平成17年1月4日(火)発信 bR98 石黒大圓

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今回のテーマ 年賀状/日本国の還暦/赤穂四十七士/日露戦争/日本武士道/野宿者

 

 新年あけましておめでとうございます。 いつもありがとうございます。

今年もよろしくお願い申し上げます。 皆様いかが新年はお過ごしでしょうか。 

 

以下は「はがき道」の坂田道信先生にならって今年の年賀状として知人へ送ったものです。 多くの方から年賀状をいただきました。 ありがとうございました。 

しかしながら申し訳ありませんが、通信仲間の方々へは今回の通信をもって平成十七年の年賀状の代わりとさせていただきます。 ご了承ください。 

 

年賀状

『 年賀 あけましておめでとうございます。 我が家ではおかげさまで私も長男も元気に新しい年を迎えることが出来ました。 昨年も多くの方々とのお出会いをいただき、またご縁を深めさせていただきました。 心よりお礼申し上げます。 これも父母・妻子からの良き導きと思い感謝しております。 今年は終戦60周年。 日本国も還暦を迎えました。 新しい日本の夜明けが近づいています。 日本も再び自尊心と誇りを取り戻し始めています。 昨年までは「貧しく小さくされた人々のいのち」にかかわる活動を支援させていただいてきました。 今年からは同時に「心貧しく小さくされてしまった日本のいのち」を振起する動きにかかわって行きます。 再び美しい日本の心を取り戻すために身を尽くして「国直し」の一助となることを夢見ています。 また現在の与えられた恵みに感謝し、精一杯ご恩に報いていきます。 そのことを通して自己をみつめ人生を豊かに歩んでいきたく思っております。 本年も皆様にとりより良き年でありますようお祈り申し上げます。 

平成17年元旦  石黒大圓・敏之』

 

日本国の還暦

今年は大東亜戦争終戦60周年、日露戦争戦勝(終戦)100周年、日韓国交回復40周年そして歴史教科書が新たに選択される記念すべき年。 日本国民としての誇りと自尊心を失わせる自虐史観との戦いの年です。 

なお「太平洋戦争」とはアメリカ側の呼称です。 日米戦争でなく米日戦争と呼んでいるようなもので、侮辱的。 太平洋だけで戦ったのはアメリカだけ。 日本は東アジア全体で自尊自衛の戦いを行ない「大東亜戦争」と呼称した。 

 

この名前が気に入らないのはアメリカの東京裁判史観による洗脳教育が骨の髄まで染み込まされている証拠。 占領軍と共産主義者によって日本憎しの感情が刷り込まれているのです。 

幼児体験が人生を作る」と同じ経験を日本国民は敗戦国として甘んじて受けてきた。 日本はもはやそのような洗脳の奴隷ではありません。 

そして今年は北朝鮮が東京に核ミサイルを撃ち込む決意を固める年。 そして日本国が屈辱の敗戦から還暦を迎える年。 今年こそ日本の誇りを取り戻す活動に邁進したいものです。  

 

以下は22日に東郷平八郎提督について話させていただく「先人に学ぶ人間学塾」の案内文です。

「日本は明治期、西洋列強の植民地化を阻止し世界で唯一独立を保持し、近代国家を築き上げました。 その先人の血のにじむ努力の跡をしのび、後世の若き日本人に伝えたい。 

今回は日露戦争において日本海海戦を大勝利に導き、世界の英雄と評された東郷平八郎提督を取り上げさせていただきます。 世界の海軍軍人が絶賛してやまない彼の生涯や人格から私たちが学ぶべきことは今も限りなくあります」。

 

(当時タイ国など他に独立国は4カ国あったが、皆、植民地国の都合で独立の形をしていただけ。 タイの場合は隣のフランス領ベトナムやイギリス領ビルマとの間で緩衝地帯になっていてお互いに牽制されていて、やっと独立を保持できていた)

 

赤穂四十七士

12月14日は亡母の誕生日。(父の誕生日は10月14日、次男は9月14日、不思議な「えにし」に結ばれている) そして四十七士の討ち入りの日。 この日は本来、昔使われていた太陰暦・旧暦では1ヶ月遅くて1月の大雪の降る月の14日でした。 

赤穂浪士は勤皇の精神で吉良を討ったと昨年書きました。 吉良邸に討ち入りする時に打たれた「山鹿流」陣太鼓。 赤穂藩はその儒学者・山鹿素行と縁が深くその教えによって文武武両道に秀でていた。 

