六月九日(水) 発信 nO五〇 石黒良彦

 

いつもありがとうございます。 墓参りに行く車中から田植えする姿が見えました。 日本人は二千年もこの光景を見てきたのでしょう。 最近映画「阿弥陀堂だより」のDVD映像をパソコンで見せてもらいました。 医者と作家の夫婦が信州の田舎で生と死を見つめるストーリーです。   

四季のうつろう姿のなか、すばらしい日本の自然の姿が次々映し出されていきます。 剣を舞う村の祭りがあり、おしの若い娘が病いを患い、堂守のやさしい老女がいて、村の長老の死があり、夕暮れの墓参りがあり、そして夫婦に待望の子が宿る。 生老病死、すべてが廻り回っている、この美しい自然の中に生きる日本人の人生。 これを守りたい。 この姿を後世に伝えたい。

 

ところで墓に供えるヒバの葉は山や樹木を象徴しているのでしょうか。 日本人は死んで深い山中へ行き、次の人生を生きる。 そして盆や彼岸には家の守り神として家族の元に降臨する。 樹木は神が降臨する神木だ。 ヒバの葉や槙の葉はその伝承を言い伝えているのでしょうか? 

お供えの花は、大昔のネアンデルタール人の時代から、来世での死者のなぐさめとして置かれた。 古代から「人は死んでも終わりではない」ということを人類は知っていた。 

一昨日知人の弟さんの葬式がありました。 享年五十二歳。 早すぎる死です。 初対面ですが、最後のお別れに供花をそえる時、皆の号泣にもらい泣きしてしまいました。 そして亡き妻子に「お迎えに来てやってや」と頼みました。 いつも心のなかでそう願っています。 

焼香のときにが鳴り大雨になりました。 皆が帰るときにはからっと晴れ涼しくなっていました。 お参りの人への故人からのプレゼントだったのでしょうか。 次男のときにもがきて真夏の暑さを吹き飛ばしてくれました。 これは偶然でしょうか。 死者は生きているのです。

 

葬式での「生前は故人がお世話になりました」と言う言葉は不思議な言葉だ。 「死ぬ前」が本来だ。 しかし「生前」は「(来世に)まれるの今世」ということらしい。 

死ぬことの「往生」と言う言葉も「(来世に)きてきる」という意味。 次の世界で死者は生き続けるという言葉が日本にはある。 決して「死んだらゴミになる」ではない人生観を日本人は持っていた。 

私の葬式の時には私の踊っていた「メチャハピー大阪万歳」の曲を流してください。 「メチャメチャハピー、メチャハピー、大阪ええな、ええやんか」と踊ってください。 「皆と再会できるね、よかったね、石黒万歳、石黒ええな、ええやんか」と歌って万歳三唱してください。 

ll死とは、次の世界にもう一度生まれ変わる、私の第二の誕生日です。 皆で祝ってくださいませんか。 その日まで走り抜いて生きて行きます。