時代が変わる!(原裕一郎著書 ザ・智閥 連載29回目)

情報戦略システムで成功した男

ロバート・クランドール(元アメリカン航空会長)は、アメリカン航空に入社する以前は、トランス・ワールド航空でコンピューター主任として、情報システム部門に勤務していました。したがって、情報システムに関してかなりの知識を持っていたと思われます。

 

トランス・ワールド航空を辞めて、アメリカン航空に就職したロバート・クランドールは、当時(1975)、営業担当のマックス・ホッパーに採用され販売企画を担当しました。

 

飛行機の座席予約システムは1965年頃から、アメリカではアメリカン航空とユナイテッド航空が自社便の予約システムを稼動させていました。

 

当時、飛行機の座席を予約したいときは、搭乗したい飛行機の航空会社発券カウンターまで行くのが普通でした。カウンターには端末機が設置してあり、空席状況が画面で一目で確認できるのでお客様にとっては非常に便利です。

 

一方、旅行代理店ではその都度、お客様が搭乗を希望する航空会社に電話を掛け、予約を取り、お客様は予約番号を航空会社の発券カウンターに申し出て、初めて搭乗券を手にすることが出来ました。

 

したがって、お客様にしてみれば旅行代理店に行くよりも、航空会社の発券カウンターに行って搭乗券を買ったほうが便利だということになります。そのようなわけで、搭乗券の販売比率は、航空会社の発券カウンターが70パーセント、旅行代理店が30パーセントと圧倒的に航空会社の発券カウンターでの販売が多いというのもうなずけます。

 

アメリカン航空やユナイテッド航空のみならず、当時のアメリカの航空各社は、コンピューターによる予約システムを採用して、自社の発券カウンターで搭乗券を販売していました。コンピューターによる発券システムは、お客様にとっては便利が良く、航空会社にとっては旅行代理店に支払う発券手数料が節約できるメリットがあったわけです。

 

考え方にもよりますが、航空会社はメーカー、旅行代理店は小売店です。

メーカーの立場である航空会社の発券カウンターに、直接搭乗券を買い求めに来るお客様圧倒的に多いとすれば、いくら旅行代理店が便利だからといって端末機の設置を希望しても、航空会社としては端末機の設置をするには莫大な資金が必要だし、まして旅行代理店には発券手数料を支払わなくてはならないし、航空会社にとって直販のほうがはるかに利益が高いわけですから、収益上から考えても得策ではありません。

 

したがって、旅行代理店から端末機の設置要求があっても航空各社はそれを無視していました。ところが、ロバートクランドールは、コンピューターを企業戦略の武器として、お客様を増やすことはできないか、ということを考え、同時にそれまでのビジネスの流れさえも変える可能性があるかどうか、真剣にその秘策を5年間にわたって構想していました。

 

航空各社が旅行代理店からの端末機設置要求を無視し続けるなか、アメリカン航空は端末機を旅行代理店に設置することを決断し、当時約10,000店あった旅行代理店のうち8,000店に端末機を無料で設置しました。

 

この端末機はアメリカン航空の搭乗券しか発券できませんが、旅行代理店にとっては便利になり大喜びしました。そればかりではなく、結果としてアメリカン航空の路線が良く売れることになりました。

 

当時、アメリカには123社も航空会社があって、航空会社間の競走も激しく、特にドル箱路線といわれる東海岸と西海岸を結ぶ路線(サンフランシスコ〜ニューヨーク、ニューヨーク〜ロスアンジェルス)は多くの航空会社が競合していました。

 

旅行代理店ではアメリカン航空路線の空席状況はすぐに分かりますが、他の航空会社の空席状況は電話を掛けて聞いて見なければ分かりません。ですからお客様は相変わらず航空会社の発券カウンターに行ったほうがいいと考えます。

 

旅行代理店としては、アメリカン航空の端末機に設置してあるから便利ですが、他の航空会社の端末機は置いてないからその点が不便です。

旅行代理店は他の航空会社に対して、“お宅の座席予約も端末機で出来るようにコンピューターを接続して欲しい”と要求します。

 

しかし、旅行代理店に設置してあるのはアメリカン航空の端末機ですから、他社のコンピューターをダイレクトにアメリカン航空の端末機に接続することは出来ません。どうしても接続するということにすれば、翻訳機が必要になります。翻訳機は高価なものですから、費用のことを考えると、航空会社としては旅行代理店の要求にいちいち応えているわけには参りません。

