「菊」の日記  
          2007年5月号

                 
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2007年05月31日

縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
       第3章「天王山の決戦」
      羽柴秀吉の誤算

 

 20日の晩、羽柴秀吉は、軍を引きました。それに強く反対するはずの信長の乳兄弟、池田恒興と、信長の三男、信孝は、戦死しています。反対する武将は、いませんでした。信長に謀反を起こした明智光秀に憎しよりも、武田軍の恐怖がそうさせたのです。特に、その中でも、信長の三男、信孝が討たれたことで、秀吉を非難武将もいて、秀吉は苦しい立場にいたのです。

 しかし、羽柴秀吉には、何故、京都を越えた天王山まで、武田軍が来ているのか、信じられない思いで一杯でした。もし、武田さえ、いなければ、自分が、明智光秀を倒して、天下人になれたという思いをなかなか消せませんでした。

 何故なら本来なら、1週間前、羽柴秀吉は、明智光秀の軍と、同じ、天王山と淀川の狭い土地、山崎で戦うはずでした。十二日まで、両軍は、そう想定していました。しかも戦えば、兵力的に有利な羽柴秀吉が、有利だったのです。

 でも、土壇場で、光秀は、勝龍寺城に、五千の兵を残して、坂本に撤退しました。決戦を避けたのです。だけど、この時点でも、秀吉は慌てませんでした。坂本まで引いても、明智光秀に援軍が増えるはずではありません。京都を押さえ、羽柴秀吉勢が、迫れば、日和見を決め込んでいる畿内の多くの勢力も、自分の味方をするのは明白でした。長岡親子や、筒井順慶にも使者を送っていて、自分の味方する可能性が高く、ますます羽柴秀吉に有利になるはずでした。

 だから不利を承知で、明智光秀は、山崎で、決戦を望むつもりだったのです。でも、そんな秀吉が、勝龍寺城に迫ったとき、信じられない情報が届きました。何と、武田軍が、岐阜を越えて、近江に入ったという知らせでした。これは、中国を大返した、羽柴秀吉を大いに驚かせました。羽柴秀吉が、中国から徹底できたのは、ある程度、明智光秀の謀反を内心察知していたからです。

 それと同じことが武田家も察知していたのか、それとも明智光秀から事前に知らされていたのか、分かりませんでしたが、本能寺の変の後、4日後の六日には、もう信濃を出て、十日には、清須城を落とし、十一日には、尾張を占領したという武田軍の動きは、自分と同じ大返しでした。長篠の戦以後、恐れなくなった武田家の恐怖が、再び覚えたのです。

 しかも、その武田家を率いる勝頼の弟、仁科盛信は、すごい勢いで、明智光秀に合流する動きをみせていると言います。このときに、秀吉は、明智光秀が何故、坂本に兵を引いたか、理解しました。武田軍の強力を期待し、再び、自分に挑んでくることが分かったのです。

 また、その仁科盛信の敏速な動きは、畿内の武将達に、寸時に伝わっていました。結局、日和見を決め込んでいる長岡親子、筒井順慶は動かず、自分の元には、信長が、討たれたと知って、逃げ出した丹羽長秀、織田信孝の兵、五千が戻ってきたぐらいでした。ここに、羽柴秀吉の目論見の大きな誤算が生まれたのです。

 そしてその誤算は、月々と大きな誤算を呼んで、羽柴秀吉は、一旦、兵を、天王山、山崎まで戻さないといけないはめになりました。もうすぐ、明智光秀が、武田軍を連れて、戻ってくると信じている勝龍寺城の兵の士気は高く、羽柴秀吉が、猛攻を仕掛けても落ちませんでした。羽柴秀吉は、勝龍寺城を残して、明智光秀と未知の武田軍とは戦をしたくなかったのです。

 だけど、この時点でも、羽柴秀吉は、戦は勝てると思っていました。兵力では、圧倒的に有利ですし、地理的にも、天王山を抑えて、有利だったからです。でも、それも仁科盛信率いる信濃の兵の強さが打ち崩しました。特に、軍神、諏訪大明神を信じる、諏訪、高遠の兵は、とても同じ人間とは思えませんでした。羽柴秀吉は、そんな武田軍に脅威を覚えながら、空しく撤退していったのです。

2007年05月31日

縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
       第3章「天王山の決戦」
      羽柴秀吉の撤退

 

 20日の晩、天王山で、羽柴秀吉は大きな苦衷の中にいました。山崎での戦いは、昼から行われ、兵力的には圧倒的に多いはずの羽柴秀吉率いる織田連合軍は、明智軍、武田軍に敗れました。それは、すべて武田軍の強さによるものでした。後、少し、夜になるのが遅くなったら、間違いなく、武田軍は、羽柴秀吉の本陣を突いて、羽柴軍は、崩壊しているはずでした。辛うじて、崩壊は免れて、兵を天王山にまで、引くことができたのです。

 しかし明日になれば分かりません。池田恒興、織田信孝を討ち取って、勢いづいている明智軍、武田軍が、攻めてくることは分かっています。それを緒戦の敗戦で、兵も多くなくしている羽柴秀吉に、防ぐ自信はありませんでした。羽柴秀吉の率いている連合軍は、寄り集まりで、一つにまとまっているわけではありません。明日になったら、逃げ出す兵もいる可能性があります。

 その上に、羽柴秀吉に恐怖を与えたのは、仁科盛信の存在でした。羽柴秀吉は、初めて聞く、この男の名前に、信玄の面影を感じました。山崎の戦いでみせた武田軍は、長篠の戦以降に見せた武田軍とはまったく違っていました。甲斐、信濃の兵は、尾張の兵、五人に匹敵するという話もありましたが、あれは嘘ではない。羽柴秀吉は、明日、再び、武田軍と戦っても、勝てる気はしなかったのです。

 だけど、それでは、ここで戦いを避けて撤退したら、今度は、明智光秀を討つチャンスが来るか、どうかも分かりません。秀吉が負けたとなれば、明智軍に加わらなかった、若狭の長岡親子や、大和の筒井順慶は、間違いなく、明智軍に加わります。その上に、河内、和泉の領地も明智光秀に取られる可能性が高いです。堺を、明智に握られることは、秀吉も避けたかったのです。しかも、この山崎の敗戦を知れば、和議に応じた毛利家もどうなるか分かりません。明智と結んだら、挟み撃ちにあった羽柴軍は、大きな危機を迎えることは、自明の理だったのです。

 と言って、では、明日、もう一度決戦をすれば、今度は、完全に敗北して、二度と立ち直れない可能性も高いです。仁科盛信の率いる武田軍がいるかぎり、勝てない、それは戦国時代の優れた武将である、秀吉が肌で感じたことだったのです。その上に、それは、他の武将も同じ思いでした。実際に戦った、丹羽長秀、織田信孝の兵だけでなく、武田軍強と言う思いは、全軍に蘇っていました。信玄健在の頃、恐れていた武田軍が復活、信玄が復活した感じでした。どの武将も、明日、再び、野戦で、決着をつけようとは言わなかったのです。

 それで、夜の軍義で、秀吉は、天王山から徹底を決断しました。夜のうちに、軍を下げて、富田城まで撤退する事にしました。ここで、守りを固めるつもりでした。軍師である黒田孝高の「武田軍もいつまでもこの地にはいないでしょう。美濃、尾張に、徳川家康、柴田勝家、北条も動く可能性も高いので、仁科盛信もすぐに兵を戻すでしょう」という進言が大きくものを言いました。仁科盛信が、引いた後、もう一度、明智軍と戦う決断をしたのです。


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2007年05月31日

   縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
       第2章「本能寺の変」
    「仁科盛信の決断」二 天王山の戦い


羽柴秀吉の軍が来る。仁科盛信は、その意味を瞬間に理解していました。もし、羽柴秀吉に、明智光秀が敗れたら、武田軍が、尾張を占領したとしても、すぐに、羽柴秀吉や徳川家康に攻め込まれて、撤退しないといけないことになる。三日天下に終ることを理解していたのです。

 だから、仁科盛信の行動は、敏速でした。明智光秀には、自分が、美濃に入っている武田軍1万以上を率いて、すぐに駆けつけるから、それまで、決戦を待って欲しいという返事を使者に伝えると、勝頼にそのことを伝える使者を出し、12日の日に、清須城と小牧城は、伊那軍、二千を残すと、清須城に到着した、諏訪、高遠、3千の軍を、自ら率いて、鶏沼城に引き返すと、中信の三千、北信の二千、飛騨、越中の二千の合計1万の軍が到着するのを待って、美濃で、武田軍に降伏してきた三千の兵を率いて、十四日には、明智光秀の待っている坂本城に向けて、合計、1万3千の軍を向けました。尾張、美濃は、後は、勝頼にすべて任せるという決断をしたのです。

 また、その仁科盛信の決断は、正解でした。不利と分かっていても、天王山のちかくの山崎あたりで、羽柴軍を向かえ討つ覚悟をしていた明智光秀は、12日に、仁科盛信の返事を聞くと、13日の決戦は避けて、一旦、坂本城まで、本軍を引く決断はしました。勝龍寺城に5千の兵を残して、羽柴軍を、自分が戻ってくるまで、何とか食い止めるように命令を出して、すぐに坂本城に兵を引いたのです。。

 ですから、明智光秀と仁科盛信は、十八日に、坂本城あたりで、合流すると、十九日に、京都に入り、二十日、猛攻を凌いだ勝龍寺城に入ると、いよいよ二十日、羽柴秀吉率いる織田軍四万に対して、二万九千と兵は少ないですが、決戦することになりました。本来なら、1週間早い、十三日、三万五千対、一万六千という不利な局面で戦わないといけない局面を、武田軍、仁科盛信の大きな決断のおかげで、防ぐことができたのです。

 しかも、その戦いで、左翼を任された武田軍、仁科盛信の活躍は、戦国時代、最強と恐れられた武田軍そのものでした。特に、武田軍の先陣を務めた、諏訪、高遠軍、三千は、勝頼、仁科盛信が、指揮していた直属の部隊だけに、士気は非常に高く、迫ってきた池田恒興、丹羽長秀、織田信孝軍を相手にしませんでした。4倍の兵で、攻撃されても崩れなかったのです。それで戦いは、明智軍の優勢になりました。劣勢だった正面を任された斉藤利三の隊や、津田信春、伊勢貞興の隊も、息を吹き返しました。迫ってくる、羽柴秀長、中川清秀、高山右近の隊を押し返したのです。

 でも、その後に見せた仁科盛信の攻撃は、羽柴秀吉を恐怖に落としました。仁科盛信は、自ら率いた、中信と北信、合計五千も高遠、諏訪軍の援軍に向けると、倍もあった、池田恒興、丹羽長秀、織田信孝の軍を、完全に崩壊させました。池田恒興、織田信孝の首を取ったのです。こうして、最初の天王山の戦いは、明智軍の勝利になりました。羽柴秀吉の率いる織田連合軍は、もう少しで、崩壊寸前でした。それを防いだのは、武田軍の野戦の強さを恐れる羽柴秀吉が、合戦を、昼の1時頃から仕掛けた為でした。明智、武田、連合軍は、暗くなったので、合戦を停止したのです。


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2007年05月31日

縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
       第2章「本能寺の変」
       「仁科盛信の決断」一


 6月6日、二千の兵で、美濃に入った、仁科盛信の動きは、風林火山の風、そのものでした。6日に、岩村城、明智城を抜けると、一気に、岐阜城に進むルートを入り、9日には、鶏沼城にまで進むと、そこからは、南下して、岐阜城ではなく、清須城を目指しました。

 しかも、その間、織田兵の抵抗は、殆どありませんでした。織田信長が、死んだということは、織田軍の兵士、一人、一人の判断力を奪いました。何をしたらいいのか分からないまま、命を惜しんで、戦おうとしなかったのです。それで、仁科盛信は、清須城は、二千の兵でも、何とか奪えるという確信持ちました。岐阜城には滝川一益がいて、混乱しながらも、指揮を執っているのに対して、清須城には、誰も指揮を執っていないという情報が入ったからです。

 また、その仁科盛信の判断は、正解でした。3千の兵で、守りを固めていたはずの清須城は、武田軍が、清須に軍を抜けたという情報が入ると、二千ちかくの兵が逃げ出しました。後、千の兵も、9日の晩に、仁科盛信の軍が着くと、かがり火を焚いて脅かすと、七百ちかい兵が逃げ出して、残るは、三百と言う体たらくでした。尾張の兵、聞きしに勝る弱兵だったのです。

 10日の早朝、仁科盛信は、そんな清須城に、容赦なく攻め込んで、二刻で清須城を落とすことができました。三百の兵も、結局、逃げ道を残していたので、3分の1は、逃げ出していました。そんなに苦労はしなかったのです。でも、それでも、仁科盛信は、油断はしていませんでした。常に、徳川家康の存在が、頭にありました。その家康も、また、二千の兵で、尾張に入ったという報告を聞いた時には、一足先に、清須城に入れた幸運を諏訪大明神、八幡大菩薩のご加護に感謝したのです。

 だけど、それだけではなく、仁科盛信の動きは、敏速でした。11日には、もう一つの重要な城、信長がしばらくの間、居城にしていた小牧城にも、五百の兵で、無血で落とすことができました。小牧城の千の兵士も、清須城が落ち、武田軍が、今度は、自分達のところに来たと思うと逃げて、誰も残らなかったのです。事前に、仁科盛信が流した恐ろしいうわさと、信濃から、美濃に、どんどん武田軍が入っていることが大きかったのです。

 しかし、そんな仁科盛信に、明智光秀の使者が来たのは、10日でした。明智光秀は、6日に、仁科盛信が知らせを受けて入ったという知らせを受けた時は、その敏速さに驚きながらも、何度も使者を送っては、畿内の動きを伝えてくれていました。安土城、長浜城、佐和山城を占拠し、近江を抑えたという報告も貰っていたのです。

 だけど、今度の内容は驚くものでした。毛利家と戦っていた羽柴秀吉が、毛利家との和議を結ぶ事に成功し、7日には姫路に戻って、自分の方に、軍を向けているということでした。さすがの仁科盛信も、その羽柴秀吉の大返しには驚いてしまったのです。
しかも兵の数も、羽柴秀吉は、丹羽長秀、尾張信孝、摂津の池田恒興、中川清秀、高山長房なども味方にして、兵の数は圧倒的に、明智軍を超えていると言います。何と3万5千から4万と言い、明智軍の2倍はあるというのです。


2007年05月31日

縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
       第2章「本能寺の変」
       「武田勝頼対徳川家康」二

 

 だから、徳川家康が、考えられる策の一つは、今、浜松城に迫ってくる勝頼と野戦を交えることですが、その勇気は、とうとう出ませんでした。三方ヶ原の戦いで、信玄に惨敗した記憶は、今も残っていますし、家臣も忘れていません。信長に対しては、長男の信康を殺された恨みもありましたが、織田軍の援軍無しで、勝てるとは思えませんでした。その上に武田軍は、浜松城に千人残した五千の徳川よりも、九千と、倍ちかく多いです。兵の質でも、強さに勝る甲斐、信濃の武田軍と、ここで戦う事は無謀だったのです。

 でも徳川家康もやはり知将でした。すぐに信長が討たれたかもしれないという現実から立ち直りました。結局、徳川家康が考えた策は、勝頼よりも先に、尾張に入るということでした。朝、まだ武田軍が、浜松城に来る前に、三千の守備兵を残して、三千の兵で、三河の岡崎城に向かったのです。ここで新しい情報を集め、信長の生死を確かめて、武田家よりも先に、尾張の清須城を奪おうとしたのです。

 また、そんな家康の決断は、勝頼を唸らせました。物見の報告で、浜松城から、3千の兵が出たことを知って、やっと家康も、信長の死を知ったのかと思いましたが、三河に向かったその判断力には、舌を巻いたのです。と同時に、もし、後一日、知るのが遅かったらと思うと、勝頼はとても残念でした。浜松城を抜けていたら、徳川家康は、完全に動けず、武田軍が、先に尾張に入ることは間違いはずでした。これでは先に、徳川に、入られるとしまうと思うと、悔しかったのです。

 でも勝頼も、打てる手は打っていました。まず、九千の兵から、駿河の兵、二千人を残して、駿河全体で、田中城に千、江尻城に穴山信君の兵、二千、蒲原城に千という兵を置いて、合計四千の兵で、自分達が留守にする駿河の守りを固めました。徳川軍、北条軍が、駿河に押し寄せても、三ヶ月から半年は、持ち堪えられるようにしていたのです。

 そして残りの七千の兵で、急いで、徳川家康の後を追いかけました。徳川家康が、尾張に行く事を、けん制するつもりだったのです。でも、そんな勝頼に、すぐに吉報が届きました。翌日の10日、先に、出撃した仁科盛信が、見事、清須城を、わずか二千の兵で落としたという報告が入ったのです。その10日は、岡崎に帰った家康が、二千の兵で尾張に入った瞬間でした。武田家は、家康よりも一日先に、清須城を落とすことに成功したのです。

 ですから勝頼は、その報告を受けると、ただちに、家康との直接の対決を避けるように、野田城から、足助城と、三河の山手を進むと、12日に尾張の国境に入ると、11日に、仁科盛信が占領した小牧城に入りました。仁科盛信が占領した、尾張の守りを固めることに成功したのです。

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2007年05月31日

縁の花村まぐまぐ情報 発信 
縁の花村まぐまぐ情報、第61号から第68号まで発信しました。
 内容は、下記に書いています。
 是非、お読み下さい。
 これをご縁に、縁の花村のまぐまぐ情報の読者になって頂けたら幸せです。

縁の花村まぐまぐ情報61号
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohanamurajouhou/ennohanamura61.htm  
1、2007年6月10日大阪 素質サプリメントセミナーのチラシ作成しました。 2、良妻賢母の教育復活に本気になろう 3、天皇の真実 3資料

縁の花村まぐまぐ情報62号
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohanamurajouhou/ennohanamura62.htm
1、縁の花情報を更新しました。 2、第2回プラットホーム空(くう)03例会の報告 3、第2回プラットホーム空(くう)03例会の報告2

縁の花村まぐまぐ情報63号
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohanamurajouhou/ennohanamura63.htm
1、第2回プラットホーム空(くう)03例会の報告3  2、6月3日泉苑で、楽しいバーベキューのパーティをします。 3、まだまだな菊です1

縁の花村まぐまぐ情報64号
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohanamurajouhou/ennohanamura64.htm
1、まだまだな菊です2 2、大河ドラマ 風林火山 第20話 「軍師誕生」 3、大河ドラマ 風林火山 諏訪御料人紹介

縁の花村まぐまぐ情報65号
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1、縁の花 第232号「武田勝頼の復活」2、縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
「仁科盛信の助言」 3、縁の花 第223号「武田勝頼の復活」 「武田勝頼と仁科盛信」

縁の花村まぐまぐ情報66号
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1、縁の花 第223号「武田勝頼の復活」 「武田勝頼と仁科盛信の会話 小督姫と松」2、「武田勝頼と仁科盛信の会話」仁科盛信の策1  3、「武田勝頼と仁科盛信の会話」仁科盛信の策1

