12月23日(木)発信 bR96 石黒大圓

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今回のテーマ 中野真理子さん/KOUTAROさんの葬式/国境なき医師団/憂国の士

 

いつもありがとうございます。 今年もあと9日。皆様いかがおすごしでしょうか。 今年も暖冬で御堂筋のイチョウには黄色く色づいた葉っぱがまだ残っています。 

また落ちた葉っぱで道が黄色くうずまっています。 今年は猛暑・暖冬のひどい年でしたが、旧暦予測によると来年は普通の年に戻るそうです。 

 

先週は2日間泣きずめでした。 「いのちと出会う会」の中野真理子さんのお話に感動して司会席で何回も涙を拭いていました。 そして次の日には2月の「いのちと出会う会」の話題提供者・高村KOUTAROさんの葬式がありました。 

絶望的な苦しみの体験からしぼりだされる、お話や音楽。 それには魂が込められている。 それに人は感動する。 お2人に妻子の姿が重なり、走馬灯のようにあの時のことが思い浮かんできて私はぼろぼろでした。 

 

中野真理子さん

中野真理子さんの「いのちと出会う会」には皆さんのご支援で25人ほども来ていただきました。 参加予約ゼロのSOSに何人もの方々から心配と励ましのメールをいただきました。 

本当にありがとうございました。 そして当日、私は涙あふれ皆さん感動の嵐うずまく2時間半たっぷりのお話をうかがいました。 

 

こんな話が聞けるなんて。 主催者冥利に尽きる。 「いのちと出会う会」の存在意義を再認識しました。 参加者が最近少ないと弱気を吐いていて申し訳なかった。 

「すばらしい人物とそのお話しをもっと多くの人々に聞いてもらい。 100回でも200回でも続けていきます。 その意欲が出てきました」と終わりに皆さんに宣言しました。 

 

来られた中野さんは大きく目立つほりの深い美しいお顔、しかし大きな体に似ず地味で控えめで部屋の隅におられた。 この人がオリンピック選手?と思うくらいでした。 チームの中でも「もぐらのモグ」と言われるぐらい無口で目立たない存在であったようです。 

 

中野さんのお話の要旨。 

『小学校の時にはいじめられっ子であったが、寂しさや痛みを背負う方が心の成長にはよかった。 孤独さから自分をしっかり持てた。 何があっても「ラッキー!」とプラス思考だった。 

少年院更正施設に慰問に行くが清らかな心を持つ子供が多い。 親の犠牲になり愛情に飢えて犯罪に走っているのだ。 

 

引き止められるのを無理に選手引退してよかった。 父の最期を看取ることができ、父の人生や昔の話しも聞けた。 

父は終戦の皆飢えていた頃、栄養失調の子供たちを連れて帰ってきて面倒を見ていた。 つらい戦場で無念の思いで死んでいった部下の兵士たち。 

その部下の子供たちかもしれないと思って世話をした。 人には誰でも事情がある。 「追い詰めたらあかんぞ」と言われた。 

心の痛みがわかる人間になれた。 父の姿から人と向きあって、かけがえのないものを学ぶ大事さを学んだ。

  

我々のチームは世間ではあまり知られていないが、「金」に登りつめるまで1セットも落とさなかった、今世紀最強のチームだった。 しかしバレーの練習は壮絶を極めた。 

キャプテンとして修行の日々の中で感覚が研ぎすまされた。 人の心の中が感じとれるまでになっていた。 また地獄のような試練から逃げられなかったために技と心の成長ができた。 

 

努力で何とかなると学んだ。 楽で自由な生活では何の成長もない。 夢中で何かに取り組むことが大切だ。 

親は娘のつらい日々を一緒に耐え忍んで、仏壇の前で手を合わせてくれていた。 金を取れたことに対して皆さんに深々と礼をしてくれていた。 

知らぬ間に親からいかにご恩をいただいていることか。 

 

基本の型を体で身につけることで後の自分独自の応用がきく体が作れる。 基本がいかに大切か。 そこから創意工夫が生まれる。 

他人のために何ができるかを考える。 そのためには自分が成長していることが大事。 

多くの外国訪問をさせてもらった。 カンボジアではポルポトの残虐な行為の跡をみた。 子供たちは自分自身が悲惨な生活を強いられているのに「真理子先生の幸せを祈っています」と言ってくれた。 心はすさんでいなかった。 

 