 

また、123社もの航空会社の端末機を旅行代理店のカウンターに設置するということは、スペースのことを考えると、とても端末機を置くだけの余裕はありません。よしんば置くにしても費用が莫大なものとなります。

 

その点、日本の場合はJAL,ANA,JASの3社系列(当時)ですから、各社の端末機をそれぞれ設置するにしてもスペースはさほど問題ではありません。旅行代理店各社は、アメリカン航空の「セーバー」(アメリカン航空の座席予約システムの愛称)に、他の航空会社のコンピューターを接続して欲しいと要求します。この方法なら費用はほとんどかからず接続も極めて簡単にできます。

 

はじめは渋っていた各航空会社も、旅行代理店の要求が強まるにしたがって、自社の座席予約システムのコンピューターをアメリカン航空の「セーバー」に接続して、旅行代理店の要求を受け入れることになります。

 

アメリカン航空は“旅行代理店の要望であるし、他の航空会社が希望するのであれば無料で接続してあげます”ということで、他社の予約システムを「セーバー」に接続します。

 

その結果、旅行代理店はアメリカン航空以外の、多くの航空会社の空席状況がオンライン画面で確認でき、いちいち電話で予約を確認していた面倒な作業が一挙に解決して、各航空会社の搭乗券が発券できるようになりました。

 

それまでの搭乗券の予約状況は、航空会社の自社発券カウンターでの予約が70パーセント、旅行代理店での予約が30パーセントであったものが、完全に逆転して旅行代理店での予約のほうが70パーセントを占めるに至りました。

 

このように情報技術をベースとした戦略的な情報システムという構想力によってビジネスの流れさえも変えてしまうという恐ろしい結果が出てしまったのです。このことがアメリカン航空以外の航空各社にとっては喜べるどころか命取りとなりました。

 

ロバート・クランドールは「セーバー」に密かにある仕組みを組み込んだのです。他社の予約システムを「セーバー」に組み込んだことによって、旅行代理店に設置した端末機の画面には、すべての航空会社の路線を表示し予約をすることが可能です。

 

しばらくして、ユナイテッド航空が不思議なことに気づきます。“東海岸と西海岸を結ぶドル箱路線で、アメリカン航空はいつも満席なのに、わが社はいつもガラガラの空席。どうしてだろう?

“航空運賃がアメリカン航空に比べて高いのであれば安くしよう”と大幅な値引きをして対抗します。(アメリカの航空運賃は運輸省(現・国土交通省)の許認可性ではなく、自由化されているので各社が勝手に運賃を決めることが出来る)

 

それでも大した効果がなくいつもアメリカン航空にお客様が流れていってしまいます。よくよく調査してみると、アメリカン航空が“各路線の空席状況を表示する場合はアルファベット順に表示するように”コンピューターに命令していることが分かりました。

 

このように自社に都合のいいようにコンピューターに命令することを「バイアス」(偏り)をかけるといいます。この仕掛けについてアメリカン航空は旅行代理店に内緒にしていました。例えば、サンフランシスコ〜ニューヨークという路線を表示させた場合、真っ先に画面に出てくるのはアメリカン航空の便です。

 

この同じ路線に他社の便がいくつあっても、旅行代理店の従業員は、最初に表示されたアメリカン航空の便を何のためらいもなく業務的に採用して予約を入れてしまいます。その結果、お客様は特別の指定をしない限り、アメリカン航空を利用することとなり、アメリカン航空はいつも満席、他社の便はいつもガラガラになってしまいます。

 

他社にとっては誠にバカバカしい話です。そればかりではなく、季節運賃であるとか、特別割引運賃であるとか、ディスカウントしても、それらはすべてアメリカン航空に情報が筒抜けになってしまいます。

端末機にはバイアスを掛けられているから、いつもアメリカン航空の便ばかりが先に売れてしまうのです。

 

このようにしてお客様の足は自然に旅行代理店に集まり、自社便だけを取り扱う航空会社の発券カウンターにはお客様が遠のいてしまう結果になりました。

こうして搭乗券の販売比率が逆転してしまったのです。

 