縁の花村まぐまぐ情報67号
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1、「武田勝頼と仁科盛信の会話」情報戦  2、縁の花 第223号「武田勝頼の復活」第2章「本能寺の変」 天正十年六月二日  3、「本能寺の変の後」

縁の花村まぐまぐ情報68号
1、「仁科盛信の動き」 2、「智将仁科盛信の活躍と徳川家康の不運」 3、「武田勝頼対徳川家康」
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2007年05月28日

縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
       第2章「本能寺の変」
       「武田勝頼対徳川家康」

 

 徳川家康には、何故、武田勝頼が、1万ちかくの軍を率いて、突如攻めて来たのか、理解できませんでした。事前に内通している穴山信君からも知らせはありませんでした。勝頼は、真田昌幸の意見を取り入れて、駿河の各港に、家臣を派遣していました。穴山信君の動きを用心していたのです。そのかいがあって、清水港に、明智光秀の使者が入って、信長が倒れた情報が入っても、機密を防ぐことができました。家臣は、その情報を、駿河のどの武将に知らせずに、直接勝頼に知らせたのです。

 しかも勝頼は、武田水軍を三河、遠江に派遣して、船から徳川家の使者が入ることを防ぎました。徳川家と親しい、堺の商人や、京都にいる徳川家のものから、連絡が来るのを防ごうとしたのです。
 だから、六月六日、突如、遠江に、3千の武田軍が侵攻したときには、さすがの家康も驚きました。信長が、毛利攻めをしている時に、自棄になった勝頼が、攻めてくる可能性はありましたし、その為に、家康自身、安土城で、信長の接待を受けた後、堺を見学もせずに、帰国しましたが、本当に武田軍が攻めてくるとは思わなかったのです。

 しかも、八日の日に、遠江に侵攻した本隊、六千の武田勝頼の動きも、常識外れでした。勝頼は、つい最近落とされた高天神城などの城に見向きもせず、直接、自分のいる浜松城に向かっていました。これも常識では考えられない行動なのです。

 ですから家康は、最初、猪武者の勝頼が、最後の大博打をする気になったと判断しました。浜松城にいる自分に決戦を求めに来たと判断したのです。でも、家康は、そんな勝頼の愚かさを笑いながらも、決戦するつもりはありませんでした。武田家の野戦の強さは、痛いほど分かっています。浜松城に、六千の兵を集めましたが、あくまでも篭城するつもりでした。家康は、三河の岡崎城に三千、吉田城に千と留守兵も置いて、守りに徹するつもりでした。そうすれば、諦めて、勝頼は、軍を戻すと思ったのです。

 そんな家康の元に、信長が本能寺で、明智光秀に討たれたという報告が来たのは、八日の晩でした。京都に駐在している家臣からの知らせが、やっと届いたのです。それで家康は、勝頼の狙いが、遠江、三河ではなく、尾張、美濃だということを悟ったのです。しかも、大将だった今川義元が桶狭間の戦いでなくしたことのある家康には、その勝頼の試みは、成功する予感がありました。今なら、尾張、美濃を取れる可能性が高いと思ったのです。

 だけど、家康には、すぐにはなにも考えることもできませんでした。信長の存在は、家康にとっても、偉大すぎました。しばらくの間は、呆然として、家臣に叱咤激励されて、やっと少し落ち着くことができたのです。また、そんな家康を悩ませたのは、信長の安否がはっきりしないということでした。続いて京都から来た家臣の報告では、信長の生きている可能性があるという事でした。信長の生死ははっきりしなかったのです。


これでは、家康自身、尾張、美濃に軍を入れることはできませんでした。もし、信長が生きていたら、尾張、美濃に侵攻する自分に激怒します。慎重な家康には、そんなばくちは打てなかったのです。同盟国の織田に、大義名分のない侵略は、やりにくかったのです。
しかも、武田軍は、高天神城を抜けてどんどん迫ってきています。明日の昼には、浜松城にまで来ます。今、尾張に、三河に残っている数少ない兵を、終わりに向けたら、浜松城を抜けた、武田軍に簡単に、岡崎城も取られてしまいます。

戦略家として優れている家康は、その時に、何故、勝頼が、遠江に侵攻したことが分かりました。尾張に近い、三河の兵を、浜松の自分のところに集めるつもりなのだということが分かったのです。
でも、今更、それが分かっても、家康には、何もできませんでした。信長を無くしたというショックから、その気力を奪っていたのです。いえ、家康よりも、徳川家臣に与えたショックが大きく、とても今、武田と戦をする気持ちは出てこなかったのです。

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2007年05月26日

縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
   「知将仁科盛信の活躍と徳川家康の不運」

 

 六月五日の朝、岐阜城にいる滝川一益の知らせで、信長が、明智光秀の謀反で、死んだことを知った岩村城、明智城の織田兵は、針をついた大騒ぎでした。そんなことが起こるとは信じられなかったのです。でも、その事を事前に知っていたのか、武田軍は、1万という嘘のうわさを出しながら、進軍しています。どちらの城も攻撃せず、岐阜の方に進軍しているのです。

 岩村城、明智城の兵達は、そんな武田軍の行動が信じられませんでした。そんな事をしたら、岐阜城と岩村城で、挟み撃ちで、すぐに武田軍は全滅します。でも、信長の訃報を知って、初めて、岩村城、明智城の武将達も、武田軍の行動が理解できたのです。だけど、信長、信忠だけでなく、森蘭丸という主をなくした岩村城にしろ、明智城にしろ、何もすることができませんでした。以前、戦って、野戦での武田軍の強さはよく分かっています。どれだけの兵がいるのかも分からないまま、野戦を仕掛けても、二千や千の兵では、武田軍に勝てるとは思えませんでした。城を固めるしかできなかったのです。

 また、そんな岩村城、明智城の行動は、仁科盛信の予想通りでした。もし、自分の予測とは違って、織田軍が、信長の急死でも、敏速な反応をしたら、仁科盛信の軍は、全滅します。しかし、仁科盛信は、これにすべてをかける覚悟でした。諏訪などの援軍を待たず、どんどん、織田領に、わずか3千の軍で、進撃していったのです。

 そしてそんな仁科盛信に負けまいと、甲斐の武田勝頼も、敏速に軍を動かしていました。
同じく、六月五日の昼には、まだ集まっていない兵は待たずに、甲斐から、駿河に出撃しました。事前に、信長に万が一の事があれば、甲斐、駿河の全軍で、遠江の徳川を攻めて、徳川家康をけん制して、徳川軍が、尾張、美濃に来ることを阻むということを約束していました。どうしても、距離的な近い、三河の徳川が、清須や、岐阜を、先におさえることは、防ぎたかったのです

 また、この策は当たりました。岐阜城の滝川一益は、同盟している徳川に、信長が本能寺の変で亡くなった知らせは送りませんでした。一角の武将である滝川一益は、それが、何を意味するか、正確に理解していました。信長だけでなく、信忠も死んだことを知ったら、徳川家康が、尾張、美濃に攻め込んでくることを恐れたのです。

 だから、五月、京都から、信長と別れて、武田家の用心の為に、遠江の浜松城に帰国していた徳川家康が、信長の死を知ったのは、遅れてしまいました。武田家は、六月八日には、甲斐、駿河、遠江の兵、九千で、遠江に侵攻し、そのことを慌てて、信長に知らせるために、使者を向けて、その使者が、清須に入った時に、織田家中の様子がおかしいので、織田の人間から聞きだして、慌てて、浜松にいる、家康に知らせたのです。

 でもそのときでは、もう遅すぎました。家康が事情知ったのは、六月十一日の晩でしたが、その時には、武田軍は、もう浜松城を突破していたのです。


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2007年05月26日

縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
「仁科盛信の動き」

 

 武田家中の中で、本能寺の変を一番、最初に知ったのは、仁科盛信でした。仁科盛信は、勝頼と相談して、その時、信濃の伊那にある吉岡城にいました。もし、上方で何かがあったとしても、距離的に遠い、高遠城には、なかなかその情報が入りません。一番、早く届くのは、伊那の吉岡城あたりでした。できるだけ、織田領に近いところで、武田家の忍者から、連絡があるのを待っていたのです。

 そんなの仁科盛信の元に、明智光秀からの使者が到着したのは、二日後の六月四日の晩でした。織田家でも、まさか明智光秀が謀反を起すとは夢にも思っていませんでした。まったく警戒はしておらず、織田家中の明智光秀が、使者を派遣しても、怪しむ人物はいませんでした。明智光秀は、堂々と、使者の乗せた馬を走らせて、岐阜城や、東美濃の岩村城に派遣するというようにみせて、信濃の武田家に、つなぎをとったのです。

 また、その知らせは、事前に、何かあったら、すぐに自分に知らせるように、仁科盛信のもとにすぐに届きました。仁科盛信は、その明智の使者からの言葉と文面を受け取り、信じられない思いでした。まさか、明智光秀が謀反を起すなど、予想もしていなかったのです。でも、信長が、急死することを願い、その時のために、最大限の準備をしていた仁科盛信の行動は、驚くほど敏速でした。

 直ちに、勝頼や真田昌幸と、事前に打ち合わせていた、信長が急死したという合図の狼煙を上げると、甲斐の新府城で待つ、勝頼に、使者の派遣を命じました。その上に、勝頼の了解も貰わずに、伊那の兵に、明日、出陣するという命令を出させ、実際に、翌朝の六月五日、伊那の兵、3千人を率いて、美濃に出陣しました。それは、まだ織田信長が、本能寺の変で、明智光秀の謀反で打たれたことを知らない、岩村城や、明智城の兵達を、本当に驚かせる行動だったのです。

 そして、そんな仁科盛信と同じように、武田勝頼の行動も敏速でした。勝頼も、まさか信長が急死するとは、まったく信じていませんでした。でも、事前に、想定して、準備していたことは大きかったです。合図の狼煙も、準備していたので、信玄公が造った狼煙のシステムも、完全に機能して、その日の晩、遅く勝頼は、織田信長が、何かの謀反で死んだことを知り、その日の晩に内に、甲斐国内や武田全領土に、出陣の命令を出していたのです。

 
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2007年05月26日

縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
       第2章「本能寺の変」
   「本能寺の変の後」

 

 明智光秀の本能寺の変は、大成功でした。1万3千人の兵で、本能寺にいる織田信長を奇襲して、見事に討ったのです。しかも、その後、六百人で、京都の二条城にいた織田信忠も討つことができました。正直、信長憎しで、信忠の事は眼中になかったので、今、明智光秀は、少しほっとしていました。もし、織田信忠が、二条城に篭らず、逃げていたら、岐阜に逃げることは可能だったと思います。そうすれば、美濃、尾張の兵を率いて、自分をすぐに討つに来る可能性が高かったです。

 だから織田信忠も、京都で殺しておくべきでした。そのことに、気がつかなかった自分に、明智光秀は、やはり、信長を本能寺で討った自分は、少し冷静さを失っていたと改めて思いました。精神の病、今まで、心の中で、葛藤したものが、爆発した自分に気がついたのです。それで、信忠も、その後に討てた幸運に、天のご加護を感じたのです。

 しかし、そんな明智光秀に、ものすごく気になることがありました。それは、信長の首、死骸を、本能寺でいくら探してもないことです。ですから、これは、ありえないことですが、もし、信長が、本能寺から抜け出したのではないか、明智光秀は、その事を考えると、思考が止まること感じました。信長の恐怖を感じたのです。

 でも、それでも、明智光秀は、すぐに自分で考えられる手をうちました。与力の細川藤孝、筒井順慶には、何度も使者を送りましたし、毛利家、武田家、上杉家にも、何人も使者を送りました。信長を討ったことは、織田家中のものはすぐに分かります。自分も、すぐに味方になってくれる人達に伝える必要があったのです。

 また、その中で、明智光秀は、機密保持の為に、本能寺の変を起すまでは黙っていましたが、攻撃を始めた時に、すぐに何人もの使者を向けています。特にその中でも、堺にも使者を何人も送って、堺の商人の船で、毛利家や、武田家にも、連絡することも考え、使者を派遣しています。陸で行くよりも、船で、夜中も走らせたほうが、早いのではないかと考えたのです。

 特に、その中でも、中国方面は、羽柴秀吉と、毛利家が戦っていて、下手をしたら、使者が、羽柴秀吉の軍に捕まる恐れがあります。そうなったら、何にもなりません。船で、行けば、羽柴軍に捕まる恐れがありません。光秀は、それに期待していました。もし、堺や大阪に、織田信孝、丹羽長秀の軍がいたら、使者を派遣することは危険なので、出来ませんが、四国攻めは中止になったので、可能だったのです。


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2007年05月26日

縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
       第2章「本能寺の変」
 天正十年六月二日


 織田家の家臣、明智光秀は、主君である織田信長に謀反を起す決心していました。しかし、その理由は、まだはっきりとは、光秀以外、何人かの側近でしか分かっていませんでした。ただ、その謀反は、突発的なことでした。何年も前から考えていたことではなく、2ヶ月間ぐらい前に、考えたことだったのです。

 またそれは、自分の事よりも、天皇家に対しての不満でした。織田信長は、足利将軍を追い出すだけでなく、天皇家自身を、古い体制として破壊しようとしているのではないか、明智光秀は、そう思っていました。天皇家からも、その事を本気で心配する情報も入っていました。ここで信長を殺さないと、古代からの日本の秩序、守らないといけないものが、信長に破壊されると思ったのです。

 だから明智光秀は、使命感に燃えていました。その後、自分が天下を取ることは、そんなに考えていませんでした。天皇の意思で、信長を討てたら、それでよかったのです。
 また、そんな光秀に、大きなチャンスが転がりこんでいました。今、織田軍の各武将は、各地で戦っていて、信長の周りは、大きな兵を持った人物はいませんでした。

 嫡男の信忠は、わずかな手勢で、信長と一緒に京都にいますし、織田家の筆頭、柴田勝家は、上杉家、羽柴秀吉は、毛利氏、滝川一益と徳川家康は、武田家、丹羽長秀と織田信孝は、攝津にいて、毛利家に向けて、軍を動かそうとしていました。毛利家との戦いで勝利した後、丹羽長秀と織田信孝の軍勢で、四国の討つ計画だったのです。ですから、今、信長の周りには、有力な武将はいませんでした。簡単に信長を討つことは可能だったのです。

 しかし信長を討った後、どうなるかは明智光秀にも、はっきりとは読めていませんでした。ただ、各地に散らばっている有力な織田家の武将や、同盟国の徳川家康が、自分の首を取りにくることは明白でした。それに対して、自分にどれだけの武将が、ついてくれるか、光秀には自信はありませんでした。自分の与力になっている若狭の細川藤孝や、大和の筒井順慶さえ、主君を討った自分の味方になってくれるという自信はなかったのです。

 だから、明智光秀が期待していた味方は、織田家と戦っている武将達でした。中国の毛利家、越後の上杉家、甲斐・信濃の武田などに期待していたのです。

 また、その中でも光秀が大きな期待をしたのが、中国の毛利家と、甲斐、信濃の武田家でした。今、毛利家には、自分のライバルである羽柴秀吉が戦っていますし、織田信孝、丹羽長秀の軍も攝津にいます。この両軍で、5万にはなります。それが、自分に向けられたら、1万3千の明智軍は、一溜まりもありません。毛利家には、早く織田信長を討ったことを知らせて、羽柴秀吉の軍が、自分に向けられることを食い止めて頂き、早急に、挟み撃ちにして、織田信孝、丹羽長秀もろとも討つつもりでいたのです。

 でも、明智光秀が、もっとも期待したのは武田家でした。武田家は、信玄公の時の、往年の勢いはないですが、2万の軍隊を動かすことは可能です。背後の北条家や、三河の徳川家との戦いもあるので、どれだけの援軍を送れるかはわかりませんが、連絡して、加勢を頼めば、5千から1万の兵を送ってくれることは可能です。そんな武田家を機内に入れることは、領地も渡さないといけないので、将来的には、不安もありますが、今の光秀には、援軍が必要でした。

 上杉家、毛利家には、直接の援軍は期待できませんが、武田家なら、岐阜城を守っている滝川一益だけなので、すぐにも自分の軍と合力することは可能です。明智光秀は、そのことに期待しました。昔の武田家の名声は、まだまだ残っています。自分に、戦国最大と恐れられた武田軍がついたという事実だけでも、その効果は大きいと判断したのです。

 ですから今、明智光秀の頭にあったのは、織田信長を討った後、どうやって、細川藤孝や筒井順慶などの与力を説得し、毛利家、武田家、上杉家に、信長を討ったことを早く伝えるかでした。毛利家にしろ、武田家にしろ、距離は遠いです。少しでも早く伝えることが、自分の勝利に繋がると確信していたのです。
 


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2007年05月25日
縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
「武田勝頼と仁科盛信の会話」情報戦


 「わしの決断しだい」勝頼は、仁科盛信の言葉にそう反応しました。
 仁科盛信は、頷くと、「そうです。もし、戦場で、信長が急死すれば、我々に有利に働くことが一つあります。それは、織田家中にしろ、徳川家にしろ、まったくそのことに対して準備しないのに対して、お屋形様は、予測して、準備していることです。準備を事前にしていたら、それだけ早く兵を動かせます。後は、いかにして、信長の情報を、徳川家康や、織田家中の家臣よりも、どれだけ早く掴むことができるかです。とりわけ、家康に負けるわけにはいきません」

「家康」勝頼は、その言葉にそう反応しました。家康は、勝頼のライバルになっていたのです。仁科盛信は、そんな勝つよりに対して、「徳川家康も、一角の武将です。必ずや、信長が戦場に散ったとしったら、すぐにでも尾張、美濃に攻め込むでしょう。甲斐と三河では、距離的に言っても、遥かに、三河の方が近いです。何も用意していなかったら、折角の好機を見逃してしまうことになります」
「徳川家康に、尾張、岐阜を取られたら、折角のチャンスも活かすことはできません。武田家は、この苦境から逃れることはできません。信玄公の夢、京都に旗を上げることもできません。

 仁科盛信は、そういいました。勝頼は、弟の仁科盛信が、まだ、父、信玄公の夢、天下統一を諦めていないことに正直呆れてしまいました。長篠の戦いの敗戦後、勝頼は、そんな事を考えたこともありませんでした。唯一、上杉謙信が、上洛した時は、自分も、岐阜城を落とし、美濃、尾張を支配したいという望みを持っていましたが、すぐに消滅しました。

 今、武田家の家臣で、そんなことを考えている人物は、仁科盛信です。知将ある真田昌幸さえ、そんな事は口に出したこともないのです。だから、勝頼は、そんな仁科盛信の思いを尊重してやりたいと思いました。仁科盛信の言うことは、根拠がなくても、リスクもそんなにありません。信長が、万が一、負けたことも考えて、できるだけ最大限の用意をしておけというだけです。今の、自分に、武田家の当主として、できることは、確かに、それだけで、他にはないとも思ったのです。

 また、勝頼は、そんな盛信が、自分より先に生まれて、武田家を継いだら、どうなっていただろうかとふっと考えました。側室の油川は、甲斐の夫人です。諏訪家の出だと、家臣に影口を叩かれる心配もありません。しかも、頭もよく、家臣達からも信頼されています。もし、仁科盛信だったら、正式に武田家の跡目も告げましたし、長篠の戦で、あんな敗戦をすることもなかった可能性が高いです。

