時代が変わる!(村長著書 ザ・智閥 連載21回目)

宇和島藩の提灯屋が黒船を造った!

日本が植民地にならなかった理由がもう一つあります。

当時、日本が世界に誇れるものがありました。それは高い教育レベルです。

特に数学においては世界一でした。欧米と比べても数学においては引けを取りませんでした。日本には和算というのがありました。

 

1853年に黒船が来て、その3年後には自力で黒船を造っています。

もちろん蒸気機関を積みました。そのタービンも自力で造っています。

四国の宇和島藩(愛媛県)は、わずか九万八千石の小さな地方の藩です。

しかも、黒船を造ったのは嘉蔵(かぞう)という提灯屋の職人でした。

 

参勤交代でお国もとの宇和島に帰る伊達宗城(だてむねなり)の行列が品川を通りかかったとき、丁度沖合いに黒船が停泊していました。それを見た宗城はお国許へ帰り、家老を呼びつけ“余も黒船が欲しい”とおっしゃったそうです。

 

黒船が欲しいといってもお金を出して買えるといった物でもなく、造る以外に方法はありません。造るにしても図面があるわけでなし、宗城から相談を受けた家老の桑折左衛門にしても、黒船を造るように命ぜられた下級武士たちも黒船を見たことはありません。誰に造らせるかということも大問題です。

 

しかし、そこはおおらかなものです。“異人が造ったものを宇和島の提灯屋(嘉蔵)が造れないはずはなかろう”と考えたのです。嘉蔵は貧乏でうだつの上がらない職人でしたが、手先が器用で提灯のほかにかんざし細工、うるし細工、彫刻、雛御殿の製作、雛人形の修理、五月幟(のぼり)の仕立て、鎧兜(よろいかぶと)の繕い、仏像修理に至るまで、何でもこなす器用さを持っていました。

 

士農工商と身分制度が確立しているおりから、「工」の誰かを選ばなければならないわけですが、下級武士たちが家老からの命を受け、一番はじめに手先の器用な嘉蔵にやらせようと考えたのはうなずけます。

手先の器用な者として下級武士たちが尊敬する職人は提灯屋の嘉蔵でした。

 

下級武士たちが参勤交代で江戸にいるとき、内職をするのは決まって傘張りです。傘張りは、ピンとした竹の骨に紙を張るのも難しいのに、あのグニャグニャした提灯に器用に紙を張る提灯職人嘉蔵の技術は、尊敬に値するものだったようです。したがって、下級武士たちにとって黒船を造らせるには絶好の相手に思えたのでしょう。

 

当時、宇和島藩に村田蔵六(後の大村益次郎)が通訳として来ていたそうですが、オランダの技師にタービンの図面を貰ってそれを参考にすることにしました。早速ご城下から嘉蔵が呼びつけられます。下級武士たちはタービンの図面を嘉蔵に見せ、造るように命じます。嘉蔵は早速命じられたとおりにタービンを造ってきました。宗城に見せますと“これで良い。本物を造れ。嘉蔵に金子(きんす)を取らせる”とご褒美まで貰ってしまいます。

 

嘉蔵が一晩で造ったのはタービンの模型(箱車)でした。嘉蔵はタービンの図面を見て竹ひごと木材と紙で模型を造ったのでした。造ったのが模型と分かり、本物の黒船を造れと命ぜられ驚いたのは提灯屋の嘉蔵です。

命じた下級武士たちも驚きました。はじめから黒船が「船」だと分かっていたら船大工に造らせれば良かったのです。

 

金子(きんす)まで下賜され、いまさらミスキャストでしたとは下級武士たちも言えません。提灯屋の嘉蔵も馘首(くび)にしてくれとは言えません。

それこそ本物の首が飛んでしまわないとも限らないのですから。

嘉蔵は覚悟を決め“黒船は未だ見たことがない、見せてもらえば造れます”と申し出ます。下級武士たちも“それはそうだ”と納得します。

 

そこに長崎に黒船が入港したと知らせが入り、早速下級武士たちと嘉蔵は長崎へ黒船を見に行きます。黒船を見た嘉蔵は心臓部がタービンだということが分かり、宇和島に帰った嘉蔵はタービンを鋳物で造り、船体部分は船大工に造らせます。

 

ようやく完成したタービンの蒸気圧を上げると大きな音と共に爆発してしまいます。それはそうでしょうね。タービンを鋳物で造ったのですから。

話は少しそれますが、この部分は日本人の性格を表わす一つのポイントでもあります。なぜ鋳物で造ったかというと、タービンを外から眺めたときに表面がザラザラした感じだったので、嘉蔵はタービンの材料は鋳物で造ったものだと勘違いしたのです。

 

タービンは黒船の心臓部ではあっても、船室の暗いところ、しかも、油で汚れる場所に取り付けるのですから、特に表面をピカピカに磨き上げる必要はありません。これがモシ日本人だったら、たとえタービンであってもピカピカに磨き上げるところです。

