いのちの風 bU45―その1
平成23年12月28日(水)
発信 石黒大圓(だいえん)
【今回のテーマ】
今年最後の通信/天長節/天皇はイエス/日本に戦犯はいない/日の丸の列
いつもありがとうございます。 今年も押し迫ってきました。 今日の通信を今年最後のものとさせていただきます。
今年は多くの魂が天に召されました。 多くの人々が喪失の悲しみにくれられたことでしょう。 かって私たちも愛しい家族を失って、心のなかにぽっかりと大きな穴が開いた時期を経験しました。
しかしこの悲劇を悲劇のまま終わらせてはいけない。 生き残った者が亡くなった人々の分まで、彼らが生きたかった人生を充実して生きることこそ、彼らへの最大の供養となると確信しています。 目に見ない姿で常に横に寄り添ってくれている亡き人のことを思い続ける。
そしてその魂との「絆」のなかで共に生きることで、お互いの魂が救われると思っています。 過去にとらわれることなく、明日への希望のなかに生きること。 それによってこそ喪失の悲嘆から逃れることができ、またそれこそが亡くなった人々が望んでいることだと信じています。
またいつ消えてなくなるかわからない親しい人とのはかない「絆」にも気づかされた契機もあの大震災でした。 何が起こるかわからないこの世でのうつろい安い、無常で無情なる人生。 そのなかでかけがえない人との「絆」をかみ締めながら生きることの尊さ。 それを日本全国の国民が感じたことでした。
【民のため 祈る姿の 尊けれ】
歴代天皇陛下は「国に降りかかる災難は私の不徳の致すところ」として身を清め、慎ましやかな生活にあえて甘んじられていました。 国民の苦しみを我が身に引き受けたい、人を先とし、自らを後とする心遣い。
その同じ精神的伝統が日本民族のDNAのなかに流れています。 その故に戦国時代から明治まで、そして今回の震災でも来日外国人は日本人を絶賛するのです。
天皇や皇室は古来から「無私の精神」の体現者でありました。
世界の王とはまったく違う司祭王であり、「国、民安かれ」と日夜祈り、祀りに身を捧げておられる存在。 民を我が子のように慈しみの心で見つめておられる姿はまさに生神様です。
12月23日は78歳のお誕生日を迎えられた今上陛下の「天長節」(天皇誕生日)でした。 明治以来、この日には「天長節」の歌が全国で歌われたのでした。
「今日の吉き日(よきひ)は,大君の
うまれたまいし 吉き日なり。
今日の吉き日は,御光(みひかり)の
さし出(で)たまいし 吉き日なり。
ひかり遍き(あまねき) 君が代を
祝え,諸人(もろびと),もろともに。
恵み遍き 君が代を
祝え,諸人,もろともに。」
この歌の歌詞もメロディーも明らかにキリスト教の賛美歌のおもむきがあります。 明治の時代はどうしても外人の音楽教師や軍楽師が多かったので、西洋風キリスト教風となってしまったようです。 第二日本国歌と言われる「海ゆかば」も昭和12年に信時潔というクリスチャンが作曲した賛美歌風の荘厳な曲です。
(その2へつづく)