いのちの風 bU74―その1  
石黒大圓(だいえん)

 
 
 
●「いのちの風」石黒通信「縁の花」支縁サイト 
bU71まで転載されました。
http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm 

いのちの風671 紀伊田辺での講演/工業立国日本/体調不良/おわび/英霊来世の曲「矜持」 
いのちの風670 日の丸行進の報告/英霊来世コンサート/英霊来世・代表曲 「九段」 
いのちの風669 ホームレス支援は武士道なのか?/人間万事 塞翁が馬 
いのちの風668 日の丸行進の報告/韓国大統領の侮辱発言/内モンゴルのマザーテレサ 
いのちの風667 ビッグイシュー続編/ホームレスになる理由/派遣労働/希望・自立を生み出す  
いのちの風666 雷雨も襲わない日の丸行進/映画「黒部の太陽」/先人が築いてくれた電力に感謝  
 
 
 
 
【今回のテーマ】 
商店街の巨大な日の丸の列/疾風怒涛の十年/安倍政権 正体見たり 腰砕け
 
 
いつもありがとうございます。 今回が今年最後の通信となります。 今年はたいへんお世話になりありがとうございました。 来年もよろしくお願いいたします。
 
 
 
【年末の 巨大日の丸 清々し】
 
 
昨日は墓参りと商店街の拍子木を打っての夜回りをして今年の行事は終わりました。 28日には我が商店街に例年通り、巨大な日の丸6旗がアーケードに掛かりました。 心斎橋の北の商店街の巨大な日の丸3旗と合わせて、心斎橋から本町まで9旗の国旗の列が1月10日までひるがえります。 
 
 
日の丸を掲げた心斎橋筋商店街 
http://plaza.rakuten.co.jp/kobayashitoshio/diary/200701110000/   
大きな日の丸がアーケードにかかっていました 
http://white.ap.teacup.com/applet/burodai/20090105/archive   
いのちの風 bT60  
ネクタイ姿の野宿者/巨大な日の丸の列/「サーカス」に泣く/寝袋カンパのお願い 
http://www.geocities.jp/ennohana/isiguro553/inotinokaze560.htm 
 
 
残念ながら3年ほど前には心斎橋から難波まで強大な日の丸の列が1キロ続いていました。 しかし今は年末のイルミネーションの列がそのまま残って国旗は姿を消しました。 日の丸を排除したのは中韓の観光客へ媚を売っているためでしょうか。 
 
今、気が付きました。 御堂筋のイルミネーションにも年末年始には道路際の街灯柱に日の丸を掲揚すべきでしょう。 そして祝祭日にも。 橋下知事時代に発案されたこの行事を国籍不明のイベントにするにはもったいない。
 
 
私の日の丸とのご縁はこの商店街の年末年始の行事から始まりました。 数年前に商店街理事会で、私が「北心斎橋商店街のように日の丸を掲げましょう」と提案して了承していただきました。 右翼と思われるかと心配したのですが、我が商店街・せんば心斎橋筋商店街の前の理事長、故大西信平氏は日本の商店街に日の丸を掲げる運動をされていたので、すぐに承諾されたのです。 非常に幸運でした。
 
今年の本当の最後は本町の座摩神社で31日15時から行なわれる年末の「年越の大祓」です。 今年も私は参ります。 夏の6月30日に行なわれる「夏越の大祓(なごしのおおはらい)」同様に今年で4回目の参加でしょうか。 一年の間に穢れた身と心を清める儀式です。 この行事は何かキリスト教の洗礼や仏教の灌頂の儀式に近い感じがします。
 
大祓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%93 
大祓詞(おおはらえのことば)
http://www.youtube.com/watch?v=yNL1SFtq1EY
 
 
 
【この十年 疾風怒涛 やむことなし】
 
 
なお今年後半になってから講演会イベント情報の送信を辞めることにしてご迷惑をおかけしている方もあるかと思いますが、申し訳ありません。 情報の日時に合わせて通信も書いていかなくてはならず、色々支障が出てきましたので決断しました。 
 
この通信は元々、講演会やイベントだけをお知らせするものとして平成12年くらいから始めてきて、感慨深いものがあります。 平成9年5月に妻を亡くしてから、すぐに会社再建に動いて、その夏は高校生の長男を妹に預けて、四国から京阪神を新規客開拓に駆けずり回っていました。 その間、妻喪失の悲嘆からはしばらくまぬかれていました。 
 
 
しかし結局、父の代から続いた衣料と水着の卸会社を縮小する決断を1年後にした後、時間ができてから喪失悲嘆のウツ状態が始まりました。 その後「ありがとう、を唱えているといいことが起こるよ」と教えてもらってから真剣に唱え続け、目の前に道が開き始めました。 
 
「ありがとう」の五文字に秘められた不思議な力――小林正観さん
http://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/c00add7d8c5d88d89b02d763770833cf
 
 
平成12年に「いのちと出会う会」が立ち上がりました。 そして次の年から釜ヶ崎の炊き出しに参加して、さらに「大阪メチャハピー祭」の立ち上げにも加わりました。 寝袋配りもこの頃から始めました。 疾風怒涛の始まりでした。
 
 
平成15年の夏に日本の戦争を肯定的に見る「もう一つの戦争展」へ行って、アメリカで目覚めた昔の愛国の炎が再び燃えあがりました。 そのことを「いのちの風」に書き出してから、釜ヶ崎の左翼カトリックたちから右翼扱いされ、足が遠のきました。 その代わりこの年に大阪駅前炊き出しに参加して今の基礎ができたのです。
 
もう一つの戦争展
http://sensouten.blog.so-net.ne.jp/ 
 
 
(その2へつづく)