いのちの風 bU06
平成22年8月1日(日)発信
石黒大圓(だいえん)
【今回のテーマ】
神風がまた吹いた/死に装束/反日漫画「はだしのゲン」/広島は反日の砦
いつもありがとうございます。 皆様お元気でしょうか? セミが鳴いて夏がやっと来ました。 そして天下分け目の選挙で民主党は大敗。 やはり私が予測したように「神風」が吹いたのです。
まさか菅首相が消費税10%などという民主党にとって大不利となることを口走るとは。 魔がさしたとしか言いようがない。 これも「神ごと」「神の計らい」です。 やはり日本の神々は社会主義革命政権が嫌いでいらっしゃる。
私が応援していた日本創新党大阪選挙区立候補者、浜野ゆきこさんは結局、落選されました。 全国でも日本創新党は当選者なし、の全敗でした。 全国比例区で私が応援していた「たちあがれ日本」も1名のみの当選。 愛国真正保守勢力は両方合わせても自民や民主に比べて約1割、170万票ほどしかなかったのです。
浜野ゆき子さんは「このままの日本であっていいのか!
いても立ってもいられない。国を守りたい、祖国日本のこの危機を町角に立って訴えたい、今やらねば国が壊れる、金もない、人もいない、組織もない、素手で立ち向かう」と親にも相談せずに若い情熱だけで立ち上がられました。
自主憲法制定、国防、拉致被害者救出、日教組解体、日本解体法案阻止を全面に押し出して闘う愛国保守の花でした。
救国の女闘士、浪花のジャンヌダルクでした。 日々着物姿で左翼の日本解体勢力に立ち向かっておられました。 命をかけておられました。
浜野さんは靖国神社へ参拝された時に出馬を決意された。 靖国の英霊が彼女の背中を押したのでしょう。 英霊が彼女を護っていたはずです。
ぜひ国政の場に送り出したかった。 私は浜野ゆき子さんのご両親、濱野晃吉氏、矢代依さんとは以前から親しくしていただいていました。
父上の浜野晃吉氏は「関西防衛を支える会・会長」「新しい歴史教科書をつくる会大阪・会長」および経営センター社長です。
私の「いのちと出会う会」や「倫理法人会」でも憂国の思いを皆さんに訴えていただきました。 母上の矢代依さんは日本会議大阪女性の会運営委員長です。
お二人の熱い血潮を継いでおられます。
愛国保守で大阪選挙区から立候補しているのは彼女だけだったのです。
私は今年は彼女を応援しました。
今回は私の家族の事情で選挙戦にはあまり時間を取ることができませんでしたが。 朝夕に駅前に立ってのチラシ配りもあまりお手伝いできなく、配布用のビラの証紙貼りや投票依頼の葉書の宛名書きなどを手伝っただけでした。
【浜野ゆきこさんの「死に出の白装束」】
以下は選挙後すぐに書いたものです。
沖縄の恨み、牛や豚、畜産農家の恨み、 不景気の上に増税、日本国民の恨み・・・。
このどうしようもない祖国日本の惨状に対して神仏の慈悲心から与えられた鉄槌が、民主党の敗北。
私が選挙応援していた日本創新党の浜野ゆきこさんの選挙ポスターは白い着物姿。 彼女の肩書きは栄養管理士。
白い和服割烹着は「死に出の白装束」と思いました。 辻々に立ち、日本の危機を今こそ訴えたかった。 和服を毎日着て特攻隊のような悲壮な決意。 再び生きては帰らぬ。
靖国神社へ参拝して立候補決意をした彼女。 ポスターのキリリとした面持ちの着物姿。
「私、闘います」の一文字、凛々しい姿でした。
「お金がなければ選挙ができないのでしょうか」
「組織がなければ活動できないのでしょうか」
「当選するためには有名人でないと不利なのでしょうか」
「かくすれば かくなるものと 知りながらやむにやまれぬ 大和魂」
吉田松陰先生は、このどうしようもないこの日本を救うために命を捧げられた。 大きな日本のいのちを救うため、自分の小さな命をあえて捧げて死地に向かう。
浜野さんの白装束にはそのような決意が秘められていたと思います。
このような国を憂う必死の覚悟を秘めて、多くの立候補者は立ち上がったのだろうか。 あとに続く若者に誇れる日本の歴史、伝統、文化を残したい。
そこから国を憂う人々が地から湧きあがるように輩出すればこの日本は立派に再興される。
浜野さんはその先駆けとなって散った。 民主党の敗北、彼女の散華を見てそう感じ、
私も再度この身を祖国日本に捧げる決心をいたしました。 関西では有名だったタレント候補「探偵ナイトスクープ」の民主党、岡部まり候補の当選を阻止できただけでも大阪の良識を示せてくれて、うれしかった。 その功績は浜野さんの立候補にあったと確信し感謝申し上げます。
