiguro@a1.heysay.net

今回のテーマ フィリピン/特攻隊/アジアの子供たちに学ぶもの/国からの恵み/観光立国

 

今日寝袋100個が入りました。 明日土曜日の夜晴れていたら配ります。 

参加ご希望の方はJR新今宮駅の東口(改札口は東に1ヶ所しかないかも知れないです)または(地下鉄動物園前駅からJR新今宮駅東口へ行く)に夜9時ごろ集合ということにします。 

上田さんという方が同行してくれます。 彼の携帯は 090−6752−2770 です。 彼と連絡取り合って当日会ってください。 しかし夜遅いので無理はしないでください。 

帰りは大阪駅まで送っていけます。 10時45分ごろになりますが。 

参加連絡はまずは私の方へ 携帯 090−1146−7351

 

いつもありがとうございます。 11月18日の「いのちと出会う会」は最近親しくなった高槻の鍼灸整骨院院長・片岡さんのフィリピンの話でした。 フィリピンゴミの山・スモーキーマウンテンに暮らす人々の映像があるというので京都のアジア文化交流センターのボランティア・スタッフに来ていただきました。 

その5人が加わって、やっと10人ほどの参加で今回は行なわれました。 主催者側の方が参加者より多い形になりました。 10月も6,7人だった。 

 

この「いのちと出会う会」もそろそろ社会的意義がなくなってきたのでは、と思います。 今後工夫や改善はしますが、売れない商品や店は社会から撤退させられるのが社会や経済の原則です。  

この日は私の57歳の誕生日。 2次会で少し祝っていただきました。 私もあと3年で還暦。 昔、叔父が赤い「ちゃんちゃんこ」を着て祝いの席にいたのを思い出します。 私はずいぶん幼いおじいさんになりそうです。

 

フィリピン

今回のフィリピンの話しを聞く前に、文庫本で「フィリピン新人民軍従軍記―ナショナリズムとテロリズム」野村進著なるものを少し読みました。 フィリピンという国は東南アジアのなかでも最も恐ろしく政治的にも経済的にも劣った国です。 

 

貧困と暴力、ワイロ、麻薬、ありとあらゆる前近代的な姿がいまだに残っている。 まるで戦前の暗黒大陸・中国の如き有様。 「

貧しく小さくされた人々」を救おうとする近代国家でのカトリックの社会的救援活動さえ、ここのカトリック教会は否定する。 それに反発して貧しいものの側に立ってこの社会を改革しようとする若い神父のなかには銃をとる者がでる。 

 

私のことを「あんたはウヨクでなく、サヨクだよ」という人がいる。 私もフィリピンに生まれていたら、神父とともに銃を取ったことでしょう。 私はこの国でならサヨクと呼ばれることに誇りさえ感じるでしょう。 

こんなこと言ったら今までテロリストを批判していたのに、なんだ、と批判されることでしょう。 しかし自国民を、まして女子供でさえ無慈悲に殺戮するテロリストは愛国者ではない。 支持などできない。 

 

特攻隊

自爆テロは特攻隊をまねたかもしれないが、まったくその志は異なる。 自国民を殺してまで目的を達成しようという人間はイラクの歴史には永久に名を残されない。 

しかし祖国と愛する者のために命を捧げた特攻隊員は永遠にその名が語り継がれる。 ただ1人小さな飛行機で巨大な戦艦に1騎打ちを挑んだ特攻隊員は「戦士の誉れ」として永遠に世界の歴史に刻み込まれる。 

 

祖国への愛国的犠牲的精神は国際的な常識である。 ソ連や中共でさえその精神は讃えられる。 イギリスの世界的な歴史学者・トインビー教授は「特攻は日本文明の精神の崇高な象徴だ」としてその勇気と献身の歴史的意味を絶賛した。 

  

無頼派の文士″として有名だった坂口安吾という作家をご存知ですか。 「古代日本では蘇我氏が天皇をもしのぐ大王であった。 古事記や日本書紀はそれを隠すために書かれた」と戦前の皇国史観に真っ向に刃向かって書いていて、昔、古代史ファンであった私の興味をそそぎました。 彼の書いた「特攻隊に捧ぐ」のことがある新聞に載っていました。 

  

『「戦争は呪うべし、憎むべし。 再び犯すべからず。 その戦争の中で、然し、特攻隊はともかく可憐な花であったと私は思う」 彼らは基地では酒飲みでゴロツキで女たらしで死を恐れ生に恋々とした。 

