大河ドラマ 第13話  「招かれざる男」 
高坂弾正の甲陽軍鑑

高坂弾正は、軍師としての山本勘助の後継者だと、前回、書かせて頂きました。また、高坂弾正は、信玄が生きている間は、その大役を見事に果たしました。山本勘助に勝るとも劣らない軍師として、信玄を支えたのです。武田家で、一番の兵法家といわれていたのです。

しかし、それは愚かにも、菊の前世、勝頼の代になってから、うまくいきませんでした。勝頼は、高坂弾正を、軍師としては活かせなかったのです。他の家臣と同じに扱ったのです。それで、高坂弾正が、忠告してくれたことも聞かず、無策に、時を過ごすことになるのです。武田家は、その為に、何も大きな策を実施していません。

もし、勝頼が、長篠の戦で負けた後、高坂弾正の言うように、勝手に陣地を離れた一族の穴山信君や、武田信豊を、処罰したり、思い切って、若手の家臣を登用していたら、武田家は、もう少し持ったと思うので、菊は残念で仕方ありません。今から考えれば、高坂弾正の助言は的確だったのです。


しかも、高坂弾正は、勝頼が、高天神城を落として、有頂天になっている時に、もうすでに武田家の滅亡を予測しています。このままでは、武田家は滅亡して、信玄が、長年苦労して、築いたものも、すべて消えてなくなると考えていたのです。それで長篠の戦で、武田家が、大敗した時に、高坂弾正は、有名な甲陽軍鑑を書き始めています。信玄が、いかにして、武田家を繁栄させたかを、文章で残すことにしたのです。

ただ、菊が、前世、高坂弾正かもしれない仲間に聞いたところ、高坂弾正自身、甲陽軍鑑が、今のように、多くの人に知られることは、まったく想定していなかったそうです。いえ、望んでいなかったそうです。あくまでも、武田家の人達にだけ伝えられたら、それでよかったというのです。

何故なら、あの甲陽軍鑑とは、菊の直感では、高坂弾正が、山本勘助に教わった軍師としてのノウハウ、秘伝書だからです。今後、武田家を担っていく軍師になるものに、山本勘助から学んだ、軍師としての心構えや、秘密の事を、残したいと考えていたのではないかと思うのです。

それが証拠に、甲陽軍鑑は、極めて難解で、誰が見てもなかなか分らないように書いているそうです。およそ、一般の人達向けに書かれている内容ではないのです。ここから考えても、甲陽軍鑑が、信玄のことを、全国の後世の人達に、残したいから書いたのではないことは分ります。あくまでも、次の武田家を支えていく家臣、軍師に、山本勘助から学んだことを残したかったのではないかと思うのです。

しかしそういった甲陽軍鑑も、高坂弾正が、死んだ後、一人歩きします。甲陽軍鑑は、高坂弾正の死後、甥の春日惣次郎らが書き継ぎ、小幡勘兵衛に任され、さらに江戸時代になってから軍学者・小幡景憲によって現在の形に編纂されたという説が、有力ですが、菊自身、それで本当によかったと思います。

だけど、前世の高坂弾正さんは、今、甲陽軍鑑が、こんなに有名になった事で、文章を残す怖さを痛感しているそうです。たぶん、全部の記憶は戻っていなくても、本能的に、真実が着色され、捻じ曲げられていることを感じているのだと思います。

でも、それでも甲陽軍鑑を、高坂弾正が残してくれたから、信玄公は、戦国時代だけでなく、江戸時代も、人々の心の中で生きることができました。江戸時代は、家康が、武田信玄の軍法、民法を模範として採用したことで、幕府は、「甲陽軍艦」を戦術用兵の規範として、永世の兵制の教科書になっていました。武士なら誰でも知っている書物、まさしく信玄、武田家の名声は、死した後、天下を制したのです。

そして、明治以後も、その甲陽軍鑑のおかげで、風林火山の小説や映画が生まれ、2007年、NHKの大河ドラマも誕生しています。菊は、改めて、高坂弾正や、弾正が死んだ後も、甲陽軍鑑を守り、大きく発展させてくれた人達に、武田家を滅亡させてしまった、武田勝頼としても、心から感謝したいと思います。ありがとうございます。