 

さて、鋳物で造ったタービンは爆発して失敗に終わりました。下級武士たちは嘉蔵に聞きます。“ギブアップか?”嘉蔵は答えます。“ネバーギブアップ”、この前は見ただけだから失敗した、今度は触ってみたい、触れば造れる自信がある”と答えています。

 

下級武士たちも根は純情です。“そういわれてみればそうだろう、では次に黒船が入港するまで待とう”ということになりました。“黒船はそうたびたび日本に来るわけはない、何らかの理由をつけて少しでも先送りしたい”というのが嘉蔵の本音だったのでしょう。

 

しかし、嘉蔵はよほど運が悪いと見えて、またまた長崎に黒船が入ったという知らせが届きます。嫌がる嘉蔵をむりやり長崎へ連れて黒船を見に行きました。

嘉蔵はタービンを叩いてみます。叩いてみて分かりました。“な〜んだ、鋳物ではなく鋼だ”と。今度は鋼でタービンを造りました。

 

その結果、黒船(蒸気船)は見事に瀬戸内海を走りました。日本の鋼に対する技術は当時でも世界一でした。砂鉄から鋼を作る技術を持っていたのです。

日本刀はもちろんですが、兜のハチガネも鋼でできています。鋼を作る技術は欧米よりも優れていたのではないでしょうか。

 

1600(慶長5年)関が原の戦いで信長の鉄砲隊が活躍しましたが、スペインやポルトガルより技術は優れていました。種子島銃などは村の鍛冶屋が鋼で造ったものです。

 

当時、世界で最も教育が進んでいるというイギリスには、学校と名のつくものが300校余りあったそうですが、特権階級の人たちしか学べなかったそうです。

しかし、日本には塾や寺子屋まで含めると三万か所くらい存在したといわれており、読み、書き、算盤は武士はもちろんのこと、農民の一部も、工業や商業に携わるものはすべてといっていいくらい塾や寺子屋で学んでいました。しかも、寺子屋の師の多くは女性だったそうです。

 

中でも、特に数学のレベルは世界一でした。欧米に比べて決して引けは取りません。こんなエピソードが残されています。JC・ヘップバーン(日本ではヘボン)というアメリカの宣教医が1859年横浜に来て診療所を開設し、子供たちに数学を教えようと塾を開きました。

 

先生が外国人というもの珍しさもあって、たくさんの子供たちが算数を習いに来ましたが、へボン氏は子供たちが足し算、引き算はおろか、掛け算や割り算まで暗算で答えを出すのに驚き、数学を教えることを諦め、子供たちの要望で英語を教えるようになりました。

その時、8年間の苦心の末、ローマ字を考案したわけですが、塾の名称をヘボン塾というところからローマ字をヘボン式ローマ字というようになりました。

 

掛け算の九九、割り算の九九は日本独自のものでしょうが、外国人から見ればオカルトの世界かもしれません。特に和算は微分、積分、ほう物計算など、高等数学まで可能な素晴らしいものです。数百年も前に建設され、風雪、地震に耐え、未だに倒壊もせず、堂々とした奈良や京都で見られる神社、仏閣、山門、大伽藍、五重塔などは、当時の職人の計算能力、知識レベルがいかに高かったかの証拠でもあります。(つづく)

ザ智閥 時代は変わる 完結しました

原先生が、1999530日、近代文芸社より発刊した拙著「ザ・智閥」より抜粋し、

若干の修正加筆をして連載していたザ智閥 時代は変わる

200932255号「何か良いビジネスはないか!」で完結しました

皆様には、長い間のお付き合い、心から感謝しますし

原先生にも、御苦労さまとお礼を言いたいと思います

 

また、原先生のザ智閥 「時代は変わる」の記事はこれで終わりですが

原先生の智閥 造りの活動は、今、本格的に始まっています

しかも記事の最後は「何か良いビジネスはないか」ですが

もうそれは、実現の方向に向かって走り始めています

2011724日、テレビの地上アナログテレビ放送の停止によって

本格的に、日本もデジタル時代をスタートさせることになりますが

その準備に向けても、着々と動いています

もうすぐ、すごいことが始まりますよ

 

しかも、時代が、10年前に、原先生が

予測していたように、動いていることは

皆さんも、記事を読めば分ると思います

もう残された時間は少ないです

2009年には、もう縁とチャンスもないと思います


しかし、残念ながら、ホームページでは

皆さんに、これ以上はお知らせできません

伝えたくても、伝えてもいけない事になっているのです

 

 

だから、是非、皆さんの中で何かを感じたら、ぜひ、私までご連絡下さい

2009年の原先生の活動をご説明したいと思います

本当に大切なことです。よろしくお願いします

岩谷正

ennohanakikusakaeru@ybb.ne.jp

人が生まれた時に、持っている性格や運勢が分かります。
これは、はっきり言って、すごいです。
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