 織田信長、徳川家康を破ることはできなくても、もっとうまく互角に戦った可能性もあります。勝頼は、そんな仁科盛信の言葉を信じてみようと思いました。後、一日か、二日、高遠城に滞在して、仁科盛信の策を全部聞いて、甲斐にいる知将の真田昌幸を呼んで、三人で、情報戦で負けないように、最大限の努力をしたいと思いました。後は、そんな勝頼や、仁科盛信を、諏訪大明神や、武田家の氏神、八幡大菩薩が、どうされるか。自分達が死んだら、悲惨な運命がまっている、仁科盛信の娘、今、無邪気に寝ている小督や、勝頼の娘、貞姫の為にも、最大限のことをしたいと思ったのです。


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2007年05月25日
縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
 「武田勝頼と仁科盛信の会話」仁科盛信の策2


 だから、勝頼は、仁科盛信に、もし、信長が、信玄公や上杉謙信のように、急死したらどうするつもりかと尋ねました。仁科盛信なら、どうするだろうと関心があったのです。

 仁科盛信は、そんな少し元気になった兄、勝頼にほっとすると、前から考えていたこと「もし、織田信長が、死んだと分かったら、信濃の全軍一万を率いて、岐阜城、清須城を攻めたいと思います。御屋形も、甲斐、駿河の残る一万の全軍を連れて、遠江に侵攻して、徳川家の押さえをお願いしたいと思います」と言ったのです。

 しかし、勝頼には、仁科盛信の策は、少し危険だと思いました。信長が、たとえ、死んだとしても、織田軍が滅びたわけではありません。岐阜や清須には、守っている兵もいます。徳川家も黙っているとは思いませんし、背後を北条に突かれたら、守る兵のいない甲斐、信濃、駿河は、ひとたまりもありません。無茶だと思ったのです。

 それで、そのことを、少し笑いながら性急しすぎるといったら、仁科盛信はあっさり認めました。確かに、信長が、急死したら、兵を出す構えをみせて、毛利氏を助けて、後は時勢を見たらいいが、信長が、戦で敗れたり、万が一、家臣の反逆で死んだりしたら、一気に、死ぬ気で、美濃、尾張を取るべきだと言ったのです。

 また、仁科盛信は、その理由として、信玄公がなくなった後の武田家を例にあげました。その時、武田家臣は、呆然としていました。嘆き悲しんで、何も考えられませんでした。信長が、戦で死んだら、織田家中も同じことになっているので、五千や三千の兵で、守っていても、武田軍が、復讐を誓って、攻めてくるといううわさが流れたら、恐怖で、守備兵は、半減して、岐阜城、清須城も取るのは、そんなに難しくないというのです。

 しかも、尾張、美濃を占領したら、散々、武田家を苦しめる、徳川家も、武田家に従うようになりますし、北条家との同盟も復活すると断言しました。仁科盛信は、そのことに自信があったのです。

 でも、まだ勝頼には、そんな仮定の話には、半信半疑でした。信玄が亡くなった後の武田家家臣団の様子を体験している勝頼には、仁科盛信のことが言っていることはよく分かります。しかし、まだ、そんなにうまくいくとは思えなかったのです。

「それで、そんなにうまくいくか」と思わず、言ってしまったのです。でも、兄である勝頼の性格を良く知っている仁科盛信は、「それはすべて兄である御屋形様の決意一つ」だと答えました。仁科盛信は、勝頼が、乗ってきたことに手ごたえを感じ始めたのです。

2007年05月25日
 縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
「武田勝頼と仁科盛信の会話」仁科盛信の策1


 しかし、そんな勝頼の気持ちは、仁科盛信には分かっていました。仁科盛信は、勝頼が、猪武者ではなく、知将だということで評価していました。それだけにいろいろ考えてしまう面もあります。武田家を背負うという重圧がそうさせるのです。
 
 やがて、仁科盛信は酒を飲みながら、小督をそんな目にあわせない為にも、何とか、織田家の侵攻は防がないといけませといいました。勝頼も、それに頷きながらも、その策がないという本音を出しました。

 上杉謙信亡き後、畿内で抵抗していた本願寺も、抵抗を諦め、織田信長と和睦すると、紀州に落ちました。残るは、毛利氏と上杉家ですが、どちらも苦戦しています。武田家は、それを助ける力はありません。どうすることもできなかったのです。

 仁科盛信は、そんな勝頼に、前から考えていたことを言いました。
「確かに、これといった策はありません。しかし、天佑を信じて、供えることはできます。父、信玄公や、上杉謙信に起こったことが、信長に起こらないとは限らないでしょう」

「盛信は、信長が、急死するというのか」勝頼は、そんな盛信の言葉に、信じられないという顔で言いました。

「信長も、もう五十歳を超えています。そうなっても不思議ではありません。それに、桶狭間の戦いの例もあります。信長が、毛利に敗れることも考えられます」
「また、信長は、驕りが出ているのか、昨年、長年仕えた家臣を、無能だからと言って、追放しています。家臣の中に、次は自分だという不安を持っていて、信長に反逆する家臣があるかもしれません」

 盛信は、そんな前から考えていた希望も言いました。どれも確信のあることではありませんが、可能性はあることでした。特に、盛信は、武田家が滅亡した後でも、信長が、今のやり方をしていたら、いつか家臣から裏切られると確信していたのです。

 しかし、どの仁科盛信の言葉も、勝頼を動かせませんでした。勝頼には、そんな奇跡が起きるとは信じられなかったのです。でも、酒の肴に、その会話に付き合ってもいいと思いました。勝頼自身も、そうなることを望んでいたのです。

 

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2007年05月25日
縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
「武田勝頼と仁科盛信の会話 小督姫と松姫」


 やがて、武田勝頼は、父親の足元で遊んでいる督姫を見ながら、仁科盛信に「小督は何歳になったか」と尋ねました。勝頼にも、良く似た年の貞姫がいます。その事を思い出したのです。
 
 そんな勝頼に対して、仁科盛信は、愛称で呼んでいる小督に、何歳になったかと尋ねて、4歳と答えさせました。男子の子供は、3人持っていますが、仁科盛信にとって、女の子供は、督姫が初めてでした。そのだけに、非常にかわいかったのです。しかも、督姫は、少し病弱でした。仁科盛信は、督姫を心から愛していたのです。

 でも、それだけに、もし、織田軍が、美濃から大軍で、信濃に入って、高遠城に攻めて来た時のことを考えたら、督姫の将来が心配でした。まだ幼い小督は、どうなるのだろうと思っていたのです。

 また、勝頼も気持ちは同じでした。勝頼にも、貞姫がいます。自分は、男子なのでいいですが、まだ幼い督姫、貞姫は、何としても生きて欲しいと思っていたのです。
 
 それで勝頼は、ついふっと、もし、織田軍が、大軍と高遠城に迫ったら、小督は、どうするつもりかと尋ねてしまいました。そんな弱気な心が出たのです。それに対して、仁科盛信は、しばらく考え、自分の妹、高遠城で暮らしている松姫に、預けて、兄上のいる新府城に逃がすと答えました。幼い小督は、自分と同じように、高遠城で、死なせるつもりはなかったのです。

 でも、勝頼は、そうなった場合は、新府城で、妹の松姫や、小督を預かっても、無事に守れる自信はありませんでした。もし、織田軍が、高遠城まで迫ったら、武田家は滅びるということは分かっていました。今の武田家臣団では、新府城で最後まで、自分と戦ってくれる家臣が何人いるか、心もとなかったのです。

 しかし、勝頼は、その事は、仁科盛信にいえませんでした。もし、松姫が、督姫を連れて、逃げてきたら、自分も、娘の貞姫や、奥の北条夫人を、松姫に預けて、北条夫人の実家、北条家に逃がすかということを考えていました。


 北条夫人も一緒だったら、北条家も、松姫達を守ってくれるし、織田信長の嫡男、信忠と、松姫は、昔、婚約していたという過去もあります。松姫は、今でも、信忠を思っているので、もしかしたら、督姫や、貞姫の生命は、信長から守ってくれる可能性もあると考えていたのです。

 いえ、賢く、綺麗で、心優しく、しっかりしている松なら、どんな苦難でも負けずに、まだ幼い、督姫や貞姫を育ててくれる、松姫に托そうと決心したのです。

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2007年05月25日
縁の花 第223号「武田勝頼の復活」
     「武田勝頼と仁科盛信」


 天正九年五月二十五日、勝頼と仁科盛信は、高遠城にいました。二人は、昔から仲が良く、甲府の御岳金桜神社などに、一緒に奉納したりしていましたが、五月二十三日には、諏訪神社に行っていました。二人で、新しく長年住んでいた、躑躅ヶ崎館から、新府城に移る武田家の繁栄を祈願していたのです。

 でも、二人の心は、重かったです。このままでは、武田家が滅亡することは、二人とも良く分かっていたのです。だけど、二人の結束は高く、武田家を何とかしようという気持ちは非常に大きかったです。二人には、武田家を滅ぼした後、織田信長が、何をしようとしているか、良く分かっていました。信玄公をおそれ、憎んでいた信長の性格から言っても、武田家の一族や、多くの家臣は、虐殺されると正しく理解していたのです。

 しかし、そうは言っても、二人には打つ手はありませんでした。本来なら、毛利侵攻を企てている織田軍に対して、美濃や三河に兵を出して、けん制したり、兵力が少なくなっているところに、攻めたりしたいところですが、信長の準備は万全でした。

 美濃には、1万の兵力がいて、岐阜に五千、岩村城に二千、明智城に一千、大垣城に二千と、守備を固めていますし、尾張の清洲城にも三千、小牧城に二千と、守りを固めています。しかも、三河、遠江の徳川家も、一万二千の兵は動かせます。武田家が、例え、二万の兵で、攻め込んでも、どうすることもできなかったのです。

 その上に武田軍が、そうしたら背後の北条家が、甲斐、信濃に兵を出す密約もあります。武田家が滅亡した後、次は北条家が滅亡させられることは、明白ですが、氏正は、織田家を選んでいるのです。こうなっては、勝頼にも打てる手はありませんでした。同盟国の上杉家も、柴田勝家率いる織田軍に、侵攻されて、苦戦しており、武田家と上杉家のどちらが先に滅びるかが問題になっていたのです。

 だけど、勝頼よりも、仁科盛信は、最後まで諦めるつもりはありませんでした。名門、武田家と最後まで共にする覚悟でした。今回、諏訪神社に、勝頼と二人で、参ることを提案したのも仁科盛信でした。少し疲れている勝頼を、昔、城主として暮らしていた高遠城に呼んで、励ましていたのです。

 また、そんな二人の前には、まだ小さい、仁科盛信の娘、4歳になる貞姫がいました。仁科盛信は、貞姫を、足元においてかわいがっていたのです。

2007年05月25日

縁の花 第223号「武田勝頼の復活」

 「仁科盛信の助言」

 その奇跡を起してくれた人物は、仁科盛信、信玄の五男でした。仁科盛信は、側室である油川氏の息子なので、勝頼とは腹違いですが、二人の仲は、非常に良かったです。家臣だけでなく、武田家の一族、木曽氏や穴山氏にさえ、内心、侮られていた勝頼にとって、兄思いの仁科盛信は、もっとも頼りになる存在だったのです。

 だから、勝頼は、自分の拠点でもある諏訪の高遠城を任せています。高遠城は、武田家の四大名城の一つといわれ、対織田軍との戦いでは、重要な拠点になるところでした。もし、高遠城を落とされたら、もう甲斐に侵攻する織田軍を防ぐ城はありませんでした。やっと、造った新府城は、未完成です。高遠城で食い止められなかったら、武田家は滅亡してしまうことになるのです。

 また、仁科盛信は、武将としても、信玄公の血を一番、継いでいるのではないかと思うぐらい、優れていました。領民に対しても、慈愛に満ちていて、信頼されていましたし、家臣にも慕われていました。その上、まだ若いので、戦場で大きな実績はありませんでしたが、勇者でした。勝頼は、次の戦では、仁科盛信に重く用いるつもりでした。仁科盛信なら、強大な敵にも、おめおめと破れることはないと信頼していたのです。

 でも、そんな仁科盛信は、自分自身も、勝頼も気が付かない内に、武田家を救っていました。それは、松姫も関わっている、信長の五男、ご御坊丸を、織田家に返還する話があった時でした。織田信長から、岩村城攻めの時、降伏して、甲斐に人質になったご御坊丸と、武田家で人質になっている人物との、むしのいい人質交換の話があった、勝頼は、激怒してご御坊丸を自害させようとしましたが、織田軍の勢い、仕返しを恐れた家臣に反対され、結局は、割の合わない交換だと分かっていても、応じようとしたのです。

 だけど、それが逆になりました。ご御坊丸をあっさり帰したことで、信長は、武田家が思ったよりも、弱気になっていることを感じ、大敵である毛利侵攻の前に、武田家を滅ぼすことを考えます。短期間で、武田家を滅ぼすことができないかぎり、毛利と武田という二大敵国との二正面で戦うことになるので、武田家は、毛利の後と考えていましたが、それを変更したのです。

 でも、それを仁科盛信が食い止めました。仁科盛信は、その事を知って、猛然と反対したのです。何故、そこまで反対したのか、仁科盛信自身分かりませんでしたが、どうしてもそれは駄目だという神の啓示というか、信玄公や、武田家臣団の御霊達の訴えを感じたのです。

 それで仁科盛信は、勝頼のところまで行くと、長篠の戦で敗れた後、岩村城を包囲されて、寛大な条件で、降伏したのに、最後には、騙されて、京都で磔にされた、武田家の重臣、秋山信友の名前を出して反対しました。ここで、ご御坊丸を無駄、無駄帰したら、秋山信友などの御霊が浮かばれないといったのです。

 それで勝頼は、思い止まりました。自分の事を真剣に思ってくれる仁科盛信の勢いに押されたのです。何か、信玄公が、弱気の自分を叱っている気がしたのです。ですから、勝頼は、ご御坊丸を自害させることは思い留めましたが、織田家に帰しませんでした。ご御坊丸を取り戻したかったら、腕ずくで、取り返しに来いという、堂々とした返答をしたのです。

でもその勝頼の返答は、武田家を救いました。信長は、その勝頼の返答に、まだまだ、武田家の強さを感じました。従来通り、武田家は、毛利を滅ぼした後だと決心しました。仁科盛信の心意気が、結果的に武田家を救うことになったのです。


 
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2007年05月25日
 縁の花 第232号「武田勝頼の復活」

前からお約束していた武田家のシミュレーション小説書き始めます。ちょうど、六月二日に、本能寺の変、起きているので、時期的にもいいと思います。
大いなる武田家の供養もかねて書きたいと思います。
長くなりますが、お読み頂けたら幸せです。

      「武田勝頼の苦悩」
 時は、天正九年五月二十五日、戦国時代、最強といわれていた武田家は、大きな存亡の危機の中にいました。
 10年前、武田勝頼父である、武田信玄が、三河、遠江の藩主、徳川家康と、織田信長の連合軍を三方ヶ原の戦いで破った後、病になって、急死して以来、大きな大黒柱をなくし、武田家は、急落の勢いを止めることが出来なくなっていたからです。

 しかも後を継いだ勝頼は、10年後、息子の信勝に跡を継がせるまでの陣代として、正式な跡継ぎには使命されず、その精神的な苦悩は大きかったです。甲斐武田家の家臣、一族の中には、側室だった、諏訪御料人の娘の子供である勝頼を、内心、諏訪の出と蔑んで、甲斐の武田家の藩主と認めないものも多くいて、勝頼は焦りの中にいました。

 その中で、時が過ぎれば、どんどん強大になる織田信長、徳川家康の力に焦って、起したのが長篠の戦で、武田家は、一万人もの兵と、信玄公が育てた優秀な家臣を多くなくしてしまいました。勝頼の信頼は、一気になくなったのである。

 しかしそれ以降も、勝頼は、必死で武田家の再建を図っていました。外交的には、北条家から、10歳以上も若い北条氏康の六女、北条夫人を貰って、北条家との同盟を強化したり、内政面では、思い切って、武田家の古い体制を改革したりして、新しい武田家を造り上げようとしました。勝頼は、戦好きだけではなく、目沙汰なくても、内政でも手腕を発揮していたのです。

 また、そんな勝頼にも、天正六年には大きなチャンスがやってきていました。越後の龍、上杉謙信が、3月、いよいよ上洛にむけて、北陸から軍を動かすのに乗じて、勝頼も、東美濃から、一気に侵攻することさえ考えていたのです。

 でもそれも、謙信が、遠征の準備中に、春日山城で病死し、勝頼は、跡を継ぐ、景勝と景虎との跡目争いに巻き込まれ、最初は、上杉家の養子になった北条氏の息子、景虎を応援していましたが、本来なら、真っ先に来ないといけない北条家の軍が、来ないことに、失望して、景勝に乗り換えるという選択を選ばないといけないはめになってしまいます。

 そのことで、勝利した景勝との間で、上杉家との同盟ができたものも、待ってましたと、景虎を見捨てたということで、大国、北条家とも争うことになって、織田、徳川、北条から挟まれるという、苦しい立場においやられます。徳川、織田と北条は、密かに同盟を結んでいて、武田家は、挟まれて苦戦する事になるのです。

 しかも、そんな徳川家、北条家の連合の為に、勝頼は、遠江にある高天神城を、徳川家に落とされ、再び、武田家臣団の信頼をなくしてしまいます。勝頼は、高天神城を諦め、降伏することを認めていたのですが、信長の謀略で、高天神城の降伏は認められず、城に篭っていた九百名は、全滅してしまいます。

 この高天神城に、甲斐の兵がいなかったこともあって、武田家は、外様を見殺しにするということで、家臣団の信頼が一気になくなってしまったのです。

 だから、武田家は、もう風前の灯でした。その事は、藩主である勝頼が一番分かっていました。でも、それでも勝頼は、天正六年、六月まで、武田家を存続させていました。一つの奇跡がおき、歴史が変わっていたからです。

 
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2007年05月24日
大河ドラマ 風林火山 諏訪御料人紹介

 大河ドラマで由布姫が、いよいよメインとして登場しています。とても嬉しいです。ですが、この由布姫ですが、実は、名前さえはっきりとは分かっていません。だから井上靖さんの原作、風林火山では由布姫となっていますが、新田次郎さんの小説、武田信玄では、湖衣姫となっています。どちらかといったら、湖衣姫の方が有名なのです。

 しかし、菊自身は、諏訪御料人と呼んだほうがいいと思います。実際の名前とは違った由布姫では、諏訪御料人さんの御霊も、戸惑うと思うのです。是非、この武田家一年にっきでは、諏訪御料人とおよびしたいと思います。

 ただ、ここで、皆さんには、名前がはっきりとは分からないことに関して、信玄が、女性を軽微しているとは思って欲しくないです。信玄公の娘思いは有名ですし、他の戦国大名よりも、女性の名前もはっきりと分かっています。正室の三条婦人、側室の、禰津夫人、油川夫人、娘の、梅、真理、松姫、菊姫などです。ここから見ても、信玄、武田家は、女性を尊重していたことが分かると思うのです。

