1月26日(水)発信 bS01 石黒大圓
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今回のテーマ 東郷平八郎提督/日露戦争
いつもありがとうございます。 皆さんお元気でしょうか。 先日の「先人に学ぶ人間学塾」での東郷平八郎提督についての私の発表は自己採点で70点ぐらい。
90点ほどにするつもりが不本意な成績でした。 配布資料を35枚も作り、参考文献は5種40冊ほども持っていったのにほとんど売れずじまい。
1時間の猶予もないほど準備の時間が足りなくて本番になってしまいました。
また細かい所までしゃべりすぎて低調な発表になり、盛り上がりに欠けました。 頭の中で整理ができていなくて、本の要約を読んでいく形になり、下を見てばかりしていました。
質問時間も足りなくて少しは盛り上がりかけたのに終了。 残念。 講談調が理想だったのに、やはりしゃべりが下手で、いつも初めてやる議題は失敗します。
もう1回試してみたい。 次回は「乃木将軍」か「明治天皇」をやりたい。 保守良識派の面目にかけてもいつかやります。
その東郷さんはあれだけの活躍をされたのに体が弱く、海軍を首になるところだった。 あの豪胆な東郷さんがいたからロシアに勝てたことが今回よくわかりました。
首になって他の人物が提督になっていたら、日本はロシアとの海戦にきっと敗れていた。 日本はロシアの植民地になっていた。
そして日・中・韓はロシアの植民地になり、全アジアは西洋列強によって分割され植民地にされていた。 今も植民地体制は続いていたでしょう。
日本の勝利によってすでに植民地体制下にあった国々から独立の気運が盛り上がったのです。 大東亜戦争の真珠湾攻撃があったとき、ニューヨーク・ハーレムの黒人数百人が日本の攻撃に歓声を上げて日本支持のデモ行進をしたという。
また南アフリカのマンデラ元・大統領も日本が大東亜戦争でエジプトまで乗り込んで来ていたら、我々も武器を取って戦ったと語ったという。 いかに日本の人種平等、植民地解放の意義が世界中に認められていたかの証拠である。
日清・日露戦争は日本の侵略の始まりという歴史史観に日本国民は洗脳されています。 しかしどれだけの恐怖感をもって明治の人々は強大な敵と戦ってきたかがマルクス主義歴史学者は体感できていない。
勝ってしまってからの後知恵で侵略と書いている。 清帝国にも負けて植民地にされた可能性だってあったのに。 バカな戦争をしなければよかったのに、という人もいるが、清やロシアが日本を攻撃しなかった可能性を証明できるのだろうか。
西洋列強が世界に植民地を広げていた頃。 19世紀から20世紀初めにおいては文明国は未開国を占領してもかまわないと認められていた。
武力で排除できない場合は占領されても仕方がないのが国際法上の決まりでした。 それに対抗できる軍備をそなえていない未開国の方が悪いと考えられていた。
植民地にならずに自国の独立を保つためには武力で対抗できる国にならなければならなかった。
清やロシアから未開国とみなされていた日本は両国の侵略にそなえ軍備を整え、そして奇跡的に勝利したのです。
たとえばロシアはウクライナを侵略し、敗れたウクライナ住民750万人のうち200万人をモスクワに連行して、ロシア貴族の農奴にしてしまった。 日本国民がそうならなかった幸運に感謝します。
日本では武力の備えがあったためにそのような悲劇は起こらなかったのです。 占領されて植民地になるか、列強に対抗できる武力を持つかしか、当時は選択肢がなかったのです。
日本の自存自衛のためには、朝鮮が中国やロシアの支配下にあっては、侵略に対抗する上で不利になった。 そのために日本が西洋列強にされたように朝鮮に開国と独立を迫った。
清にとって朝鮮は属国だったから、清国と対立した。 しかし日清戦争に勝って初めて朝鮮は中国から独立し、大韓帝国と名乗り国王は韓国皇帝を名乗った。
