12月15日(水)発信 bR95 石黒大圓

  Eメール ishiguro@a1.heysay.net

今回のテーマ 中野真理子さん/風邪/人の可能性/自由主義教育

/人間となるために/人材育成/寝袋配り

 

いつもありがとうございます。 明日の「いのちと出会う会」への出席が現在ゼロです。 (先日の送信で、あさってと書きましたが、明日16日の間違いです) 

あの有名な元・オリンピック金メダリスト中野真理子さんのお話なのに。 この会はやはり危機的状況になりつつあります。 お時間がありましたら、ご参加ください。

 

『いのちと出会う会』 16日18時半 

「人生の金メダリストになるために」 バレーボール五輪金メダリスト  中野真理子さん 

「生きていれば必ずいいことがある。 だからあきらめないで」ひ弱でいじめられっ子で無口だった子供の頃。 先生の一言が人生を変えて、バレーボールの道へ。そしてオリンピック・金メダリストになってしばらくして、引退、結婚、子育ての日々が続いていたある日、ガンの宣告を受ける。苦しい闘病から学んだことを皆さんに伝え、また恵まれない子供達のための支援活動もされている日々を語っていただきます」

【参加費 1000円 応典院(6771―7641) 谷町線谷町9・3番出口より坂を下り松屋町筋

を左折100m徒歩6分 または千日前線・堺筋線・近鉄・日本橋駅8番出口より東へ松屋町筋を右折100m徒歩5分】     

 

12月4日に誕生祝を兼ねて寝袋カンパの食事会をしていただきました。 10人ほどの通信仲間たちが集まって豪華イタリア料理を前に話しに花が咲きました。 

また余興に現れたMr.マリック並みのすばらしいトランプ手品師の演技に皆が感心して見入っていました。 私の通信が縁で親友になられた方々もおられますし、横のつながりが広がった方々もおられます。 

その役割が果たせて幸せです。 私のためにこのような会を催していただいて感謝でした。

 

風邪

週末に風邪を引いて、通信作成が遅れてしまいました。 汗をかいたままオートバイで行ったり来たりしている間にやられたようです。 

疲れた時には15分の仮眠で精気が回復し、ゾンビがよみがえったようになるのですが。 仮眠がなかったらゾンビに逆戻りして頭重くなり頭痛・肩こりが始まります。 

昔からの体質です。 原因の1つは運動不足ですが。      

 

頭の血流を良くするため固い歯磨きチューインガム半分を噛む習慣を昔から始めていて助かっています。 母もやっていたので遺伝でしょう。 

これがなかったら脳梗塞で倒れている。 様々な健康食品も飲んでいましたが効き目がない。 

今回の風邪には仮眠もチューインガムも効果がなし。 カイロを背中に一杯貼りつけて汗をかいて寝て、「治る治るきっと治る」と唱える以外に早期回復はなさそうです。 

月曜夜の炊き出しへもマスクをして防寒服を重ね着して参加し、掃除で大汗をかいて逆にすっきりしました。

 

最近は1週間に1度の送信ペースにしていますが、そのことに気がつかれずに石黒は疲れているのかと心配していただいている方がおられるとのこと。 気遣っていただいてありがとうございます。 風邪を引く前までは元気にやっていました。 

今年中に400号まで行こうと思ってがんばったのですが、忘年会が重なり先週、今週と1回しか送信できませんでした。

 

今月の26日に行ないます「釜が崎のうどんの炊き出し」を主催する「小さな親切運動大阪本部」の忘年会で60人の前で司会をさせていただき、また「メチャハピー大阪万歳」の踊りを1人で踊りました。 

芸達者の人々に負けじと初めて披露しました。 この踊りと曲は本当に観客の気持ちを盛り上げるすごいものでした。 

「大阪の商売人、負けたらあかん。 大阪の子供たちに夢と希望を。 大阪の文化は日本一や」のメッセージにほれています。  

 

真剣にやらなかったこともありますが、3年かかってやっと人前で1人で踊れるようになりました。 これで自信がつきました。 まるで夢のようです。 

昔、友人の結婚式での友人代表スピーチで頭が真っ白になりほとんどしゃべれなくて大恥をかいた頃に比べてなんという進歩か。 男として人前で自由にしゃべれることも夢でした。 しかも踊るなんて!。