 またこの当時、呪いと言うことも、信じられていました。相手に、自分の名前を隠すことは大切なことでした。名前が分かったら、呪詛の対象になります。諏訪家は、神道の家なので、名前を隠していた可能性も高いです。それで、諏訪御料人自身が、名前を隠していた可能性もあるのです。

また、正直いって、その諏訪御料人ですが、名前だけでなく、菊自身、大河ドラマの中で、一番、役柄もヒットしません。もちろん演じている柴本幸さん、お綺麗ですが、実際の諏訪御料人は、もっと、綺麗だと、菊の魂が訴えています。たぶん、実際の由布姫と今、柴本幸さんが演じている諏訪御料人はまったく違うのだと思います。

 ただ、菊自身、それでは前世の母である、諏訪御料人を覚えているかといったら、まったく駄目です。ドラマを見ていたら、思い出すかと思ったら、そういった記憶は一切ありません。何も、記憶が出てこないのです。やはり、菊は、前世、思い出すことはないのかもしれません。

 だから実際の諏訪御料人は、こうでしたと皆さんにお伝えすることはできません。ただ、菊は、前世諏訪御料人、勝頼である菊の前世のお母さんを知っています。それで皆さんに、諏訪御料人を紹介すると、とても綺麗な女性だったということは間違いないと思います。

 実際に今、菊が知っている前世のお母さんもとても綺麗だからです。その上に、しっかりしているというか、自分の意見ははっきりと言う人でもあります。ドラマでは、諏訪御料人は、晴信の命を父の敵として、命を狙いますが、今の前世のお母さんを見ていたら、やりかないと思います。ある意味で、気の強いところもあるのです。だけど、その反面、もろいところもあるような気がします。ここが返って魅力的なのです。

そして何よりも、神様と通じているというか、直感力も優れています。風林火山のドラマでは、諏訪に、危機が来ることを、最初に予測したのは、諏訪御料人でした。諏訪大明神のお告げを告げています。それに側人にも、姫様の直感力が頼りだと言わせています。実際の500年前の諏訪御料人も、きっと、神様に通じていたと思います。

だって、今の前世のお母さんも、神々と通じているからです。詳しい事は言いませんが、神様や、自然からメッセージが入るみたいです。そんなすばらしい人なのです。是非、皆さんも、諏訪御料人は、そんな女性だったと思って頂けたら幸せです。


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大河ドラマ 風林火山 第20話 「軍師誕生」

 山本勘助が、軍師になりました。とうとう、武田家の家中で、その知略が認められました。本当に嬉しいです。これからの軍師としての山本勘助の活躍に期待したいと思います。
 だって、今までは、山本勘助の命令では誰も、武田家臣は従いませんでした。御屋形様である晴信に採用されて、初めて策は実行されます。

しかし、これからは違います。武田家の軍師である山本勘助の命令は、武田家臣も従わないといけないことになります。確かに、武田家中に、内通者が現れると、漏れる心配もありますが、今までよりはもっと動きやすいと思うのです。

ところで、この軍師ですが、日本に軍師はいないという説があります。軍師としての役目をした人物はいないというのです。戦国時代、軍師といえば、秀吉の家臣だった、竹中半兵衛や、黒田官兵衛、伊達政宗の家臣だった、片倉景綱、上杉景勝の直江兼続などが有名ですが、本当の軍師ではなかったといわれています。精々、相談役だったというのです。

だから、山本勘助が、本当に存在し、武田家臣団や、晴信に重視されていたら、山本勘助は、日本で初めての軍師といえると思います。

何故なら、軍師とは、本来、名前が表に出たら駄目だからです。その策が、軍師からではなく、主人である人物からすべて出たということで、誰が考えたのか、分かってもいけないのです。これが菊の考えです。その策が、誰かの策だと分かったら、次は、用心されるからです。軍師とは常に影の存在で、名前が、世に出たらいけないのです。

それで考えたら、竹中半兵衛や、黒田官兵衛、片倉景綱、直江兼続も、どれも該当しません。有名すぎます。有名で、相手に知られていたら、軍師の務めは果たせないと思うのです。

しかし山本勘助は違います。本来、山本勘助に関する記述は、どこにもありませんでした。唯一、高坂弾正が残した、甲陽軍鑑にあるだけです。だから、山本勘助は、ずっと、多くの専門家からは、その存在まで疑われていました。たぶん、甲陽軍艦がなかったら、山本勘助の存在は、誰もしらないまま、歴史に消えたと思うのです。

それには、山本勘助が、外から来た、甲斐国内の人物でないので、武田家中の家臣達も、あまり名前を残したくないという事もあったと思いますが、山本勘助自身が、常に晴信の影の存在に徹し、名を残さないようにしていたことも大きいと思います。
是非、そんな一面で、この風林火山、見て頂けたら幸せです。


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2007年05月23日
まだまだな菊です2
しかし、菊自身もまだまだです。
 結局、争いは嫌なので、菊自身が、そのテーブルから離れました。
 今は、別なところで、一人で座っています。
 相手の人は、それで、平然と、皆とテーブルで座っています。

 だけど、菊自身の内面の怒りは、爆発しています。
 悪いことだと分かっていても、その女性に怒り、憎しみの動を出るのがおさえられません。
 休憩場所も、その女性の顔を見たら、ムカッと来てしまうので、別なところで、休憩することにしました。

 何で、そんなことをするのだ。
 それで迷惑したり、傷ついいる人がいても気が付かないのか。
 そんなことばかり考えています。
 
 この事も、実は、自分の内面、自分の心が生み出した結果。
 その女性に、感謝しないといけないとは心の中で思っていますが、どうしても駄目です。
 何が、課題なのか、菊には分かりません。

 もしかしたら、何かの前世の因縁、今、菊の背景にいる御霊と、彼女の背景にいる御霊が、争っているのではないか。
 そんな気さえしています。

 だからずっと、怒りの波動が抑えられません。
 久しぶりに、自分の心の中にある一面を見させて頂いて、驚いてしまいました。
 しょうもないことなのに、どうやら菊の臨界点を超えたみたいです。
 なかなか感情をコントロールできないのです。
 本当に、人間は感情の動物だと思います。
 
しかも、その女性に対して、男性なのに、このごろ辛く当たっている自分がいます。
今まで、仲間だからと思って、我慢していたことが我慢できなくなりました。
仕事で、ミスがあったら、遠慮なく言ってしまいます。
他の人よりも、辛く当たっているのです。

本当に、自分でも嫌になります。
いくらありがとうございますと唱えても、怒りの思いが消えてくれません。
人に対して、憎しみや怒りを持ったら、身体に毒なので、結局、自分が損すると分かっているのに駄目です。
プラットホーム空(くう)01の駅長、空の仕掛け人さんから教えて貰った方法で、頭を叩きながら、相手の人に対して、罵倒しても、すっきりしません。
にわか覚えで、ちゃんとマスターしていないので、駄目です。

どうしても許せない人は、許せないということ、改めて思いました。
たぶん、どちらかが、職場から見えなくなったら、すぐに忘れると思いますが、どうしても、顔を見てしまうと駄目なのです。
怒りが、こみあげてきます。
 
これは、菊が、今、与えて頂いた内面の一番大きな課題です。
いえ、今までも、何回か、この課題はあった気がします。
プラットホーム空(くう)01でもありました。
突然、ある女性に同じことをされました。大きな揺らぎです。


菊自身、相手を嫌いになることもないし、もし、菊が何かの落ち度が、少しでもあったら、謝って、修復しますが、たぶん、理由があるのでしょうが、菊自身がまったく分からないまま、菊を嫌う人に対して、どうしたらいいのか、いまだに分かりません。
話し合って、仲良くする余地さえありませんし、菊の意地が邪魔をします。

要するに、内面で嫌ってくれるのならいいですが、それを露骨に出されたら、菊を裂けられたら、どうしても反発してしまうのです。
でも、これも必要なことだと思います。
何とか、今度こそ、この課題をクリアーしたいと思いますが、どうなることやら。
何が答えなのかも分からないので、難しいです。(o^-^o)
でも一言言えば、菊は、本当にまだまだです。
この地球と言う星は、いろんな波動の人がいて、本当にすみにくいと思います。

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ハレルヤさん  2007年05月23日
菊さんの突然のカミングアウトに驚きました。最近ハレルヤも同様の悩みを抱えているからです。

最近の菊さんはいきいきとして活発に行動しているように思っていて、影ながら力を戴いていました。

でも、私なんかより菊さんの方が強い。偉い!
私も職場での事で悩んでいます。いじめみたいな事に陥っています。以前は派遣社員として別の会社にいましたが、結婚の話がにわかに膨らんで来て(周り中、親戚中)、どうしても正社員の職がほしくて、現在の会社に無事就職しました。

慣れない仕事のせいか、うまくいかず僅か半年ですが毎日怒鳴られっぱなしです。私の場合、相手はベテランですが口の悪い上司です。

ここ一ヶ月ですが、会社を休むようになりました。もう職場へ行くのが嫌なのです。出勤しても途中で道を変え、一日中ボーッとしてたこともありました。

幸い私には別な上司や家族や友達など相談する相手がいるので、精神的に随分助けられています。本当にありがとうございます。

しかし今は心理クリニックに通って精神安定剤も服用しています。
もう一度仕切り直して、新しい職を得るという考えにも辿り着きました。昨日コッソリ、ハローワークに登録してみました。

菊さんとお互いに力を合わせて生き抜いていきましょう。奇跡は起こります。また相談にも乗って下さいね。
(それでもやっぱり幸せなハレルヤより)

まみちゃんさん   2007年05月23日

あわない人とは、どんな事をしてもあいませんよ(^_^;)
お互いに歩み寄れるといいのですが、無理を重ねると疲れますよね。
今まで我慢していた事が、菊さんの限界に達したんだから爆発してもおかしくないですよ。

しばらくしたら気持ちも落ち着くでしょう。

あまり自分を責めない方がいいですよ。

五郎さん   2007年05月23日
おじうえ、今、フルートを習っていて、今夏は山梨の甲斐大泉の方に例年通り、合宿に行くので、その練習をしています。

課題曲は、ソナタです。(笑)

武田家の御霊の供養になるといいです。
がんばりますね。

今夏は、風林火山の影響もありますが、お盆に、小督は、諏訪湖上花火大会にはお出かけしてくるつもりです。

強運 百子さん   2007年05月23日
おりこうさんにしていなくても、いいんですよ。

菊さん自身が、今の自分を許していないでしょ?
今の感情を持っている自分が、ダメだと思っている。よくないことだと思っている。
だから、なおさら人にも腹が立つんです。


ありのまんまの自分をいとおしんであげることです。よく耐えているねって、誉めてあげることです。


私も過去たくさんありました。
私の言い分や思いも聞いてくれず、勝手に何が思い込みで怒ったり、去って行ったり。
意味わから〜んみたいな仕打ちをたくさんされました。
でも、私がおりこうさんになろうとすればするほど、
その人に怒りが沸いてくるんです。


だから、
いいじゃん、私は、何もわるくないもん!!
相手をあんなに思い遣ってきた私は、偉い!!偉かったぞ。
それでも、そんなことされるなら、私は悪くない。嫌いになっても、悪いことじゃない。
そうやって、自分をたくさん誉めてあげていたら、
相手のことなんか、どうでもよくなりました。
そして、日がたつにつれて、
かえってその人がかわいそうな人だと思えるようになりました。

だって、私の深い愛情がわからないなんて、かわいそうとしか言えない(笑)

五郎さん   2007年05月23日
http://astore.amazon.co.jp/chasedreamcom-carnegie-22
 ↑
デール・カーネギーの本で、道は開ける、と、人を動かす、という本は、おじうえにとてもお勧めできる本です。

http://haohao.shiawasehp.net/kirawareteru.html
 ↑
こちらのHPは、幸せについていろんな方面からお話をしているページで、たまにわたしも悩みがあると開いています。

すずさん   2007年05月23日
久しぶりに菊さんの日記にお邪魔していますw
よんでびっくり。。。。
いつも穏やかな菊さんが、とっても苦しんでいらっしゃる・・

不当な扱いを受けて、腹が立たない人は
あまりいないと思いますよ。
むしろ、自然なことではないでしょうか?
怒ってしまう時は、怒っていいのだと思います。
その気持ちに自分がちゃんと気づいているのだから。
それを無理にどうこうしようと思っても、
どうにもならなくて、自分を責めてしまうのは
よりいっそう自分を辛くしてしまいます・・・・

そんな風に怒ってしまう自分を責めないで
許してあげることが大切だと思います。
私も日常生活では、誰かに対して怒りを覚えることが
ありますが、そんな時は
「こんな風に怒ってしまう自分を赦します」
「私を怒らせる、あのクソッタレを赦します(笑」
「なんて私は寛大なんだ〜!」←これもおまけしておきますw
とにかく許すということを、繰り返しています。

怒りや憎しみや、ネガティブな感情を持ちたくない
人を判断したり、批判したり、非難したりしたくない
そんなことをいつも思っていても、私の人生からは
それがなかなかなくなりはしないのです。
毎日いたちごっこのような気さえするときもあります。
でも、とにかく「赦す」という姿勢を
根気よく繰り返しています。
毎日思い出しては、また腹が立つということもありますが
それでも、そのたび「赦す」ということを忘れないでいます。

『神の使者』という本を読んで
私は『赦す』ということが自分にとって
どういった変化をもたらすのか、毎日『赦す』ということに
取り組んでいます。
それが上手に出来るようになって、
自分の習慣になればいいな〜と思ってます。

自分を避ける人は、ほっとくのが一番だと思います。

地球は住みにくいですか?(=^・^=) 
宇宙も地球も神様が創られたものでないとしたら
住みにくくても当たり前かもしれませんねw

はいや−まん   2007年05月23日
偉そうなことは言えませんが、<m(__)m>

その女性を褒めてみる、
或いは、人に頼んで、褒めていたと、伝えてもらう。
嘘でもいいから、言ってみる。
勇気がいることですが、これも一つの方法だと思います。

スーパー菊さん *(>k<)* フレェ〜 フレェ〜

菊さん   2007年05月24日
ハレルヤさん、ありがとうございます。
結婚のために、ちゃんとした職業を持とうとしているのですから、ハレルヤさんの方が偉いと思います。
これからもいろいろよろしくお願いします。
一緒に、生きていきましょう。

まみちゃん、ありがとうございます。
合わない人とは合いませんね。
結果的に、その事が分かったので、良かったのかもしれません、。
後は、菊が、許すということを、なかなかできませんが、学びたいと思います。

五郎、助言ありがとうございます。
山本勘助も、由布姫も、恨みを捨てるということで、苦しみました。それを捨てた瞬間、山本勘助は軍師になりました。由布姫も、今、それで苦しんでいます。菊も、成長する為に、この試練乗り越えないといけないですね。

強運百子さん、力強い、助言ありがとうございます。
おりこさんは、いいことないですね。
職場の他人の目を意識するから怒った自分もいた気がします。
ゆっくり考えてみます。

菊さん   2007年05月24日
五郎さんありがとうございます。
すてきなものご紹介頂いて感謝です。
見ました。
また、五郎さんは、こういうものとご縁があるのですね。
五郎さんのすばらしい一面が見られて、とても嬉しいです。

すずさん、ありがとうございます。
これをチャンスにいろいろ学びたいです。
まずは、自分も、相手も許すことですね。
これも、菊が大きくなっていく上で必要なことだと思います。

はいやーマンさん、ありがとうございます。
褒めるですか。
それが本当に難しいです。
まずは、許すところから、始めます。
皆さん、本当に助言ありがとうございます。
心から感謝です。

美希さん  2007年05月24日

菊さん(*^^*)

お久しぶりです☆

うんうん、私も、未だにどうしても許せない人がいますよ〜☆

その人は、本音でぶつかって欲しいそうなのですが、そうしようとすると、どうしても相手を責める口調になってしまいます。

表面上だけでのやり取りなら平気なのに、本音で接して欲しいと言われたら、まだまだです。

これは、私の中の弱さだと思います。

本当の強さは、自分を含む全てを無条件に愛することだと思うからです。

怒ったり泣いたりよくしています(笑)

でも、強くなりたいと思うということは、きっといつかそうなれると信じています。

菊さんも、絶対に許せる日が来ると思います(*^^*)

その方が、気が楽ですものね。

菊さんは優しいから、きっと、『人を傷つけてはいけない』という思いが、怒りを呼ぶのだと思います。

でもね、神様が許している存在は、その体験を魂がしたくてしているのだから、正直その人はそのまんまでいいのだと思います(*^^*)

嬉しい感情は、嬉しいことを連れて来るんだそうです。

だから、休憩中は、メルマガ読者からのラブレターを読んだり、もし近くに公園があれば、観音様と交信したりして、幸せな感情を引き出してみてはいかがでしょうか?

菊さん大好きです(*^^*)

いつも菊さんの幸せを、お祈りしています。


貫太郎   2007年05月24日
武田日記楽しみに拝見してます。ありがとう〜。
いつもお世話になってる菊さんの為だ。取って置きの呪文菊さんにおしえてあげますね。
「俺はあのババアに嫌われてホント良かったよ。ものすごくついてるよ俺。理解できないくらい超〜超ついてるよ!ハハハ・・」(なんてね。斎藤一人さん風ジョークでした〜。笑っちゃってくださいね。結局笑ったモン勝ちだもんね☆でもきっと菊さんももう普段にもどっているだろうな。よかった。よかった。)
武田日記いっぱい書いてね。お願いします。楽しみにしてます。

菊     2007年05月25日
桜さんありがとうございます。
助言ありがとうございます。
何とか許せるように努力します。
できるだけ、顔を見ないようにしますね。
今は、そこから始めたいと思います。

貫太郎さんありがとうございます。
罵倒することもやってみましたが、ここまで爆発してしまうと大変です。
でも、これからは、できるだけ許すようにしたいと思います。

kedsuさん  2007年05月23日
大丈夫ですよ。
解決する方法はありますよ。
て言うか、すでに解決済です。

魔法使いさん   2007年05月23日

ウハハ〜菊ちゃん、

それは実態のない自分の影と戦ってるんですよ。

タオさん   2007年05月24日
それ
菊ちゃんの問題じゃなくて
相手の人の個人的な問題じゃないの?