ユナイテッド航空はカンカンに怒りました。怒るはずです。アメリカン航空は、アルファベットが「AA」ですから、常に一番初めに表示されます。コンチネンタル航空などは「CA」ですからまだいいほうです。ユナイテッド航空はアルファベットでは「UA」で,最も順番が後ろのほうですから、いつも他社が満席になってからしか席が埋まらないのですから怒るのは無理もありません。

 

ユナイテッド航空は考えました。“アメリカン航空が旅行代理店の8,000店に端末機を無料で設置して囲い込んでしまっている。残りがまだ2,000店ある。

他社が気づく前にわが社でも端末機を設置して囲い込んでしまおう”と(端末機を設置して囲い込むことをインクルーズという)

 

そこで大急ぎでユナイテッド航空は、他の航空会社に先駆けて、旅行代理店でまだアメリカン航空が、インクルーズしていない2,000店に、プレミアムまで用意して端末機を設置してしまいます。そして端末機設置が終了してのち、ユナイテッド航空は他の航空会社に、“アメリカン航空はコンピューターに命令して、自社に都合のいいようにバイアスを掛けている。これはアンフェアだから止めさせよう”と呼びかけました。アメリカ国民は極度にアンフェアを嫌います。国会議員に陳情して「バイアス禁止法」という法律を成立させます。1982年のことでした。

 

バイアス禁止法が成立することによって全米はもちろん、ヨーロッパを始め世界中がSIS(戦略情報システム)の存在を知ることになります。SISというのは「S」(Strategic=ストラテジック=戦略)、「I」(Informataion=情報)、「S」(System=システム)、情報戦略システムという意味でアメリカのIBM社が名付けました。

 

そして、SISを構築したロバート・クランドールにCIO(チーフ・インフォメーション・オフィサー=情報担当役員)と名付けます。SISが世間で知られるようになったのは、コンピューターを道具と考え、コンピューターを企業戦略に使った好例だということです。ロバート・クランドールは世界で初めてSISを構築して成功した人です。

 

ロバート・クランドールのSISは10年も先のことを考えた戦略でした。

戦術は目先の現象をがんばって処理すること(リストラの多くは戦術的なもの)、戦略は目先の現象にとらわれず、時代を先読みして、来るべきそのときに効果的な成果を挙げるため、今何をしておくかということです。

 

旅行代理店の窓口にはアメリカン航空の端末機が置いてあります。しかも、搭乗券の販売比率が逆転してしまった現状において、各航空会社は否が応でも旅行代理店に設置してある「セーバー」の端末機に自社便の情報を乗せてもらわないわけにはならなくなります。

 

ロバート・クランドールは、いろんなバイアスを考えていました。実に先を読んだ奥深い戦略を秘めていたのです。彼はバイアス禁止法が生まれることは先刻承知していました。というより、むしろいまや遅しと待っていたのです。アメリカン航空のSISは、このバイアス禁止法が成立してからのちがチャンスと彼は考えていました。

 

バイアス禁止法が成立してのち、各航空会社は寄ってたかって、アメリカン航空はアンフェアだといって「バイス」を潰しにかかります。そこでロバート・クランドールの言い分は“今まで端末機も通信回線もアメリカン航空のものを各社に無料で使ってもらっていた。確かにバイアスを掛けていたアメリカン航空に有利に働くようにしていた。そのことがバイアス禁止法によってバイアスが掛けられなくなったのだから、今後は端末機と通信回線の使用料を支払ってもらいたい。もちろん、有料にしてもらうのだからアルファベット順に画面に表示するバイアスは中止する”といって有料化を認めてもらい、回線使用料として発券1枚当たり1ドル75セントを要求したのです。

 

各航空会社とも納得して回線使用料を支払うことになりました。各社ともバイアス禁止法が成立したこともあって安心していたようです。そこには何ら疑う余地はありませんでした。1ドル75セントという料金も各社に妥当と受け取られたようです。

 

他の航空会社が「セーバー」を使って予約代行がされた場合、搭乗券1枚につき1ドル75セントの回線使用料を支払わなければなりません。アメリカン航空にしてみれば、自社の飛行機を飛ばさなくても住みますし、他の航空会社が、燃料や高い人件費を払ってお客様を運んでくれることで、お客様一人当たり確実に1ドル75セントづつ収益が入ってくるのですから笑いが止まりません。ロバート・クランドールにとってはまさにこれが狙いであったと同時に、航空各社はこれを境に地獄を見ることになります。

 

