七月十六日(金) 発信 nO六〇 石黒良彦

いつもありがとうございます。 セミが鳴き始めたと思ったら梅雨が明けていました。 さあ夏休みももうすぐ。 子供の歓声が町じゅうにこだまし始めますよ。 そうあってほしいですね。 

 

子供は風の子、太陽の子。 勉強部屋や個室に入り込んでいては心は育たない。 暗い所にいつもいて太陽に当たらない人は、快活になるホルモンが体のなかで生成されず、ウツになってしまうと最近聞きました。 都会人や夜型人間は気をつけないと精神の安定が保てなくなる。

深夜に繁華街をうろついている若者は、太陽のない生活でキレたりウツになったりして、精神のバランスがくずれてしまう恐れがある。 子供も早寝早起き。 太陽一杯あびて元気な子供らしい子になる。 

 

ソ連の宇宙飛行士は宇宙船の中で長期間の単調な生活をつづけていると精神的にまいってしまう。 その防御策として船内で麦を育てているとTVで言っていました。 

どんどん成長していく麦の緑を見ていると心が癒されるのです。 精神を安定させるために擬似自然をみつめているのです。 

いくら知的存在といっても人間はしょせん動物なのです。 自然から離れたら自然から復讐されるのです。 

 

釜が崎の殺風景な街には自然はほとんどない。 緑もなく子供や家族もいない男だけの世界。 日本の最貧民ホームレスの状況は世界でもまれと言われる。 世界のスラムには家族や子供、そして自然がある。 

緑の風、子供の歓声、家族のぬくもり。 釜が崎にはそれらが全くないうえに仕事がない

 

仕事によって社会と人々とつながり、生きているという実感が得られる。 仕事によって毎日の生活が意味をもつ。 その貴重な人間としての尊厳を奪われている人々。 仕事というものがいかにかけがえのないものか。 失って初めてわかるありがたさ。 

仕事とは単に労働と交換に賃金をもらうだけの単純な経済法則のようなものではない。 人間の存在の本質にかかわるものだ。  

こんな有様で数千人の人々がよく発狂しないものだ。 悲惨な状況でもただ耐えている人々。 彼らの心に社会に対する憎しみはない。 外国のように暴動を起こそうと思えば起こせるが、 じっと耐えている。 

そして雑誌や空き缶集めの仕事でなんとか自活しようとしている。 その彼らの持っている人間としてのモラルに我々は救われているのだ。 

彼らの中に生きている日本人の倫理・道徳観、そして耐える力は、過去の日本人がつちかって育ててきたものだ。 その父祖の遺産に感謝する。  

 

映画『あしがらさん』の続き 

  製作者・飯田基晴さんの言葉 『(前略)ボランティア活動をしている頃、夜回りのパトロールで出会う野宿のおじさんとこんな会話になることがあった。 「お兄ちゃん、まだ学生?」「ええ、一応、大学に行っています」「お父さんは元気? 何やってるの?」「自営業です」「じゃあ社長か! えらいよなぁ、息子を大学にもやって」 

最初はごく普通の会話だと気にも留めなかった。 しかし何人ものおじさんと同様の会話になる。次第に気づくようになった。 おじさんたちが僕の父親を「エライ」と言うのは、自分は子どもの面倒を見続けられなかった、そんな負い目があるからなのだろう。 

  野宿の人の中には、お酒で仕事や家庭を失って路上に至ったアルコール依存症の人が少なからずいる。 世間では「自業自得」という言葉で片付けられてしまうかもしれない。 

しかしなぜか僕は、この人たちに惹かれる。 そのわけを考えているうちにいつしか、忘れていた自分の子ども時代を振り返るようになっていた。  

 

(略・僕の父は毎晩酔っ払って帰ってきていつも夫婦喧嘩。 父親を軽蔑し反発していた反抗期だった。 父は家族に悩みやつらさを語らない不器用で孤独な人だった。 そして僕自身もその性格を引き継いでいたのだった)

  僕が野宿の人にかかわり続けたのは、その孤独に共感するとともに、うれしいことや悲しいこと、弱さや寂しさ、そんな生身の感情を見せてくれたからではないか。 それは父との関係では味わえなかったものだ。 

かかわる中でたくさんの悩みや苦悩も聞いた。 時には僕が悩みをぶつけたこともある。 そんな風に気持ちを受け止めあうことで、どれほど立場が違っていても近しくなれることも学んだ。

  次第に自問するようになった。 野宿の人たちの不器用さに共感して、自分の父親の不器用さを憎み続けるのもおかしいのでは? 

こうしたなかで次第に父親を許そうと思い、父のつらさやがんばり、僕の反発を何も言わずに受け止めていた姿などにも目を向けられるようになってきた。 自分の中に父親を求める気持ちがあったことにも、初めて気づいた』(後略)

 

  この映画は飯田さんが野宿者とかかわることで、自分自身をさがし求め、父親との関係を修復していく物語でもあると思った。 

あしがらさんが背中をまるめて歩く姿に私の亡き父の姿が重なった。 施設に収容される前にシャワーを浴びているシーン。 裸で腹がこっぽり出て、背中を丸め椅子に座っているその姿が父そっくりだった。 

あしがらさんが大事そうにしている多くのゴミの袋。 それと、父が家じゅうをゴミ御殿のようにしてしまって亡き母や私といつも口ゲンカしていた思い出。  

 

釜が崎の炊き出しの列に並ぶ人のなかに母に似た人を見て胸が熱くなったこと。 毎年の大阪での路上死二百人。 その中に亡き妻子の姿が重なって釜が崎へ走っていったこと。 私にとっても炊き出しもこの映画も家族との絆を確かめるもの、私の家族の物語だったのです。

 何が私を野宿者支援に駆り立てているのか。 飯田さんは言う「どうして世間の多くの人はこんなにも無関心でいられるのだろう」「弱さや挫折への共感があまりにも乏しい、こんな世の中おかしい」 個人的な義憤がある。 

それは私が家族の死で挫折し、医療や社会的常識への怒り。 家族を救えなかったふがいない自分への怒り。 社会的の前に私的な衝動が駆り立てるのです。

 

大阪公開 第七藝術劇場6302―2073)阪急十三駅西口そば 七月三十一日八月二十日 朝十一時より一回上映(初日に飯田監督舞台あいさつ予定) 八月十四日二十日 夜七時より一回上映 前売り券一三〇〇円石黒持っています。申し込みを 当日券一五〇〇円

寄せられた感想

・ 「あんただけは信じるよ」という相手に「ありがとう。 でも、いい人はいっぱいいるよ」二人の間に流れる愛と信頼を感じた。

・ 人はやさしくされると、あんなにもやさしくなれるんだね。

    つらい思いをしていても負けない、明日を信じ続けるホームレスの人たちってスゴイと思った。

    自分のおじいちゃんのことを考えたり、野宿者の人の見方がかわいそう。

    共に生きるってすごい事だと思いました。

涙が出ました。

    あしがらさんの一言一言に味を感じ、笑ったたり・・。こんな風に笑ったのひさしぶりだなぁ、なんてことに気づきました。