相手がくしゃみをした位に思えたらいいのにな〜

菊さん 2007年05月24日
kdesuさん、ありがとうございます。
この世には、解決しない問題はないといいますからね。
解決します。


魔法使いさん、そのとおりです。
自分の影と戦っていると思います。
分かっていても、なかなかできないです。
でも、自分と戦っても、仕方ないですね。


タオさん、ありがとうございます。
そうなんですが、いろんな思いが重なって、噴火してしまいました。
お恥ずかしいです。

タオさん 2007年05月24日
毎日顔を突き合わせていると
そうはいかないよね

菊さん  2007年05月24日
タオさん、そうなんです。
そこが問題です。
顔を見てしまうと駄目です。
まだまだ修行が足りないです。(o^-^o) ウフッ

風の気概さん 2007年05月24日

私も、一時期悩んだことがありました。

今でも一部始終を思い起こすことが出来ます。

自分が作っているんですね。

水口先生に、ご指摘いただき脱却できましたが、

苦しい日々でした。

自分が思っていることは、良きに付け悪しきに付け、明確に相手に伝わってまいります。

真摯な姿勢は必ず伝わります。

乗り切ってください。


風の気概  拝









2007年05月23日

まだまだな菊です1

職場には、何人かパートのおばさんがいます。
職場のお姉さんと呼ぶことにしていますが、50歳以上の人です。
仕事は、10人ぐらいの男性のアルバイトと、パートの女性でしています。
その中の一人の女性に、非常に変わっている女性がいます。

午前中だけの人ですが、仕事は大好きなのか、唯一、男性と同じ力仕事をします。
仕事は一生懸命です。
でも、応援に入ってくれた、新人の人に仕事が遅いとか平気でいいますし、男性に対しても、もっと早くしろとか、平気で言います。
朝の挨拶でも、「おはよう」といっても、返事しないので、男性は誰も「おはよう」とは言わなくなりました。

正直言えば、男性の人達からも嫌われています。
この頃聞きませんが、いつも影では悪口を言われていました。
一言で言えば、かわいそうな人だと思います。
自分でもその事が分かっているので、少し攻撃的な人なのです。

しかし、それでも男性の人達も、嫌いながらも、上手にやっています。
そのパートさんに当たったら、嫌な顔をしますが、何とかやっているのだと思います。
菊自身は、別に、その女性のことを、そんなに悪くは思わなかったのですが、最初のボタンが掛け違ったのか、うまくいきませんでした。

菊の課題ですが、女性は苦手です。
特に、一般の女性は、何を話したらいいのか分からないので、職場では、嫌われないようにしていますが、それでもはっきりとした理由が分からないうちに、そのパートの女性の人には嫌われてしまいました。

菊を避けるというか、菊が側に来ると、嫌がるのです。
それを誰にでも分かる態度、表情で示すのです。
本当に困った人です。
これでは菊自身、まずいなあと思っても、対処の仕方が分かりません。
話し合いができません。

それで、この2年以上、できるだけほっておいて、仕事はしていましたが、3週間前に、菊自身、決定的なことが起こりました。
 というのも、午前中のパートの人には、休憩時間、男性の何人かが、誘って頂いてお菓子を少し貰いながら、一つのテーブルで座っています。
 井戸端会議です。
 菊も、その好意に甘えていました。
 たまにお菓子を買ってきたらいいのですが、それをすると、パートさんも気を使うので、この頃まったくしませんが、お菓子をご馳走になったのです。

 3週間ぐらい前、そのパートの女性の中で、例の問題の女性が、突然、近くの別なテーブルに座るようになりました。理由は、はっきりしません。
 ただ、男性が一緒に座ることが気にいらないと思っていましたが、どうやら菊が原因だということが分かりました。
 菊が、座ると、別なテーブルに行くのです。
 正直ここまでやるかと思いましたが、そんなことを平気でする、本当に変わった人なのです。
 
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南国商店さん  2007年05月23日
あたしもチェンマイの学校で
同じような事がおこった。

まだ自分の中に
何かを選別したり
分け隔てしたり
つまりジャッジしてる事があるよっていう
サインなんだと思う。

追求していくと、現世の原初の記憶に
つながっていくよ、家族家庭のことね。

菊さん    2007年05月24日
南国飯店さん、助言ありがとうございます。
自分の中に、何かを選別したり、分け隔てたりしている、確かに、その一面は、菊にあると思います。
分かっていても、それを解消すること難しいですね。
ゆっくり考えて見ます。




2007年05月20日
6月3日泉苑で、
楽しいバーベキューのパーティをします。


 昨日、プラットホーム空(くう)01の例会で、聞きましたが、プラットホーム空(くう)01の泉さん、大好きなcocoさんが、6月3日、日曜日、午前11時頃から、プラットホーム空(くう)のメンバーの親睦をかねて、泉苑で、バーベキューのパーティを企画してくれることになりました。費用は3千円程度です。お酒も用意してくれます。

 泉苑は、とても由緒ある家で、大正時代、大工が、5年ぐらいの歳月をかけて造った家だと聞いています。すてきなお茶室もあります。泉さんの願いで、今、泉苑は、文化を発信する場として、世界的な音楽家や、陶芸、絵、落語家などを招いては、多くの人に聞いたり、見てもらったりする癒しの場としても、活動されています。見事なお庭もあります。大阪では、知る人は知る、文化の発信源です。

 そんな泉苑は、近鉄線、高安駅歩いて5分の場所です。アクセスとしては、近鉄難波駅から、鶴橋で、近鉄大阪線に乗り換えて、準急で15分程度です。プラットホーム空(くう)01の駅長、小松さんをはじめ、何人かの人が参加します。01、02、03のメンバーで大いに楽しみたいです。


 幸い、6月は、日曜日、菊は仕事休みなので、喜んで参加します。ぜひ、皆さんも時間があればご参加お願いします。特に、日曜日しか、例会に来られないメンバーの方は、是非、是非、お願いします。プラットホームのメンバーでない人をお誘いしても構わないと思います。詳しい事は、菊まで連絡下さいね。まっています。

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http://www.geocities.jp/ennohana/8ennohanamagmag.htm
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2007年05月19日

 第2回プラットホーム空(くう)03例会の報告3

 7、プラットホーム空(くう)03のグループメールの使い方
 バーチャルオフィスのトップページの中に、グループメニューというものがあります。この中のMyグループメールというところをクイックして頂けたら、皆さんが参加しているクループの人達に、いっせいにメールすることができます。プラットホーム空(くう)03のグループも登録されています。本当に便利な機能です。こういったことが可能なのも、プラットホームのすごさです。プラットホーム空(くう)03のメンバー全員にお伝えしたいことがあったら、これをお使い下さい。ちなみに、この第2回プラットホーム空03の報告は、プラットホーム空(くう)03のグループメールを使っています。

 8会費について

 9、プラットホーム空(くう)03のメンバーは、現在、9名です。一人、忙しくて、参加できないということで、退会されました。でも、その人も、最初の6名の一人になって頂いたことで、プラットホーム空(くう)03は誕生することができました。菊自身、心から感謝していますし、菊自身のご縁のある人として、ご縁を持ち続けたいと思っています。よろしくお願いします。

10、コンピューターの件
 プラットホーム空(くう)03のメンバーの中で、コンピューターの操作が苦手で、バーチャルオフィスやミクシイが、うまく操作できない人はお知らせ下さい。菊自身、コンピューターは苦手ですが、少しは分かります。バーチャルオフィスは、プラットホームの宝です。プラットホームのメンバーだけが使えるソーシャル・ネットワーキングです。これで、全国のプラットホームのメンバーや、プラットホーム空のメンバーとも繋がることができます。しかし、操作できなかったら、何の意味もありません。菊自身、できるだけ、皆さんが操作してもらえるように動きたいと思っています。困ったことは何でもお聞きして下さい。分からない事は、バーチャル・オフィスの担当者に、直接、お聞きしたいと思います。よろしくお願いします。

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2007年05月19日
第2回プラットホーム空(くう)03例会の報告2


4、6月10日、素質サプリメントの講演
 第3回目のプラットホーム空(くう)03の例会をするホーミーアスカ住環研所の会場に、プラットホーム空(くう)03のメンバーになったchibatuさんが、福岡から来られます。生年月日で、人の生まれながら分かる素質や性格の講演もして頂きます。時間は、12時から2時半頃までです。Chibatuさんいわく、びっくりするような、面白い話をしてくれるそうです。
素質サプリメント 大阪 6月10日 講演会
http://www.geocities.jp/ennohana/sositugaku/enkoenkai20070610.htm

その後、平日には来られないメンバーにも、日曜日なので参加して頂いて、chibatuさんを交えて、プラットホーム空(くう)03の例会と、楽しい懇親会を企画しています。福岡のchibatuさんが、大阪のプラットホーム空(くう)03の例会に、参加されることは、そんなにないと思います。是非、是非、皆さんのご参加お待ちしています。
縁の花 なんでんかんでん村コーナー
http://www.geocities.jp/ennohana/nandenkandenmura.htm

5、シナプスの会 ホロンの会
プラットホームでは、毎月一回、主に第2木曜日、大阪の水口先生の事務所で、シナプスの会、駅長会議があります。このシナプスの会議は、駅長とIT関係などで、特別な技術を持っている人しか参加できませんが、その後6時頃からホロンの会があります。今まで、菊も知りませんでしたが、水口先生のプラットホームだと解釈したらいいと思います。プラットホームのメンバーなら誰でも参加可能です。ホロンの会には、水口先生や、風の気概さん、空の仕掛け人さんなどの駅長さんや、ITに詳しい人も参加しています。ぜひ、皆さんもご参加下さい。菊も、しばらくは、有休とって参加したいと思っています。連絡お待ちしています。

6、プラットホーム空(くう)03のコミュニティの参加のお願い。
 プラットホーム空(くう)03のコミュニティが、バーチャル・オフィス内に誕生しています。ミクシイにご参加している人は分かると思いますが、コミュニティに参加して頂けたら、今後、自分のカレンダーを開けて頂けたら、プラットホーム空(くう)03の例会の日程が分かります。とても便利です。また、今後、プラットホーム空(くう)03の日程や、報告は、このコミュニティに書いていきます。まだ、参加して頂いている人は、4名です。皆さんのご参加お待ちしています


2007年05月19日

第2回プラットホーム空(くう)03例会の報告1

 昨日、第2回プラットホーム空(くう)03の例会が無事開催されました。参加メンバーは、プラットホーム空(くう)3からは、菊、幸福を生む住まい塾のアースさん、いいこと探険家さん、kdesuさん、なぎさんでしたが、後から、プラットホーム空(くう)01から、マアサさんと匿名の方、1名さんが駆けつけてくれました。

 これとアースさんのゲストとして参加してくれた岸本豊教さんの合計、9名になりました。ホーミーアスカさんの会場の、一つの大きな木のテーブルに、皆が座れて、全員が話に参加できました。井戸端会議としては、とても良かったと思います。

 また、今回は、菊が、駅長として、初めて駅長会議として初参加したこともあって、皆さんにご報告しないといけないことが何個かありました。前回の反省もあって、事前に、紙に報告しないといけないことは書いて、最初に報告しようと思っていたので、うまくできました。

 皆さんに、簡単にご報告しますと、
1、プラットホーム構想を考えた水口先生に、7月22日、来て頂いて講演して貰う会場が決まったご報告しました。場所:大阪市立中央青年センターhttp://www.chu-sei.com/index.htm A棟 3階 6号室です。
この水口先生の講演は、プラットホーム空(くう)03のメンバーや、まだ、説明を聞いた事もないメンバーのために、一度、プラットホーム構想聞いて貰うことが大きな目的です。是非、プラットホーム空(くう)03のメンバーの方には、ご参加お願いしたいと思います。またゲスト参加も可能です。是非、皆さんとご縁のある方を、お誘い頂けたら幸せです。

2、todoの説明
7月22日の参加申し込みは、バーチャル・オフィスのtodoを使います。人数などは、すべてのプラットホームのメンバーが、一目で分かります。使い方は、鉛筆のところをクイックして貰えたら、誰でも書き込み可能です。プラットホームソーシャルネットワーキングのすごさです。是非、参加者は、書き込んで頂きたいと思います。まだ、プラットホーム空(くう)03からは、菊だけなので、少し寂しいです。(o^-^o)

3、今後のプラットホーム空(くう)03の日程
 月1回の日程、第2金曜日、第2日曜日を、第3金曜日、第3日曜日に変更させて頂きます。理由は、単純に、空03なので、3にした方が、覚えやすいということです。水口先生の話ですと、3は完成を意味するそうです。プラットホーム空(くう)03の駅長として、大いに3という数字にはこだわりたいです。よろしくお願いします。

2007年05月19日

縁の花情報を更新しました。

 縁の花で支縁させて頂いている人達の情報を更新しました。
 お読み下さい。

 プラットホーム構想を考えた水口清一先生のメルマガ、とてもすばらしいです。
 新しい情報、掲載しました。
 「未来をいかに読み解くか 新時代の発想とヒント」
http://www.geocities.jp/ennohana/mizuguti/11111enmizuguti.htm


   大圓さんの「いのちの風通信」掲載しました。いのちの風通信 第501号〜第506号掲載しています。
  いのちの風通信 縁の花支縁サイト
http://www.geocities.jp/ennohana/en20isiguroyosihiko.htm


  ルカ画伯のイラスト 2007年、3月号と4月号掲載しました。
  ルカ画伯 縁の花支縁サイト
http://www.geocities.jp/ennohana/en26rukagahaku.htm


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2007年05月19日
天皇の真実 3資料
天皇の真実、3資料を、縁の花のホームページで掲載しました
広島から、天皇を中心とした平和な国、日本を実現させようとしている、河内正臣先生の熱き思いは、毎回関心します。
是非、お読み下さい。



 「天皇の真実を一読して下さい」
http://www.geocities.jp/ennohana/tennnosigetu/entenno20070518-1.htm

 「安部晋三日本国総理大臣への諫言」
http://www.geocities.jp/ennohana/tennnosigetu/entenno20070518-2.htm

 「日本が今急ぎ全世界に向かって宣言すべきこと」
http://www.geocities.jp/ennohana/tennnosigetu/entenno20070518-3.htm

天皇の真実 縁の花支援サイト
http://www.geocities.jp/ennohana/koutitenno.htm


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2007年05月18日
良妻賢母の教育復活に本気になろう

 広島に住んでいる、天皇の真実の河内正臣先生から、檄文が届きました。
 「良妻賢母の教育復活に本気になろう」です。
 今時、良妻賢母の教育なんて言ったら、多くの人に反発をくらいそうです。

 でも、昨日も悲惨な事件が、報道されていました。
「2007年5月15日、午前7時ごろ、福島県立高3年の男子生徒(17)=同県会津若松市=が「母親を殺した」と切断された人間の頭部を持って、福島県警会津若松署に自首した」ということです。
 母親を殺害して、その首をのこぎりで切ったとか、何かが、間違っていると思います。

 菊自身、河内正臣先生の言うように、この問題に対して、日本の若い女性の相当の範囲に異常といわざるをえない性への関心が影響していることが大きな原因だという意見には賛成ですが、昔のように、性の情報を封鎖して、女性は、夫になる人しか性をしてはいけない。乱れた性は駄目では、解決しないと思います。今更、戦前の日本に戻れるわけではないからです。

 それよりも、今のような中途半端で、一部の人達が性を得ているのではなく、正しい性の情報を流し、誰もが、性を得られるようにしないといけないと思っています。そうすれば、こんな歪んだ形の性に、誰も関心を持たないと思います。菊は、21世紀は、男女の性は、解放的にしないといけないと考えているのです。

 だから、少し、河内正臣先生とは考え方が違います。でも、日本の誇る、良妻賢母の復活自体には大賛成です。ただ、その教育の仕方、考え方が違うだけです。
 しかし、ここまで熱心に、檄文書く人も、日本の中で、そんなにいないと思います。ある意味では、天の叫びだと思います。人それぞれに、考え方は違っても、今の日本の教育を何とかしたいという思いは一緒です。皆さんも、一緒に考えて頂けたら幸せです。

良妻賢母の教育復活に本気になろう
http://www.geocities.jp/ennohana/tennnosigetu/entenno20070518.htm

天皇の真実 縁の花支縁サイト
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2007年05月17日
2007年6月10日大阪 
素質サプリメント講演会のチラシ作成しました。


6月10日、大阪に、原先生に来て頂いてして貰う、素質サプリメント講演会のチラシを作成しました。プラットホームでやっている、教育機関ホロン・ネットインクのチラシを参考にして、作成しましたが、できばえは、分かりません、

正直言って、素質サプリメントのことを、どこまで紹介できたが分かりませんが、良かったら、見てあげて下さい。よろしくお願いします。
2007年6月10日 大阪 素質サプリメント講演会
http://www.geocities.jp/ennohana/sositugaku/enkoenkai20070610.htm


それと、原先生の素質サプリメントの講演、どんな講演になるか楽しみにしています。時間は、12時から2時半まで予定しています。よろしかったら、ご参加お願いします。

素質サプリメント 縁の花支縁サイト
http://www.geocities.jp/ennohana/sositugaku/en25sositugaku.htm

また、その後、同じ会場、ホーミーアスカ住環研所で、3時からプラットホーム空(くう)03の例会を開催します。原先生も、5月からプラットホーム空(くう)03のメンバーになって貰いました。例会にも、初参加して貰います。

福岡の住んでいられる原先生が、プラットホーム空(くう)03の例会に参加されることは、そんなにないと思います。プラットホーム空(くう)03は、プラットホームのメンバーは無料ですし、菊と何かのご縁がある人が、ゲストとして1回だけ参加する場合も、無料です。
縁の花 なんでんかんでん村コーナー
http://www.geocities.jp/ennohana/nandenkandenmura.htm


プラットホームは、別名、何もしないただの会です。何もしないのですから、原先生とのご縁を持ちたいという方も、2時間ゆっくり、素質サプリメントの話を聞くことも可能です。いろんな話をして頂けたらと思います。
プラットホーム空(くう)03 サイト
http://www.geocities.jp/ennohana/yumenopuraxtokuu3/yumenopuraku3.htm



そしてその後は、少しだけ、皆さんと居酒屋で、親交を深められたらと願っています。
是非、是非、素質サプリメントや、プラットホームに関心のある人は、菊までご連絡下さい。待っています。


縁の花村まぐまぐ情報申し込みサイト
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2007年05月16日
第2回 プラットホーム空(くう)03例会

5月18日 金曜日、ホーミーアスカ住環研所で、第2回目のプラットホーム空(くう)03の例会があります。
午後3時から午後5時までです。
第1回目は、菊が所属するプラットホーム空(くう)01のメンバーや、プラットホーム空(くう)01の小松駅長、風の会の萩原駅長の応援で、成功しました。

さて、今度は、どんなプラットホーム空(くう)03の例会になるか、今から楽しみです。また、プラットホームは、別に何もしなくてもいい会です。本来は、ご近所さんが集まる井戸端会議です。人数は関係ありません。何も目的がないのですから、皆が参加するほうがおかしいです。それで、駅長の菊も、楽です。

どんなエネルギーが、どんな目的が、今回、プラットホーム空(くう)03の例会に来られるか、自然にお任せです。大いに楽しみたいと思います。

また、そんなプラットホーム空(くう)03には、菊や、メンバーとご縁のある方なら、ゲストとして1回だけ参加は可能です。その後、メンバーになるか、ならないか、決めて頂く必要ありますが、ゲストは無料です。

場所は、大阪の地下鉄 千日前線 今里駅、歩いて1分のホーミーアスカ住環研所でしています。是非、ご参加したい方は、菊にご連絡下さい。
詳しい場所の地図をお知らせします。
よろしくお願いします。

2007年05月15日

大河ドラマ風林火山 
第19回 「呪いの笛」 5月13日放送


 昨日の風林火山、第19回、「祝いの笛」良かったです。
 正室の三条婦人が、今までの武田信玄のドラマのように、由布姫を苛める、悪役を演じなかったことも、本当に嬉しかったです。
 信玄公と三条婦人の仲は、本当に、いろんな試練があっても、最後まで仲が良かったと言います。
 信玄公祭りに行った時も、そうアナンスで、三条婦人を紹介していました。
 たぶん、正室と側室というわだかまりはあっても、昨日のドラマの演じられたのが、正室の三条夫人と、側室の由布姫の本当の姿だと思うのです。

