「いのちと風」通信仲間の皆さんへ

 

  いつもありがとうございます。 知人から「ドイツと日本の戦争責任や戦後賠償」のことについて以前に質問があったので、その関連の資料をメールしました。 しかし真意はそうではなくて「戦後ドイツの評判がいいのはなぜか」ということへの回答がほしかったようです。 戦争責任などについては別に送信しますが、「戦前の日本への評判」についてインターネットサイトのmixiで以下のものがある方の日記という形で個人の意見も含めて出ていましたのでお知らせします。

 

 

ドイツへの好評価は宣伝されているようですが、日本への好評価は東南アジア各国より戦後すぐから湧き出していたのに、左巻きのマスコミや学界、出版界、教育界、政界で黙殺されてきました。 最近の中韓朝の外国や国内からの反日攻撃でいかにも日本は東南アジアで残虐な行いをしてきたように洗脳されてきました。 また東南アジアの華僑が戦後の政治経済で力をつけてきて中共と連携して反日攻撃に出はじめたためによけい真相が隠されて来はじめました。 

  また戦後台湾に逃げ込んできた中国国民党が台湾を弾圧支配して、中国本土の歴史ばかりの教育を行い、本当の台湾の歴史を教えてきませんでした。 日本統治下の台湾を暗黒の時代のように描く歴史教科書で洗脳してきたために、日本でも日本統治時代を過酷な植民地支配であったと洗脳されてきました。 

しかし台湾出身の李登輝総統が就任されてから本当の台湾の歴史が教えられ始め、日本統治時代を台湾発展に寄与したとして肯定する歴史に変えられてきました。 

以下に東南アジア首脳や外国人学者の意見もそのように日本の戦前の歴史的役割を肯定的にとらえ、感謝の思い出をつづっています。 

(ここまでは大圓の文章)

 

 

 

                  *******************

     戦後、大戦を戦った日本を評して。 今の日本人から失われつつある気概を、彼らの言葉の中から見つけ出すことが出来ると思います。


昔、元タイ国首相であったククリット・プラモート氏は、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において、こんな言葉を自国民に贈りました。


  『日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすく育っている。 今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。 それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。 十二月八日(日米開戦の日)は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決心をされた日である。 我々はこの日を忘れてはならない』



『この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。』
                   H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)

    『第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。 その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。 日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。』
                  アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)

    『大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。 その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。(中略) 日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。 日本軍敗走の跡には、二度と外国支配は許すまいという自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。 東南アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身につけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた。』
                  ジョイス・C・レブラ女史(アメリカ、コロラド大学歴史学部教授)

    『インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。 それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈もした。 驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。』
                  ラグ・クリシュナン(インド、大統領)

 

『私は日本が十年以内にアジアの大国として再び復興繁栄する事を確信する。 インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。 インドの独立は日本のお陰で三十年年早まった。これはインドだけではない。 インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド四億の国民は深くこれを銘記している。インド国民は日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。 他の東亜諸民族も同様である』
                  グラバイ・デサイ(インド、インド弁護士会会長・法学博士)

『日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。 日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。 この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。 日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。』
            アリフィン・ベイ(インドネシア、ナショナル大学日本研究センター所長・政治学博士)

  『我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。 インドネシアの場合は、三百五十年間も失敗が続いた。 それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。 我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。』
                  ブン・トモ(インドネシア、元情報・宣伝相)

  『あの大戦で日本はよくやったではないですか。 マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。 その結果、マレーシアは独立できたのです。 大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ。 私は威張る人も、ぺこぺこする人も嫌いです。 日本はもっと大きくアジアに眼を開いてください。 現在、日本は南方の発展途上国に対する援助額はダントツです。 押しも押されぬアジアの経済大国ではありませんか。 『ルック・イースト』『日本に学べ』という呼びかけは、シンガポールやマレーシアだけではありません。 口に出しては言わないけれど、アジアの国々のこれは本音なんですよ。 かって反日感情の強かった国々にも、次第に親日感情が起こりつつあります。そうしたなかにあって、日本は欧米にばかり目を向けず、アジアに対して責任を持つ国になって欲しいのです』
         ガザリー・シャフェー(マレーシア、元外相、アセアン創設によりハマーシェルド賞受賞)

