狩猟社会から農耕社会へ

旧石器時代(数十万年前)以後、人類は「火」を手にすることによって他の動物と差別できる社会を形成し狩猟社会に入ったといわれます。

新石器時代(約13,000年前)の狩猟社会は、特殊な自然環境の中に逃避孤立し、小さな単位集団に分散して、単純な遊動生活を営み、弓矢、投げ槍や打製石斧(だせいせきふ)などの武器を用い、わなや落とし穴などで獲物を獲り、野生の穀物や果物、木の実、野菜類を採取し、獲物を食いつくすと移動しながら生活していました。

屈強な身体と強い体力をもった者が集団を支配していた時代です。

 

やがて、人類は磨製石斧(ませいせきふ)を作り出します。

磨製石斧は木を切り倒すことができました。

森林伐採が可能となり、農業を知り、定住化が進み、一定の場所に人口が増加することによって文明が芽生えました。

 

磨製石斧は農耕用の鍬(くわ)としても使えます。樹木が鬱蒼と茂る森は土地が肥沃だからです。肥沃な土地は農耕に適します。

 

また、生け捕りにした獲物をで囲んで放しておくと子供が生まれて増えていきます。木を切り倒し、耕した畑に種をまくと穀物や果物や野菜ができます。このような生態系が人類の生活や社会を変えていきました。

 

狩猟社会では、人は移動しながら生活していましたが、動物や植物の生態系によって人類は定住しても生活できることを覚えていきます。

一定の地域に少しずつ定住する者が増えて部落ができます。部落が増えて村になり、村が大きくなって町が生まれ、町がさらに大きくなって市となり、やがてそれが都市国家となって発展していきました。

 

人が定住し、文明が発達し、集団で生活を始めると必ず権力者が生まれます。権力者も始は単に世話役であったかもしれません。しかし、何かをするにしても取り決め(ルール)が必要になります。みんながバラバラに行動したのでは統制がとれないからです。

 

未成熟な社会ではルールは権力者が決めて力のない弱い者は支配されてしまいます。時として権力は暴力となります。暴力や権力が社会を支配するとわがままな王様が現れます。

 

イラクの首都バグダッドを東西で挟んで流れるチグリス川、ユーフラテス川の合流点(バグダッド南部の砂漠地帯)をメソポタミアと言いますが、ここは人類初の文明が生まれたところです。約7,000年前のことでした。

 

メソポタミアに定住し始めた人たちの中から権力者である王様が生まれます。王様や権力者のすることは決まっています。お城を立てシンボルとして大きな記念碑を立てます。

 

エジプトの王様はスフインクスやピラミッドを造りました。

日本では安土城や大坂城を建設しました。現代では駅前に自ら銅像を建てた首相がいましたが、権力者のすることは世界中同じですね。

 

メソポタミアの王様は天まで届くような高いバベルの塔を建てることを希望します。塔を建てるには煉瓦が必要です。メソポタミアには良質の粘土があり、当時は日干し煉瓦でした。日干し煉瓦は天日で乾燥させ1年くらい時間をかけて造っていました。

 

王様は1日も早くバベルの塔を完成させようと考えましたが、日干し煉瓦ができるまで長期間が必要です。それを待ってはおれず、火で焼いて早く作ることを命じます。そこで磨製石斧で木を切って燃料とし、莫大な量の焼き煉瓦を造りました。

 

その結果、森は見る見るうちに裸同然となり、水脈が切れ、メソポタミアは砂漠化し、人が住めなくなって人類初のメソポタミア文明は滅んでしまいます。このことは誤った道具の使い方をすると人類は滅ぶという教訓です。

 

すなわち、磨製石斧は木を切ることの出来る道具であり、磨製石斧によって人類は定住して生活することが可能になり、磨製石斧という道具によって人類は狩猟社会から農耕社会へ移行することができました。

 

しかし、バベルの塔を建てるために焼き煉瓦を必要とし、煉瓦を焼くために木を切って燃料としたため、森林がなくなり、水脈が切れて砂漠化してしまったのです。そうなれば人類は居住することが不可能になります。

 

このようにしてメソポタミアは崩壊しました。便利であった磨製石斧の使い方を誤ると両刃の剣です。このようなことは歴史に学んでおかなければなりません。道具も使い方で大変なことになるという教訓です。

 

これを現代に当てはめるならば工業化が進み、環境が破壊され、このままの状態で推移すれば、空気や水がますます汚染され、自然が消滅していくことは明らかです。バベルの塔を教訓にしなければなりません。

 

農耕社会の特徴は血縁で閥を創り(閨閥と云う)閨閥に権力と富を集中させ、血縁で権力を譲る制度がありました。

日本でも江戸時代までは農耕社会でした。士農工商という身分制度があり、殿さまの子は殿さま、武士の子は武士、農民の子は農民になるといったことが当然のようにまかり通っていました。

 

血のつながりが最も優先される社会は農耕社会の特徴です。すなわち閨閥が権力をもっていた時代です。現代でも血縁で権力をわが子に譲るという国があるようですが、まさに農耕社会の域を脱していないといったところです。

 

磨製石斧という道具の発明によって時代は狩猟社会から農耕社会に変わりました。未来学者アルビン・トフラー博士の云うこれが「第一の波」です。(つづく)