日米構造協議の本質

日米構造協議の周辺

日米構造協議は19895月、アメリカのブッシュ元大統領(パパブッシュ)が構造問題で対日交渉を行うように指示し、899月に東京で第1回目の会合が開催され、1992628日、東京で第5回目の協議の後、7月に最終報告が発表されて協議は終わりましたが、アメリカはこの協議に200項目以上に及ぶ構造障壁を改善するよう求めてきました。

 

政策実行提案として、

@   貯蓄・投資に関しては公共投資、消費信用など、

A   土地利用では税制、都市政策、住宅基盤、民間デベロッパーに対する誘導策、

B   流通については不十分なインフラ、制限的な規制環境、反競争行為及び輸入流通についての緊急手段、

C   排他的な調達慣行、知的所有権の慣行など、

D   系列取引では政策表明、情報開示の要求、株式の持ち合い、企業系列による公開調達など、

E   価格メカニズムでは、価格メカニズムそのものを問題にしています。

 

また、日本政府の公共投資政策に関するものから、四全総(4次全国総合開発計画)の再検討、土地利用権限の国土庁への一元的統合、銀行の持ち株制限を現行の5%から2%以下か、保有禁止、更に総合商社による製造業の株式保有の制限乃至は禁止、そして企業グループ社長会議議事録の公表要求など、実に多方面にわたっています。

 

日米構造協議の実態は、アメリカが日本と交渉し、アメリカ企業が日本市場に参入しようとするとき、日本の経済社会が持っている障害を取り除くことを目的とする政策協議にほかなりません。

 

日米構造協議の発端は、日米間の貿易不均衡をもたらした主因は、日本市場の閉鎖性にあるとするものです。つまり、日本市場もアメリカ市場と同様の「市場経済体制」をとっている以上、この「閉ざされた市場を政策的に開放する必要がある」とする政策要請であります。

 

公共投資の拡大要求は、内需主導の経済構造を作り上げるということからの要求とも言えます。この政策要請は新しい政策課題を提起することになります。

 

日本市場の閉鎖性は、基本的に市場の異質性によってもたらされた故に、市場が開放されても異質性を除去しなければ解決しません。そこで、市場の異質性除去のための構造改革の要求となります。

 

大店法の撤廃、排他的商習慣の除去、独禁法の弾力的運用の要求などは、この政策を前提にしているといえます。

こうして、問題のアメリカ側の主張は、日本の貿易政策批判から始まって、経済政策、企業行動、商習慣、経済制度の違いを越えて、その背後にある産業文化にまで及ぶことになります。

 

そして、現実認識の相違に発して、それを動かしている経済理念、市場観念まで立ち入っています。この政策は、産業・経済の背後にあって、規制している社会構造、価値観を含めた経済システムの改革という「日本改造」要求に最終的に帰結することになり、この政策とその現実要求は日米構造協議で進められてきました。

 

アメリカの狙いは、単に日本の経済社会をアメリカ好みに改造することにあるのではなく、また改造された日本市場にアメリカ企業が参入することに最終的な焦点があるものでもありません。

 

1990年代のロシア、東欧諸国の経済改革、ヨーロッパ諸国の統合、東西ドイツの統合は世界経済システムに激しい経済戦争をもたらすことになります。

 

そこでアメリカは政治的、経済的、軍事的覇権を握るため、日本の抑え込み、抱え込みが重要でした。アメリカの90年代戦略を支えるには、経済戦争、技術開発競争でリーダーシップを発揮することが不可欠です。その戦略展開のキーとなるのが日米協調関係なのです。

 

ここで欠かせないのがアメリカの戦略展開を可能とするため、日米関係を構築することであり、グローバル・パートナー・シップを可能とするため、日本の構造障害を取り除き、世界に通用する産業構造の同一化を図っておくことが欠かせません。この関係は何も日米間に限られることではありません。

 

このような中、日本に突き付けられている課題は、外からの圧力で無理やり構造改革を行うことではなく、同一化した構造を基盤に日米関係の協調行動をとることです。

 

日本は今や世界最大の債権国であり、最も高性能の産業構造を持った国であるから日本は責任ある行動を求められているのです。

 

日米構造協議の本質は、影響力を拡大しつつある日本を、アメリカ主導のもとに有効に活用しようとする提案にほかならなかったのです。

 

しかし、構造協議の結果、日本に与える影響は計り知れないものがあります。特に流通システムや経済システムはこれによって大きく変わらざるを得ません。

今日、経済大不況になった原因は、この日米構造協議においてアメリカの要求を受け入れざるを得なかった結果による影響があることは否めないと思います。

企業は従来までの体験に学ぶだけでなく、歴史に学んで先見先知、転ばぬ先の杖を教訓としなければならないと思います。(つづく)