いのちの風 bU49―その1 
平成24年2月15日(水)発信 
石黒大圓(だいえん)
 

【今回のテーマ】 
バレンタインチョコ/バナナの少年/一片のパンを幼いマリコに/「日本人はミラクルだ!」
 

いつもありがとうございます。 最近は雨が多いですね。 先週も今週も月曜夜の大阪駅前炊き出し現場は雨で、衣類などが配れなかったです。 今週の月曜日は「バレンタインデー」の前日ということでチョコレートを炊き出しの列に並んでいるオッチャンたちに配りました。 
 
これは、ここ半年ほど事情があって炊き出しに来られていない女性スタッフが、娘さんと一緒に心を込めて一個一個作ってくれたものです。 
 
差し入れを渡されたオッチャンたち35人ほどと炊き出しスタッフ7人には大変喜んでいただけました。 バレンタインチョコレートを最近もらったこともないでしょうね。 私もそうですが。 
 
遠い記憶の中のかっての恋人や家族からもらったものと重ね合わせて懐かしく思ってもらったら幸いです。 雨でこの日来られなかった人には来週に配ります。 (つづく)
 
 
 
【少年の けなげな心 胸を打つ】
 

以下は先日、大阪市中央公会堂で行なわれた安倍元総理と稲田朋美議員の講演会で安倍氏が最後に語られた逸話です。 感動しました。 毎日新聞客員編集委員、岩見隆夫の新聞コラムには同じ内容が書かれています。
 

『3・11からまもなく、1人のベトナム人記者が取材で被災地に入った。 避難所で少年にインタビューする。 少年は津波で両親を亡くし、激しい寒さと飢えで震えていた。 一つのおにぎりを家族で分けて食べるような状況だった。
 
記者は見かねて少年に自分のジャンパーを着せかける。 その時、ポケットから1本のバナナがぽろっとこぼれ落ちた。 記者が、「バナナ、欲しいか」と問うと、うなずくので、手渡した。 ところが、少年はそれを食べるのでなく、避難所の片隅に設けられたみんなで共有の食料置き場に持って行き、もとの場所に戻ってきたという。
 
記者はいたく感動する。 帰国すると、「こういう子供はベトナムにはいない」と報道した。 この記事が大変な反響を呼ぶ。 かつて、ドラマ「おしん」が大人気になったお国柄だ。 ベトナムからの義援金は100万ドル(約8000万円)にのぼったが、このうち、「バナナの少年にあげてください」という条件つきが5万ドルもあったというのだ。」
 
谷内正太郎元外務次官は「少年は大変けなげな日本人の美質、DNAをきちんと受け継いでいる。 将来の日本を支える若い人たちのなかに、こういう子供は少なくない。 上に立つ政治家も心のなかに美学を持ってほしい」と訴えている。
 
悲劇と苦難のもとでも失われない民族的な強じんさを、1少年の小さな行為から教えられた思いだ。 3・11は「第2の敗戦」とも言われるが、「敗戦の時にも同じような話があったんです」』(引用終わり)
 
近聞遠見:あきらめることはない=岩見隆夫
http://mainichi.jp/select/seiji/iwami/news/20120128ddm002070037000c.html 
 
 
 
【家に待つ 飢えたる妹 思いつつ】
 

その「同じような話」は『国際派日本人の情報ファイル「終戦時の二人の少年」伊勢雅臣』 に産経新聞の記事として載っています。 
私の「いのちの風bU21 チベット支援デモ/内モンゴル植林に抗議/いのちと出会う会/一片のパンを幼いマリコに/焼き場の少年」にも書きました。 再度転載します。 
 
 
 『今朝の産経新聞「やばいぞ日本」には泣かされた。 元ハワイ州知事だったアリヨシ氏(81)からの手紙がその主題である。 アリヨシ氏は、終戦直後の1945年秋に進駐軍の一員として東京の土を踏んだが、最初に出会った7歳の「靴磨き少年」の話題である。
 
東京は焼け野原だった。 その年は大凶作で、1000万人の日本人が餓死するといわれていた。 少年は背筋を伸ばし、しっかりと受け答えしていたが、空腹の様子は隠しようもなかった。
 
「靴磨き」とか「浮浪児」という言葉さえ今の少年達は知らないだろうが、この少年が両親を失い、妹と二人で過酷な時代を生きていかねばならないことをアリヨシ氏は知ったのである。
 
「少年は背筋を伸ばし、しっかりと受け答えをしていたが、空腹の様子は隠しようもなかった。 彼(アリヨシ氏)は兵舎に戻り、食事に出されたパンにバターとジャムを塗るとナプキンで包んだ。 持ち出しは禁止されていた。 だが、彼はすぐさま少年のところにとって返し、包みを渡した。
 
少年は「有難うございます」と言い、包みを箱に入れた。 彼は少年に「なぜ箱にしまったのか、おなかはすいていないのか」と尋ねた。 少年は「おなかはすいています」といい、「3歳のマリコが家で待っています。一緒に食べたいんです」と言った。
 
アリヨシ氏は手紙にこのときのことをこうつづった。「この7歳のおなかをすかせた少年が、3歳の妹のマリコとわずか一片のパンを分かち合おうとしたことに深く感動した」と。(中略)
 

アリヨシ氏の手紙は「荒廃した国家を経済大国に変えた日本を考えるたびに、あの少年の気概と心情を思い出す。 それは「国のために」という日本国民の精神と犠牲を象徴するものだ」と記されていた。 今を生きる日本人へのメッセージが最後にしたためられていた。
 
「幾星霜が過ぎ、日本は変わった。 今日の日本人は生きるための戦いをしなくて良い。 ほとんどの人々は、両親や祖父母が新しい日本を作るために払った努力と犠牲のことを知らない。 全てのことは容易に手に入る。 
 
そうした人たちは今こそ、7歳の靴磨きの少年の家族や国を思う気概と苦闘をもう一度考えるべきである。 義理、責任、恩、おかげさまで、という言葉が思い浮かぶ」
 
一枚のバターとジャムが塗られたパンを分けて食べる、この兄妹の姿が浮かぶ。 どんな会話を交わしたかも・・・』 (引用終わり)
 

これも既にご存知かもしれませんが「焼き場の少年」の話もあります。 
しかしこれは次回にまわします。
 

国際派日本人の情報ファイル「終戦時の二人の少年」伊勢雅臣
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h19/wing1364.html  
いのちの風bU21
チベット支援デモ/内モンゴル植林に抗議/いのちと出会う会/一片のパンを幼いマリコに/焼き場の少年
http://www.geocities.jp/ennohana/isiguro600/inotinokaze621.html  
 
(その2へつづく)