いのちの風 bS26
7月21日(木)発信 石黒大圓(だいえん)
今回のテーマ セミ/戦争のルール/パール判事/インパール/インド解放/事後法/テロ
いつもありがとうございます。 梅雨が明けました。 御堂筋でもセミが鳴き始めたところでした。 排気ガスが一杯入り込んでいるはずの地面の下で5年ほどでしたか、生活して7日間だけ地上で繁殖のためだけに生きる。
彼らにとっては地下での生活が本物で、地上での生活は仮のものかもしれません。 私たちのこの現世での生活が仮の世といわれるように。 本当の人生はこれから行く見えない世界で行なわれるのでしょうか。 平均300年といわれています。
あの世、来世、見えない世界から来たばかりの子供はそのときの記憶をもっている。 5歳までの子に「どこから来たの?」と聞くと驚くばかりの生まれる前の世界のことを語ってくれるといわれています。 これは「生きがいの創造」の飯田史彦さんの世界ですね。
地下にしても、あの世にしても、見えない世界に本当の人生があると考えて、この世は仮の世と考えた方が心が軽くなるのでは。 それでもセミはこの人生に生まれた限り必死になって鳴き、生きている。 こう考えるとセミさんに学ぶことは多いですね。
またmixiの中での意見に対して書き込んだものを以下に掲載します。 今回の通信のために新たに大幅に加筆しました。
『「戦争にはルールがある」と言ったら反戦平和主義者に怒鳴りつけられたことがありました。
「戦争はゲームじゃないんだ」と。 彼らは戦争の真実を知ろうとしないのです。 知ることは戦争賛美と思って、戦争の歴史を知ろうとせずに、被害だけに怒り狂う盲目なのです。
真珠湾奇襲攻撃に対してアメリカは激高しました。 戦争に勝つためには何をしてもいいはずです。 奇襲も、そして戦争継続のために邪魔な捕虜を殺しても、一般市民を殺しても、原爆を使っても・・・。 そのような非道な、人道上で問題あることは、いくら戦争という人殺しといえども禁止しようと戦争を行う上のルールを作っています。
人はケンカする時に素手と拳銃とでは、常識で考えて卑怯と思うでしょう。 戦争という悲惨な政治・外交上の最終手段であっても、卑怯なことはさせないとのルールが生まれました。 東京裁判の時にはA級「平和に対する犯罪」B級「通例の戦争犯罪」C級「人道に対する犯罪」によって日本人が裁かれました。
靖国神社に祭られているA級戦犯を分祀せよ、と中国がいっていますが、分祀したら、次はB・Cも戦争犯罪人だから分祀せよと言い出だすに決まっている。 ABCどれも非難すべき犯罪です。 A級だけが一番罪悪なのではない。 だまされてはいけない。 B・C級こそ実際の戦場での違法殺人者なのです。 しかし裁判記録を読めば、実際にはBC級裁判はリンチ裁判で、ほとんど無実の罪の人が処刑されています。
昔「私は貝になりたい」という有名なテレビドラマがありました。 フランキー堺が主人公を演じていました。 戦地で上官の命令によってアメリカ人捕虜を殺害し、戦後逮捕され処刑された散髪屋のオヤジさんを好演していました。 「人間としてこんなつらい人生を生きなくていけないのなら、いっそ次に生まれる時には貝になりたい。 深い海の底でじっと静かに生きたい。」 反戦ドラマとして秀作でした。
平和や人道上の罪という戦争犯罪は戦争が始まる前には、国際法で決まっていなかった。 にもかかわらず事件が起こった後で作られた法律すなわち「事後法」で裁くことは違法であると、東京裁判でインドのパール判事だけが日本人被告全員に無罪を宣告しました。
しかしこの裁判は日本と戦った敵の連合軍が復讐のために行った見せしめのための裁判であったために、パール判事の意見は取り入れられませんでした。 ましてインドの植民地の有色人種の判事など人種差別が当たり前のあの時代に無視されたのです。
インドはインド独立のためにインパール作戦などで膨大な犠牲を奉げてくれた日本に対して熱烈な親日感情をもっていました。 ビルマとインドとの国境の山岳地帯を突破する作戦であったインパール作戦は何万人もの多くの犠牲者を出した無謀な戦いであったと戦後非難されています。
イギリスが支配していたインドから中国戦線への軍需補給ルートを断ち切るというのがインパール作戦の目的の一つでした。 しかしもう一つはビルマからインドへ抜けるルートを通って、インド平野へなだれ込み、英国支配を打破しインドを解放する作戦でもあったのでした。
戦時中に日本がシンガポールを攻略した時に、ここで英国傭兵として使われていた多くのインド兵を解放しました。 そしてインド解放の英雄といわれたチャンドラ・ボースがその兵士たちをインド国民軍として編制し、「往け、デリーへ(インド首都)」を合言葉にインド独立に向けて進軍を開始しました。
日本軍とともにイギリスからのインド解放をめざした、インド人自らが作った軍隊は、婦人部隊もいれて総勢六千余名。 その多くがインパール作戦の失敗によりインドへ生きて帰還することなく、多くの日本将兵とともに山中の土となりました。 まさに明治の世を見ることなく散った幕末の憂国の志士そのものでした。