 

人の可能性

わたしは妻が死んで気持ちが沈んでいて、外に出るのが苦痛でした。 しかし無理やり強制的に常に人前に出てしゃべらなくてはならない体験が続きました。 

その経験が私の可能性を広げました。 自由に引きこもっていたら今の自分はない。 踊りも商店街事務局からの出向のような形で参加しました。 

 

私の踊り子募集の1枚のFAXから多くの人々が集まっていただき、成り行き上そこから逃げられなくなってしまいました。 事の成り行きから、したくもない踊りをさせられ、それが逆に私を育ててくれました。 

 

子供に強制はいけない、自由を与えよ、の今の教育がいかに子供の可能性を失わせていることか。 私自身の体験からもわかる。 「可愛い子には旅をさせよ」という昔からの言い伝えは真実を教えている。

人間にはすごい可能性があるとつくづく思います。 大人ばかりでなく子供も鍛えられればすごい力を発揮できます。 それを過保護にして強制はいけない。 

自由な教育がいいと勝手気ままにさせているから能力も伸びない。 またストレスにも簡単にポッキと折れて負けてしまうひ弱な人間に育ってしまう。 

 

自由主義教育

戦後アメリカから導入された進歩的教育、自由主義教育が我慢を知らない、耐えることも知らない、足ることも知らない、身勝手な子供を育ててきた。 

子供の中から自然に出てくる能力を大切にしようという押し付け拒否の教育法が今、壁にぶつかっています。 

 

子供には「人間となるため」の社会的道徳的行動の基礎を徹底的に教え込まなくてはいけない。 人間となるための精神的な素養を身に染み込ませる。 

 

サルでさえサルになるための社会的行動の基礎は母親や他の大人が強制的に教える。 母親から隔離されて育って、育児を教えてもらえなかったサルは育児という本能と思われることさえできない。  

また掟に背いたものはサル社会から追放される。 良い悪いの価値は家庭や学校、社会の大人が子供に教えなくてはならない。 

 

欧米では子供は未熟な人間との考え方をする。 日本ではお子様天国である。 

また強制は子供の人権を無視するという人権論者にふりまわされている。 子供の可能性を奪うのも人権無視ではないか。

 

人間となるために

人間になるには人間となるための教育がなされなくてはいけない。 基礎があって初めて、その応用としてその子が独自な個性を発揮してくる。 

基礎が教えられなくて「自由に自然に出てくるのを待つ」では、優秀な子は別だが普通の子は、羅針盤のない船のようにふらふらした人格になってしまう。 

 

昔は修身という形で人間になるための社会的規範が教えられていた。 外国では宗教があった。 強い動機付けをする宗教のない日本には社会や国家がそれを教えなくてはいけなかった。 

今は道徳の時間はあるが、そこでは人権・平和教育がなされ加害者意識・被害者意識を植え付けて子供をいびつな性格に育てている。

 

小学校での升かけ計算や朝の読書を子供たちが、たとえ強制であっても嬉々としてやる。 そしてその結果として落ち着きを取り戻す。 

ということは子供たちの頭脳は集団で集中してやる、与えられた学びを、ヒトとして、生理現象として好んでいるということだ。 

子供たちに主導権を与えて自由に勝手気ままにさせようという今の日教組の指導は子供の本能とはかけ離れた教育法なのだ。 

 

ゆとり教育という小ぎれいな名前の下に子供に多くの自由時間を与えて自発性が出てくるのを待つやり方。 その教育法が今、国際的比較の上で日本の児童の知的レベルの低下を招いている。 

ゆとり教育は「教師は教育労働者」と考える日教組教師に休みを多く与えているだけだ。 自分たちの休暇を権利として獲得するために児童に犠牲を強いて、知的レベルを下げさせてしまったのだ。

 

人材育成

今、外食チェーンの経営者たちが学校教育に乗り出している。 教育産業で利益をとろうというのではなく、日本の教育に危機感をもっているからだ。 

「和民」の渡辺社長や「グルメ杵屋」の椋本社長が民間的手法で学校改革に取り組んでいる。 まともな人間として育っていない社員が入社しては経営の効率化ははかれないし、来店していただいたお客さんに喜んでもらうことも出来ない。 

 