「けれども彼らは愛国の詩人であった。 いのちを人にささげる者を詩人という」 彼は特攻隊の「愛国殉国の情熱」に最大の賛美と敬愛をおくり、彼らの散華に熱い涙をそそいだ。 

 

いささか唐突になるが、アテネ五輪の日本メダリストたちには共通した対応がある。 それは「みなさまに感謝します」という言葉だ。 

その感謝の心と言葉が、それを聴くわたしたちの胸に響いた。 この「みなさま」のなかには、生きている人ばかりでなく死んだ人も含まれているはずだ。 

特攻の英霊たちは、いまの日本の平和と繁栄だけではなく精神力″もつちかったのである』 

 

この豊かな恵まれた日本のなかで、一部の最下層の人間の声を代弁しているかのように見せかけて不平・不満・憎悪を叫ぶ人々。 過去のマルクス主義でいうプロレタリアート(資本家に搾取された最貧階級層)のないこの時代に、その代わりにジェンダーフリーや特殊な境遇の人々を持ち出して、圧倒的に多い中産階級を不安に陥れ体制転覆をもくろむ人々。 

足ることを知らず、祖国への感謝や与えられている恵みを口にしない人々。 権利や人権を叫び、祖国をないがしろにする人々。 

 

ありがたい」や感謝、恵みといった言葉を口にしない連中と僧侶や神父さえ共闘しようとしている。 あの3人の人質も「ありがたい」や「みなさまに感謝します」の言葉を拒否した。 

彼らを支持する人々の多くの心の中にも同じ精神を私は見い出します。 私はこの通信でウヨク呼ばわりされながらも、これらの欺瞞を見つめていただくように訴えているのです。 

 

アジアの子供たちに学ぶもの

アジアの子供たちに学ぶもの」という沖縄の池間哲郎さんという方の講演ビデオを見ました。 アジアの最貧国の子供たちがけなげに生きる姿の映像を見ながら語られる講演会です。 

貧しさから親が女の子を売る。 昔の日本でも「おしん」のような物語がありました。 アジア中で日本の魂の原点として今も放映されています。 

しかし日本ではいくらつらいといっても奉公先での仕事場があった。 しかし貧しいアジアでは女の子の仕事は売春しかない。 

 

それでもその子は「お父さん、お母さんが生きていけるなら、私は売られていきます」という。 「育ててくれた親に恩返しがしたい」という。 

そしてその娘がエイズにかかって村に返されてきても、エイズは空気伝染すると信ずる村人のために小屋に隔離されて、そこで親に最期を看取られることなく亡くなる。   

 

また親に棄てられた子は言う。 「大きくなったら私の両親を探し出して、幸せにしてあげたい」 この子には親に対する恨みなどない。 

命を授けてくれた親への感謝がある。 子供を棄てざるをえなかった両親が背負った貧しさや苦しみを理解し、自分を育ててくれた恩義に報いようとしている。 

日本国民の多くが失ってしまった親への真心がここにはある。 日本の子供たちや親に聞かせたい話です。

 

またモンゴルでは国家破産でストリート・チルドレンが悲惨な生活を強いられている。 ソ連が健在な時にはモンゴルの国家財政の7割はソ連からもらっていた。 

ソ連崩壊でモンゴルの国家財政は破綻した。 企業倒産や失業で人々はどん底の生活になり、子供を棄てる家が続出した。 

冬にはマイナス30度にもなる路上で子供たちはどのように暮らしているのか。 工場からセントラル・ヒーティングの熱湯が多くの建物に送られている。 

 

その熱湯が流れる土管が通っている地下のトンネル内は、やっと10度の気温が保たれている。 その真っ暗な悪臭がただようトンネルの中で彼らは身を寄せて生きている。 

見ると皆、唇や耳が傷ついている。 ネズミやゴキブリにかじられるのだ。 ある女の子は妊娠して赤ん坊を生んだという。 結局この母子は2人とも死んだという。 

自分1人でも生きていくのが大変なのに、どうして赤ん坊を育てられようか。 涙なくしては聞けない話ばかりだ。

 

国からの恵み

国家が存在している間は国に対する不平不満を好きなように言っていられる。 しかし国家破産になったとき国民はどれだけ悲惨な目に会うか。 

占領されたら、どれだけ人権侵害が日常茶飯事となるか。  戦前に国家のために大変な目にあった。 だから国家を否定することで心の満足を得ている人々がいる。 

しかし私も妻子を失って初めてかけがえのないものだったと思いしらされた。 国家も失って初めてかけがえのないものだったと後悔しても遅すぎるのです。

 