アメリカン航空は1983(バイアス禁止法の翌年)より、飛行機を飛ばしてあげる利益(本業)より、この1ドル75セントのアクセス料(回線使用料)の収入のほうが上回りました。ということはアメリカン航空はこのことによって航空会社というより情報サービス会社になったのです。どんな企業でも、業種を問われたら、最も利益をあげて、企業を支えている事業がメインだと答えるでしょう。

 

これまでは、飛行機を飛ばして利益をあげていた航空会社が、運賃収入で利益をあげるより、1ドル75セントの回線使用料収入のほうが、より利益を上げるようになれば、アメリカン航空は情報サービス会社になったといっても決しておかしくはありません。

 

アメリカでは年間4億人が飛行機を利用するといわれています。4億人が1ドル75セントを回線使用料として支払うのですから7億ドルになります。この7億ドルが飛行機を飛ばして稼ぐ利益とは関係なく、アメリカン航空の安定収入となるのですから完全に構想力の勝利ということが出来ます。

 

航空会社は高価な飛行機(機材)を購入し、着陸ごとに着陸料、空港使用料、整備料、燃料代、パイロットやスチュワーデス、地上勤務従業員などの給料支払いはもちろん、宣伝費、機内食や飲み物などを提供してお客様にサービスを尽くし、安全に目的地まで運ばなければなりません。そのうえ、123社も航空会社があるのですから激しい競走もしなければなりません。

 

このように多額のコストを掛けて得られる利益に比べると、この1ドル75セントの回線使用料はリスクなしで安定して得られる収益で高い付加価値があります。要するにロバート・クランドールは航空事業より、付加価値の高い情報サービス事業収益を狙っていたのです。アメリカン航空は利益の60パーセント以上を情報サービスで稼ぎ出しています。  

 

実は回線使用料以外にも他者にとっては誠に恐ろしいわなが仕掛けられていたのです。他のライバル航空会社はそれを見破ることはできませんでした。

他社に代わって予約を受け付けるということは“どこの航空会社のどのフライトがどれだけ売れているか”などすべてがアメリカン航空に分かってしまいます。つまり競争相手の売れ筋路線、販売状況が全部把握できることになります。

 

アメリカン航空にとっては、これらの情報を見ながら対抗策を組み立てることができるのですから、競合他社にとってはたまったものではありません。

こうなってしまえば、ライバル各社は防戦一方の厳しい競走を強いられます。

 

アメリカン航空にとっては、どんな新たな会社が進出してこようが平気です。各路線の発着時間、運賃、割引状況など相手の情報がすべて手の内にあるのですから、他社が開発した人気のある路線や商品をチェックし、タイミングを見て対抗商品をぶっつければいいことになります。

 

競争するに際して、相手の戦略や戦術がすべて手に取るように分かるということは、競走する会社にとってこれほど質の高い情報はありません。おまけにアメリカン航空には回線使用料まで転がり込むのですから笑いが止まらないとはまさにこのことでしょう。このようにしてアメリカン航空は旅行代理店を端末機で囲い込み、多くのシェアーを奪ってしまいました。

 

一方、アメリカン航空の戦略情報システム(SIS)に食われた航空会社は、ばたばた潰れたり、経営不振に陥ったりしました。これで力をつけたアメリカン航空は、次々と新しいバイアスを実施し、経営不振に陥った航空会社をどんどん買収してアメリカン航空の系列に吸収していきました。その結果、SISを初めて薬10年間でアメリカの航空業界は、123者もあった航空会社があっという間に倒産し、買収され、現在(199)ではわずか3社系列にまでなってしまい、アメリカン航空は世界一の大航空会社(本質的には情報サービス会社かもしれない)になりました。

 

ここでいくつかの教訓を学ばなければなりません。ロバート・クランドールが、トランス・ワールド航空のコンピューター主任から、アメリカン航空に転職して約5年間の歳月を掛け、コンピューターを道具と考え、構想した「戦略情報システム」は1980年にスタートしました。

 

1980年、アメリカン航空がSISをスタートさせたときは、全米航空会社123社のうち、60番目くらいの丁度真ん中いわば中堅企業といったところでした。当時、世界一を誇った航空会社パン・アメリカン航空(パンナム)は、19921月に倒産してしまいました。大相撲の千秋楽に羽織袴をはいた青い目の外人さんがユーモラスな日本語(方言)で、表彰状を読み、大きな優勝トロフィーをよろけながら優勝力士に授与していた姿を今はもう見ることができません。変えたかかおるさんの「世界のたび」のテレビ番組もブラウン管から消えて久しく、今では懐かしく思い出されます。いづれもパンナムの提供でした。

