いのちの風 bS31

8月25日(木)発信 石黒大圓(だいえん

 

Eメール ishiguro@a1.hey-say.net

 

今回のテーマ 死は敗北?/四天王寺の篝火の舞楽/尚武の国/通州事件/辻元清美氏

 

 

いつもありがとうございます。 8月19日は次男邦之の十七回忌の祥月命日でした。 あの日に亡くなっていなければ、子供たちが通っていたパドマ幼稚園の園長さんのお寺、大蓮寺で葬儀ができなかった。 盆の行事が目白押しであの日でなければ準備が出来なかった。 「クー君の帰って来たかったパドマへ帰ってきたよ」と子供の遺影をもって幼稚園内を巡りました。 

 

園長さんの長男さんが應典院の秋田住職でした。 その後、應典院で妻の一周忌に妻の遺作品展をさせていただいて「いのちと出会う会」との縁をいただけたのです。 8月19日でなかったなら私の今の活動は変わったものになっていました。 次男があの日を私に与えてくれて亡くなったと信じています。

 

死は別れ、敗北なりと虚無となり?

 

以下はインターネットサイトのmixiに書いた8月初めの文章です。

 

「先週の大阪駅前の炊き出し(おにぎりと衣類などの配布)のあとの掃除の時に、阪急の高架下に2人の野宿者(ホームレス)を見ました。 疲れきったように壁にもたれて座り込んでいました。 いつもは見過ごすだけなのですが、この日はそのうちの1人の様子が気になりました。 

 

肌は真っ黒で黒人みたい、服は汗と汚れでべとべとでぐったりしていた。 これはまずいなと直感して、掃除が終わってコーヒーやお菓子を女性陣からもらって、くつろいでいる野宿のオッチャンたちのところに戻って、おにぎりと冷たいお茶を持って高架下へ急ぎました。
  

声を上がられないほど衰弱しているのかと思っていたら、顔を上げてうれしそうにしてくれた。 この人はこの夏は越せないかもしれない。 もう1人におにぎりを渡しに行きかけて、胸からこみ上げるものがありました。 もらっている方でなく渡している方がいつも胸が熱くなる体験って、逆じゃないかといつも思う。 

 

 

もう1人は何年も風呂に入っていないのだろうか、髪が硬く固まってリーゼントヘヤーがペタンコになった風。 このオッチャンはいつも横を通ったときに、すこし恐そうに見えていたが、ニッコっとしておにぎりを受け取ってくれた。 この人もいつかこの暑さで脱水症と栄養失調で命を失うかもしれない。 
  

私には彼らに住む家を提供するわけにはいかないし、どうすることも出来ない。 行政に依頼しても精神を病んでいるらしいので、結局は放って置かれる。 もし命を失うとしても無事に阿弥陀さまが迎えに来ていただくように祈るのみ。 決して「この命を救え!」とは叫ばない立場に私はいます。 この世での修行を終えた人は心平安な世界に迎えていただく方がいいと思っています。 死は敗北とは思わない。 
  

 

 

病人でも同じ。 医者や家族は、死を敗北、完全な別離と見なして、死なさないように必死だが、それによって患者が苦しむなら、死なせてあげなさいと助言するのが、あの世の実在を信ずる宗教者の立場ではないだろうか。 医師と宗教者の間で「死なせる訳にはいかない」「いや、死なせてあげなさい」と綱引きがあってもいいと思うが。 多くの宗教者は人権好きだから、死なせるなんて人権蹂躙だというだろう。    
  

宗教者といえども、医師や患者の家族の前ではやはり死をタブー視している。 来世の思想を相手に納得させて伝える自信がないし、来世を本心では信じていないから、死は無になるという虚無的な見方をしている。 結局、人間は霊的存在であり、この世に生まれた目的も意味も、死の時も知っているということを理解できていないのが多くの宗教者なのです。これらのことは家族の死を体験してたどり着いた私の霊的な結論です。

 

矛先の雫より生まれし尚武の国

 