皇帝とは中国皇帝しか名乗れないもので、属国から離脱できた証拠です。
ロシアはギリシャ正教で白人の国であるのにイスラム教徒やカトリック教徒、仏教徒までいる。 彼らはロシア帝国に侵略されて支配化に入ってしまった人々です。 有色民族もロシアに無数にいる。 すべて侵略されて祖国を取り上げられた人々です。
清帝国も周辺の国々を侵略した。 新疆ウイグル地区もその一つです。 中共になったからもその侵略的性格はそのままで、チベットや満州を支配下にしている。
満州は満州族の国であり、漢民族の国ではない。 万里の長城の北は古代から異民族の住む地域であり、歴代の漢民族の王朝は異民族と戦ってきた。
その万里の長城の北が満州であり、異民族の満州人が南の漢民族を支配したのが清帝国でした。 清が滅んでから日本が満州国を作ったが、その満州国も滅んだ。
その後、本来は中共は異民族満州族の国をそのまま残しておくのが、民族自決の本来の姿なのに自国に併合してしまい中国東北部としてしまった。 ロシア・中共ともに今も世界第1の植民地帝国であり、今なお非難されずに占領支配を続けているのです。
そんなこと知っていました? 私は最近それに気づかされました。 マルクス主義史観の歴史学者はそんなことを言わずに日本の侵略ばかりを書くのです。
日本には西郷隆盛や明治天皇がおられた。 西郷さんの家の近くで育った東郷は彼を見習って自
己を鍛え上げたのです。
東郷を始め明治の薩摩出身の軍人・政治家は西郷が作った明治日本をつぶしては「西郷さんに申し訳ない」と必死で任務を遂行したのでした。 西郷さんという人物がいなかったら明治の飛躍はなかった。
また明治天皇という英明な方がおられなかったら明治は単なる西洋かぶれの精神性のない国家になっていた。
外国人犯罪者を日本は処罰できないという治外法権など日本に不利な外国との不平等条約を幕府や明治政府は結ばされていた。 拒否すれば西洋列強が軍事的圧力を加え、植民地にされる恐れがあった。 それを撤廃することは独立国としての悲願だった。
憲法や法律を作り国会や裁判所を設置して、近代国家としての形を整えていった。 さらに日清・日露戦に勝ち、世界から実力を認められ、また信用も得て日露戦争の7年後、1911年に撤廃されました。
不平等条約を改正するためには外国に日本を文明国と見なしてもらうために朝野を挙げて必死の努力をはかった。 明治天皇は永きにわたる習慣を自ら率先して改め、断髪し洋服に着替え、食事をフランス式に改めた。
二千年もの古来の伝統を破るというその決断がいかに苦渋にみちたものであったことか。 一身を国のために奉ずるという決意があった。
そのため「ちょんまげ」と言う武士の魂を切ることに大反対し、騒乱状態になりかけていた武士たちも断髪に応じた。 また昔の葬式は白装束で行なわれたが、欧米並みに黒い衣装になった。
黒にするようにとの政府から通達があり黒に変わった。 これらすべては日本は野蛮国ではなく文明国なのだと、列強に日本の意地を見せようという国民の意志が働いていた。
また天皇は東郷や乃木を交代させよとの意見を退けたためにロシアとの戦いに勝てた。 終戦時の有名な水師営の会見では司令官スッテセル以下の敵将校の武装解除をせず、帯刀を許した。
そしてあとあとまでロシア将校の恥辱を残す映画映像を取らせることは日本の武士道が許さないと、アメリカの写真技師にあの有名な敵味方ともに相和する記念写真1枚だけを取らせたのです。
この写真は日本の武士道的映像として世界に配信され、各国に深い印象を与えた。 東郷提督もロシア艦隊降伏の折、武人の名誉を保つために将校の帯剣を許しました。
これらの処置は明治天皇が2人に対して「敵に辱めを与えてはならぬ」と慈しみを教えたためであったのです
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