いのちの風 bS37―1
10月7日(金)発信 石黒大圓(だいえん)
今回のテーマ 靖国神社/戦争責任/神仏による裁き/A級戦犯は冤罪/韓国で土下座
いつもありがとうございます。 今年終戦60周年にあたり8月15日に靖国神社に参拝した人は空前の20万5千人。 昨年は雨天でもあり6万人余り。 近年で1番の人数は平成13年に小泉首相が8月15日に参拝した日が12万5千人。 今年は首相が無視した分を国民が穴埋めした。 「靖国神社に参拝するのは一部の軍国主義者」という中韓の政治宣伝はウソであることを証明したために、日本でも外国でも20万5千人という数字は報道されなかったのです。 現代に至るも靖国神社こそ日本の戦没者追悼の中心的施設であることを国民自身が証明しました。
靖国への思いは今も国民に受け継がれ、死者とともに靖国は生きている。 私も亡き人々が霊魂として今も存在し、神社仏閣に神として仏として祭られているということで、妻子の死を受け入れている。 死んだら終わりだと見る唯物思想が死をまともに見ない風潮を生んでいる。 死と向き合い、いつ死んでも悔いはないと飄々と生きることが一番人間的ではないか。 死者とともに人間と国家の永遠の相を見つめることこそ靖国参拝の使命ではないかと思う。
責任を追及しろといいなりに
9月5日の産経新聞に石原慎太郎氏が月に一度書く「日本よ」というコラムに靖国神社についての意見が出ていました。
(前略)「私は毎年何度か靖国に参拝しているがその度、念頭から私なりに何人かの、あの戦争の明らかな責任者を外して合掌している。 それはそうだろう、靖国が日本の興亡のために身を挺して努め戦って亡くなった功ある犠牲者を祭り鎮魂するための場であるなら、彼等を無下に死に追いやった科を受けるべき人間が鎮魂の対象とされるのは面妖な話である。 死者の丁寧な鎮魂を民族の美風とするにしても、罪を問われるべき者たちの鎮魂は家族たちの仕事であって公に行われるべきものでありはしまい」
(後略)
この一文には戸惑いを覚え、まずいことを書いたなと思いました。 保守陣営の一角が崩れたという感じがしました。 戦後、戦犯釈放を願う4千万人の署名(人口のほぼ半分、大人のほとんど)が集まりました。 あの当時日本国民は戦犯に罪をすべてなすりつけて自分たちは無実だとは思っていなかった。 国家や軍国主義者が悪い、国民は被害者だとしたのは東京裁判です。 日本国民はあの当時に独自に責任者の処罰をしようとは考えてもいなかった。 「一億総懺悔」という気持ちだった。
軍人だけが悪かったのではない。 近代の日本歴史の上で、当時の政府の方が好戦的なときがあった。 大隈内閣の時には「対華21か条」という無茶な要求を袁世凱中華民国政府に突きつけて、対日感情を決定的に悪化させた。
また近衛内閣の時には、盧溝橋事件の後、現地でも参謀本部でも戦争不拡大方針であったのに、軍の増派を決定してしまい泥沼の日中戦争が始まってしまった。 また「以後国民党政府を相手をせず」という政府声明を出してしまい、停戦交渉への道を自ら断ってしまった。 また三国同盟を締結し、国際連盟からの脱退をしたのも近衛内閣です。
近衛首相も戦後すぐ自殺していなければ、A級戦犯として処刑されていたでしょう。 そうすれば政治家と彼を選んだ選挙民があの戦争に深くかかわっていたという印象が日本国民の心の中に深く刻まれて、軍部だけが悪いという意見は影をひそめたかもしれません。 それが残念です。
大事な歴史の転換点において、民主主義選挙で選ばれた政府がこのような戦争への道を歩んでしまった。 この責任を軍部だけに押し付けていいのか。 このような政府を選んだ国民の責任はないのか。
このような「国民は被害者で、A級戦犯は加害者だ」という単純な国民の責任逃れの言葉が出ては「石原首相待望論」は一気に人気を失くしてしまいます。
罪深し死者を鞭打ち罪を問う
東條首相以下7名の人々がA級戦犯として絞首刑になった。 もし彼らが自らには罪はないと強弁すれば、生意気なイエロージャップを血祭りに挙げようとしていた勝者の連合軍は誰の首をはねたか。 天皇である。
彼らは天皇と軍人、政治家、国民の身代わりとして連合軍の復讐劇の舞台で屠殺されたのです。 彼らは日本の国体を護るために人身御供としてその身を差し出され処刑された。 もうそれで彼らの罪と称されるものは消えているはず。 法律上も罪に対して刑に服し終えた時点でその罪は消える。
ましてや死罪となったものの魂にまで死後もその罪を問うことはできない。 中国では恨みを晴らすのにその墓をあばいて遺骨や遺体と切り刻むという。 そのような野蛮な国民では日本人はないはずである。 歴史上の行為での善悪を問う場合ならいざ知らず、すでに亡くなっている人の魂にまで死人に鞭打つことが如きは許されない。