山鹿素行は徳川家光の師範となる予定の優れた学者だった。 家光の急逝で昔居住していた赤穂へ移り藩の家老待遇で召抱えられた。 

しかし再び江戸に出て門弟3000人も抱える大学者になった。 だが江戸の官製の朱子学を空理空論と批判して流罪となり再び赤穂へ戻された。 

山鹿素行は実践思想を旨とし、皇室崇敬の思想を持っており浅野内匠守もそれに学んでいた。 

 

一方の吉良上野介は幕府と朝廷の間を取り持つ役目を与えられていた。 時の後西天皇は聖徳太子の再生かと言われるほど英明な方であったが、先代の天皇と同じように反幕府思想を持っておられ吉良はそれが気に入らなかった。 

ちょうどその頃世間には大地震・大洪水・大火事・流行病などが頻繁に起こり、また伊勢内宮や御所も炎上した。 吉良は天変地異の続発を天皇の帝徳が至らぬためと譲位を迫り、幼い天皇を即位させた。 

そしてその退位工作の成功により吉良は昇進まで遂げている。 その行為を不遜不敬の輩と見なし城中での刃傷に及んだのです。 決して私憤ではなく公憤として吉良を討ったのです。  

 

幕府は赤穂浪士の討ち入りを幕府への謀反として処理しようとした。 しかし内実は勤皇思想に基づく決起でもあったために、2重の意味で世の中から封印し関係書物を禁書にして隠した。 

だが庶民はこの義挙を武士道の鏡として「仮名手本忠臣蔵」として世に伝えてきたのです。 のちの明治維新へと導いた勤皇の精神の最初の発露だったのです。 

【以上「大和心のつどひ」において中島剛先生から学んだもの」 

 

(私事ですが、このときに幕府老中としてこの事件の処理にあたった柳澤吉保の元に仕えていたのが私の家の先祖で、柳澤氏が大和郡山の城主として甲府から大和へ下って来たとき付き従ってきたのです。 母は誕生日で討ち入りと縁がありましたが、私も間接的に四十七士と縁があるのです)

 

日本武士道

話は飛びますが、明治の日露戦争の時アメリカの大統領セオドアー・ルーズベルトに日本としては日露の間に入って仲裁することを願い出た。 当時アメリカは南北戦争が終わった後で、その戦争で北軍を支援してくれたロシアに国民は親近感をもっていた。 日本支援は難しかった。 

しかしその時ルーズベルトは日本使節に1冊の本を見せた。 彼はこの英文に翻訳された赤穂四十七士の物語に深く感銘していた。 

東洋の島国にこのような忠義な勇敢な戦士がいたことに感動していると述べ、日本のために日露間の仲立ちを決意してくれたのです。 200年前の日本武士道の精華が外人をも感激させ、日本を救ってくれたのです。

 

武士道は決して好戦的な人間を育てるものではなく、欧州の騎士道に似たものであり、紳士を目指すものであった。 人格高潔でマナーを尊び、かつ武勇に優れ、なおかつ教養人としての素質も持ち、社会的なリーダーとして世間から尊ばれる人格を目指した。 

東西にいたこの二つの階層の精神的基盤があったが故に、欧州と日本でのみ政治・経済・軍事の近代化が他の地域の国々より早く可能となったのです。

 

日露戦争

22日に東郷平八郎提督の話をしますので、日露戦争のことがこれからこの通信によく載ると思います。 日露戦争の時、日本の武士道はよく発揮された。 決して勇敢な戦いをしたというだけではない。 武士道は「武士の情け」という言葉もあるように人道的な側面もそなえていたのでした。 

 

日露海戦の折には沈没したロシア艦のおぼれる乗組員数百名を日本軍は救助した。 白人なら作戦中に邪魔になる敵兵捕虜などは見殺しにしていた。 また大東亜戦争中も戦艦が沈没し海面に浮かんでいる敵兵を機銃照射することもなく、犠牲者を悼む花輪を投げていった日本の飛行機に敵兵も感激したという逸話があるのです。 

 