  『現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。 平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。 それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。 最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。 ”事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。 それは日本の武士道の発露であった。 日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。 それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争―この二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。』
                  朴 鉄柱(韓国、韓日文化研究所)

  『アジア人の前衛たる日本人は、自らの社会経済的進歩と教育の発達のみを求めて闘いを進めたのではない。 インド・ビルマ・チャイナ・フィリピン・スマトラなどにおいて、政治的にも経済的にも足かせをはめられて抑圧されていた人々のために闘ったのである。』
                  ビルマ独立義勇軍

  『歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。』
                  バーモウ(ビルマ、初代ビルマ首相)

  『我々が(オランダから)独立を勝ち得たのは、日本があれだけ戦ったのに、同じ有色人種の我々に同じことが出来ない訳はないと発憤したからである』
                  スカルノ大統領(インドネシア)

  『アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。 それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。 往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。 私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである』
                  J・R・ジャヤワルダナ(スリランカ蔵相)



    戦後、何かと非難されがちな太平洋戦争時代の日本。 しかし実は、日本とタイ王国以外の有色人種の独立国がすべて白人の植民地となっていたこの時代、唯一白人支配に立ち向かった有色人種の国、日本と日本人への肯定的な評価は、海外のたくさんの著名人が語っています。
    戦時中の日本人の行動により、不幸を経験された方は多く、その点は日本人として大いに反省しなければなりませんが、当時の日本人が有色人種への白人支配を打ち砕き、大東亜共栄圏という東アジア・東南アジアに共存共栄の新秩序を建設するという夢を目指していたのは事実です。 単なるスローガンだという人もいますが。

    さて。 戦後60年、日本は再び戦争の戦火に見舞われることなく、平和の時代を享受してきました。 これは世界でも異例の平和憲法、日本国憲法第9条のおかげだと言う人も多いことでしょう。
確かにこれまでの結果から見ればその通りかもしれません。 けれども日本のこの憲法が世界平和に貢献してきたかと言えば、果たしてどうでしょうか。 そしてこのまま武器を取らない『良い国民の国』でありさえすれば、日本はずっと平和でいられるのでしょうか。 

    アメリカに手渡された日本国憲法は、それなりに使い勝手が良く、日本の経済発展にも寄与しました。 けれども憲法第9条には、日本が国防上、アメリカを頼らざるを得ないようにするというアメリカの戦略が露骨に見えます。 まさに日本の存亡はアメリカの手に握られており、日本はアメリカの言うことには、ほとんどどんなに悪いことでも相槌を打って迎え入れることを余儀なくされているのが現実です。 このことは不当にイラク攻撃を決行したブッシュ大統領を支持した小泉首相を思い出せばすぐに理解できるに違いありません。
     

こんなことだから、日本国憲法第9条を指して、『日本は自分たちの国さえ平和であればいいのか』と世界中の人々から言われてしまうようになりました。 『正義なき力』が迷惑なのは言うまでもないですが、『力なき正義』もまた、世界平和・健全な国際貢献を阻害します。今の日本に正義を語るほどの気概があるかどうかは別ですが。

    それから北朝鮮の拉致問題。 中国や韓国の反日教育。 これらの国との歪んだ外交。一方通行の友好への歩み寄り。 どんなに無礼なことを言おうと、国旗を踏みにじろうと、日本人の店を破壊しようと、領海を侵犯しようと、日本人を拉致しようと、少なくとも日本からは絶対に攻撃してこないことがわかっているから、彼らはやめようとしません。『知らない』『お前たちが悪い』とうそぶくのです。 北朝鮮は今の日本に対して敵視政策を取っている、国交のない国です。 日本全土を射程内におさめる核ミサイルを搭載できるとされるミサイルと、核弾頭も数発手にしているとされています。
    中国はアメリカ・EU諸国・ロシアとならぶ軍事大国で、なおかつ一党独裁の覇権主義国家です。これまでもウイグル民族やチベット民族を力でねじ伏せて自国へ併合してきました。 台湾も武力で脅されています。 沢山の核弾頭と核ミサイルを持っていて、なおかつ近頃は日本への反日教育とそれに伴って過激な行動や発言が次々に飛び出しています。 中国国内のアンケートによると、青年たちの約80%は現在の日本が『危険で過激な軍国主義国家』だと信じ込んでいて、約60%が『近いうちに日本と資源をめぐり戦争になる』と答えています。 つまり、そういう教育を国家がらみで行っているわけです。

