「10分間 自己紹介
スピーチ  石黒大圓」
 
 
石黒大圓と申します。
色々ひどいことが続いたので知人に改名しろ、と言われて
このお坊さんのような「大圓」という名前をつけてもらいました。
 
 
毎週金曜日に寝袋配りを夜9時から12時近くまでしています。 
釜ヶ崎から天王寺区、浪速区周辺7ヵ所ほど、他を合わせたら
20ヶ所ほどを真冬の半年間にやっています。
 
今まで9年間で約9000個の寝袋を路上で寝ているホームレス
の人々に配って来ました。
今年も1000個以上も配ることができました。
 
年末の産経新聞に私の寝袋配りの記事を載せていただいたおかげで
多くのカンパ金と衣類が送られてきました。
 
 
路上で寝ている人々の姿を見るといつも感動することが多いのです。
私の母のような老婆が家庭内暴力か何かで追い出されて寝ているとか。
声が不自由な人や障害のある人が路上で寝ているとか。
 
寝袋を渡したら「あー これでゆっくり寝られる」と寝袋を
抱きしめてくれる人や
土下座して泣いて喜んでくれる人がいます。
そういう姿を見ていたらもうやめられない。
凍死もあります、夏には熱中症でも多くの人々が亡くなっています。
 

何故そんなことやりだしたかと言うと、
私は次男を平成元年に白血病で亡くし、妻も平成9年に胃ガンで失いました。
せめて2人を救えなかった分、路上で身よりもなく死んでいく人々
を救いたいと思って始めました。
 
そして8年ほど前からは毎週月曜夜には大阪駅前御堂筋南口で50人ほど
のホームレスの人々におにぎりと全国からいただいた衣類を配っています。
 
「いのちと出会う会」という会を10年ほど前からしていますが、
そこへ来られた人のご縁で釜ヶ崎でカレーの炊き出しをしている方の
お話を聞いて、9年ほど前から釜ヶ崎の炊き出しに参加し始めました。
 

妻が亡くなって2年ほどしてから商店街の路上でオヤジ狩りに会い
殺されかけました。  その時には財布を取られて終わったのですが、
それだけでは済まなかった。
 
その後、左肩の痛みの後遺症がひどくて苦しみつづけウツにも
なりかけました。 
しかし半年たったある日、その痛みがここ1時間ほどないやないかと
気づいた時、どっと涙があふれました。 
 
痛みのないのが「当たり前」のように暮らしてきた。 
その前の痛みのない日々がどれだけ「恵み」に満ちたものだった
ことか。 
妻子がそばにいる、家がある、毎日食事ができる、仕事がある、
目が見える、体が自由に動く。
 
当たり前と思っていたことが「当たり前」ではなく、
「天からの恵み」そのものであると腹の底から悟ったのです。 
それらがなくなった時どれだけつらい思いになるか。 
 
昨日不渡りを受け取っていたら、今ここはおられません。
家族が危篤だったら、今ここにおられません。
大地震が今あったら皆、押しつぶされて死んでいます。
それが今、起こっていない。
 
一瞬一瞬の恵みのなかで私たちは生かされている。
「当たり前でない恵み」のなかで私たちは日々生かされている、
と知ったのです。
 

一方で恵まれていない人々を放っておけない気持ちになりました。
大阪の路上で100以上も野宿者が死ぬと聞いて、そんな馬鹿な
ことがあっていいのか!
豊かな大阪、日本でそんなことがあっていいのか!と怒りました。
 
アフリカ難民でさえ、そんなことをしている日本を非難している。
お年寄りは世界のどこでも大事にされている。
そのような年老いた人々を路上で死なせるなんて、なんと恥知らずな
日本人だ、 と貧しいアフリカ人にまで言われる。
 
これは大阪の恥でないか、世界の人々が知ったら日本の恥ではないか、
と義憤に駆られて野宿者支援をやっています。
 
私はいつも背中に日の丸を背負っています。 日本を立派な国にしたい、
誇るべき国にしたい。 その活動のためにもやっています。
 

人間はこの世の人生を前世で決めてやってきたと思っています。
次男も短い運命を前世で選んでやってきてくれて、私たち家族へ
人生について考える貴重な機会やこの世での使命を教えてくれて
あの世に旅立った進化した魂だと教えていただきました。
 
同じように野宿者たちも路上で寝る生活を選んで、苦しい生活の
なかで魂の修行をされている優れた魂の持ち主だ、と思っています。
 
寝袋を渡す時に心のなかで手を合わせています。
決して「かわいそう、かわいそう」だけ、でやっているのでは
ありません。
 

妻が亡くなる間際まで日記を書いていました。
「元気になったらお世話になった方々にお返しをしたい」と。
私の活動は妻の代わりに世間の方々からいただいたご恩に感謝して
お返しをする活動です。
古いかも知れませんが、昔から言われている報恩感謝の行だ
と思っています。
 
10年前から「いのちの風」通信を全国300人の人々に送って、
いのちについて、日本について語っています。
そこで野宿者の実情を書いてカンパを募り、毎年約100万円の
お金いただいて1個1000円の寝袋を毎年約1000個配っています。
 

妻を失ってから身の置き所がないウツのような状態になりました。
その時に「ありがとう」という言葉を唱えていたらいいことが
起こるよ、と教えていただきました。
日々「ありがとう」を唱えていたら人生の転機が訪れました。
 
大阪の子供たちを元気にさせようという、よさこいソーラン踊り祭
「大阪メチャハピー祭」に実行委員兼踊り子として参加して気分が
高揚し出しました。
生と死を考える会という趣旨の「いのちと出会う会」も立ち上げました。
これらの活動を多くの知人に伝える「いのちの風」通信の発信も始めました。
 
これからもプラスの言霊を唱え続けることで、これからの残された
人生を生き生きと生きていきたいと思っています。
 

最後に皆様にお願いです。 
季節、季節の男性ものの衣料がありましたら、
私の住所へ送っていただけないでしょうか。
年中その季節のものを大阪駅前で配っています。
ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。