これからチベット支援デモと、終わってから天王寺での
僧侶によるチベット支援行脚行進に参加します。
どちらもトラッキーで行きます。
別に知人の女性が三毛猫の着ぐるみを着て参加してくれます。
今週も忙しい日々です。
いのちの風 bU51―その2
平成24年3月9日(金)発信 石黒大圓(だいえん)
【今回のテーマ】
殉難の国士・作本晃一さん/予期した死/日の丸掲げ天国凱旋
彼は命に代えてでも愛国の機運が盛り上がるのを心の底から願い、祖国に殉じたことを知ってもらいたかったのでしょう。 自分に続いて祖国のために命を投げ出してくれ、と叫びたかったのでしょう。 いじらしい思い。無念です。
表情が硬くて寡黙であった彼が、懇親会のなかで談笑している間に笑いが出てきて、本当にうれしそうでした。 軍人みたいに角刈りの頭で凛として寡黙で控え目な素晴らしい方でした。 あれが彼のこの世での最後の華だったのでしょうか。
浄土真宗の中興の祖、蓮如上人の白骨の御文章には「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には白骨(はっこつ)となれる身なり」とあります。 人生何が起こるかわからない、とは私の妻子の死で感じたことでした。 むなしいけれど、この事実を受け止めよう。
蓮如上人の白骨の御文章
http://www.tulip-k.co.jp/todotoku/0108ofumi.htm
ある人が言っていました「いま若者たちが茶髪で遊び呆けているが、彼らの魂には戦前の特攻隊の魂が受け継がれている。 一端緩急あれば、彼らのなかにある特攻隊の魂は目覚めてお国のために動き出す」と。
彼は尖閣事件、中共船衝突事件以降に目覚められて行動を始められました。 2月12日の市役所前集会デモ、日の丸行進など、多数の集会やデモに最近熱心に参加されていました。
西谷さんへの最後にメールには「義を見てせざるは勇なきなり」の一文のみがあったとのこと。 彼の祖国を思う義の心が彼の勇姿のなかにありました。
私は26日の葬儀には出席できませんでした。 葬儀の最後に棺の蓋が閉められ、出棺直前にお父様が準備された国旗を棺にかけられました。 棺にかけられた白布に赤い日の丸が目にしみるほど鮮やかだったとのこと。
作本晃一氏の棺は国旗に包まれてしめやかに出棺されました。
若き作本さんは目覚めて動き出した時に突然の不慮の死となられた。 しかし彼の魂は英霊が住む世界へ再び戻って「今、祖国日本は目覚めつつある」と報告してくれていることでしょう。
彼はお棺にそえられた巨大な日の丸を掲げて一人胸を張って凱旋行進をしていることでしょう。 そして日本の神々や祖霊たちに拍手で迎えられていることでしょう。 彼は平成の特攻隊として目覚ましく殉じられました。 私たちも彼に続いて祖国のために命を捧げようではないか。
お通夜に集まった私たち同志は「私たちが今後も愛国運動を続けることが彼にとって最大の供養となる」と誓い合いました。 これからも彼がいつも遠い空から見守っていてくれていると思って、活動を続けます。
彼の姿は見えなくなってもいつも祖国や我々とともにあります。 「同行二人」といわれます。 私たちは彼との魂の絆を強く感じつつ、彼の遺志を継いで今後もともに歩み続けて行きます。 作本さん、日の丸行進をいつか、きっと1000人参加の大行進にしてみせます。
作本さん、いつも「千の風」となって美しい日の丸を大阪の空にひるがえさせてくださいね。
そしていつも「私は皆さんと共にいるよ」と、参加者の頬を君の風でなでてあげてくださいね。
作本さん、3月18日の「日の丸行進」の時には震災被害者および英霊とともに作本さんの霊、安かれと黙祷を捧げます。 そしてあなたの遺影を先頭に行進しましょう。 一緒に胸を張って行進しましょう。
最近、私の知人K氏も亡くなられました。 大阪の船場で日本一の衣料卸問屋を築きあがられるのに大貢献された方です。 その葬儀の折に遺族代表としてお嬢様が参列者の方々にお礼の言葉を述べられました。
生前にK氏から預かっていた言葉でした。「死は次のもと居た世界へ生まれ変われる、誕生の日です。 どうぞ『おめでとう!』と言って送り出してください」と。
作本晃一さん、安らかにおやすみください。 「おめでとう!」 皆はあなたのことを生涯決して忘れない。 心からご冥福をお祈り申し上げます。
(完)