重度障害児のたまちゃんの世話をしています。 野球チームに入りたいという。 野球はできないが選手たちの役に立ちたいと、4つんばいになって石ころ拾いをしている。 

自分にできることで人に尽くし行こう。 誰でも何らかの事情を背負って生きている。 エリートでない平凡な生き方をしていこうと思う。 

  

第六感でおかしいと思い再検査をしてガンが見つかった。 無念で涙が出た。 しかし自分ことは自分1人が引き受けるしかない。 

今生かされていることに自分の役割、使命を感じる。 人ははかない、かけがいのないもの。 だからこそその人の心の苦しみをともに背負い、祈る。 

名もない子供たちの命のために祈る。 人に言えない苦しみを背負っている人々。 そっと手を握ってあげてほしい。 

 

生き方が間違っているからこんな病気や境遇になったと単純に人を批判するのはおかしい。 その人にはそうせざるを得ない事情があった。 その人の人生を丸ごと受けとってあげたい。 

 

最後に今の日本人は自由が一杯で自由をはき違えている。 外国に出て試合をして祖国を愛する心がわかり、日の丸に愛着を持つようになった』

 

  前回の通信で書いたことや考えてきたことと同じことを次々語られて心から感動しました。 また妻は奈良県で走り高跳びの記録をもっていて東京オリンピックのときに聖火ランナーの1人に選ばれました。 中野さんとのご縁の不思議を感じます。

 

KOUTAROさん

2月の「いのちと出会う会」の話題提供者・高村KOUTAROさんが15日に亡くなられました。 今年の初めには余命半年と言われていたそうでした。 

それを押して私の会にも来ていただき、「いのち」を削りながらの演奏活動を続けられました。 10月の誕生日にはすばらしいスーパーソウルコンサートをされ人生の最後を締めくくられました。   

 

そして6度目の脳へのガン転移に対する放射線治療のあと亡くなられたようです。 よくがんばられました。 多くの同病の人々や心苦しむ人々とメールで対話し励まされてこられた。 

もうダメだといわれる病いを何度も克服し、皆に勇気と希望を与え、魂の歌を歌いつづけられた。 いい歌ばかりです。 今も書きながら聞いています。 

苦しみと闘っているからこそすばらしい感性の曲があふれ出るのです。  

 

葬式は創価学会式に友人葬で行なわれ僧侶はいない。 200人ほどの参列者の口から流れ出るお題目「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」の声は地底からわきあがるような地響きに聞こえる。

大波が岩に打ちつけられ、引いてはまた打ちつけられるが如く体を揺らす。 方便品、如来寿量品の読経がつづく。 

 

私の妻の通夜の夜、外は大雨そして住職や自分自身の読経の響きに心高まり、心狂わされていました。 涙が止めどもなく流れ、通夜の挨拶は絶叫していました。 

葬式の日はからりと晴れ、あふれんばかりの参列者の前で乱れることなく喪主として、次男に導かれてこの天高く上っていった妻のことを語りました。 その時の様子がまざまざと思い出されました。

  

友人たちが奏でるギターなどの楽器の生演奏の音が流れる中、たむけの花をもつ最後の別れの人々の波がつづく。 出棺の時にも生のソウル演奏と歌が、物静かにむせび泣き、そして心叫ぶように別れを惜しむ。 

白いリムジンの霊柩車が出て行く。 天国の白い凱旋門をくぐるKOUTAROさん。 人生を終えた人々を迎える凱旋曲が鳴り響いている。 

万歳、さようなら、KOUTAROさん、またいつの日か会いましょう。 天国でソウルライヴをまた聞かせてください。 学生時代にギターをやっていた妻。 

彼女が向こうであなたをお待ちしています。 2人で、そして次男と一緒に待っててください。 

 

CD『闘病闘唄』の中にあった言葉

「病魔と闘っている最中に表現した唄! だから現実のバイブレーションなんだ! CDを通じてたくさんの方にKOUTAROの元気 受け取って欲しいんだ! 

