12月31日(金)発信 bR97 石黒大圓
541‐0056
携帯 090−1146−7351 Eメール ishiguro@a1.hey‐say.net
今回のテーマ 大津波/今年最後の通信/クリスマスプレゼント/寝袋配り/うどん炊き出し
いつもありがとうございます。 「災」の流行文字の年の最後に大津波の惨状が伝えられました。 昔よく子供がTVで「まんが日本昔話」を見ていました。
そのなかに、津波が起こる前夜に津波で亡くなる多くの人の霊が村々から半透明な姿で出て来て天へ上っていった、という話がありました。 人の魂は亡くなる前に体から抜け出始めるようです。
世にも不思議な物語として病院などでもそんな話が語り継がれています。 日本にはそのように人の寿命は決められているという信仰が昔からあったように思われます。
理不尽な最期でもあえて甘んじて受け入れるのがこの世の定めかもしれません。
多くの亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
今年最後の通信
今回の通信が今年最後です。 今年も皆様に大変にお世話になりました。 泣いたり怒ったり喜んだりそしてすぐに反省猿になったりと、この1年大変な通信にお付き合いいただきありがとうございました。
今春に手書き文字からパソコン文字になり読みやすくなり、今までいかにヘタな字でご迷惑をお掛けしていたか、よくわかりました。 今はパソコンの前に座って考えを反芻している時は瞑想しているかのように三昧気分です。
しかし忙しくてそれもままなりません。 石黒家、石黒(株)、商店街の仕事、次々頼まれる用事などなど、全部1人では猫の手も借りたい。 しかしそもそもその猫の面倒も見なければならないこの浮世です。
今年は年末の墓参りもやっと昨日。 まだ年賀状は書けていなくて「パソコンで年賀状」の夢も間に合わない。 今年も年賀状書きの新年になりそうです。
通信仲間に新年の神社の手伝いを頼まれていましたが、時間がなくなってきて残念ながら出来なくなりました。 長男はこの新年も神戸の神社でバイトして家には帰って来ないらしい。
長男に代わりを勤めてもらおうと安易な考えの親になっています。 その代わりに新年しばらくしてから伊勢神宮に参ろうか、とも考えています。
日本国民は1年に1度はお伊勢参りを、毎月には産土神社参りを、と聞いていますので。
来年1月に「東郷平八郎提督」について私が話しをさせていただく機会があります。 日本をここまで築いていただいたすばらしい高貴な人格をもつ偉人が、軍人というだけで卑しめられていることには我慢なりません。 世界にもまれな「平和念仏」教の日本国民に公平な視点を、とこの時に吠えます。
『先人に学ぶ人間学塾』1月22日土 14時 地四つ橋線四ツ橋駅地下 1000円(田中氏へ6551―6194)
「いのちと出会う会」も皆様のご支援で今年もなんとか維持させていただきました。 ありがとうございました。 毎回「いのち」の話題提供者のお話の要旨をこの通信に載せたらよかったのですが、他の記載するものが次々に出てきて怠慢していました。
来年から以前の分も含めて掲載していきます。 録音テープや講演メモを参考にしながら要約するのは、感動を後に残すのにちょうどいいのですが、時間がかかりすぎ後回しになっていました。 いままでの46回分の整理を少しづつして行きます。
クリスマスプレゼント
先日大阪駅前の野宿者にクリスマスプレゼントをしました。 毎年はお菓子を渡していますが今年は厚地のパッチ下着にしました。 支援メンバーのクリスチャンたちから募金をいただき、船場の大手卸問屋のセットセールで買いました。
キルティングやアンゴラ風のものが一枚195円。 ここに住んでいると何でも物が安く買えるので助かります。
また、いつも寝袋を送ってもらっているホームセンターのコーナンからビッグイシューの事務所に寝袋50個を送らせました。 暑い日も寒い日も街で立ちっぱなしで自立生活を夢見て日々がんばっている人々。