【反日に 利用されたる 悲劇の地】
広島・長崎への米軍による原爆攻撃(投下ではない)の日がまためぐってきます。 それについて今回は書きます。 先日、用事があって広島へ行き、平和資料(記念)館へ初めて訪れました。
ここに入ってすぐの展示物は広島が「軍都」であったという強調でした。
日教組によって採用されている多くの偏向した教科書では「広島は軍都であったために原爆投下された」と書かれています。 それはウソです。
原爆攻撃がなされたのは広島のなかの軍基地ではなく、広島の商業地区、一般市民が多く暮らす地域を狙ったものでした。 しかも原爆実験場として盆地という地理的に原爆の被害状況や人体への効果がよくわかる場所が選ばれた。 「軍都」などという屁理屈は後から反戦・反軍のスローガンの元に捏造されたものです。
館内に入ったら小中高の修学旅行生たちに「広島平和ボランティア」と書いたTシャツを着た連中が張り付いてガイドしていました。 彼ら、中年の男女私設ガイドたちは会場内の「広島が軍都であった」という展示物の前だけで盛んに反日・反軍洗脳をしていました。
おそらく共産党員か「憲法9条を守る会」(9条の会)、日教組の連中でしょう。
彼らはこの場所だけの解説をして引き上げ、これから延々と続く原爆被害の悲惨な展示解説にはついて来ませんでした。
要するに日本の軍国主義の歴史を告発して「日本を恥ずべき国家だ」と若者を洗脳したいのです。
横で聞くに堪えないので「日本の悪口ばかり言うな!」と一人の女性 ボランティアを怒鳴りつけました。
「すみません」と謝っていましたが、次の日にも左翼プロガンダを続けていたことでしょう。
【祖国を あざ笑う はだしのゲン】
書籍売り場は左翼好みの膨大な原爆被害の本の羅列でした。 ここには中沢啓治著マンガ本「はだしのゲン」が多く置かれていました。 戦後多くの過激で日本人の精神をむしばむ有害な左翼好みの本が出版されました。 そのなかで日本の青少年の非日本人化(=頽廃)に最も貢献したのは「はだしのゲン」だそうです。 戦後日本人の左傾化に最も貢献した本、それは決してマルクスの「資本論」ではない『はだしのゲン』なのです。
(以下、一部、南木資料館からの引用)
あのマンガは著者の実体験に基づき、原爆の悲惨さを描いている点、特に被爆直後の風景描写に圧倒的迫力があります。 しかし著者の歴史観は、連載の初期には反米色が目立っていて「それは原爆を落としたのがアメリカですから」反米的マンガとして描かれて当然なのは分かります。
しかし連載の後期になるほど反日自虐史観に著者が洗脳され、ついには再三にわたり天皇や、天皇制度を侮辱し、否定し、とうてい認める事のできない反日自虐マンガになり果てています。
中公文庫コミック版(7)(全7巻)の記述にはこうあります。
「それだけじゃないぞ。天皇陛下のためだと言う名目で日本軍は中国、朝鮮アジアの各国で約3千万人以上の人を残酷に殺してきとるんじゃ」(同151ページ)
「あの貧相なつらをしたじいさんの天皇今上裕仁を神様としてありがたがり、デタラメの皇国史観を信じきった女も大ばかなんよ」(同305ページ)
『はだしのゲン』は著者の中沢啓治氏の意図とかかわりなく学校に置かれている。 このマンガの内容は「我が国の歴史に対する愛情を育てる」
「天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにする」ことを目的としている学習指導要領に明確に違反しており、
学校で児童生徒に読ませることが許されない作品である。
そもそも何故これほどまでに日本の学校でこのマンガがもてはやされるようになったのか。 それは、後期作品の反日プロパガンダの部分が日教組や、左翼教員に全面的に受け入れられたからにほかならない。 『はだしのゲン』は子供たちの心から愛国心の芽を根こそぎ奪おうとするのである。
「反核」「反天皇」だけでなく、「アジアへの侵略戦争史観」「日本人の残虐性の吹聴」「開戦責任がすべて日本にあるとの決めつけ」「占領地での善政を一切伝えない」等すべて網羅している。
日教組はその反日的内容からこのマンガ本の普及に努め、学校図書館などへ置くという運動を展開してきて、公共図書館へも広がって行ったのです。
【兵隊さん、僕たちの仇を討ってください】
