平成17年1月11日(火)発信 bR99 石黒大圓

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今回のテーマ 新年の寝袋配布/宮沢賢治/東郷平八郎・日露戦争

 

いつもありがとうございます。 年賀状をありがとうございました。 新年が明けても私はずーっと忙しい日々を送っています。 

年賀状書きも終わり「石黒もウヨクになったなあ」と思われる賀状を書いて来年から疎遠になる人も出るでしょうが。 ただわが道を行くのみです。 人生長くはないので好きに生きます。 

なお今回文章が入りきれなかったので小活字にしたため、行間は広くなりましたが、これは読みにくいでしょうか?

 

新年の寝袋配布

新年第1回目の寝袋配りは七日に行いました。 年末年始も配布ができたのに寝袋の手配が十分に出来ていなくできなかった。 残念。 

年末年始10日間は2000人の野宿者が南港のシェルターで過ごせたので、路上で寝ている人は少なかったかもしれない。 (その代わり市内のシェルターは年末閉鎖だったと思います)  

 

南港では3食食べられるが200円くらいの食事でまずいといっている人もいるし、ありがたいと思っている人もいる。 7日に廻ったら「南港から帰ってきたばかりだが、釜が崎のシェルターに入りそびれた」という人が多くいた。 

入所するための列に早くから並ぶのがこの寒空ではつらいのだろう。 やはりシェルターでシラミを移されるのが嫌だという人もいた。  

 

そういえば新宿の老野宿者の映画「あしがらさん」でも彼はしょっちゅうトントンと体をゆすっていた。 こうするとシラミが落ちるのだそうだ(本当か?) 

シラミは50度の温度でないと死なないし、その卵は100度でないと死なない。 駆除するには下着から衣類から全部捨てて風呂に入らなくてはならない。 

着の身着のままで風呂に入る金も惜しい野宿者にとってはしょっちゅう、かかなくてはならないシラミは死活問題である。

 

チン電のかすみ町駅の裏の路上でへたり込んでいる老野宿者がいた。 寝袋に入れてあげる。 こんな自分の父親のような老人が防寒衣を着ているとはいえ、路上で新聞紙1枚の上で寝ようとしていたのか。 そう思うと久しぶりに目頭が熱くなった。 

 

ミナミ道具屋筋。 この商店街の北入り口には吉本新喜劇や淳久堂書店がある繁華街だ。 その華やかな街のすぐ横の道具屋筋の路上で夏には30人、冬には10人の野宿者が寝ている。 

シャッターの前で酒に酔いつぶれてジャンパー1枚で寝ている野宿者がいた。 起こしてもいびきをかいて起きないので、寝袋を開いて体の上にかけてあげた。 

 

朝起きたら寝袋がかかっている。 「誰がくれたのだろう。 凍えることもなく体もすっきりした。 ありがたい。」と元気に今日も生きていこうという気持ちになってもらえたら、と思う。 

風のように来て風のように去っていく私たち三人は「風の又三郎」か。 

 

宮沢賢治

その風の又三郎の作者・宮沢賢治は「アメニモマケズ」を書いて遺言としていた。 賢治は霊感をもっていて人の霊が見え、木の声、動物の声、風の声が聞こえたという。 

だから植物や動物が会話する膨大な数の童話を書くことができた。 また法華経を読んで仏界・霊界の姿が描かれていると身震いしたという。 

熱心な法華経信者となり故郷・花巻でうちわ太鼓を鳴らしながら「南無妙法蓮華経」と唱え歩いたと伝えられている。 

 

「 雨にもまけず 風にもまけず 

雪にも夏の暑さにもまけぬ 丈夫なからだをもち 

欲はなく 決して怒らず いつもしずかにわらっている 

1日に玄米4合と 味噌と少しの野菜をたべ 

あらゆることを じぶんをかんじょうに入れず 

(少々略) 

東に病気のこどもあれば 行って看病してやり 

西につかれた母あれば 行ってその稲の束を負い 

南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい 

北にけんかやそしょうがあれば つまらないからやめろといい  

ひでりのときはなみだをながし さむさのなつはおろおろあるき 

みんなにでくのぼーとよばれ ほめられもせず くにもされず 

そういうものに わたしはなりたい 」 (原文はカタカナで文語体です)

 

この詩は賢治が亡くなった後に彼のトランクの中から発見された。 法華経信仰の真髄が書かれているといわれる。 法華経は原始キリスト教の影響がもっとも多い大乗仏教の経典といわれる。   

私はこの精神で生活し人に接し、また行動したいと思っていますが、思いと現実とは異なるばかりです。

 