この路上雑誌の販売員の疲れを取るためにも暖かい寝袋で寝てもらいたかった。 ここでも今年はいいクリスマスプレゼントができました。
寝袋配り
今年最後の炊き出しを27日に行ないました。 寝袋は駅前炊き出しの列に並ぶ野宿者の人数が多いため全員に渡せないので、掃除を手伝った人にのみ渡しています。
既に渡した人には時々風呂券を渡しています。 寒い時にたまには暖まってほしいものです。
24日付けの大阪日日新聞に私たちの寝袋配りの記事を載せていただきました。 「妻子は死んだが、この人たちを助けたい」「思い込めホームレスに寝袋配布」のタイトルで書いていただきました。
『「お休みのところすみません。ぼくら無料で寝袋を配っているのですが、いりませんか」 「ほんまに。 おおきに。 寒いから助かるわ」
このような言葉が幾度となくホームレスとの間で交わされる。 掲載の写真説明に「『ちゃんと入ってな』と寝袋を開けホームレスに使い方を説明する」とあります。
「妻と子が死んだ、それを助けられなかった。 だけど代わりにこの人たちを助けたい、やっぱりそれがあるねん」。
この冬の夜、ホームレスに届く一つ一つの寝袋には、石黒さんの妻子に対す思いが込められている』
第3回目の寝袋配りは50個持って、山王商店街や天王寺駅周辺で30個ほど配る。 北口から四天王寺に向かう商店街には10人ほどの若い娼婦たちが客引きに立っている。
その横ではダンボールを横に置いて座っている老女が2人。 この歳で路上生活か。 どんな生活をしてきたのだろうか。 この先どんな生活をしていくのだろうか。
皆、希望のない出口の見えない人生を路上で生きている。 天王寺公園入り口付近では10人ほど、そして最後は天満橋駅で5人ほど。
そこに中年の女性が階段で膝をかかえて座っていた。 寝袋いりますかと聞いてもいらないと言うばかり。 この寒空で毎夜どうしてすごしているのか。 無念。
阪急の高架下にも膝をかかえた野宿者がいる。 やはり精神を病んでいて話に乗ってこない。 寝袋や毛布なしで冬をすごし路上死で人生を終えるのだろうか。
もう早くこの人生を終えたいと考えているのだろう。 そう考えている間に精神を病むのだ。
第4回目はまず山王商店街へ。 70代のしわだらけの老婆が毛布1枚で道端に寝ている。 そばに座っている老人に聞くと「わしが毛布をあげたんや」という。
まるで行き倒れのように寝込んでいる。 いくら起こしても起きないので寝袋をその老野宿者に託して去る。 毛布も寝袋もなかったらきっとあの老婆は凍死している。
どんな人生をくぐってきたか、あの顔のしわは語ってくれないが、人生の最期が冷たい路上では切ない。
生き方が悪かったからこんな目に会うんや、と突き放してみる人もいるだろう。 しかしその人にはその人のこうならざるを得ない事情があったのだろう。 誰もそれを責める権利はない。
イエスが、売春婦を責めて石を投げて殺そうとする人々に言った。 「あなた方の中で何の罪も犯していないと思う人はその人に石を投げなさい」。
人々は誰も石を投げずに去っていった。 誰も目に見えない、その人が背負った人生に審判を下してはいけない。
それができるのは神仏だけ。 そしてあの世での最後の審判とは、自分の生涯すべてを一瞬のうちに見させられた後に自分自身が自分を審判する。 けっして閻魔大王が審判するのではない。
それができるのは人間は魂の底で神仏とつながっている存在だから。 臨死体験者はその体験を報告している。
その体験談から、人はすべて天国浄土へ行けるように、神仏が取り計らってくれているのだと思うようになりました。 だから悪人でも浄土へいける。 ありがたいと思います。
我が子を最後まで苦しめる神仏などいない。
次に阿倍野区民ホール周辺や、恵美須町の阪堺線路面電車始発駅のかすみ町駅周辺で10人ほど。 日本橋電気街商店街のアーケードの下周辺ですべて配り終える。