昔、原爆二世が広島の原爆集会で演説を頼まれて「アメリカの核も悪いが、中ソの核も悪い」と言ったとたんに、主催者のサヨクから演壇から引きずり降ろされたそうです。 今も「中国や北朝鮮の核も悪い」と言う左翼は少ない。
8月6日の広島での追悼式典では今年も秋葉忠利市長が核廃絶や反核のアピールを強調することでしょう。
しかし秋葉氏は元社会党国会議員であり、金正日を広島へ招こうとしていた左翼市長です。 彼は核兵器廃絶を求めて、北朝鮮や中国にも抗議をしているふりはしているが、抗議の矛先はもっぱら米国です。
さきほどの書籍売り場には日本シルクロード科学倶楽部発刊の「核の砂漠とシルクロード観光のリスク」や「中国の核実験」が無視されたかのようにひっそりと2冊だけ置かれていました。
昔は中共の核実験についてのこれらの書籍を販売することさえ拒否されていたのです。
この資料館では多くのウソの「強制連行」された朝鮮人も原爆で殺されたという展示もあり、記念館の入口には韓国姉妹都市から贈られたという
巨大な極彩色の太鼓が展示されていました。 こんなものここの趣旨と違うだろう、と怒りがこみ上げてきました。
出口付近にあった記念館での感想を書く「対話ノート」に私は最後の怒りを込めて「このような左翼の反日反軍プロパガンダの拠点は、もう一度原爆で破壊されたらいいのだ!」などと書いて出てきました。 アメリカ人のなかには「パールハーバーの仕返しだ、ざまー見ろ」という書き込みをする人間もいるそうです。
原爆によって肌が焼けて溶けて垂れ下がって苦しんでいた少年が「兵隊さん、僕たちの仇を討ってください」と言って死んでいった。 それを広島の平和記念公園にある言葉「安らかにお眠り下さい。過ちは二度と繰り返しませんから」という言葉で総括してしまっていいのでしょうか。
過ちとは原爆攻撃したアメリカではなく、日本側の過ちと解釈するのでしょうか。 過ちとは負ける戦争をしたことです。 国民に膨大な犠牲者が出るような敗戦となってごめんなさい。 「今度は日本は核兵器を備えて二度と敵に核兵器を使わせないから、安らかにお眠り下さい」と書くのが世界の常識でしょう。
今年は米英仏の大使が広島の慰霊祭に来るらしいですが、米国にはぜひ大統領に来てもらって死者に謝罪してもらわないと原爆で殺された霊たちは浮かばれません。 ましてや「原爆のおかげで戦争が終わったと感謝すべき」「原爆投下は日本の植民地支配からアジアを解放した」との左翼の言葉は、あの地獄を経験した人々には到底受け入れられないのです。
(完)
【リンクのホームページ】
● インターネットサイトのmixiに「大圓(だいえん)」として参加
(知人の紹介がないと、ここへ参加し閲覧し、自分のブログ日記を作成することはできません。
参加無料。 参加ご希望の方はご連絡ください)
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=783617&from=navi
ここには「いのちの風」用の下書きの文章をたくさん書きためています。
↓
・かつて日本と朝鮮が手を取り合って、仲良く生きていた時代があった
・権力の中枢に入っている隠れ共産主義者に警戒せよ!
・台湾人の地位は法理学的に国家的に所属未定であり、無国籍状態であり「今も日本国民である」、そして沖縄は独立国琉球である!?
・南樺太の悲劇「氷雪の門」36年ぶりの劇場公開
/
「氷雪の門」全編が見られます
・【開票立会人】不正選挙との告発に反論す
・「障害者」と「障碍者」・・・当用漢字という文字制限が日本文化にとって「障害」に
・亡き友に捧げた決勝ゴールとイエローカード
・映画「ザ・パシフィック」 「米兵が日本人にしたこと知るべき」トム・ハンクス激白
・開票立会人になっていました
・硫黄島のすりばち山に掲げられた星条旗を二度引きずり下ろして、日章旗をひるがえした無名の日本軍兵士たちの血と汗と涙に、畏敬し涙する
・中国バブルは崩壊しない
・好転の兆しの米国経済
・亡きお父さんやお母さんに会いたいと思う時、名前を呼びます。すると私の傍にやってきて、そっと私を抱いてくれるのです
・山谷えり子さん「愛する日本を守りたい」
・国のため死ぬことほど名誉なことはない・・・イスラエル国独立62周年祝賀訪問
・・・・・・
● 今年は野宿者の皆さんに配布する男性ものの半袖Tシャツが特に不足しています。
炊き出し現場へ直接お持ちいただくか、以下の私の住所へ送っていただけないでしょうか。
よろしくお願いいたします。