26歳のとき賢治は最愛の妹トシさんを病で亡くした。 賢治のよき理解者であり信仰を1つにするたったひとりの道連れだった。 

トシさんを亡くし慟哭し、彼女の魂の行方を求めて青森、北海道、樺太を魂の抜け殻のようにさまよった。 

 

そしてその悲しみの結晶が「訣別の朝」などの多くの挽歌として残されている。 「銀河鉄道の夜」は彼が臨死体験したことがきっかけで書かれたといわれるが、遠い北の空へ駆け上がっていったトシさんへの思いも書き込まれているのだろう。 

私のこの通信も亡き妻子への挽歌でもあります。

 

東郷平八郎・日露戦争

22日の「先人に学ぶ人間学塾」は14時から 地下鉄四つ橋線四ツ橋駅下車2番出口から出て その地下ビルの地下センターにある 四ツ橋ビル地下センター会議室にて(管理事務所6531―3686) わかりにくい所なので連絡は前もって石黒へ(090―1146‐7351)

 

東郷平八郎提督を選んだ問題意識として以下を配布参考資料の1つとしました。 以前に通信に載せたものがほとんどで重複しています。 

 

 東郷神社   

3人のイラク人質事件のとき外務省が東京の東郷神社へ情報収集に向かいました。 なぜか。 アラブの外交官や海軍軍人が日本に初めて赴任した時、全員が東郷神社に参詣するといいます。 

日露戦争で有色人種が初めて白人に勝ちました。 日本海海戦で大勝利した英雄、東郷平八郎提督の御霊に表敬訪問に来るのです。 

 

アラブもロシアや白人西洋列強に苦しめられていました。 日本がそれに勝ったのが我が事のようにうれしいのです。 だから東郷神社に感謝の気持ちを表すために来るのです。 

白人種でないエジプト人のガレ前・国連事務局長なども度々参拝に来ています。 しかし 現在のガーナ人のアナン国連事務局長に対しては参拝を遠慮してほしいと外務省は要請しているのです。 

 

神社ではアラブ外交官のパーティーも時々開かれ、アラブ諸国高官との情報ネットワークが出来ています。 人質問題打開の方策を求めて、かっての外交官で今は政府高官になっている要人に、打診のための交渉に行ったのです。 

アラブ諸国が親日的なのは日露戦争で日本が勝ったためであって、経済大国への尊敬は後のことです。

 

 世界の偉大な海将 

東郷は敵の提督にも愛された豪胆かつ沈着でまた慈悲深い人格者でした。 「鬼畜米英」「敵はニミッツ・マッカーサー」と大東亜戦争のとき唱えられた米海軍提督ニミッツは、若いとき東郷に会い深く敬愛し終生の師と仰いでいました。 

そして東郷の戦術をまねて、太平洋において日本艦隊を撃滅したのです。 戦後も東郷ゆかりの戦艦三笠の保存運動にも力を尽くされました。

 

日本海開戦で敗れ重症を負ったバルチック艦隊のロジェストウェンスキー司令官を東郷は見舞いました。 その時の少しもはずかしめを与えることなく、礼儀正しくなぐさめる姿に感動し、終生の友情を誓い、2人の親交は亡くなるまで続きました。

 

また1805年のトラファルガーの海戦スペインの無敵艦隊を破り、大英帝国の基礎を築いたネルソン提督。 東郷は彼と並び称される、いやそれ以上の海の英雄として世界の海軍軍人から称賛されています。

 

 歴史教科書問題 

日本の歴史教科書には日露戦争の主役、乃木、東郷、首相・桂太郎、外相・小村寿太郎らの姿は描かれていません。 書かれているのは幸徳秋水、内村鑑三、与謝野晶子ら戦争反対者の名前だけです。 

自国の歴史的英雄を教科書で教えないというようなことは世界のどのような国でもありえないことです。 反戦平和イデオロギーを歴史的に利用し、日本をおとしめようという思想に汚染されています。 

 

明治以来の日本をすべて侵略の歴史と見なし、国家によって人民が犠牲になってきた歴史という考え方。 このようなマルクス主義イデオロギーの歴史観の元にマルクス主義歴史学者によって書かれている恥ずべき内容です。 

自国を悪者にしたてる教科書を作る日本人は世界から笑いものにされています。

 

 国民一致団結の祖国防衛戦争 

日本はかって巨大な元帝国の世界征服に世界で唯一勝ち戦さをしました。 

また西洋列強に蝕まれてはいたが「眠れる獅子」と恐れられ、勝てない相手と目されていた大帝国・清。 清国の大戦艦団に日本国民は恐れをなしたくらいの劣勢をはねのけ清国との戦いにも勝ちました。 