最近、赤穂浪士と吉良家の子孫が対面する催しがあったが、赤穂側の子孫は誇りを持っていたが、吉良側にはそれがなかった。 祖先への誇りが人を輝かせる。 

今の日本国民にはその祖先と祖国への誇りが失われていて心に輝きがない。 また民を憂うが、この国を憂うる心はなく、心貧しくして将来への希望もない。 

赤穂浪士のように自分の「いのち」よりもっと大きな価値のため、自らの「いのち」をも顧みない人間にあこがれる子供たちが増えれば、日本は変わる。 

妙法蓮華経にある「不自惜身命(自らの命をも惜しまない)の精神があれば、仏が見えてくる。 日本の再生は日本の神仏の願いでもあると信じるのです。

 

日露戦争の旅順・二百三高地激戦の折、乃木将軍はこの地を攻めあぐね膨大な戦死者を出していた。 留守宅の乃木邸には暴徒が石をなげ「乃木の人殺し、死ね」の罵声が飛び交っていた。 

妻の静子夫人は伊勢参拝のためにこっそり家を抜け出た。 そして「1日も早く戦争が勝利しますように」と神に祈った。 

その時神の声がして「聞き入れよう。 しかしその代わりお前の息子2人の命はもらうが良いか」と言われた。 静子夫人は「はい」と苦渋の返事をした。 しばらくして二百三高地は攻略されたが、息子2人は帰っては来なかった。  

 

のちに明治天皇が崩御された時に夫妻は後を追って自害された。 しかし決して単なる後追いではなく、将来ある多くの若者を戦死させてしまったという責任感から、はるか昔に乃木将軍には決意ができていたといわれる。 

日本国民は「恥の文化」を持つといわれるが、神道や仏教の影響もあり罪の意識も強く持っていたと言われる。 それが日本武士道にも反映していた。 

そして伊勢神宮の神の言葉にもあるように日本の運命は日本の神仏の手のうちにあり、日本国民の心次第で日本の運命は変転すると思うのです。

 

野宿者

野宿者と掃除をしながら教えてもらいました。 「今年は路上で寝ている野宿者が少ないな。 シェルター(大阪市が設置している無料簡易宿泊所)の数が増えて、そこに寝る人が増えたからか?」   

「いや、俺はシェルターには行きたくない。 あそこは虫(シラミ)が一杯で移されたらひどい目に会うから。 去年南港のシェルターへ行って移された連中は皆今年は行かない。 

文句言ったら『南港のシェルターで年末年始と寝させてもらって食べさせてもらって、文句言うな』と言われた」。 お上に楯突くな、ということだ。 野宿者保護といっても心はこもっていない。

 

シラミにやられたら衣類を皆捨てなくてはならない、夜はかゆくて寝られない。 西成にたくさん出来たシェルターへもシラミが恐ろしくて行かない人がいる。 

寒い路上の方がまだましと他の人にも聞きました。 行政の施策がきめ細かくなく温か味がない。 「してやっている」という感覚で、野宿者支援者の「させてもらっている」という姿勢と大きく異なる。 

 

外国の支援関係者によると「日本のホームレスはよく働く」という。 体に覆いかぶさるくらいダンボールの山を集めてリヤカーで運んでいる。 それでもたったの1000円にしかならない。   

皆と競っているので朝は早くからアルミ缶集めに出かけ昼に寝る。 また夜寒くて眠れないので夜中じゅう歩いて昼間に寝る。 

寒いので酒を飲んで暖まり、希望のない明日を忘れるためにまた飲む。 その姿を見て昼間から酒を食らって寝ている怠け者と世間は非難する。 

そして肝臓を傷めて、また冷たい路上で寝て体を冷やし寿命を縮めている。 路上では人や車が通るたびに起こされ安眠できない。 火をつける奴、石を投げる奴もいる。   

 

野宿者は「こんな目に会うのは自分の責任だ」という。 しかし景気が悪い時に就職できるパイは限られている。 

あなたが野宿していなかったら他の人が野宿しているんだよ、と支援者は言ってやるらしい。 あなたは他の人の重荷を自分が犠牲になって代わりに背負ってあげているんですよ。 

中野真理子さんのお父上が終戦後、浮浪者の子供たちの面倒を見てあげたのと同じ考えと思う。 自分の部下を救えなかった分、その子たちをその部下の子供と思って育てあげた。 

自分が生きて生還した陰には多くの戦友の死があった。 その犠牲者たちの代わりにせめて目の前で苦しんでいる孤児を救ってやりたかったのでしょう。

 

自分が今、平穏無事で暮らしている陰には、他で犠牲になっている人や泣いている人がいる。 その人々のために手を合わせる人が多くなれば、日本という国は再びかっての栄光を取り戻せると信じます。  

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