今年は早くもこのあたりまで来た。 今年は路上で寝ている人が少ないから市内中心部まで早くやって来てしまった。 しかし野宿者は移動が激しいので何度も同じ所に配布に行かなくてはいけない。 2月までこの繰り返しが続きます。
第5回目の寝袋配りはミナミ道具屋筋、日本橋の高島屋別館家具売り場ビル周辺で20個ほど。 小さなクリスマスケーキを食べている野宿者たち。 個人でおにぎりなどを配布してくれている人もいる。
人々の列を日本橋電気街で見つける。 新しいゲーム機の販売か何かで並んでいるのかと聞くと、野宿者が教会からおにぎりの配布があるので並んでいると言う。
ちょうど今日は寝袋が余っているから、よかったと皆に20個ほど渡す。 皆ニコニコ顔になる。
なかに顔見知りがいた。 釜が崎のふるさとの家で本田神父のミサを一緒に聞いていた野宿者だった。 ここで親しくなったクリスチャンのオヤジにウヨク呼ばわりされて以来1年ほどミサには行かなくなった。
最後は山王商店街へ行って今年最後の配布は終わりました。 来年に50個注文して寝袋カンパの金は尽きます。 まだ予定の半分しか配布できていない。
日頃恵まれている生活をさせてもらっているのだから、その分不足分は自腹で支援していきます。
うどんの炊き出し
26日には小さな親切運動のうどんの炊き出しが釜が崎の三角公園でありました。 我々のメンバーは20人ほど、伊賀上野などからも外人を含めて20人ほどが来ている。
炊き出し専従の労働者を含めて全員で50人にもなる。 釜が崎は初めてという人々を連れて周辺を案内する。
参加者のなかに不登校を時々やっている女子中学生がいた。 「いのちと出会う会」で話をしていただいた山藤さんが連れてきた子で、うどんを渡す前におにぎりを配る役を頼んだ。
その子が泣いている。 聞くと「私、何もしてへんのに皆んなが『ありがとう』と言ってくれるねん。 何かわからへんけど涙が出るねん。
お父さんに似た人におにぎりを渡してよけい泣けてきた」とかわいらしい目を真っ赤にしている。 専従の労働者に冷やかされて、よけい泣いては笑いしながらよく働いていてくれている。
山藤さんは「存在しているだけで人は皆、他の人を癒しているんだよ」と言われた。 不登校や非行の子供たちの面倒を見ている人は、人の存在の意味をよく見ている。
20列縦隊で各50人ほどの野宿者の人々の波は壮観である。
なかに親しくなっている酔っ払いのオッチャンの姿を見た。 いつもニコニコして酔っ払っていて体をさわってくる人だ。 寄っていくと今日は凛々しい真顔で酔っ払っていない。 断酒の会にでも行っているのだろうか。
サヨクのクリスチャンのオヤジにウヨク呼ばわりされて以来ここの専従の労働者に冷たい目で見られた。 しかし今日は温かい目で見てくれる。
我々の所に来た支援米1,5トンの一部を先日分けてあげたためだろうか。 イデオロギーにかぶれた信仰者は恐ろしい。
通信仲間の1人が野宿者を自分の家に引き取ると言い、その人の荷物を車で高槻まで運びました。 日本橋電気街の裏手にダンボールの山の荷物を抱えていた。
他の野宿者との人間関係や夜も安眠できない環境から逃げ出したかったようだ。 車中でその野宿者はしゃべりづめ。
サラリーマンから事業を起こしたがバブル崩壊で倒産。 昔の知り合いに顔を見られたくないので帽子にサングラスをしている。
25日に通信仲間のミナミ「料亭つる井」さんで餅つきがあり参加。 知人が京都の的場剣友会に所属していて「かみしも」を着た「さむらい」の扮装をする。 今回で3回目。
餅つきの前に「おいらん道中」があり女形の花魁の露払いの役を2人でして、戎橋筋や道頓堀界隈を練り歩く。 すたれゆく日本料亭文化の火を絶やさぬようにとの思いで、優しき人々の願いを込めて続けられているイベント。
普段は日の丸を振っていますが、日本の伝統文化を守る行動にも来年も参加していきます。 来たる年も日本国民に誇りと自信を回復していただく通信や活動を続けますので、よろしくお願いいたします。
また新年も皆様にとりよき年となりますようお祈り申し上げます。