 

これらのことを考えると、私は憲法第9条を見直すことも視野にいれて考える時期に来ているのではないかと思います。 もちろん戦争をしたいからではありません(もちろんそんなことは誰も望まないでしょう?)。 それでも今の日本では、危険な考えだと思われる方も多いかもしれませんが。
    国際貢献を果たすために。 国同士の発言の場で正しい意見を堂々と言えるようになるために。
国民の生命・財産・安全を護るために。 将来の子供たちが安心して住める国となるように。 日本国憲法第9条について考えてみませんか?


(ここから再び大圓の文章)

    以前にビルマとインドの間を北に抜けて、イギリスなど連合軍が中国国民党政府への軍事支援するルートを遮断し、さらに国境の山を越えてインド解放のためにインド自由国民軍とともにインド平原に突入ようとしたインパール作戦のことを書きました。  
    この作戦は最初から軍首脳が弾薬や食料補給の面で保証できないと反対するなかを無理やり決定されました。 しかし現場の師団司令官自身が反対して途中で離脱するくらい、愚劣極まる作戦でした。 そして最後は多くの戦死者や餓死者を出して敗戦撤退して、白骨街道といわれるぐらいの悲惨な残骸をさらしました。 現代での評価も無謀な作戦として、誰ひとりこの作戦の意義を語る人がいない。 

しかしインドだけはこの作戦に感謝している。 これによって何万もの日本軍将兵がインドのために亡くなったが、その後のインド独立の歴史的展開はこの作戦なくしては考えられない。 この作戦のおかげでインドは独立できた、と感謝している。 
    亡くなってビルマの土になった日本軍将兵は決して犬死ではなかった。 彼らの死がインドの独立をもたらした。 それをインド国民はいまも尊敬の念をもってみている。 インドが今も大親日国であるのはその英霊のおかげである。 昭和天皇がなくなったときに3日間もインドでは半旗を掲げて、その冥福を祈ってもくれたのです。

    このことを証言する文章を以下に記載します。

 

チャンドラ・ボースの自由インド仮政府樹立とインド解放をめざしたインパール作戦の意義

 

  『日本の皆さん、今から約40年前、私がようやく小学校に通い始めた頃、東洋民族である日本が世界の強国ロシアと戦い、これを大敗させました。 この知らせが全インドに伝わり、興奮の波がインドを覆いました。 いたる所で旅順攻撃や奉天大会戦や日本海海戦の勇壮な話で持ちきりでした。

私たちインドの子供たちは東郷元帥や乃木大将を敬慕し尊敬しました。 元帥や大将の写真を手に入れようとしてもできず、その代わりに市場から日本の品物を買ってきて日本の象徴として家に飾ったものでした。

  日本はこのたびインドの仇敵イギリスに対して宣戦しました。 日本は私たちインド人に対して独立のための“絶好の機会”を与えました。 私たちはそれを自覚し感謝しています。 一度この機会を逃せば今後百年以上訪れることはないでしょう。 勝利は我々のものであり、インドは独立すると確信しています』

        昭和18年 チャンドラ・ボース(インドではガンジーより人気のある

インド独立の英雄)

 

インドの独立を導いた日本に対するインド人の感謝の言葉

 

  『我々インド国民軍将兵はインドを解放する為に共に戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対してもっとも深甚なる敬意を表します。 インド国民は大義のために生命を捧げられた勇敢な日本将兵に対する恩義を末代にいたるまで決して忘れません。 我々はこの勇士たちの霊を慰めご冥福をお祈り申し上げます』

                    ヤバダ在郷軍人会代表

 

『太陽が空を輝かし、月光が大地をうるおし、満天の星が瞬く限り、インド国民は日本国民への恩義を忘れない』

                    レイキ法学博士

 

                    

                             石黒大圓 記



     いのちの風 縁の花支縁サイト

     縁の花 トップページに戻る

     縁の花村 トップページに戻る