いのちの風 bU66―その1  
平成24年8月26日(日)発信 
石黒大圓(だいえん)

 
 
● 「いのちの風」石黒通信「縁の花」支縁サイト 
最新のbU65まで更新されました) 
http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm 
いのちの風665 原爆の日は左翼の祭典/もう一つの平和宣言/兵隊さん仇をとってくれ
いのちの風664 浴衣で日の丸行進の報告/大停電が起こったら・・・/反原発は他国の侵略を招く 
いのちの風663 ビッグイシュー販売員/気合、やる気がすべて/人生をあきらめない 
いのちの風662 7月「日の丸行進」/7月「いのちと出会う会」/夏もの衣類カンパのお願い 
いのちの風661 第十一回日の丸行進の報告/大塩平八郎の乱/映画「三島自決」
 
 
 
【今回のテーマ】 
雷雨も襲わない日の丸行進/映画「黒部の太陽」/先人が築いてくれた電力に感謝
 
 
 
いつもありがとうございます。 通信発信が遅くなり申し訳ありません。 お盆の前から会社決算を急いでいたので、こもっているはずでした。 しかしそれもできず外出や用事が多く、やっと最近終わりました。
 
その間、竹島、尖閣と日中韓を揺るがす大事件が勃発しています。 左翼主導の「皆んな仲良く」という、「えせ平和憲法」にもとづく戦後の欺瞞に満ちた外交政策。 日本の国益より地球市民的絆を大切に考える友愛思想。
 
私がこの通信で訴えていた、その甘い思考が民主党政権になってますます破綻してしまった姿が露呈されました。 日本国民の目覚めは近い! この件については来月に。
 
以下は8月19日の「浴衣で日の丸行進」 第十三回「日本唱歌を歌う日の丸行進」の報告です。 
 
 
 
【「日の丸行進」を雷雨は襲わなかった!】
 
 
19日は田母神閣下と高田純教授の講演会と重なったのと、暑い夏まっただ中なので50人も来ていただけないか、 と覚悟していました。 しかし予想を大幅にはずれて80余名のご参加をいただきました。 本当にありがたく感謝申し上げます。 
 
前日にメールで手伝いをお願いしましたので、たくさんの方が集会前に応援に来てくださり本当に助かりました。 そして三宅博先生が講演会の途中を抜けて来て演説もしていただきました。ありがとうございました。 
 
 
集会前の準備の途中、土砂降りに見舞われ軒先に避難しました。 しかし10分ほどでおさまり、それ以降は雨にはたたれませんでした。 だが集会中に再び、東の空は真っ黒、「東大阪は今、大雨なのでもうじき大阪市内も雷雨に見舞われるぞ」と言われました。 前日の猛烈な雷雨を思い起こし、途中の中止も覚悟しました。 
 
しかし行進の間じゅう、東の空は黒く、西の空は夕日。 大雨のあとで涼しい風も吹き、夕日に映えて風になびく日の丸が一段ときれいでした。 「また奇跡が起こった」と心のなかで神仏に感謝しました。 ご参加の皆様、本当にありがとうございました。 
 
 
歌手の大峰さん、コール嬢のゆきんこさんや小林さん。暑いなか浴衣姿で美声を挙げていただき感謝申し上げます。私たち指揮者2名、他にも男女数人が浴衣姿でご参加していただき、きらびやかにしてくださいました。 
 
 
御堂筋の韓国領事館前では行進参加者の皆さんは「竹島返せ」の大合唱。 私は風船をバンバン割って威勢をあげました。 領事館前の東側歩道にはネットウヨ在特会30人ほどが陣取り、私たちの行進がやってくるのと機を同じくして気勢をあげていました。 
 
 
行進解散後に講演会から解散地に飛んで来ていただいた南木先生や黒田さん。 お二人と一緒に20人で前回と同じくカラオケへ乗り込みました。 そして軍歌を狂ったように歌い、最後にまた盛り上がりました。
 
 鳥取から来ていてくださった「横浜軍歌研究会」の國本愛ちゃんとともに続く軍歌の大熱唱。 今回は軍歌カラオケだけでなく皆が愛国談義でも盛り上がり、歌はそっちのけの時もあり、本当に楽しい時間でした。 
 
 
 
雷雨が「日の丸行進」を襲わなかった理由のひとつ。 
 
それは十九日は次男邦之の祥月命日だったこともあると私は信じています。 彼がきっと守ってくれた。 次男は平成元年8月19日深夜、皆に手や足をさすられながら病院のベッドで亡くなりました。4歳11ヶ月でした。 
 
そのことは、「いのちの風bR51・家族の霊的体験」に書いています。 毎年、この時のこと、彼が家でも幼稚園でも病院でも元気だった頃のこと。 そして妻も元気だった頃の姿を思い出します。 
 
いのちの風bR51「家族の霊的体験」 
http://www.geocities.jp/ennohana/isiguro2006/enisiguro351.htm
 
 
悔しいですが、それが私にとっては逆にエネルギー源となっています。 二人の死がなかったら私はこれほどまでに祖国愛に目覚めていなかったでしょう。
 
 多くの先人の死があったればこそ、その恩寵の上に今の日本があると知りました。 今、二人は空の高いところから「日の丸行進」を応援してくれていると信じています。 
 
今後も英霊の皆様、戦没者の皆様、そして亡き妻子に護られながら「日本唱歌を歌う日の丸行進」を守り、祖国を守り続けていくことを誓います。
 
 
 
【黒部ダム 死闘の連続 先人に感謝】
 
 
先日、映画「黒部の太陽」を見てきました。映画界華やかなりし頃の往年の名優、名女優が出演していて、数十年前にタイムスリップしたようで懐かしかった。あのような国家、企業の命運を賭けた大事業には血湧き肉躍る気持ちになり、涙一杯となりました。
 
【出演者】 三船敏郎、石原裕次郎、二谷英明、宇野重吉、滝沢修、辰巳柳太郎、佐野周二、岡田英次、芦田伸介、志村喬、山内明、寺尾聰、大滝秀治、日色ともゑ、:樫山文枝、川口晶、北林谷栄、三益愛子、高峰三枝子
 
 
私は最近黒部アルペンルート観光のバス旅行で行ってきました。 黒部川に沿ったトロッコ列車に乗り、トロリーバスで黒部ダム周辺の地下世界を見てきました。
 
地上にも地下にも無数の大小、多くのトンネルが入り組んだ姿に感銘しました。 あれを延べ1000万人の労働者が作ってくれたのです。 戦後復興と高成長を底で支えてくれた肉体日雇い労働者たち。
 
高給がもられるということもあったでしょうが、この大事業を成し遂げたいという使命感が彼らを突き動かしたのです。 大阪の釜ヶ崎や東京の山谷からも多くの労働者が駆け参じたことでしょう。 
 
 
しかし多くの人々が事故で死にました。 前人未到の山岳の崖から落下した先遣調査隊員、切り立った崖の小道をアリのように這うように重い荷物を担いで歩いていて転落した労務者、トンネル内のダイナマイト発破作業で吹き飛ばされた人々、濁流に押し流された亡くなった方々・・・
 
また主人公の次女が白血病で若き命を閉じたというエピソードも白血病で死んだ幼い次男と結びついて胸を熱くしました。 宇野重吉と実際の息子の若き寺尾聰の姿もむつましいものでした。 娘や息子は死に、それでも工事現場から離れることもできないつらさ。  
 
 
(その2へつづく)