戦後英国がインド国民軍首脳の裁判を行った時に民衆が激怒し釈放運動が展開され、釈放された彼らは民衆の歓呼の声に迎えられました。 その愛国的救国運動が燎原の火のようにインド各地に飛び火して、インドは独立の日を迎えるのです。 チャンドラ・ボースは悲運にも飛行機事故で亡くなり、インド独立をその目で見ることなく終わりました。
しかし彼のインド独立解放の志は、後を継いだ幾多のインド国民によって達成されました。 まさに膨大な日本将兵の血、そしてその家族の涙によってあがなわれたインパール作戦が、インド独立という世紀の偉業への道を押し開いたのです。 このことは日本では教えられていない。 左巻きの連中が隠しているのです。
今のインドで一番にインド解放の英雄として慕われているのはガンジーではなく、チャンドラ・ボースです。 ガンジーは口だけの人、ボースは行動の人と絶賛されています。 それを可能にしたのは日本のアジア解放を目的とした大東亜戦争だったのです。
戦後秘話が一つあります。 戦時中に食料がなくて飢え死にした日本の動物園の多くの動物たち。 戦後すぐ子供たちが上野動物園に象がほしいと訴えました。 希望を失い飢えていた子供たちに、将来への夢を与えようと世界中に打診しました。 唯一インドだけがその希望を聞き入れて象を贈ってくれたのでした。 日本のおかげで独立できたという感謝の気持ちがインド人にあったからこそ実現できたのです。
そのインドのパール判事の判決書は膨大なもので他の連合軍の判事のものを合わせた以上のものでした。 彼だけが裁判官の中で唯一世界的な国際法の権威だったのです。 そのような専門家の意見など連合国のリンチ裁判には邪魔だったのです。 そしてそのパールの意見はインド民衆の声を代弁するものだったのです。
戦後独立したアジアアフリカ諸国がインドネシアのバンドンで一同に会して会議を開いた時に、日本の代表は各国代表から握手攻めに会いました。 「日本が膨大な犠牲を払ってアジアのために西洋列強と戦ってくれたおかげで我々は独立を勝ち得たのだ。 日本の戦いがなかったら我々はまだ植民地支配下にいる」と。
関係ない所へ行きましたが、ついでに、「事後法」ということでは、例の先日高槻で立候補した辻元清美氏も同じです。 彼女は先の犯罪で執行猶予中であったにもかかわらず、選挙に立候補しました。 「執行猶予中の犯罪者が立候補してはいけない」という法律がなかったからです。
だからまさかと、司法もそのようなことを禁止する法律を定めていなかったのです。 後にこれを禁止する法律ができました。 彼女の場合「執行猶予中の犯罪者が立候補したら罪になる」という後で作られた法律で、後で彼女が裁かれたとしたら、皆が不当と思うでしょう。
これと同じことが東京裁判(極東国際軍事裁判)で行われたのです。 戦争の前に作られていなかった罪状で日本および日本人が裁かれたのです。そして東京裁判以降に、この「平和に対する罪」「人道に対する罪」ということで戦争での犯罪に対する新しいルールが出来上がったのです。
とくに人道上の罪ということで一般市民に対する攻撃が非難されることになったのです。 昔は国民と国とは運命共同体であり、国が攻撃されれば国民から犠牲者が出るは、仕方がないという考え方、同罪という思想であったと思います。
テロは上記のすべての戦争上のルールで違反を犯しています。 すべての国民や軍人はその国を背中に背負っています。 国民や軍人が他国に重大な被害を与えたら、その国自体が攻撃の対象にさせられます。 それが抑止力として働いてその国の領土を簡単に攻撃ができなかった。 しかしテロリストは自分の国家を背負っていないために、自国に被害を及ぼす危険がない。 だからしたい放題。
女子供が殺されてその国の国民が「戦え!」と怒り狂っても、戦う相手の国がない。 戦って相手国が負けたら、通常はもうそれで戦争は終わりのはずなのに。 テロリストはゲリラ戦を戦うことで終結が見えない戦争ができるのです。
イラクやベトナムでの戦争が長引いたのは、テロリストやゲリラが国民の海の中に入り込んで姿を見せないことや、弾薬や食料、資金がテロリストよって密かに運ばれるルートがあったからです。このようなゲリラ戦で女子供の命を狙ってまで殺戮を繰りかえす殺人集団に、もし日本が狙われたらどうするか、と考えてください。
中韓、北鮮に土下座して嵐が過ぎるのを待つようないことしかできない日本で、テロリストに罪もない女性や幼い子供を殺されて、土下座してもテロが続行される事態になっても、テロリストを赦すのですか。 あなたが正しい、日本政府の政策であなたの仲間が犠牲になっていますから、謝まらせます、とでもいって収拾しようというのですか。すべて他人事のように考えるから空想的な机上の空論になるのです。
「汝の敵を愛せよ」と。 「あなたを愛するように他人を愛しなさい」という言葉の「あなた」が抜けて、自己犠牲だけが本当の愛と思っている。 非武装中立はあなたOK、私NOの思想。 非武装のおかげで攻撃されて占領されて日本が亡くなっても、軍隊がない国として名誉の亡国となろうとする思想です。
国家をそもそも否定するマルクス主義に毒された思考法です。 そんな愛は自殺と同じで罪深い。 自分の妻や子供が実際にテロリストに殺されても報復しないというなら、それが本当の正義・愛でしょう。 テロリストが人を殺してでもおのれの主張を貫く気持ちになった事情を、愛をもって理解してあげればいい。 他人事ならいくらでも理想論が言えるのです』