そして最後に世界中の誰もが負け戦と信じた強国ロシアに対して勝利をおさめました。 

 

この3回の祖国の存亡を脅かす敵との戦いに敗れていたら日本は元・清・露の植民地にされていたのです。 大東亜戦争では世界の白人帝国に対してひとり戦いを挑みました。 その勇猛果敢さは各国から讃えられました。  

 

(なお「太平洋戦争」とはアメリカ側の呼称です。 日米戦争でなく米日戦争と呼んでいるようなもので、侮辱的。 太平洋だけで戦ったのはアメリカだけ。 

日本は東アジア全体で自存自衛の戦いを行ない「大東亜戦争」と呼称しました。 

この名前が気に入らないのはアメリカの東京裁判史観による洗脳教育が骨の髄まで染み込まされている証拠です。 占領軍と共産主義者によって日本憎しの感情が刷り込まれているのです) 

 

 有色人種の誇り 

世界一の陸軍をもつ大ロシア帝国に東洋のちっぽけな島国の日本が勝利しました。 有色人種が初めて白人に勝ったのです。 

その衝撃は世界中に広まりました。 有色民族にとり文武に圧倒的に秀でた白人に勝てるとは誰も考えることも出来なかった時代だったのです。 

 

白人から人間扱いされてこなかった有色人種が、そこまで同じ有色民族でもやれるんだ、との自信を、世界の被抑圧民族に与えました。

(当時はアメリカの黒人差別と変わらないような扱いを世界中の有色民族すべてが白人から受けていました)我々も白人の植民地主義に勝てるかもしれないとの希望を全世界に与えました。 

 

そしてアジア各国からは植民地からの独立を目指す志士がアジアの希望の星・日本に大挙して留学に来ました。 遠藤周作さんの妻・順子さんの父上も彼らを支援する日本人の1人でした。

 

 祖国への誇り 

これらの事実を初めて授業で聞いた日本の生徒たちは感動のあまり皆涙するといいます。 日本人であることの誇りが彼らに生きる力を与えたのです。 

「日本人は人殺しばかりしてきた恥ずべき民族」「おじいさんは人殺し」と教えられた生徒は卑屈になり自信を喪失し、国家、家族に不信感を感じてきたからです。 

 

戦後すぐに蒋介石は「日本軍閥に戦争責任はあるが日本国民には責任はない」と明言し、「怨みに報いるに徳を以ってする」と宣言しました。 しかし今の中共は「日本民族全体の責任」として謝罪を要求しています。 

これに同調する政治家やマスコミ、言論界も土下座外交を支持しています。 そして大人から子供まで自らを犯罪者のように見なして卑屈にさせられてしまいました。

 

人は自分自身への誇りと自信とを失った時に社会での存在意義を見失ってしまいます。 同じように誇りと自信とを失ってしまった民族はその力を失って歴史から消えていきます。 

自分自身への誇りと自信とは国にとっても人にとっても生きがいの源泉です。 自らを恥ずべき者と見なすとき国も人も生きる力を失って虚無的に、刹那的な生き方しか出来なくなってしまいます。  

今の日本人の希望なき生き方は、過去の栄光ある歴史から切り離されて、自分の寄って立つ所がない不安定な心理状態によるものです。

 

 軍人・軍隊は軍国主義の象徴?

日本をここまで築いていただいたすばらしい高貴な人格をもつ偉人が、軍人というだけで卑しめられていることは不当です。 世界にもまれな平和念仏教の日本人は自分だけ平和なら良いという自己チュウ病に陥っているのです。 

戦争の被害ばかり訴えて、日本人がいかに国のため、家族のために立派に苦難を乗り越え生抜き、かつ戦ってきたかを知ろうともしないのです。 そこから人生の教訓を学び取ろうともしないのです。 

 

また軍隊を持つことが軍国主義につながるという非難は論理的ではありません。 世界中が軍隊を持っている時代にすべての国が軍国主義になっているのでしょうか。 

共産主義イデオロギーに洗脳されて戦争は悪とのみ考え、別の側面を知ろうともしません。 しかしベルリンの壁崩壊や拉致問題で政治的なウソに皆が気がつき、多く人々が真実を知り始めました。  

 

戦争や軍人を避けて通っていては真実は見えてきません。 戦争に関わったということで闇に葬られてきた日本の英雄に目を向けたいと思います。 世界中が海の英雄と慕う東郷平八郎提督を今回取り上げました。 

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