人間を育てていない今の教育現場にまでメスを入れないと人材育成ができない。 知識を与えるだけで人格に欠ける教師をまず選別しなくてはならない。 

学校を明るいものにして知識を学ぶことの楽しみを教える教師が必要だ。  

 

生徒には、森信三先生が説かれたように「あいさつ・明るい返事・礼儀のしつけを身につけさせる。 このような基本的な行動が人間を変える。 

教師には、いかに真剣に生徒が聞いてくれる授業をするか、と創意・工夫が要求される。 先生の授業の面白さや人格の勤務評定を生徒自身にさせる。 

 

今まで教師はめったなことでは首にならない。 先生、先生と尊敬され、給与面でも安定的な生活ができることに安住していた。 

その公務員的、社会主義的体質が教育現場をダメにしてきた。 そこにメスをいれて学校の意識を変えていこうという試みが始まっている。 

しかしそのような改革に反対する教師たちは去っていった。 

 

私学だからできる。 公立学校では日教組という既得権益者はそのような改革に大反対する。 日教組と文科省の抵抗勢力が世界に冠たるものであった日本の教育を世界に対して恥さらしなものにしている。 

 

生と死の教育をされている教師がある社会学習センターで4回シリーズの講義をされた。 その時の感想で言われた。 

「参加者がどのくらい来て、次回もどのくらい来てくれるか、心配だった。 生徒がいつも当然のように集まってくれている学校の授業がいかに恵まれているか、と感謝した」と。 

 

学校がつぶれないのが当たり前。 生徒が授業に来るのが当たり前。 その当たり前と思って感謝もなく創意工夫もなく、すごしている間に、学級や生徒の人格は崩壊を招いている。 

そのことに気づかない、所詮は親方日の丸の日教組と文科省が日本の教育をダメにしている。

 

授業中に教室の中を歩き回る。 私語をやめない。 先生の話を聞かず、言うことを聞かない。 「自由」というコントロールの難しい化け物に、子供たちが逆につぶされている教育が今、心の破壊を招いている。   

 

昔、私が学生時代にベストセラーだったエリック・フロム著「自由からの逃走」という本がある。 自由で民主主義的だった第1次大戦の後のドイツで、どうしてあのナチスが勃興してきたか。 

詳しい内容は忘れましたが、人々はあり余る自由を持てあまして、逆に自分の考えや行動を他人にまかせてしまう方に安心を感じてナチスになびいてしまったという論考だったと思う。 

 

宗教にもその傾向がある。 今の日本国民もマスコミの偏向報道に身を任せて自分で考えようとしない。 

共産主義国をえこひいきする報道に疑問をもたない。 結果が北朝鮮や中共の我が物顔の外交をもたらし、拉致を招いた。

 

寝袋配り

寝袋配りの第2回目は12月3日に女性1人が加わっていただけて3人でやりました。 前回の老人がいたので肌着一式と靴下を渡しました。 

寝袋を盗まれていたのでまた手渡したけれど、内輪で盗み合いをする。 ひどい奴もいるのがこの世界。 けっして美化はできない。

 

まだ暖かいためか、この山王商店街にはまだ皆んな移動してきていない。 寒くなると少しでも暖かい、雨露をしのげる商店街のアーケードに集まる。 

この日はほとんどの人が前回渡したので余ってしまった。 それではと、四天王寺へ向かう。 昨年12月の末に来た時は大寒波の日で、寝袋を持つ手がちぎれるほど痛たかった。 

 

寝袋配布を終えて帰って風呂に入った時、あの凍える境内で地面の上で風呂にも入れず寝ている人々を思った。 わが身のなんと恵まれていることか。 ありがたさに涙があふれた。 

 

今年のこの日は暖かく境内にダンボールにくるまって20人ほどが寝ていた。 以前はこの周辺に100人はいたが、追い出されて寝ないように柵で防御されている。 

 

以前ここの東門付近に住んでいたので事情がわかる。 夜、酔っ払って車座になって騒いでいたり、建物の下に入り込んで警報がなったり、目に余る行動があったので追い出された。 

外壁の周りは柵が張り巡らされて美観どころではない。 野宿者同志が規律を守って自警すればよかったのだろうが。 いい人ばかりではないのがこの世界も同じ。(続)

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