 また信玄公が、そんな由布姫に対して、正式に祝言の形をとって、迎えた事もよかったですし、自分の命を狙った由布姫に対して、わしとそなたは、一人ではない。正室の三条や、二人を結びつけた山本勘助、多くの武田家や諏訪家の家臣の為にも、二人は結ばれないといけないといって、由布姫を説得したシーンも良かったです。実際に、そんなシーンがあったのか、なかったのかは分かりませんが、由布姫の心の中では、何度も、信玄を殺したと思います。それを信玄は、時間をかけて、信念を持って説得したと思うのです。

 しかも、そんな二人を、諏訪の人達が、心から喜んだという解釈は、面白いと思います。今までになかった考えです。確かに、諏訪の由布姫が、信玄の側室になることで、武田家と諏訪家の結びつきが強くなります。だから、菊自身、信玄公が、由布姫を、尼にするのでもなければ、自害させるのでもなく、納得の上、側室とし、正式に迎えたことは、諏訪の家臣達を大切にするという意味もあったという解釈には、正直やられたなあと思いました。諏訪の民が、喜んだなんて考えられなかったのです。

何故なら、今まで、信玄公が、由布姫を側室にしたことは、悪いイメージしかありませんでした。何しろ、父親の頼重を殺した由布姫と結ばれるのですから。菊が、信玄公なら、波動的にも怖くて、いくら由布姫が美貌の持ち主でもできません。よほど、由布姫の美しさと、勝気な性格に惚れたとばかり思っていました。

しかし、よく考えたら、諏訪でない他国であれば、父親を殺した娘を、無理やり側室にしたということで、悪逆、非道の男ということにもなるかもしれませんが、諏訪家の家臣にしたら、本領を安堵して貰えた上に、武田家の家臣と同じように、重視して貰えるということになれば別です。由布姫を、側室とはいえ、大切にするということは、その象徴です。二人の間に男子の子供が生まれたら、信玄の息子が、諏訪家を継ぐことになる事は、十分に予想されるからです。そんな見方も確かにあると思うのです。たぶん、正しいと思います。

でも、それで反発した諏訪の民や家臣がいたことも忘れてはいけないと思います。菊は、この事は、是非、諏訪家の御霊を代表して言いたいです。何故なら、武田信玄が、村上氏との戦い、上田原の戦いで敗れた後、小笠原長時との塩尻峠の戦いの時には、諏訪の西方衆という、矢島氏、花岡氏といった神家一族が反乱しているからです。きっと、本当に、諏訪家のことを思っていた一族にとっては、信玄が、幼い諏訪の姫を、側室にしたことは許せなかったと思います。

ただ、いずれにしても、由布姫が、「もう父親を思うことは許されないのか、誰も恨むことも許されないのか」と言って、武田家も、信玄も恨むことができない立場、諏訪家に、誰も味方がいない、たった一人のだという孤独感を感じたということは本当だと思います。
そんな由布姫、菊の前世のお母さんに、心から、感謝したいと思います。
由布姫、勝頼を産んで頂いてありがとうございます。

2007年05月12日
7月22日 プラットホーム説明会があります。

 7月22日、プラットホーム空(くう)03が主催ということで、水口清一先生や、シナプスの会でも活躍している風の気概さんに来て頂いて、プラットホーム構想の話をたっぷりして頂きます。一番の目的は、プラットホーム空(くう)03のメンバーになって頂いた方に、プラットホーム構想を知って貰うことです。まだ、良く理解できていない人には、是非、参加して欲しいと願っています。

 しかし、それは、プラットホーム空(くう)03だけの問題ではなく、プラットホーム空(くう)01、プラットホーム空(くう)02のメンバーの中にも、まだ、水口清一先生から、直接、話を聞いた事もないという人もいますし、他のプラットホームの中にもいます。一人でも、多くの人に聞いて欲しいと願っています。それで、少し時期をずらして、日曜日に設定しました。是非、満員で一杯になったらいいと思います。

 しかし、それだけでなく、菊と何かのご縁があって、ミクシイや、縁の花のHPで、よく出てくるプラットホーム空(くう)とは、一体何なの。何もしない会とは、何。どうして、何もしない会議に、全国の智恵を持った人達が集まるの。プラットホームのメンバー達のソーシャル・ネットワーキング、バーチャル・オフィスは、何なのといった質問に、直接、プラットホーム構想を考えた水口清一に説明して欲しいと思います。

 また、プラットホーム構想は、6年計画で、今、前期の3年が経過して、今から、後期、計画の3年に入っています。後、3年の2010年の4月には、プラットホームの構想は、完成して、新たな構想が、プラットホームで学んだ駅長の、何人かの人たちで、始まるそうです。

 3年後、どうなっているかは、もちろん神ではない菊には分かるはずがありませんが、一つだけ確信していることがあります。それは、菊が縁の花を書いた、平成5年10月1日に夢見た、高度情報社会、別名、ユビキタス社会に、間違いなく、プラットホームは、対応することを目指している組織だということです。おそらく、プラットホームが、日本だけでなく、世界で最先端になっている組織の一つだと、菊は確信しています。

 それが、菊が長年夢見た智恵の場で世界であり、恩師の「なんでんかんでん村」の教わった智閥だと確信しているのです。だから、皆さんに、はっきりと公約したいと思っています。3年後、菊や、プラットホーム空(くう)03のメンバーで、参加してくれたプラットホーム空(くう)03のメンバーは、必ず、皆さん、一人、一人の夢を叶え、幸せにします。それが、プラットホーム空(くう)03の駅長としての、菊の公約です。

 ただ、菊がそういっても、なかなか皆さんは、まだまだ実感できないと思います。
 それで、水口先生が書いているメルマガ、「未来をいかに読み解くか」新時代の発想とヒントをご紹介します。
http://blog.mag2.com/m/log/0000232537/

 水口清一先生のこのメルマガでは、次の高度情報社会のこと詳しく書いています。
 ここまで理解して、行動を起こしている人は、他には、恩師の原裕一郎先生以外、菊は知りません。とにかく、高度情報社会を学んで来た菊自身が言います。お二人は、未来が分かる手才です。
 もし、少しでも読まれまして、何か、ピーンと来た人で、菊とご縁のある人は、ご参加お願いします。全国、どこでも構いません。

プラットホーム説明会(空03主催)
日時:7月22日(日) 13:00〜17:00

場所:大阪市立中央青年センター
http://www.chu-sei.com/index.htm
A棟 3階 6号室
〒540−0006
大阪市中央区法円坂1-1-35
TEL 06−6943−5021
参加費:1000円(会場費代)
★会員の方はどなたでも参加できます。(会員の通人知人も可)

「未来をいかに読み解くか」新時代の発想とヒント」縁の花支縁サイト
http://www.geocities.jp/ennohana/mizuguti/11111enmizuguti.htm
プラットホーム空(くう)03 サイト
http://www.geocities.jp/ennohana/yumenopuraxtokuu3/yumenopuraku3.htm

縁の花村まぐまぐ情報申し込みサイト
http://www.geocities.jp/ennohana/8ennohanamagmag.htm
縁の花 トップページ 
http://www.geocities.jp/ennohana/

2007年05月12日
7月22日 プラットホーム説明会
 5月11日、プラットホームの駅長や、IT関係の専門家などの人達が集まる、プラットホームの頭脳、通称、シナプス会議がありました。毎月、1回、第2木曜日に開催されます。菊は、皆さんのおかげさまで、プラットホーム空(くう)03の駅長として初参加させて頂きました。シナプス会議は、駅長しか参加できないのです。

 またシナプスの会議、面白かったです。全国に25個の程度のプラットホームがあっても、わざわざ大阪まで来られる駅長は、そんなにいないので、参加メンバーは、近畿を中心としたメンバーになってしまいますので、そんなに多くありませんが、とても充実した内容でした。その内容は、プラットホームのメンバー、全員には、議事録として送られますので、楽しみにしていて下さい。

 そしてその会議に参加したことで、菊自身も、今まで知らなかったというか、間違って誤解していたルール、いろいろ理解しました。やはり、水口先生や、全国の駅長とお会いすることは大きいです。その事は、5月18日の例会で、皆さんにご報告しますが、肌で感じたことは、プラットホームは、駅長が集まる会議でも、和やかな雰囲気で、本当に場がいいということです。

何故なら、ものすごく民主的で、一人の人で決めるということはないからです。きっと、プラットホーム構想は、2010年、構想どおりに完成すると確信できました。その事も、例会で、ご報告したいと思います。

 さて、その席で、7月22日、日曜日、プラットホーム空(くう)03が主催で、開催する、水口清一先生、シナプスの会議のリーダー、風の駅長、萩原さんを迎えての説明会ですが、場所が決まりました。場所は、大阪市立中央青年センターです。日時は、昼の1時から、5時までです。他のプラットホーム空01、02だけでなく、多くの仲間の応援もありますが、是非、プラットホーム空(くう)03のメンバーは、聞いて欲しいと思いますし、皆さんのご縁のある人も、ゲストとしてお誘いして欲しいと願っています。

 このプラットホームの説明会は、バーチャル・オフィスのTodoでも、掲載して頂いています。参加者は、是非、ここに書き込んで下さい。
 詳しい内容は、下記に書いています。よろしくお願いします。

プラットホーム説明会(空03主催)
日時:7月22日(日) 13:00〜17:00

場所:大阪市立中央青年センター
http://www.chu-sei.com/index.htm
A棟 3階 6号室
〒540−0006
大阪市中央区法円坂1-1-35
TEL 06−6943−5021
参加費:1000円(会場費代)
★会員の方はどなたでも参加できます。(会員の通人知人も可)

プラットホーム空(くう)03 サイト
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2007年05月11日
縁の花第238号、
「カタカムナのご縁」が誕生しています。


 5月3日、プラットホームの仲間達と、カタカムナの磐座(イワクラ)があるという、西宮市にある○○○に行ってきました。カタカムナというので、楢崎皐月先生の話をイメージしていたので、六甲の奥地をイメージしていた菊にとっては、驚きの連続でした。

 まさか、まさかの連続です。こんな場所に、1万3千年前、氷河期の為に、姿を消したというカタカムナ人の残した磐石の集まり、磐座があるとは思いませんでした。本当に、驚いてしまいました。

 また、その磐座で、菊は、カタカムラの磐座を守っている、すばらしい人達、○○祭主さんや、○○○○という存在を知りました。とてもすばらしいと思います。

 でも、一番の驚きは、そういった人達とも、親しいご縁を持って、簡単に30名以上も集められるプラットホームのメンバーの人達のすごさです。簡単なようで、なかなかできないと思います。

 しかも、そういった、意識が合う仲間、プラットホームの人達と、ツアーを組んで行くのは、非常に楽しいです。そういったことを、今回の縁の花238号「カタカムナのご縁」では書かせて頂きました。

 例によって、少し文章は長いですが、日記に書いた内容を順序よく一つにまとめているので読みやすいと思います。是非、お読み頂けたら幸せです。

 縁の花 第238号「カタカムナのご縁」
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohana/238ennohana.htm



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2007年05月11日
カタカムナのご縁 菊の余談

 カタカムナのご縁について、いろいろ書かせて頂きました。本来なら、プロのライターとして、いい話の新聞の記事を書いていたプラットホーム空(くう)1の小松良行駅長、空の仕掛け人さんが、書かないといけないのですが、酷い風邪が、何日間も長引いて、唯一、申し込んでいたのに、参加できませんでした。空1の駅長に代わって、菊が何とか書かせて頂きました。下手な文章ですが、読んで頂いてありがとうございます。

 また、○○祭主邸のプラットホームの例会で、菊の自己紹介の時に言いましたが、30名ちかくの参加メンバーの中で、本名に岩がつくのは、岩谷の名字を頂いているのは、菊だけだったかもしれません。別に、それは、どうだったということではないのですが、菊は、昔から、岩、磐が好きです。岩戸も大好きです。

だから、日本の先住民、太陽巨石文明のカタカムナを守っている人達やカタカムナの御霊さん達と、ご縁を持つことができて、とても嬉しいのです。今後は500年前の武田家や諏訪家の御霊ではなく、2万年前、3万年前に生きていた平和の先住民、カタカムナの御霊も意識したいと思います。一気に、2万年から3万年前に、ワープできたのです。波動の世界では、何万年でも一瞬の事なので、十分にできると思います。

 しかも、小林美元先生は、菊の守り神の一人になっています。毎朝の早朝瞑想では、生前、菊とご縁のあった4人という事で、白血病でなくなった本田美奈子.さん、超能力者神谷先生、古神道の小林美元先生、高度情報科学の時の小西さんの4人を呼び出しては、ご加護をお願いしています。

 ですから、菊自身は、このカタカムナのご縁は、小林美元先生の導きだと思って感謝しています。心から、菊の背景で、菊を導いてくれている小林美元先生、ありがとうございます。ありがとうございますで終りたいと思います。

 縁の花 第238号 「カタカムナのご縁」 皆さん、読んで頂いてありがとうございます。2007年5月11日


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2007年05月11日
○○祭主と○○○○のご紹介

 しかし、菊が、一番、すごいと思ったのは、プラットホームのメンバー、一人、一人の自己紹介を聞いているうちに、思わず、○○○○○さんが、私も、プラットホームに参加したいといったことです。きっとそれだけプラットホームのメンバー達のエネルギーいいのでしょう。しかも、早速、プラットホーム空(くう)1のcocoさんが、プラットホーム空(くう)1の例会にお誘いして、いい返事を貰っているそうです。

 だから、プラットホーム空(くう)1に、○○○○○さんがゲスト参加して、メンバーの一人になってくれる可能性もあります。もちろん、将来の事なので、誰にも分かりませんが、菊は、そうなったらいいなあと思いました。別にプラットホーム空(くう)ではなく、○○○○○さんを、お母さんと呼んでいる、たーちゃんがしているロハスの会でもいいですが、プラットホームのメンバーになって頂けたら、これから、本格的に、カタカムナの人達の御霊とも、ご縁が持てると思うのです。

 だけど、そんな事は別として、ロハスの駅長さんが書いてくれた日記を引用させて頂くことで、少し○○○○○さを紹介すると、○○○○○さんは、大きな日本画を書いている人で、家には、○○さん自身が書いている画がたくさん並べられています。

 しかも仏教全体を信じている人で、仏画も、菊の記憶では何個かあった人です。絵の世界は、良くは分かりませんが、相当有名な人みたいなのです。
 ですが、そんな○○○○○さんが、○○の近くの一等地○○○で、大きな豪邸に住むようになったのは、世間的なお金持ちとは大きく違います。

実は、まだ○○○の辺りが、一等地ではなく、反対に人気がなかった頃、○○○○○さんは、この1000坪の敷地をある人から、買って欲しいと頼まれたそうです。岩がごろごろごろあって、誰も買ってくれないので、是非!と依頼され、心良く購入したというのです。

その上に、○○○○○さんは、そのごろごろの石を避けるように設計して家を建てられたそうです。ロハスのターちゃんは、そんな○○○○○さんを、まわりで、このいわくらを破壊して建設している家も結構あるというのにと、その○○○○○さんの凄い感性を褒めていましたが、菊自身もそう思います。

 たーちゃんは、きっと、神様が、そしてカタカムナ人が、この祭主さまに守ってもらうべく、時期を決めていたのでしょうねえ・・・と書いていますが、菊もそう思います。
 きっと、楢崎皐月先生、宇野多美恵先生、○○○○○さんは、生まれる前から、カタカムナで繋がっていたと思うのです。

 また、そんな○○○○○さんが、祭主を務めている○○○○○○は、吉本勝彦さんが会長していますが、何の宗教にも縛られていないすてきな会です。菊が、何よりも感心したのは、カタカムナ磐座は、隠れ磐座として、一般には公開せず、磐座により導かれた方々が、自然にお祀りさせて頂くことを願っているという会の方針です。本当に、すばらしいと思います。

 と同時に、そんな○○○○○○では、ご縁のある人達だけで、カタカムナ磐座を古代から継がれてきた貴重な遺跡として、後世に誤りなく継承し、大自然を敬い共存共栄の古代の思想を広め、世界の平和を祈ることを主目的として活動しているそうです。

 何でも、菊は、○○○○○○の案内書を貰い損ねたので、詳しいことは分かりませんが、○○○○○○の会員になれば、あのすばらしい祭主邸か、別邸に泊まる事ができたり、祭主邸で催される会に、ゲスト3名まで連れて参加することができたり、できないとか、????とにかくすばらしいいろんな特典もあるそうです。是非、カタカムナの導きを感じた人は、菊までご連絡頂けたらいいと思います。


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2007年05月11日
カタカムナの祭主邸でのプラットホーム合同の例会

 ロハスの駅長、たーちゃんの自己紹介や、水口先生の話で、今回のカタカムナの企画の事が少しよく分かりましたが、その後も、プラットホームのメンバーの人達が中心の自己紹介が聞いていて、菊が痛感したのは、やっぱりプラットホームのメンバーは、怪しいという人ばかりです。

 その中でも、特に怪しいのは、プラットホーム空(くう)1のcocoさんでした。Cocoさんは、八尾市にある由緒ある家、いずみ苑の当主なのですが、このご縁の広さには脱帽します。

 カタカムナのご縁でも、亡くなった直弟子の宇野多美恵さんや、今もカタカムナの事を伝えている土居正明氏とは親しい親交があって、すぐに祭主の○○さんとも親しくなっていました。このエネルギーというか、ご縁ができる才能には、菊は、すごいなあと改めて感心したのです。

 また、今度プラットホームロハスに参加した、新人のトライ明日朗さんは、杖術、トライアスロン、平和運動・・一杯一杯の活動家で、六甲での「サラシャンテイ・健康道場」オーナーをしているそうです。

しかも、「サラシャンテイ・健康道場」さんでは、ミュージシャンから落語家まで、多くの人がここでセミナーを開いて、多くの人が集まっていますが、この「サラシャンテイ・健康道場」のホームページ http://www.npo.co.jp/santi/
を見て、菊は感動しました。
本当に、ロハスにも面白い人が参加していますし、このロハスに初めて、トライ明日朗さんが、ロハスの例会にゲスト参加した時に、ロハスのメンバー、全員が、トライ明日朗さんを知っていた、ご縁があっという裏話もありました。ロハスのメンバーも、本当に怪しい人達が集まっているのです。

 でも、それは、今回、参加メンバーが、一番多かったプラットホーム空(くう)1、2、3のメンバーも同じです。一人を除いて、メンバー全員が、カタカムナのことをご存知でした。本当に、一般の人達とは違った人達が、波動の世界、駅長のご縁のある人のご縁までという目に見えないシステムで集められるようになったのです。

だから、そんな人達で、全員の自己紹介が終った後のいつものプラットホーム、各メンバーが集まった合同例会は楽しかったです。いろんな人が、ただ、いろんな話をしているだけでした。その中には、○○さんの祭主邸を出て、ずっと磐座(いわくら)で、話をしたり、お金さんのご縁が持てる磐石にずっと座っていたりした人もいましたが、それぞれに何かのお役がある感じでした。