12月31日(金)発信 bR97 石黒大圓
541‐0056
携帯 090−1146−7351 Eメール ishiguro@a1.hey‐say.net
今回のテーマ 大津波/今年最後の通信/クリスマスプレゼント/寝袋配り/うどん炊き出し
いつもありがとうございます。 「災」の流行文字の年の最後に大津波の惨状が伝えられました。 昔よく子供がTVで「まんが日本昔話」を見ていました。
そのなかに、津波が起こる前夜に津波で亡くなる多くの人の霊が村々から半透明な姿で出て来て天へ上っていった、という話がありました。 人の魂は亡くなる前に体から抜け出始めるようです。
世にも不思議な物語として病院などでもそんな話が語り継がれています。 日本にはそのように人の寿命は決められているという信仰が昔からあったように思われます。
理不尽な最期でもあえて甘んじて受け入れるのがこの世の定めかもしれません。
多くの亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
今年最後の通信
今回の通信が今年最後です。 今年も皆様に大変にお世話になりました。 泣いたり怒ったり喜んだりそしてすぐに反省猿になったりと、この1年大変な通信にお付き合いいただきありがとうございました。
今春に手書き文字からパソコン文字になり読みやすくなり、今までいかにヘタな字でご迷惑をお掛けしていたか、よくわかりました。 今はパソコンの前に座って考えを反芻している時は瞑想しているかのように三昧気分です。
しかし忙しくてそれもままなりません。 石黒家、石黒(株)、商店街の仕事、次々頼まれる用事などなど、全部1人では猫の手も借りたい。 しかしそもそもその猫の面倒も見なければならないこの浮世です。
今年は年末の墓参りもやっと昨日。 まだ年賀状は書けていなくて「パソコンで年賀状」の夢も間に合わない。 今年も年賀状書きの新年になりそうです。
通信仲間に新年の神社の手伝いを頼まれていましたが、時間がなくなってきて残念ながら出来なくなりました。 長男はこの新年も神戸の神社でバイトして家には帰って来ないらしい。
長男に代わりを勤めてもらおうと安易な考えの親になっています。 その代わりに新年しばらくしてから伊勢神宮に参ろうか、とも考えています。
日本国民は1年に1度はお伊勢参りを、毎月には産土神社参りを、と聞いていますので。
来年1月に「東郷平八郎提督」について私が話しをさせていただく機会があります。 日本をここまで築いていただいたすばらしい高貴な人格をもつ偉人が、軍人というだけで卑しめられていることには我慢なりません。 世界にもまれな「平和念仏」教の日本国民に公平な視点を、とこの時に吠えます。
『先人に学ぶ人間学塾』1月22日土 14時 地四つ橋線四ツ橋駅地下 1000円(田中氏へ6551―6194)
「いのちと出会う会」も皆様のご支援で今年もなんとか維持させていただきました。 ありがとうございました。 毎回「いのち」の話題提供者のお話の要旨をこの通信に載せたらよかったのですが、他の記載するものが次々に出てきて怠慢していました。
来年から以前の分も含めて掲載していきます。 録音テープや講演メモを参考にしながら要約するのは、感動を後に残すのにちょうどいいのですが、時間がかかりすぎ後回しになっていました。 いままでの46回分の整理を少しづつして行きます。
クリスマスプレゼント
先日大阪駅前の野宿者にクリスマスプレゼントをしました。 毎年はお菓子を渡していますが今年は厚地のパッチ下着にしました。 支援メンバーのクリスチャンたちから募金をいただき、船場の大手卸問屋のセットセールで買いました。
キルティングやアンゴラ風のものが一枚195円。 ここに住んでいると何でも物が安く買えるので助かります。
また、いつも寝袋を送ってもらっているホームセンターのコーナンからビッグイシューの事務所に寝袋50個を送らせました。 暑い日も寒い日も街で立ちっぱなしで自立生活を夢見て日々がんばっている人々。