今夏も四天王寺の「篝火の舞楽」に誘われましたが行けませんでした。 2年続けてこれを見て感激して昔の私の通信にも載せました。 あのころは手書きでしたので、ここへは転載できませんが、何かを感じました。

 

古代には魑魅魍魎が闊歩していました。 村を出たとたんにそこは魔物の住むところ。 だから皆、乾かした生首を掲げて道を歩いた。 魔物が襲ってこないように。 そのために道」という字には首がある。 語源の話でそれだけが印象に残っています。 古代人の精神世界を垣間見た思いでした。 
  

舞楽はその魔を鉾(ほこ、矛、剣)で打ち払い、その土地を浄霊し清めるさまを舞っていると見えました。 今に伝わる神道の地鎮祭や棟上式などでのお払いはその名残でしょう。そしてその武の舞はシルクロードの勇壮な騎馬民族の闘いの踊りでもあった。 神が天空から下ろした矛の先からしたたり落ちた水滴から日本列島が生まれたという日本神話。 日本列島そのものが矛の姿だという説明。 日本の国は最初から「武」「矛」の国なのです。 

 

 
  

サムライは日本の伝統から生まれた姿。 野蛮な人種ではない。 哲学的な精神と美意識を持ち、神を背にした神々しい姿をめざした理想的人間像。 これは中国や韓国では理解できない日本的な武人像です。 両国は儒教で固まっていて戦うということを忌み嫌った「文の国」。 箸をもつことさえ上流貴族は忌み嫌った。 労働や戦うことは下人のすること。 そして両国では日本と逆で武人は常に文人の下にいた。
  

中・韓では軍人はどうしようもない人間がなる職業だった。 武士への我々の感覚とは全く異なる。 出征兵士が近隣の人々の歓呼の声に送られて故郷を出て行く姿を、明治時代に来日した中国革命の父、孫文が見て驚き感動したという。 それだけ日本国民は尚武の心を持ち武人を尊敬していた。 日本軍が強かったのは当たり前。 クズとしか見なされない中国軍人はおのれに誇りをもてなかった。 負けたそうになったら逃げまどった。 
  

 

日本軍人は軍律厳しくおのれを律して国のために、自分の名誉、家の名誉のために自己犠牲をいとわなかった。 その精神が軍国主義精神としておとしめられるなら、日本の伝統精神そのものを否定することにつながる。 自分を超えたもののために自己犠牲もあえて甘んじる精神こそ、明治の建国をささえ、戦後の高度成長を支えた。 

 

日本の「尚武」の精神は、資本主義を発展させたキリスト教倫理精神にも匹敵する近代精神であったと私は誇りを持っています。  明治時代に内村鑑三や新渡戸稲造などの武士階級から多くのクリスチャンが生まれた。 イエスに理想的な武士の姿を見たのです。 鑑三は2つの「J」を信じるといっていた。 「JESUS」と「JAPAN」。 このような愛国の精神が今のクリスチャンにはなくなっている。
  

 

 

そしてその「尚武」の趣向は雅楽の中の矛(武)による舞いを好んだ古代日本人の心の中にもあった。 あの舞いのときに演奏される音楽は、有名なトルコ軍楽隊が武人を鼓舞する音楽を連想させる。 シルクロードを通って武人の精神は日本に来ていた。 そして日本神話の中にも影を落としている。

 

古来からの日本精神、大和魂の粋が、戦争末期に祖国と家族のために自らの身を犠牲にして敵艦に体当たりをしていった特攻隊の若者のなかに見る。 その犠牲的精神を外国人は知ったればこそ、日本を尊敬の目で見るのである。 特に西洋列強の植民地支配に苦しめられた有色人種のあこがれが、彼ら若き魂の散華であった。
  

イエスの魂のなかにある、己を捨てて神に仕える魂と同じものが、日本人の魂のなかにもあったればこそ、日本は明治以来今日までの多く危機を乗り越え、亡国への道をたどることなく存続することができた、と神に深く感謝する。

 

日本はまさに神国。 アメリカが自身を「神に祝福された国」、タイが自分自身を「仏の国」と呼ぶならば、日本がみずからをそのように呼んでも差し支えないはず。 日本中に40万近くも寺社仏閣があるような宗教的国家は世界広しといえども日本だけでしょう。 日本は日本の神々が守護する神国である。 そして仏国でもある。


  

聖徳太子が日本仏法最初として四天王寺に祭ったのが、武の仏、四天王であった。 そのことは日本の基本的性格を見る上で一番大事。 仏の如く神の如く、そして武人の如く生きるのが日本国民の理想なのだと気がつきました。 「篝火の舞楽」に感謝!