その中でも、菊のファンションの師匠、ショージさんは、早速、磐座で、大きな木の立て札が壊れているのを、菊を助手にして、治そうとしていましたが、その行動力には脱帽でした。やはり、プラットホーム空(くう)は、すごい人が集まっていると確信したのです。



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2007年05月11日
 カタカムナのご縁 
プラットホームのロハスの駅長と水口先生


 ○○祭主のお話が終った後は、自然にプラットホームになってしまいました。別に何かをするわけではありません。各自が、好きな人と、好きな話をするだけで、2、3時間過ごしました。まずは、参加メンバーが、簡単な自己紹介をした後、後は勝手にやって下さいということになったのです。

 
 また、皆さんの自己紹介を聞いて内に、菊にも少しずつ、このカタカムナのご縁の事がよく分かりました。まず、今回のご縁を作ってくれたのは、プラットホームロハスの駅長、まーちゃんです。まーちゃんは、神戸を中心として、ヨガの教室を何個か運営していて、弟子は、千人といいます。

 しかもインドのサイババのご縁があって、日本とサイババの橋渡しをしている人で、良くインドには、10日間も行くツアーもしています。謙虚なので、自分の事はあまり言いませんが、そのまーちゃんは、今は亡くなった小林美元先生ともご縁がありました。

 そんなマーちゃんが、今から14年前、平成5年4月に、神主故小林亨美元先生と、夜に、○○○○○さんの家に行った時のことです。その時は、暗かったので、小林享美元先生も、よくは分からなかったそうですが、何かを直感で感じたそうです。

 それで翌日の朝、一人で、○○邸を訪れて、庭の磐石を見て、ここが古代、カタカムナの先住民達の磐座、イワクラということを発見したそうです。そしてそれで大騒ぎになって、故多治見亨先生や、いろんな人の応援で、カタカムナの先住民をお祀る神事が行われるようになったそうです。その当日には、小林美元先生も、必ず、神主姿で現れて、すばらしい祝詞をあげていたそうです。
 
 これには、菊もびっくりです。生前、小林美元先生が元気だった頃、菊も、何度かご縁があって、神道のお話を聞いたことがありましたが、そんなすごい業績があること知らなかったのです。

 でも、それよりも嬉しかったのは、プラットホームのメンバーのロハスの駅長が、そういったカタカムナのご縁に大きく関わったことですし、プラットホーム構想を考えた水口先生も、今、○○○○○さんが祭主している○○○○の会長である吉本勝彦さんとは親しく、よく○○さんの事もご存知だということでした。

 だから、今回のカタカムナのご縁は、プラットホームのたーちゃん駅長と、水口先生のご縁がなかったら生まれませんでした。誰もができるご縁ではないのです。菊は、その事を改めて実感できて、プラットホームのメンバーになれたことを心から感謝しました。プラットホームを通して、一生涯のご縁を持つ人達と、すばらしいカタカムナのご縁が持てた事に、心から感謝したのです。


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2007年05月11日
カタカムナのご縁 ○○祭主の話

 祭主邸での磐座の見学が終ると、全員、祭主邸の2階の大きな、30人は楽に入る部屋に全員が集まると、カタカムナと物理学者の楢崎皐月先生の話をして貰いました。それを菊が、要約させて頂きますと、カタカムナの文献を、謎の男性から与えられた人は、楢崎皐月さんと言います。

 この楢崎皐月さんは、第二次世界大戦に実在した一流の物理学者でした。陸軍の仕事で、満州にも行って、製鉄所長として、満州の吉林などにいたそうです。

 その時に、彼は娘々廟に詣で、その地で信奉を集めていた老子経道士・慮有三(らうさん)老師に出会い、楢崎皐月さんが、日本は、中国から、漢字、漢方医術から始まって、いろんなものを教わりましたというお礼を言うと、次のような話を聞かされたそうです。

 それは、「老子の古伝」として伝えられら言葉によれば, 我々が, シナ民族固有の文化と思っていたもの(易・漢方医術・製錬法・老荘哲学・堯舜(ぎょうしゅん)の理想政治等)は, 日本上古代の文化の流れをくむものである。日本の○○のある先住民に感謝しなさいというようなことです。それまでの常識では考えられないことをいわれたのです。

 そして戦後、そんな楢崎皐月さんが、日本に帰って、星製薬・星社長のもとで働いていましたが、その星社長のもとを離れた翌年の昭和24年(1949年)に、彼は兵庫県・金鳥山で穴居実測調査をしていました。そこで怪人物、平十字(ひらとうじ)と出会うのです。
楢崎皐月さんが、そこで、泉に調査のために、何か妙なものを仕掛けるから、動物達が、水を飲めなくて困っている、すぐにどけろといわれ、言われたことをすぐに実行したら、翌日、上機嫌で現れて、お礼にと言って、古い文献を見せてくれたのです。それがカタカムナ文献というものです。

 しかも、その人物は、自分は平十字(ヒラトウジ), 父はカタカムナ神社の宮司, この巻物は, 父祖代々「御神体であるから, 見たら目が潰れる」と言われて, 厳しく秘匿されて来たものであることを告げたそうです。それでそれに驚いた楢崎皐月さんが、それを貸してくれてお願いしても、駄目だと断りましたが、文献を写すことは承諾してくれました。

それで、平十字は、「お前さんたちの足で険しい山坂は大変だから, オレが持って来てやる」と言い、それから二十日間、楢崎のところにせっせと通ってくれたそうです。これが、カタカムラ文献なのです。

 そしてそれを、楢崎皐月さんが、調べていくうちに、そのカタカムナ文献は、古文書といったものではなく、歴史書ではなく科学書だということが分かってきました。何と、そこには、「宇宙の成り立ち」「宇宙の特徴」「物質や生命の発生の仕方」「生命の本質」から「農業や製鉄技法」「病気の治療法」「人間の考え方」「商人道の心構え」までが表わされていたといいます。

要するに、今から3〜5万年前のカタカムナと呼ばれる日本人が、直感した宇宙や物質の構造や生命の本質、それらの関連性を捉えた「哲科学」が説かれているというのです。
それで楢崎皐月さんは、その文献を基に、今の現在人ではなかなか理解できない方法で、いろんなものを開発していくようになりました。

それが電子水といわれているものや、土地に炭をまいて、癒しに地にしたりする農業方法で、昭和33(1958)年に「静電三法」として「植物波農法」「物質変性法」「人体波健康法」に体系化しています。その後、楢崎皐月さんは亡くなりましたが、カタカムラの研究は、弟子に引き継がれています。

 その弟子の一人で、直弟子なのが、宇野多美恵さんで、○○祭主さんは、そんな宇野多美恵さんたちと親交がありましたが、今は、その宇野多美恵さんも亡くなったそうです。そんな話を聞かせて頂いたのです。

2007年05月11日
カタカムナ 祭主邸の磐座 (イワクラ)のご縁

 祭主の自宅に集まったプラットホームのメンバーを暖かく迎えてくれたのは、祭主である○○○○○さんでした。年齢的には、高齢ですが、笑顔が似合う、すてきな女性です。
 何でも、仏画を描かれる人で、仏教にも精通しています。悟りを開いている仏に仕えている女性といった感じの女性でした。

 そんな○○さんは、自宅の玄関近くの大きな窓から見える、大きな磐石を、確か、菊      として奉っていて、まずは、そこを皆で挨拶した後、○○祭主は、カタカムナの言葉
の祝詞をあげてくれました。しかも、現在の人にも途中から分かる言葉での祝詞をあげてくれました。

「・・・・・・・・・・・・・・・・今から、1万3千年以上の氷河期の前、2万年、3万年前から平和に暮らしていたカタカムナの皆さん、今日は、多くの人が来てくれました。彼らの幸せを願って下さい。ありがとうございます。ありがとうございます」というような感じです。

菊は、そんな○○祭主の言葉に感動しました。今、初めて、日本でももっとも古い先住民、カタカムナの人達とのご縁を、正式に持ったと思ったのです。そう思うと、日本人として、とても嬉しかったのです。

また、○○祭主は、その後、御祓いをしてくれました。今日、参加したメンバーの人達についている思いなどを祓ってくれたのです。菊自身、そういった御祓いに関しては、鈍感なので、よく分かりませんが、○○○○○さんが、今日、ご縁を持った人達の幸せを、心から願って下さっていることは分かりました。心から、○○祭主に感謝したのです。

そしてそれが終った後、○○○○○さんの自宅の庭、祭主邸にある磐座にある磐石を、○○祭主の説明で、見学させて頂きました。そこには、たくさんの大きな48基の磐石、磐座、イワクラがありました。何でも、13000年前、氷河期以前に、暮らしていた先住民、カタカムナ人は、ザイサントクソドン、へび岩、亀岩、山ノ神、良ノ金神、方位石二基、火打石、太陽観測の岩等、それぞれの磐石に対して、名前とお役を持って貰って、カタカムナ文明のマツリの場として、大切にしていたそうです。

太陽巨石文明を持つカタカムナ人が、大自然を敬い、共存共栄の思想で、平和的に暮らしていたことは、それを見ていたら分かります。しかも○○祭主の説明では、磐石には、架空の動物「ぬえ」さんも1対あって、ピラミッドと向き合っているとか、人の横顔の磐石があるとか、結構面白かってです。その上に、盤石には、カタカムナ文字が多く刻まれ、全国からペトログラフ関係者や学者さんも訪問されることが多いそうです。そんなところに、来られたこと、心から感謝したのです。

 でも一番、良かったのは、磐石に直接、触れ合うことで、磐からエネルギーを貰えたことです。特に、俯きに、寝て、お願いしたら、お金さんのご縁ができるという磐石があって、参加メンバーから大人気でした。

 ○○祭主さんは、毎朝起きると、磐石からエネルギーを貰い、お金が困った時には、その磐石に、俯きに寝て、お願いしたら、不思議とお金が手に入るそうですが、その磐石に、しっかり菊もお願いすることができたのです。

2007年05月10日
Chibatuさんの素質サプリメントのセミナーが、
6月10日にあります。


 6月10日、日曜日、12時半から2時半まで、福岡から、chibatuさんに来て頂いて、素質サプリメントの2時間セミナーを企画しています。会場は、プラットホーム空3の会場になっているアスカ住環研所です。
 http://www.geocities.jp/ennohana/yumenopuraxtokuu3/KAIJOTIZU.htm

 この素質サプリメントとは、生年月日で分かる、人の素質、才能が分かる学問です。
というのも、自然の法則、宇宙理論に基づいて「人の素質性格の診断分析」ができます。(本業です)ヒューマンアナリスト(人の素質性格分析研究家)なのです。

だから、性格や素質の診断は自信があります。生年月日や性別で分析するので「占い」と同一視されますが、欧米では「人間行動科学」に分類される学問です。
分析結果は当たる確率が高く(70%〜80%)好評をいただいています。

 また、chibatuさんは、素質性格診断カルテ作成や人間関係の悩み相談、営業効率向上、相性診断(ビジネスパートナー、恋愛、結婚、友人、上司・同僚・部下)その他人間関係に関わるカウンセリングもしています。

 菊自身もして頂いた事がありますが、当たっています。どうして、生年月日で、人の素質、性格がある程度分かるのと疑問でしたが、説明を受けて納得しました。これは、使わないと損です。

 しかも、細木数子さんの六星占術や動物占いとデーターは同じですが、取り組む姿勢は大きく違います。六星占術や動物占いに、関心があって、どうして、当たっているのと関心のある人なら、chibatuさんの説明受けたら納得できると思います。初めて、六星星術や動物占いが遊びではなく、学問として活用できるのです。


 そしてchibatuさんは、今、その素質サプリメントのデーターを、単なる占いにするのではなく、携帯から引き出せるデーターとして、実際に、活用して頂けるようにと、ナビゲーションシステムを作っています。

 皆さんが、携帯から、インターネットで、相手の生年月日を書き込むだけで、対人関係、子育て、ビジネスに活用して貰え、大きな反響も頂いています。是非、皆さんも、ご参加して下さい。

 また、その後、三時からプラットホーム空3も同じ会場でします。Chibatuさんにも、初参加して頂いて、空3のメンバーや、空のメンバーとの親交を深めて欲しいと思っています。その後は、夜、自由参加で、楽しい居酒屋で、おいしいお酒飲みたいです。プラットホームに関心ある人は、その後のプラットホーム空3のご参加お待ちしています。

2007年05月10日
プラットホーム空3に、
菊の恩師、chibatuさんが参加しています。


 皆さんに、ご報告が遅くなりましたが、プラットホーム空3にchibatuさんが、参加してくれています。本当に嬉しいです。感動で一杯です。一つの、大きなご縁結びの仕事ができたと確信しています。
 
 というのも、菊が、chibatuさんを知ったのは、もう14年ぐらい前になります。chibatuさんは、高度情報科学セミナーというところで、同じ平成の志士として活躍していましたし、講師としても活躍していました。

 菊は、このchibatuさんのセミナーで、宇宙エネルギーとか、男女のエネルギーの法則、船井幸雄先生のいう本物の世界の存在を知りました。全部、きっかけは、chibatuさんでした。

 しかもchibatuさんから教わった、北枕で寝るとか、早起きするなども実施しています。
 他にも、亡くなった神谷先生のご縁を頂き、影の組織に関する裏情報も知ることができました。今は、神谷先生の御霊は、菊を応援してくれていると信じています。

 しかし、菊が、一番習ったのは、智閥という考えです。江戸時代、農業社会だった日本は、ペリーの来航に始まった黒船の脅威で、それから15年後、明治維新をやり遂げて、見事に、アジアで唯一、工業社会を迎えました。

 その時の原動力になったのが、会社、財閥でした。でも、この会社というものは、江戸時代にはありませんでした。江戸時代は、徳川幕府を中心とした、たくさんの藩が、日本を動かしていたのです。

 でも、今、その藩は、日本に一つもありません。しかも、それだけでなく、ちょんまげに代表される武士、士農工商という身分制度、豪商、飛脚、寺子屋などの教育制度、すべてがなくなっています。

 今、それと同じことが起きようとしているよ。今度は、携帯という端末をつかったIT革命で、日本や世界は大きく、高度情報革命を起こすよ。今、工業社会で、当たり前だと思っていることは、会社も学校も、政府も全部、新しく変わるよ。

 会社、財閥は、新しく智恵を持った人達が集まる智閥というものに代わる。Chibatuさんからは、14年前から、そう教わってきました。今から考えても、全部当たっています。
 おそらく、chibatuさんがいうように、後、2、3年もして、携帯電話が、もう少し進化したら、世の中は激変して、2015年には、完全に、高度情報社会が、完成していると思います。それが、ユビキタス革命と言うものです。

 また、菊は、このchibatuさんの話を聞いていたから、水口先生のプラットホーム構想を、2年前に始めて聞いたとき、プラットホームと、chibatuさんがいう智閥とは、目指すところは同じだということ、確信しました。菊が、プラットホームの事、理解できたのは、chibatuさんから、いろんなことを学ばせて頂いていたからなのです。

 そんなchibatuさんには、プラットホームに参加して頂き、水口先生には、「なんでんかんでん村」の村人として、「なんでんかんでん村」情報読んで頂いています。
 縁の花 なんでんかんでん村コーナー
http://www.geocities.jp/ennohana/nandenkandenmura.htm

 水口先生からも、chibatuさんがプラットホーム空3に参加して、鬼に金棒だねと言って頂きました。
 是非、皆さんも、chibatuさんと、バーチャル・オフィスでのフレンドの関係、よろしくお願いします



2007年05月09日

5月のプラットホーム空の予定です。

 いつもありがとうございます。
 5月のプラットホーム空3の予定と、プラットホーム空1、空2の予定をお知らせします。
 
 プラットホーム空3は、5月18日、金曜日、午後3時から、午後5時まで、大阪の地下鉄、今里駅近くの、ホーミーアスカであります。
 ホーミーアスカ住環研所
http://www.geocities.jp/ennohana/yumenopuraxtokuu3/KAIJOTIZU.htm

菊とご縁のある方で、プラットホーム空3、何もしないただの会に関心のある方は、一度だけ、ゲストとして、無料で参加できます。
よかったら、是非、ご参加下さい。
連絡頂けたら、嬉しいです。

 また、プラットホーム空1は、翌日にあります。
2007年5月19日(土)午後4:00〜6:30 ココ プラザ702号(和室)
【場 所】
〒533-0033 大阪市東淀川区東中島1-13-13 
TEL.06-6370-5421
青少年文化創造ステーション(愛称:KOKO PLAZA ココ プラザ)

アクセスは・・・
http://www.kokoplaza.net/access/index.html

菊も参加する予定です。
プラットホーム空3のメンバーの皆さんは、無料で参加できます。
菊とご縁のある方で、プラットホーム空、何もしないただの会に関心のある方は、一度だけ、ゲストとして、菊の所属している空1に無料で参加できます。
よかったら、是非、ご参加下さい。

それと、サーシャさんが駅長しているプラットホーム空2は、5月24日です。
◆5月例会のご案内
【日 時】
2007年5月24日(木) 13:00〜3:30 ココ プラザ702号(和室)

【場 所】
〒533-0033 大阪市東淀川区東中島 1-13-13 
TEL.06-6370-5421
青少年文化創造ステーション(愛称:KOKO PLAZA ココ プラザ)

アクセスは・・・
http://www.kokoplaza.net/access/index.html

たまたま、5月、今月は、木曜日は、お休みなので、初めて空2、見学させて頂きたいと思っています。プラットホーム空3のメンバーの方は、無料で参加できます。
行きたいと思う方は、菊までメール下さい。一緒に遊びにいきたいと思っています。


 プラットホーム空では、空3の例会の日程が合わなくていけないという人が、空1、空2に来るのは大歓迎です。いろんな人と、ご縁を持って、親睦を深めて頂けたら幸せです。


夢のプラットホーム空3
http://www.geocities.jp/ennohana/yumenopuraxtokuu3/yumenopuraku3.htm


トヨ  2007年05月09日

楽しそうですね 私も時間があれば是非参加したいのですが
いつか時期が来たらお仲間に入れて下さい
どうぞよろしくお願い致します 感謝

菊  2007年05月10日

トヨさん、書き込みありがとうございます。
楽しいですよ。
何もしないということが、こんなに楽しいとは思いませんでした。
是非、一度は遊びに来て下さい。

ただ、新潟は遠いです。
大阪のプラットホーム空3に参加して貰うのは難しいですね。
でもご縁があれば、必ず、結びつくと思いますし、是非、縁の花村の村人になって頂けたらと思います。

これなら、全国、どこでも、可能です。
お金も要りませんよ。よろしく。

空の仕掛け人  2007年05月09日

18日は、残念ながら伺えません。

19日、24日は参加予定です。

01、02、03は垣根なしで行き来できるからすばらしいいね(^^)

もちろん、空(くう)以外のプラットホームの人たちも参加は自由だ!!!