病気や困難と闘っている同志諸君にこのCDを捧げます 闘病闘唄、なにがあっても絶対に負けないで! 勇気 希望 忍耐! 勇気 希望 忍耐! 勇気 希望 忍耐!  KOUTARO」

 

そして私の心を奮い立たせてくれた名曲。 

「いのちと出会う会」でも歌ってくれた『君といつまでも

『オー! ベイビ! 誰でもつらい時あるよね。 だけど元気出せよ あきらめないで / 時にはくじけたり泣いたりしても 信じているから あきらめないで / 空を見上げて 愛を感じて ハートを熱くして 傷をいやして / 何があっても もう迷ったりしない、ベイビー / ずっとそばにいて 感じあっていたい 君はいつまでも 

オー! ベイビ! 初めて夢の中で君を見た 泳ぐようにたわむれてはささやいた / 切なく長いため息の後に ようやく君とめぐり会えたから / 何があっても もう迷ったりしない ベイビ! / ずっとそばにいて 感じあっていたい 君はいつまでも  

涙流して泣いていても 先に進んで行こう 必ず光が見えてくる 2人であきらめないで / 何があっても もう迷ったりしない ベイビー / ずっとそばにいて 感じあっていたい 君はいつまでも』 

 

この曲は私への応援歌でもあります。 そばにいる妻と次男とにこのように声かけ合って生きて行きたい。 人が亡くなった時にはいつも「迎えに来てあげて」と2人に向かって心の中で念じています。 

KOUTAROさんのご冥福をお祈りいたします。

 

(前回の続き) 四天王寺では夜は門を閉めることなく野宿者が境内で寝ることは黙認してくれているのは救われる。 四天王寺は聖徳太子が物部氏との戦いに勝利するための祈願として立てられた。 

しかしその後は単なる国家鎮護のための寺院ではなく、民衆救済の拠点ともなった。 孤児・未亡人・病人などを救済する悲田院・施薬院そして療病院を設立された。 

その伝統を引いているのか、四天王寺は野宿者排除を完全にはしていない。 夜に門を閉ざすことなく警備員の巡回があっても野宿者を追い出さない。 聖徳太子の慈悲の伝統が生きているようである。

 

国境なき医師団

国境なき医師団のメンバー、フランス人女性やソーシャルワーカー、看護士の女性など数人が大阪駅前の炊き出し現場に先日様子を見に来ました。 大阪城公園や桜ノ宮公園に1週間に2度、国境なき医師団の無料医療巡回車を廻しているそうです。 

なんと恥ずかしいことか。 世界の難民の医療支援をしている団体が、この豊かな日本で放置されている野宿者に手を差し伸べ、彼らの医療問題の解決にきてくれている。 

 

あの豊かな国日本に路上で亡くなる人が200人もいて、政府も国民もそれに無関心で死なせるままに放置している。 ほとんどの食料を輸入に頼り、しかもその3分の1は捨てられている食料浪費国日本。 

飢えに苦しむ世界を横目に見て、もったいない、申し訳ないという気持ちもなく、国内の経済難民でさえ無視し見殺しにする金満大国日本。 そのような国を世界は尊敬の目でみるだろうか。 

仮想敵国や反日日本人に付け入るスキを与えてはいけない。 国家安全保障の見地からも許されざる問題である。 国民を大事にする政策や国を守る気概のある国民は敵国からの侵略の防波堤になると私は信じます。

 

憂国の士

この日本の話は世界中できっと物笑いの種になる。 あの聖徳太子の民衆救済の伝統はどうなったのか。 大東亜戦争の被抑圧民解放の国家使命はどこに消えたのか。 

あの窮民救済の旗を掲げて立ち上がった大阪の町奉行与力・大塩平八郎の魂を引き継ぐ者はいないのか。 あの大阪の義侠心は今は眠ってしまっているのか。 

明治維新のさきがけとなったあの決起。 死をも覚悟して大阪の民衆の窮状を救おうとしたあの熱き思いは今、大阪の人々の心にはないのか。 

 

大塩の乱を知っても、そのやむにやまれぬ心情を知識人間は知識のみ吸い取って満足し、その魂を学ぼうともしない。 吉田松陰は辞世の句に「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」と言われた。 憂国の情の前に自分の命など惜しくはなかった。 

 

赤穂浪士の討ち入りは主君浅野内匠守の復讐、単になるあだ討ちと考えられている。 しかし事実は天皇に対する不遜不敬の輩として吉良上野介を討ち取った義挙、勤皇精神に基づく天誅であった、という説を聞きました。 

赤穂浪士、大塩、松蔭と続く憂国の士は日本武士道の精華。 祖国への誇りを持ち、不条理に怒り、命を投げ出してまでこの国と民を救わんとした大和魂の発露なのです。 その祖父たちの「こころざし」の後に続きたいと思います。

        

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