明日の食事もなく、ゴミ山の中で食べられるものを見つけて喜んでいるフィリピンの人々の姿を見て、たまらない思いになる。 都市のスラム街で圧倒的に多くの子供たちが栄養失調で青い顔をしているフィリピンという国。 

改革を妨げている大地主や既得権者、政治家などの犠牲で多くの国民が苦しみ、いまだに経済的離陸ができない国。 

 

共産主義者と手を結んでもこの国の人々を救わなくてはいけないと神父が銃をもち、暗殺を覚悟で立ち向かう。 その姿に大東亜戦争を民族解放戦争として戦い、南方の土となった多くの日本人将兵や特攻隊員の姿が重なります。 

台湾や朝鮮のように日本が統治していたら、このような前近代的な姿はしていなかっただろうと想像します。 民衆を大切にする体制に改革しなくては、特に教育の面で人間の精神を近代化しなくては、国家は経済的に離陸できないことは、日本統治下での台湾や朝鮮の発展ぶりが証明している。 

 

以前の新聞に作曲家・阿久悠さんのオリンピックについての感想がある新聞に載っていました。

  

「(略)誰もがサムライの心のまま勝った。 大仰な言い方をするなら、アテネでの日本の若者は、長い年月ぼくらに投げつけられていた「醜い日本人」という汚名を、「美しい日本人」に塗り替えてくれた。 これが国威である。 幼児が可愛く、青年が美しい国が勝つのである

 

観光立国

阿久悠さんは以前に観光立国・日本についても書かれていました。 日本が観光立国としてその存在を世界にアピールしていかなくてはならないのに、未だに低迷している。 

その原因は日本人の心にある。 日本人の心に日本を心底、愛する気持ちがないからです。 自分の国と郷土にたいする誇りと愛情があれば「どうぞ私の愛するこの街をみてください。 この国を見てください」というあふれる思いの言葉が出るはず。 

ただ営業目的で観光事業として取り組んでいる間は外人の心を打たない。 外人観光客は来ない。

 

郷土の歴史と祖国の歴史にほれ込み、祖父の生きたこの地をぜひ外国の皆さんに見てほしい。 自分の住んでいる場所への熱烈な思いが湧き出て来なくては外国の人々の心を打たない。 

こんなにもこの国を愛する人々の国とはどんな所なのか、見てみたい」。 そのような意欲を起こさせるものが日本人の心にないから、外人観光客の誘致ができないのだ。 

祖国日本をないがしろにする思想がはびこり、国を愛する心が育ってないからだ。

 

今、有閑オバサンの間で韓流ツアーが流行しているらしい。 「ヨン様がこの道を歩いたのよね。 あのベンチに彼女と座ったのよね。 このホテルがドラマの舞台なの」と大挙して韓国へ行っているらしい。

日本国民は何故過去の日本の偉人たちのすばらしい生涯や業績を学んで、その人物にほれ込みその足跡を見てみようとしないのか。 反日感情を持つヨン様以上の魅力的な人物は、日本の歴史にごまんとあるのに。

 

外国の有名人にはほれ込むのに、日本の偉人には見向きもしない。 森信三先生が言われたように、日本の偉人伝を子供のうちから教え、美しい日本人の魅力を心に植えつけるべきです。 

自分の心の羅針盤をその人に合わせて子供たちは成長していく。 子供には将来の自分の姿のモデルとなるべき人が、心の中に刷り込まれることで心の安心が得られる。 

そのために世界中の国々では皆、子供の精神の成長のために祖国の英雄を語り継いでいるのです。   

 

日本だけが歴史上の人物の多くを軽蔑してかえりみようとしない。 理由は「日本歴史学会」はマルクス主義史観の学者が支配していて、過去の日本の歴史をすべて暗黒の歴史と教えてきたからだ。  

過去の歴史は国家が人民を搾取してきた歴史。 日本の過去において偉人とは、国家に反抗してきた者のみがそう讃えられると教えてきた。 

 

日本歴史学会の学者が教科書を作り、日教組がその教科書で今も子どもたちを「日本は悪の国」と洗脳している。 

皆さんの子供や孫の教科書を見てください。 かってのソ連や中共が絶賛するような内容で、驚かれると思います。 

その洗脳に染まってオバサンから小学生まで日本の偉人に魅力をなくして外国の英雄の後ばかりを追いまくっている。 そして国内の観光産業は衰亡しつつある。


                     いのちの風 縁の花支縁サイト

                     縁の花 トップページに戻る

                     縁の花村 トップページに戻る