サーシャ  2007年05月09日

菊駅長、プラットホーム(空)02の例会も紹介していただいてありがとうございます。

どのプラットホームにも参加したいと思うのですが、
うちはこの時期から忙しく、なかなかお邪魔できずに居ます。
参加する時は、いきなり「今から行きます」と、お邪魔することになりそうです(^^;

24日、お待ちしています。




2007年05月08日

大河ドラマ「風林火山」 第18話「生か死か」
 晴信と由布姫


 いよいよ、由布姫が、晴信、若い頃の信玄の側室になることが決まりました。風林火山のドラマでは、名場面の一つです。甲陽軍鑑では、山本勘助が、武田家の重臣が、全員反対する中で、ただ、一人、晴信の由布姫を側室にしたいという案に賛同して、うまく説得したといいます。これで晴信の信頼を勝ち取ったといわれているのです。

 ただ、今までの武田信玄に関するドラマでは、由布姫が側室になったのは、晴信が、自分が殺した頼重の娘を見て、あまりの美貌と、芯の強さに、惹かれて、好きになってしまったことが原因だと表現していました。菊自身も、そう思います。晴信は、由布姫に恋、一目ぼれしてしまったのです。それで、無謀だと分かっていても、家臣が反対するのも承知で、強引に側室にしようとしたというのです。

 しかし、今回のドラマでは、違います。晴信は、由布姫に会ったこともありません。由布姫が、大変な美人だという事もしりません。ただ、あの山本勘助が、由布姫を殺せなかったということで、関心を持ったぐらいなのです。菊は、それを見て、いろんな描き方があるなあと感心してしまいました。脚本家の大森さに脱帽です。

 また、晴信が、由布姫を生かす為に、側室にしたという解釈、まったく外れていないと思いたいです。諏訪の姫だった由布姫を、武田家の手元から離したら、確かに将来、禍根を残した可能性があります。由布姫を、利用する人物が出てくる可能性もあるのです。

 しかし菊は、風林火山のドラマを見ている人に、ここで一つ言いたいことは、実際に起きたことと、ドラマは、あくまでも違うということです。風林火山にしろ、他の武田信玄のドラマにしても、晴信と由布姫の関係を綺麗に扱っています。二人は、父親を殺した人物と殺された人物ですが、運命的に出会い、最後は愛し合った中で、由布姫は、若くして、病気で亡くなったとされていますが、そんな事はないと思います。

 実際に起こった事は、父親を殺された人物に、無理やり、側室にされたということです。それは、どんなに否定しても、現実です。それが証拠に、由布姫は、若くして死んでいます。由布姫がなくなったことに関しては、労咳だったとか、何かの病気だったといわれていますが、新しい説として、精神が病んで、諏訪湖で入水自殺したという説も出ています。

 だから菊には、由布姫は、多くのドラマで描かれるように、幸せだったとは思えません。
 きっと、自分の夫になった晴信を愛そうとした気持ちと、父親を殺されて憎もうとした気持ちが、残っていて、菊の前世のお母さん、由布姫はずっと格闘していたと思います。
 その心の格闘のために、病になって、若くして、死んでしまったのです。

また、そのことで言えば、由布姫に関して、晴信は、絶対に側室になどすべきではなかった、菊は、そう思います。そうなると、晴信と由布姫の間に、唯一、一人息子として生まれた、武田勝頼、前世の菊が生まれないことになるので、困りますが、やはり側室にすべきではなかったと思います。

 信用できる諏訪家の家臣で、家柄もあう人物に、由布姫の事は任せるべきだったと思います。そうなっていたら、由布姫の人生は、もっと平穏な人生だったと思いますが、由布姫を見て、あまりの美貌とさすがは諏訪家の姫という聡明さに、われを忘れた晴信が、惚れてしまったというのが、真相だと思います。まさしく恋とは厄介だと思います。
 是非、そんな運命にもて遊ばれた由布姫の事を思って、ご冥福を願いたいと思います。
 由布姫、自分の運命を受け入れて、武田勝頼、前世の菊を生んでくれてありがとうございます。


2007年05月05日

カタカムナ文明発祥の地を訪ねて

さて、その「カタカムナ文明発祥の地を訪ねて」ですが、とてもよかったです。人数は、大幅にオーバーして30名ちかくの人が参加されました。主なメンバーは、空1と神戸でヨガを教えている、たーちゃんが駅長をしているロハスのメンバーが中心でしたが、空2のサーシャ駅長や、風の会の風の気概さんも参加されていました。これに、プラットホームのメンバーでない人も、若干いましたが、とても和やかな雰囲気で、楽しかったです。

また、そんなメンバーの人達と、西宮市にある、阪急の甲陽園駅で待ち合わせていたのですが、そこからは、タクシー組みと、歩き組みに分かれました。後で分かったことは、歩き組みには、すてきなご褒美がありましたが、まず、菊が驚いたのは、カタカムナ文明発祥の地がある場所でした。

そこは、高級住宅地でした。山というか、丘の上に建てているので、大きな坂を登らないといけませんでしたが、○○のような高級な家が並んでいました。まるでホテルというような住宅もあって、菊はびっくりです。しかも距離的にいっても、阪急の夙川駅から乗り換えて、二駅、そこから歩いて12分、タクシーでワンメーターです。ものすごい近いです。

カタカムナといえば、楢崎皐月先生が、兵庫県六甲山系の金鳥山で、ある謎の人から貰った文献から始まります。もっと、もっと六甲の山にあって。遠いと思っていました。正直言って、まさか、高級住宅地の中にあるとは思いませんでしたが、距離的にも、梅田から、1時間もかからないとは思わなかったのです。これにはびっくりしたのです。

しかもカタカムナの発祥の地、たくさんの磐座があるというところも、これまたすごい所でした。まさか家の庭に、48もの磐座、大きな岩が奉られているとは、驚きです。何と千坪もあるそうです。それが、今、カタカムナの会で祭主をされている祭主様宅でしたが、家が、広いだけでなく、建物自体も、大きくて、古風な家ですが、綺麗ですし、部屋も、広くて、本当に整頓されていました。すばらしい場、癒し地だったのです。

その上、祭主様宅から見える景色も、すばらしかったです。丘の上にあるところなので、外からは、町全体を見下ろせます。きっと、参加されたメンバーの人なら、誰もが、いつかは、こんなところで住みたいと思ったと思いますし、菊も、そう思いました。そんなすばらしい場、カタカムナの言葉にふさわしい、自然に恵まれた場所だったのです。

2007年05月05日

カタカムナ文明発祥の地のご縁
    バーチャル・オフィス Todoの機能説明


 プラットホームのソーシャル・ネットワーキング、「バーチャル・オフィス」のトップページのTodo(トゥードゥー)に、水口先生引率による「カタカムナ文明発祥の地を訪ねて」という企画がありました。プラットホームの合宿などを、紹介していたところです。

 菊が、そんな企画があるのは、知ったのは、つい最近でした。カタカムナに関しては、前から関心あったので、慌てて、申し込みましたが、人数的には、限られていたので、ぎりぎりセーフという感じでした。それで、残念ながら、空3のメンバーにお伝えすることはできませんでした。とても残念でした。

 また、こんな形で、プラットホームでは、Todo(トゥードゥー)に、企画を書き込むことで、参加者を募集するということは、これかのもあると思います。以後、菊としても注意しますが、是非、皆さんも、意識してみて欲しいと思います。

何故なら水口先生や、全国の駅長には、怪しいけど、面白い、すばらしいご縁がたくさんあります。そんな人達は、いろんな楽しい企画ができたら、Todo(トゥードゥー)を使って、参加者を募集します。一度に、たくさんのプラットホームのメンバーに伝えられるので、とても便利だからです。

しかも波動的に合う、プラットホームの仲間と、癒しの場に行くことはとてもとても楽しいです。それで、今後も、間違いなくいろんな企画、ツアーができると思います。お金とか、何かの利害関係がないプラットホームの人達と、一緒にいく企画、ツアーは、どんどん誕生するし、皆さん自身も、企画したら利用されたらいいと思うのです。

また菊自身も、空3の皆さんと、今後、どんどんいろんな企画に参加したいと思います。是非、皆さんも、バーチャル・オフィスのTodo(トゥードゥー)に注目していて下さいね。よろしくお願いします。


2007年05月04日

縁の花 第230号「直感セミナー・
超能力養成講座」が誕生


 縁の花 第230号「直感セミナー・超能力養成講座」が誕生しています。マイミクのハミングバードさんがされている講座です。人間が、本来持っている能力を引き出すセミナーです。

 宇宙には、何でもすべての答えがあるといいます。その宇宙のある座標、各自与えられた座標に意識をむけて、答えを出すというものです。それができたら、何でも分かるそうです。

 正直、菊自身、まだまだ半信半疑ですが、ハミングバードさんは、元金銀行マンで、今は、神社関係のお仕事をしています。しかも、ハミングバードさんの話を聞けば、分かりますが、極めて科学的、物理学で考える人です。原理を理解し、納得しなかったら、人に勧める人ではないこと、よく分かりました。

 皆さんも、ご興味あれば、是非、お読み下さい。
 縁の花 第230号「直感セミナー 超能力養成講座」
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohana/230ennohana.htm




2007年05月03日
縁の花村まぐまぐ情報 
第44号〜第54号 掲載しています


 4月も、いろんなことがありました。旅行としては、4月7日の信玄公祭りに、前世、武田家の仲間と参加する為に、山梨県の甲府、甲斐の国まで行きましたし、翌週の4月14日、15日は、瀬戸内海の島、直島にも行っています。プラットホームの合宿に参加するためです。どちらも結構楽しかったですが、お金さんは、大変でした。

しかも、ご縁のある人が、突然、4月8日に行われた大阪府府会議員選挙に立候補して、何人かの仲間と大騒ぎになりました。素人選挙です。結果は、残念ながら落選でしたが、いい勉強しました。菊自身も、ポスター貼りとか、はがき書き、自転車部隊に参加するなど、いろんな体験したのです。

 また、2年前に参加したプラットホーム空から、ご縁があって、今度プラットホーム空3を立ち上げました。縁の花を始めた時からの、長年の夢であった、一つの会をやっと、作ることができたのです。大きく、大きくしたいと思います。
 
でも、その反面、駅長役をさせて頂けることで、ますます忙しくなってきました。空3は、何もしないただの会ですが、駅長役は、結構ハードです。だけど、情熱を持って、プラットホーム空3を、何もしないけど、天からのお役や、エネルギー、願いが入る場にしたいと思います。
 
 と言うことで、今月も、皆さんに、なかなか、縁の花村まぐまぐ情報を送る事ができませんでした。一度に、送ること反省です。5月こそは、1号ずつ、送りたいと思います。よろしくお願いします。

   縁の花村まぐまぐ情報 第44号
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohanamurajouhou/ennohanamura44.htm
1、プラットホーム空3は、旧暦の3月4日 「穀雨/霞始生」に始まります 2、大河ドラマ 第13話 「招かれざる男」 山本勘助と高坂弾正 3、大河ドラマ 第13話  「招かれざる男」 高坂弾正の甲陽軍鑑

    縁の花村まぐまぐ情報 第45号
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohanamurajouhou/ennohanamura45.htm
1、プラットホームの合宿にいきます 2、プラットホームの合宿 直島報告 見猿、聞か猿、言わ猿3、プロジェクトX 直島 禿山

    縁の花村まぐまぐ情報 第46号
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohanamurajouhou/ennohanamura46.htm

1、プロジェクトX 直島 文化の島2、戦いの波動 大阪府議会選挙 信玄公祭り 南北朝の融和 3、戦いの波動 菊の慰霊活動

縁の花村まぐまぐ情報 第47号
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohanamurajouhou/ennohanamura47.htm
1、空3 いよいよ初陣です。2、プラットホームの皆さんから、プラットホーム空3誕生の祝福頂きました。3、携帯 ワンセグのこと教えて下さい。
縁の花村まぐまぐ情報 第48号
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohanamurajouhou/ennohanamura48.htm
1、プラットホーム空3 無事誕生しました 2、空3のような会は、菊の長年の夢でした。 3、なんでんかんでん村の村長が来ます

縁の花村まぐまぐ情報 第49号
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohanamurajouhou/ennohanamura49.htm
 1、4月24日は、chibatuさんのお誕生日です。 2、プラットホーム空3のメンバー紹介1です 3、プラットホーム空3のメンバー紹介2

縁の花村まぐまぐ情報 第50号
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohanamurajouhou/ennohanamura50.htm
1、プラットホーム空3 メンバー紹介3 2、長年の同志の方とのご縁  3、直島の菊


縁の花村まぐまぐ情報 第51号
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohanamurajouhou/ennohanamura51.htm
 1、ご紹介 童話作家 田中正洋さん  2、田中正洋さんとのお話  3、マイミク まちゃひろさんとのご縁

縁の花村まぐまぐ情報 第52号
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohanamurajouhou/ennohanamura52.htm
1、まちゃひろさんの出会いで、菊は大切な志を思い出しました。 2、輝ける高度情報社会を、智恵の場や、プラットホームの仲間と創ります。

縁の花村まぐまぐ情報 第53号
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohanamurajouhou/ennohanamura53.htm
1、風林火山 第16話 「運命の出会い」 諏訪頼重公自害 2、風林火山 第16話 「運命の出会い」 諏訪家を滅亡させた、今までの理由 3、風林火山 第16話 「運命の出会い」 諏訪家を滅亡させた、新しい理由

縁の花村まぐまぐ情報 第54号
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohanamurajouhou/ennohanamura54.htm
 1、『「未来をいかに読み解くか」新時代の発想とヒント』 縁の花支縁サイト 2、「未来をいかに読み解くか」新時代の発想とヒント』 第1号ご紹介
   ユビキタス社会を最初に作る国は日本です

2007年05月04日
縁の花 第230号
「直感セミナー・超能力養成講座」が誕生


 縁の花 第230号「直感セミナー・超能力養成講座」が誕生しています。マイミクのハミングバードさんがされている講座です。人間が、本来持っている能力を引き出すセミナーです。

 宇宙には、何でもすべての答えがあるといいます。その宇宙のある座標、各自与えられた座標に意識をむけて、答えを出すというものです。それができたら、何でも分かるそうです。

 正直、菊自身、まだまだ半信半疑ですが、ハミングバードさんは、元金銀行マンで、今は、神社関係のお仕事をしています。しかも、ハミングバードさんの話を聞けば、分かりますが、極めて科学的、物理学で考える人です。原理を理解し、納得しなかったら、人に勧める人ではないこと、よく分かりました。

 皆さんも、ご興味あれば、是非、お読み下さい。
 縁の花 第230号「直感セミナー 超能力養成講座」
http://www.geocities.jp/ennohana/ennohana/230ennohana.htm


はいやマン
何でも分かるって、凄いことですね。

先週、オーラヒーリングセミナー、と言うのに参加してきました。

気功なんですけど、意識の向けようで、倒せなかったり、力が強くなったり、と実際に体験しました。

凄い事って、本当にあるんですよね。

九州でも、開催して欲しいですね。


2007年05月05日
カタカムナ文明発祥の地のご縁
    バーチャル・オフィス Todoの機能説明


 プラットホームのソーシャル・ネットワーキング、「バーチャル・オフィス」のトップページのTodo(トゥードゥー)に、水口先生引率による「カタカムナ文明発祥の地を訪ねて」という企画がありました。プラットホームの合宿などを、紹介していたところです。

 菊が、そんな企画があるのは、知ったのは、つい最近でした。カタカムナに関しては、前から関心あったので、慌てて、申し込みましたが、人数的には、限られていたので、ぎりぎりセーフという感じでした。それで、残念ながら、空3のメンバーにお伝えすることはできませんでした。とても残念でした。

 また、こんな形で、プラットホームでは、Todo(トゥードゥー)に、企画を書き込むことで、参加者を募集するということは、これかのもあると思います。以後、菊としても注意しますが、是非、皆さんも、意識してみて欲しいと思います。

何故なら水口先生や、全国の駅長には、怪しいけど、面白い、すばらしいご縁がたくさんあります。そんな人達は、いろんな楽しい企画ができたら、Todo(トゥードゥー)を使って、参加者を募集します。一度に、たくさんのプラットホームのメンバーに伝えられるので、とても便利だからです。

しかも波動的に合う、プラットホームの仲間と、癒しの場に行くことはとてもとても楽しいです。それで、今後も、間違いなくいろんな企画、ツアーができると思います。お金とか、何かの利害関係がないプラットホームの人達と、一緒にいく企画、ツアーは、どんどん誕生するし、皆さん自身も、企画したら利用されたらいいと思うのです。

また菊自身も、空3の皆さんと、今後、どんどんいろんな企画に参加したいと思います。是非、皆さんも、バーチャル・オフィスのTodo(トゥードゥー)に注目していて下さいね。よろしくお願いします。


2007年05月05日

カタカムナ文明発祥の地を訪ねて

さて、その「カタカムナ文明発祥の地を訪ねて」ですが、とてもよかったです。人数は、大幅にオーバーして30名ちかくの人が参加されました。主なメンバーは、空1と神戸でヨガを教えている、たーちゃんが駅長をしているロハスのメンバーが中心でしたが、空2のサーシャ駅長や、風の会の風の気概さんも参加されていました。これに、プラットホームのメンバーでない人も、若干いましたが、とても和やかな雰囲気で、楽しかったです。


また、そんなメンバーの人達と、西宮市にある、阪急の甲陽園駅で待ち合わせていたのですが、そこからは、タクシー組みと、歩き組みに分かれました。後で分かったことは、歩き組みには、すてきなご褒美がありましたが、まず、菊が驚いたのは、カタカムナ文明発祥の地がある場所でした。

そこは、高級住宅地でした。山というか、丘の上に建てているので、大きな坂を登らないといけませんでしたが、○○のような高級な家が並んでいました。まるでホテルというような住宅もあって、菊はびっくりです。しかも距離的にいっても、阪急の夙川駅から乗り換えて、二駅、そこから歩いて12分、タクシーでワンメーターです。ものすごい近いです。

カタカムナといえば、楢崎皐月先生が、兵庫県六甲山系の金鳥山で、ある謎の人から貰った文献から始まります。もっと、もっと六甲の山にあって。遠いと思っていました。正直言って、まさか、高級住宅地の中にあるとは思いませんでしたが、距離的にも、梅田から、1時間もかからないとは思わなかったのです。これにはびっくりしたのです。

しかもカタカムナの発祥の地、たくさんの磐座があるというところも、これまたすごい所でした。まさか家の庭に、48もの磐座、大きな岩が奉られているとは、驚きです。何と千坪もあるそうです。それが、今、カタカムナの会で祭主をされている祭主様宅でしたが、家が、広いだけでなく、建物自体も、大きくて、古風な家ですが、綺麗ですし、部屋も、広くて、本当に整頓されていました。すばらしい場、癒し地だったのです。

その上、祭主様宅から見える景色も、すばらしかったです。丘の上にあるところなので、外からは、町全体を見下ろせます。きっと、参加されたメンバーの人なら、誰もが、いつかは、こんなところで住みたいと思ったと思いますし、菊も、そう思いました。そんなすばらしい場、カタカムナの言葉にふさわしい、自然に恵まれた場所だったのです。

人が、生まれながら持っている性格や運勢が
簡単に分かります。
はっきり言って、これはすごいです。
          

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