この路上雑誌の販売員の疲れを取るためにも暖かい寝袋で寝てもらいたかった。 ここでも今年はいいクリスマスプレゼントができました。
寝袋配り
今年最後の炊き出しを27日に行ないました。 寝袋は駅前炊き出しの列に並ぶ野宿者の人数が多いため全員に渡せないので、掃除を手伝った人にのみ渡しています。
既に渡した人には時々風呂券を渡しています。 寒い時にたまには暖まってほしいものです。
24日付けの大阪日日新聞に私たちの寝袋配りの記事を載せていただきました。 「妻子は死んだが、この人たちを助けたい」「思い込めホームレスに寝袋配布」のタイトルで書いていただきました。
『「お休みのところすみません。ぼくら無料で寝袋を配っているのですが、いりませんか」 「ほんまに。 おおきに。 寒いから助かるわ」
このような言葉が幾度となくホームレスとの間で交わされる。 掲載の写真説明に「『ちゃんと入ってな』と寝袋を開けホームレスに使い方を説明する」とあります。
「妻と子が死んだ、それを助けられなかった。 だけど代わりにこの人たちを助けたい、やっぱりそれがあるねん」。
この冬の夜、ホームレスに届く一つ一つの寝袋には、石黒さんの妻子に対す思いが込められている』
第3回目の寝袋配りは50個持って、山王商店街や天王寺駅周辺で30個ほど配る。 北口から四天王寺に向かう商店街には10人ほどの若い娼婦たちが客引きに立っている。
その横ではダンボールを横に置いて座っている老女が2人。 この歳で路上生活か。 どんな生活をしてきたのだろうか。 この先どんな生活をしていくのだろうか。
皆、希望のない出口の見えない人生を路上で生きている。 天王寺公園入り口付近では10人ほど、そして最後は天満橋駅で5人ほど。
そこに中年の女性が階段で膝をかかえて座っていた。 寝袋いりますかと聞いてもいらないと言うばかり。 この寒空で毎夜どうしてすごしているのか。 無念。
阪急の高架下にも膝をかかえた野宿者がいる。 やはり精神を病んでいて話に乗ってこない。 寝袋や毛布なしで冬をすごし路上死で人生を終えるのだろうか。
もう早くこの人生を終えたいと考えているのだろう。 そう考えている間に精神を病むのだ。
第4回目はまず山王商店街へ。 70代のしわだらけの老婆が毛布1枚で道端に寝ている。 そばに座っている老人に聞くと「わしが毛布をあげたんや」という。
まるで行き倒れのように寝込んでいる。 いくら起こしても起きないので寝袋をその老野宿者に託して去る。 毛布も寝袋もなかったらきっとあの老婆は凍死している。
どんな人生をくぐってきたか、あの顔のしわは語ってくれないが、人生の最期が冷たい路上では切ない。
生き方が悪かったからこんな目に会うんや、と突き放してみる人もいるだろう。 しかしその人にはその人のこうならざるを得ない事情があったのだろう。 誰もそれを責める権利はない。
イエスが、売春婦を責めて石を投げて殺そうとする人々に言った。 「あなた方の中で何の罪も犯していないと思う人はその人に石を投げなさい」。
人々は誰も石を投げずに去っていった。 誰も目に見えない、その人が背負った人生に審判を下してはいけない。
それができるのは神仏だけ。 そしてあの世での最後の審判とは、自分の生涯すべてを一瞬のうちに見させられた後に自分自身が自分を審判する。 けっして閻魔大王が審判するのではない。
それができるのは人間は魂の底で神仏とつながっている存在だから。 臨死体験者はその体験を報告している。
その体験談から、人はすべて天国浄土へ行けるように、神仏が取り計らってくれているのだと思うようになりました。 だから悪人でも浄土へいける。 ありがたいと思います。
我が子を最後まで苦しめる神仏などいない。
次に阿倍野区民ホール周辺や、恵美須町の阪堺線路面電車始発駅のかすみ町駅周辺で10人ほど。 日本橋電気街商店街のアーケードの下周辺ですべて配り終える。