 

世界中の主要な都市にホテルチェーンを持つコンチネンタル航空も199112月倒産し、アメリカン航空の参加系列になりました。アメリカン航空のほか、現在(1999)生き残っているのはユナイテッド航空とデルタ航空です。

ここで非常に重要なことは、ユナイテッド航空は社名が「U」で始まるため、アメリカン航空が仕掛けたバイアスで、アルファベット順で最も遅く画面に表示されたことで、ドル箱路線に空席が多く発生し、不振を漢字、アメリカン航空のバイアスを察知し、大急ぎで囲い込みのもれた旅行代理店2,000店に端末機を設置し、アメリカン航空には遅れたものの、他の航空会社がSISに気付くまでには止めにSISをスタートしたため難を逃れました。

 

もう一つのデルタ航空は、当時はテキサス航空と称していました。いわばテキサスの周辺を飛ぶ、航空会社としては地方のローカル航空会社で、分類では中小企業に入る小さな航空会社でした。それがなぜ今生き残ったのでしょうか?

 

アメリカン航空の本社がテキサスにありますが、テキサス航空は地元に本社を有するアメリカン航空が始めたSISに関して、情報を比較的は約手に入れることが出来たばかりではなく、経営者の決断が早く、ユナイテッド航空が旅行代理店の2,000店を囲い込んだのを見て、それならばと異業種に呼びかけて端末機を設置していきました。

 

この場合の異業種とは、クリーニング店、薬局、ドラッグストア、コンビニエンスストア、ブックストアなど業種は多岐にわたります。特に中堅企業や大企業で社員が飛行機で出張することの多い企業にも端末機の設置をしていきました。

 

このように、アメリカン航空も、ユナイテッド航空も、テキサス航空も他の航空会社に先駆けて戦略情報システムを実行しました。その結果、この3社は現在も生き残っていますが、アメリカン航空は、いかに歴史が古かろうと、いかに大企業であろうとを問わず、ことごとくその姿を消してしまうことになったのです。

 

この情報戦略情報システムがいかに強烈な力を発揮するか、このことにアメリカの各企業は気付きました。そして航空会社だけでなく、いろいろな業界がSISに手を染めていくことになります。

 

ロバート・クランドールは、このSISの成功により、コンピューター主任という地位から、世界一の航空会社となったアメリカン航空の会長に昇進しました。もし、ロバート・クランドールが、これまでと同じように単なる合理化や省力化の道具としてしか使っていなかったらこれほどの成功はなかったと思います。

ザ智閥 時代は変わる 完結しました

原先生が、1999530日、近代文芸社より発刊した拙著「ザ・智閥」より抜粋し、

若干の修正加筆をして連載していたザ智閥 時代は変わる

200932255号「何か良いビジネスはないか!」で完結しました

皆様には、長い間のお付き合い、心から感謝しますし

原先生にも、御苦労さまとお礼を言いたいと思います

 

また、原先生のザ智閥 「時代は変わる」の記事はこれで終わりですが

原先生の智閥 造りの活動は、今、本格的に始まっています

しかも記事の最後は「何か良いビジネスはないか」ですが

もうそれは、実現の方向に向かって走り始めています

2011724日、テレビの地上アナログテレビ放送の停止によって

本格的に、日本もデジタル時代をスタートさせることになりますが

その準備に向けても、着々と動いています

もうすぐ、すごいことが始まりますよ

 

しかも、時代が、10年前に、原先生が

予測していたように、動いていることは

皆さんも、記事を読めば分ると思います

もう残された時間は少ないです

2009年には、もう縁とチャンスもないと思います


しかし、残念ながら、ホームページでは

皆さんに、これ以上はお知らせできません

伝えたくても、伝えてもいけない事になっているのです

 

 

だから、是非、皆さんの中で何かを感じたら、ぜひ、私までご連絡下さい

2009年の原先生の活動をご説明したいと思います

本当に大切なことです。よろしくお願いします

岩谷正

ennohanakikusakaeru@ybb.ne.jp

人が生まれた時に、持っている性格や運勢が分かります。
これは、はっきり言って、すごいです。
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