 

犠牲者が出たら目覚める平和天国

 

前回は小泉をほめ上げたのに靖国参拝を延期した。 日本を取るか反日国家を取るかの選択を有権者に迫る絶好の機会だったのに。 靖国参拝決行で中韓朝が過激な行動を起こし、日本国民に被害でも出れば、皆が目覚めて愛国の気運が一気に盛り上がったのに。 

 

日本と中国(蒋介石の国民党軍)との戦争は盧溝橋事件で始ました。 日本軍は外国人を虐殺した義和団事件のあと中国に住む居留民保護のために西洋諸国とともに中国に駐屯していました。 そして盧溝橋で演習訓練をしている時に、深夜に日中両軍に鉄砲が打ち込まれ両軍が疑心暗鬼となり戦闘が始まりました。 

 

(これは中国共産党の劉少奇のゲリラ部隊がやった英雄的行為として中共の戦争宣伝ビラに記述されています) その後、戦争不拡大で双方が合意をした。 しかし中国軍が通州事件という日本居留民を女子供も含めて何百人も虐殺したために、日本の世論が「支那撃つべし」と激昂し戦闘が拡大しました。

 

これから日本と中韓との間で戦前のこれと同じことが起こる可能性があります。 その時こそ日本国民が真に目覚める時です。 すなわち日本国憲法の前文「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という近隣諸国という凶暴な国家の善意に期待することなど幻想でしかない。 自虐的なマゾヒズムに陥らずに国家として凛とした姿勢を保つべきであると思います。

 

過激派が拉致を手助け議員バッチ?

 

今度選挙にまた出る辻元清美氏について以下の情報がネットに流れました。 真実と思います。 

     

『国民の税金を騙し取りながらまた国会議員になる?    拉致は無いと言いながら、裏で北朝鮮を援護した北の傀儡政党・社民党。 日本の国益を北に売り渡すこのような人間を国会議員にしていいものか。
  

辻元清美氏の選挙区は大阪10区(高槻・島本)で、氏の地盤の高槻市はあの赤軍の重信房子が潜伏、逮捕された場所であり周辺に日本赤軍の関係者・支援者が多い土地である。  辻元氏の選対本部には、元過激派のメンバーが現在でも多数所属。(辻本は早大在学中に極左団体と関係していた) 

 

重信房子支援者が勤務していた高槻市の光愛病院の創設者は、日本赤軍の前身である共産主義同盟(ブンド)赤軍派の元メンバー。 光愛病院は、日本赤軍支援グループの拠点、巣窟だった。 また辻元の内縁の夫、北川氏が経営する「第三書館」という出版社はマリファナや殺人、テロに関する詳しい書籍など、著しく反社会的な著作を多数出版。 辻元氏の著作5点は「第三書館」から刊行。
   

また、辻元氏が主催していた頃のピースボート船上では当局の目が届かないのをいい事に参加者間(漫画家の石●啓ら)で公然とマリファナが吸引されていた。 「ピースボート」は日本赤軍が国際的に作ろうとしている支援組織「ADEF(反戦民主戦線)」の表側の組織。 北川氏は日本赤軍が移動する際、ピースボートに紛れ込ませていた』

 

元気がいい女性というだけのタレント候補の顔で、前科者が愛想を振りまいて選挙に再び出ようとしている。 こんな裏で国民を北朝鮮に売っている過激派を当選させたら大阪の恥である。 横山ノックで全国に恥をかいて、今度は極左のタレント候補で再び大阪市民は全国にその無能ぶりをさらすことになる。



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