今年は早くもこのあたりまで来た。 今年は路上で寝ている人が少ないから市内中心部まで早くやって来てしまった。 しかし野宿者は移動が激しいので何度も同じ所に配布に行かなくてはいけない。 2月までこの繰り返しが続きます。
第5回目の寝袋配りはミナミ道具屋筋、日本橋の高島屋別館家具売り場ビル周辺で20個ほど。 小さなクリスマスケーキを食べている野宿者たち。 個人でおにぎりなどを配布してくれている人もいる。
人々の列を日本橋電気街で見つける。 新しいゲーム機の販売か何かで並んでいるのかと聞くと、野宿者が教会からおにぎりの配布があるので並んでいると言う。
ちょうど今日は寝袋が余っているから、よかったと皆に20個ほど渡す。 皆ニコニコ顔になる。
なかに顔見知りがいた。 釜が崎のふるさとの家で本田神父のミサを一緒に聞いていた野宿者だった。 ここで親しくなったクリスチャンのオヤジにウヨク呼ばわりされて以来1年ほどミサには行かなくなった。
最後は山王商店街へ行って今年最後の配布は終わりました。 来年に50個注文して寝袋カンパの金は尽きます。 まだ予定の半分しか配布できていない。
日頃恵まれている生活をさせてもらっているのだから、その分不足分は自腹で支援していきます。
うどんの炊き出し
26日には小さな親切運動のうどんの炊き出しが釜が崎の三角公園でありました。 我々のメンバーは20人ほど、伊賀上野などからも外人を含めて20人ほどが来ている。
炊き出し専従の労働者を含めて全員で50人にもなる。 釜が崎は初めてという人々を連れて周辺を案内する。
参加者のなかに不登校を時々やっている女子中学生がいた。 「いのちと出会う会」で話をしていただいた山藤さんが連れてきた子で、うどんを渡す前におにぎりを配る役を頼んだ。
その子が泣いている。 聞くと「私、何もしてへんのに皆んなが『ありがとう』と言ってくれるねん。 何かわからへんけど涙が出るねん。
お父さんに似た人におにぎりを渡してよけい泣けてきた」とかわいらしい目を真っ赤にしている。 専従の労働者に冷やかされて、よけい泣いては笑いしながらよく働いていてくれている。
山藤さんは「存在しているだけで人は皆、他の人を癒しているんだよ」と言われた。 不登校や非行の子供たちの面倒を見ている人は、人の存在の意味をよく見ている。
20列縦隊で各50人ほどの野宿者の人々の波は壮観である。
なかに親しくなっている酔っ払いのオッチャンの姿を見た。 いつもニコニコして酔っ払っていて体をさわってくる人だ。 寄っていくと今日は凛々しい真顔で酔っ払っていない。 断酒の会にでも行っているのだろうか。
サヨクのクリスチャンのオヤジにウヨク呼ばわりされて以来ここの専従の労働者に冷たい目で見られた。 しかし今日は温かい目で見てくれる。
我々の所に来た支援米1,5トンの一部を先日分けてあげたためだろうか。 イデオロギーにかぶれた信仰者は恐ろしい。
通信仲間の1人が野宿者を自分の家に引き取ると言い、その人の荷物を車で高槻まで運びました。 日本橋電気街の裏手にダンボールの山の荷物を抱えていた。
他の野宿者との人間関係や夜も安眠できない環境から逃げ出したかったようだ。 車中でその野宿者はしゃべりづめ。
サラリーマンから事業を起こしたがバブル崩壊で倒産。 昔の知り合いに顔を見られたくないので帽子にサングラスをしている。
25日に通信仲間のミナミ「料亭つる井」さんで餅つきがあり参加。 知人が京都の的場剣友会に所属していて「かみしも」を着た「さむらい」の扮装をする。 今回で3回目。
餅つきの前に「おいらん道中」があり女形の花魁の露払いの役を2人でして、戎橋筋や道頓堀界隈を練り歩く。 すたれゆく日本料亭文化の火を絶やさぬようにとの思いで、優しき人々の願いを込めて続けられているイベント。
普段は日の丸を振っていますが、日本の伝統文化を守る行動にも来年も参加していきます。 来たる年も日本国民に誇りと自信を回復していただく通信や活動を続けますので、よろしくお願いいたします。
また新年も皆様にとりよき年となりますようお祈り申し上げます。