靖国神社に祭られているのは遺骨でない。 御霊、亡き人の魂です。 すでに亡くなられて清らかになられた魂です。 日本国の末永き安寧を願っていのちを奉じられた他の英霊に対すると同様に、A級戦犯にも安らかな菩提を弔うのが後を任された我々国民の務めではないでしょうか。
福島大学経営学部・飯田史彦教授は臨死体験や輪廻転生、前世の記憶などについて著書「生きがいの創造」の中で書かれています。 お話の中で興味あったこと。
ベトナム戦争の時に、あるアメリカ兵が弾にあたり重症となり生死をさまよった。 そのときに臨死体験をしたのです。 彼がうった弾で肉をえぐられ苦しむベトナム兵の苦痛が自分のことのように激痛となって走った。 また彼が運んだ弾薬で殺された村人や遺族の苦しみ、悲しみが胸にひしひしと迫ってきて身を切るような地獄の苦しみを感じたと言っていた。
人は亡くなったら皆が過去の自分の生涯を瞬時に回想させられ、自分が行った罪業を反省させられる。自分が苦しめた人の悲しみを味合わされ煉獄の苦しみとして体験させられる。 たとえ戦時に人として許し難い悪行を行い、たとえ処罰されなかったとしても、次の世界では必ずその報いを受ける。 その人の本当の報いは神仏にまかせて我々は冥福を祈ればいい。
戦犯の慰霊絶えなば国滅ぶ
先日のテレビで中国留学生との討論があったが、彼らはA級戦犯のそもそもの意味を知らない。 「平和に対する罪」という戦争の後に作られた罪。 事後法で裁く、という法律上あってはならない罪状で裁かれた冤罪だということを知らないのです。
またA級戦犯容疑者として服役して後に釈放されて首相となった岸首相や、A級戦犯として終身禁固を言渡された賀屋興宣氏が釈放後に戦後に国会議員として活躍したことも知らない。 国民は戦犯などという言葉は連合軍が作ったまやかしと知っていたのです。 戦後60年も経ってから当時の国民の感情をさしおいて、今の感覚で非難することは的はずれでしかない。
以下が靖国神社についてのHPにありました。
『アメリカ占領軍は日本の精神的支柱として神道及び靖国神社の存在を重視し、その焼却を計画した。 しかし、マッカーサー元帥の諮問を受けたローマ教皇庁の駐日代表でブルーノ・ビッター神父は、「自然の法に基づいて考えると、いかなる国家も、その国家のために死んだ人びとに対して、敬意をはらう権利と義務があるといえる。
それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。 無名戦士の墓を想起すれば、以上のことは自然に理解出来るはずである」としてこれに反対した。 マッカーサーがこれを受け入れたことにより、靖国神社の焼却計画は中止になったのである』 キリスト教が救ったのです。
『また、昭和28年の「戦傷病者戦没者遺族等援護法」改正により、旧敵国の軍事裁判で罪人とされた人は日本の国内法では罪人と見なさないという判断基準が明確に示されている。 このため、日本の国内法においては、A級戦犯という概念はない』
若者は屈辱に目覚めいつか立つ
先日mixiのなかで「大勢の韓国人の前で土下座させられる日本の高校生」という記事が載っていました。 この韓国人が強要した謝罪こそ、石原氏が東條首相やA級戦犯に望んだことと同じことです。 (クリックすると大きい画像になります)。
http://whatever.say.jp/program/snap_shot/site/11228950394372/
日教組の勢力の強い
高橋史朗・明星大教授の話によると「過去の立場を超えて戦争犠牲者を慰霊するなら良いことだが、条約に基づいて日本が朝鮮半島を統治したことの非のみを一方的に謝罪する行為は、かえって国際的な信頼や友好を妨げる。 本当の和解とは、言うべきことを言い合って築かれるものだからだ。 日本の一部の教師たちが持つ思い込みや非常識さが、この修学旅行のような
日教組や左巻きが叫ぶ靖国反対や平和教育、日韓友好の真意がこれです。 そして日本人は人でなし、お爺ちゃんは人殺しと教える洗脳、日本の祖先と国民を侮辱する教育なのです。 小泉の日朝国交回復もこの線でいくのでしょう。
左巻きの勢力が80年代から日本で低下したために外国で反日教育をお願いし始めるように方針転換をした。 それが韓国への謝罪旅行であり、日本側が中国に反日デモをけし掛ける結果として現れています。日本の正しい歴史教科書を否定して、日本のウソの悪業とやらを並べ立て、日本国民に自信を失わせて国家として存立させないようにさせる中韓の政治的経済的国家戦略です。 それを甘い「友好」の名で惑わされてはいけないのです。